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ホワイトハート X文庫 | 今月のおすすめ 「神戸パルティータ 華族探偵と書生助手」

野々宮ちさ/神戸パルティータ 華族探偵と書生助手/特集

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  • 定価:本体630円(税別)

「探偵の贈り物」 野々宮ちさ

 神戸滞在二日目の夜のこと。空振りに終わった見舞いの後、病院の廊下を歩きながら、小須賀(おすが)が僕に問いをひとつ投げかけた。
「君は今夜、どうするんだ、庄野(しょうの)君。やはり、斎藤(さいとう)君のところに泊まるのか?」
 こう尋ねるのには、わけがある。昼間に、僕の友人、斎藤の家で、彼の父親と小須賀との間にひと悶着があったのだ。僕はためらいつつも、うなずいた。
「そうしようと思います。多分、そのつもりで用意してくれていると思うので」
 小須賀は形のよい眉をひそめると、ふっと嘆息を漏らした。それを見た僕は慌てて「あ、あの、申し訳ありません」と詫びを入れた。
「先生にはご不快でしょうし、僕もあのお父上の態度には思うことがあるのですが、だからといって逃亡したら、それはそれで斎藤に申し訳ないし……」
「何を馬鹿なことを言っているんだ?」瞬時に、あきれたような声で遮られた。
「僕が斎藤君の父親を気に入らないからといって、何故、それを君が気にする必要がある? 僕と君は完全に別人格だろうが。意味の分からないことを言い出すんじゃない」
「あ……すみません」もう一度謝ってから、はて、と首をひねった。
「じゃあ先生、今のため息は?」
 眉目秀麗の貴公子は、いけしゃあしゃあと遠慮のない言葉を並べた。
「言わずもがな。君のとことんまでの外しっぷりというか、運の悪さというかに憐れみを覚えただけだ。クリスマスの神戸という風情ある環境で同年代の美人と過ごすという僥倖に恵まれながら、面倒な事件には巻き込まれるわ、不良にはからまれるわ、挙げ句の果てに、君を歓迎しないこと確実の家長が待ちうける家で気まずい一夜を過ごすことになるわ、もはや天才的と呼ぶべき不遇体質だな。いっそ、お祓いでもしてもらえばどうだ」
 外しっぷりも不遇体質もおっしゃるとおりながら、今回の不運のおおもとは小須賀から発生していると思うのだが――特に最後の一項目についてははっきりと彼のせいだが、反論は控えた。抗議するには、今日の僕は彼に面倒をかけすぎている。
「……不運なりに、強く生きていくことにします。では先生、ここで失礼します」
 そう言って頭を下げたとき、意外な言葉が返ってきた。
「一緒に駐車場に来い。車で送ってやる」
「ここからは近いですし、歩けます」
「近いからこそ、ついでに送ってやると言っているんだ。どうでも一人で知らない町の夜道を歩いて、またも不良にからまれる危険を冒したいというなら止めはしないが」
 例によって優しみのかけらもない口調だけれど、彼なりの慈悲ではあるのだろう。ありがたく受けることにした。
 しかし、本当の驚きはその後に待っていた。斎藤の実家である神社の門前に到着したとき、車を降りようとする僕に、小須賀が「ちょっと待て」といったかと思うと、後部座席を指し示したのだ。そこには、とても高級そうな洋菓子の箱が置かれていた。
「どうせ、君は昨夜も手ぶらでここを訪ねたんだろう? より条件が悪くなった状態で二夜目を迎えようとしているのだから、手土産くらいもっていけ」
「え? これ、わざわざ用意してくださったんですか? 僕のために」
 啞然として尋ね返す僕に、彼はあっさりと肯定の返事をよこした。
「さっきも言ったとおり、僕と君は別人格。僕の助手だからといって君がとばっちりを受けるのは本意ではないからな。せいぜい礼節を尽くして、ご機嫌を取っておくがいい」
「あ……ありがとうございます!」前代未聞の事態に、僕はすっかり感激した。
「こんなお気遣いをしてくださって、なんてお礼を言ったらいいか……」
「礼には及ばない。それよりは、明日の労働に備えて宿泊環境の改善に努めることだ」
 小須賀は爽やかな笑顔を返すと、そのまま車を発進させた。走り去る車に向かって、僕は何度も頭を下げた。あの変人作家が――日頃は毒舌と暴言以外の語彙をもたない冷血漢が、こんなにもはっきりと気遣いを示してくれるなんて。この時ほど、さんざんな扱いに耐えつつ彼の助手をやってきてよかった、としみじみ思ったことはなかった。
 心がすっかり軽くなったおかげで、ものすごく高く感じていた斎藤家の敷居をまたぐ勇気を持てた。斎藤の父上にあたる宮司からの冷ややかな視線に耐えることもできた。宮司夫人や斎藤の援護もあって少し空気が和らいできたとき、僕は満を持して小須賀にもらった菓子折りを差し出した。
「あの、これ……小須賀先生からことづかったものです」
「小須賀先生から?」
 意外そうに問い返す宮司に向かって、僕は力を込めてうなずいた。
「はい! 先生はああ見えて、大変礼儀正しい方なのです。助手がふた晩続けてお世話になるのだからと、自ら厳選された品を持たせてくださったのです」
 ちょっと大げさだけど、自分自身の居心地をよくするために、さらには宮司の中で最悪であろう小須賀の心証を改善するために、僕なりに必死だったのだ。
「へえ、それは素敵だね」察しのよい斎藤が、少々かぶさり気味にあいづちを打った。
「言ったでしょう、お父さん。小須賀先生はとてもお心の広い、立派な方だと。早速、何をいただいたか拝見しましょう」
 そう言うや、斎藤はすばやく菓子折りの包装を解いて、箱を開け――顔色を変えた。僕は慌てて彼の手元をのぞき、その顔色の意味を理解した。箱の中にあったものは、クリームで華々しく「Merry Christmas(メリークリスマス)」と大書されたケーキだったのだ。
 宮司の顔がみるみる険しくなっていく。ああ、どうしよう……。この厳格な人にとっては、他宗教の祝い菓子なんぞ、見るもおぞましい禁忌物だろう。
 斎藤と僕が万事休す、とばかりに互いの目を合わせたとき、宮司夫人がおっとりとした声を発した。
「あら、博也(ひろや)。ヒイラギが気になるの?」
 見ると、斎藤の弟、博也君がケーキに飾られたヒイラギの小枝を手に取ろうとしているところだった。めったと外界に興味を示さない彼にしては珍しい行動だ。
「そうか、普段は家で見ない類いのお菓子だものな。お前にも珍しいことだろう」
 斎藤はほっとしたように言うと、やや強引に弟の手を引いて立ち上がった。
「さあ、台所においで。兄さんがお前のよいように切り分けてやるから。庄野、すまないけれど、その箱を持ってきてくれないか」
 宮司が「潤也(じゅんや)」と咎め声を出したが、夫人がすばやくそれを制した。
「まあ、たまにはよいではありませんか。男子厨房に入らずといっても、潤也の方が私よりもお菓子の切り分けが上手なのですもの。博也だって喜んでおりますわ」
 そう言いつつ、僕らに向かって優しくうなずきかける。ありがたい……後は引き受けるから逃げてよし、ということらしい。
 台所に向かって逃亡しながら、斎藤がそっと僕に詫びた。
「すまない。せっかくの小須賀先生の心づくしなのに、うちの父が狭量なばかりに」
「ううん、君はなんにも悪くないよ」僕は強く首を振った。「お父さんだって、悪くない。悪いのは……僕だ」
 そうだ、すべては僕の責任だ。菓子折りをくれた際の小須賀の様子で、思い出すべきだったのだ。彼がああいうふうに爽やかに微笑むときは、だいたいは、ろくでもないことを企んでいるときなのだと。あの抜け目ない人が、「うっかり」神社への手土産にクリスマスケーキを選ぶわけがない。絶対わざとやったに決まっている――気に食わない宮司に軽い嫌がらせをすると共に、僕をいたぶって楽しむために。今頃、悪だくみの成功を確信しながら機嫌よくディナーをとっているに違いない。
 ああ、それにしても、なんて大人気ない上に性悪な人なんだ……。たまに情を見せて、こっちがすっかり油断した頃にサディストぶりを発揮するところが、またタチが悪い。結局、僕の最大の不運は彼の助手であるという一点に尽きるんじゃないのか?
 しおしおと歩く斎藤と僕の傍らで、博也君が無心にヒイラギをもてあそんでいる。そのあどけなくも清らかな姿だけが、受難の夜の救いだった。

華族探偵と書生助手シリーズ

野々宮ちさ/著 THORES柴本/イラスト