- 琥珀
- (儂の名は琥珀。西方を守護する獣王、白虎様である。だが今は、西園寺颯介という小僧に我が心臓を奪われたのをきっかけに四肢を失い、妖力も弱まり、非常に不本意ながらも猫という仮初めの姿で日々を過ごしておる)
- 奏
- 「琥珀、なんか難しい顔してるわねぇ」
- 琥珀
- (この娘は奏。颯介の妹で、長い間病で伏せっていたが、取り憑く病魔を祓ったことで健やかに過ごせておる。だが、それでも長年の養生暮らしのせいか、あまり外で体を動かすのは好かぬらしい。今も黙々と刺繡をさしている最中だ)
- 奏
- 「どうしたのかな~? 遊んでほしい?」
- 琥珀
-
「ええい、煩わしい。儂が人間の子に構ってもらいたいわけがなかろう」
琥珀、奏に向かって文句を言う。
しかし、琥珀の声は奏には理解できず、猫の「にゃー」という鳴き声でしか聞こえなかった。
- 琥珀
- (儂の心臓を奪った颯介と違い、この娘は妖(あやかし)や物ノ怪といった怪異の声を聞くことや姿を視ることは叶わぬ。まぁ、儂が人の姿に化けて喋れば理解も出来ようが、そこまでしてやる義理も義務もないのでな)
- 奏
- 「きれいに香箱(こうばこ)作っちゃって、暇そうだねえ、琥珀」
- 琥珀
-
「おかげで儂と娘の会話はチグハグだ。今とて、儂は別に暇なわけではない。こうして日々をゆったりと過ごし、いざという時のために妖力を蓄えているのである。決して、決して眠気に襲われているわけではない、の……くぁ……」
琥珀、言葉とは裏腹に眠気で呂律が怪しくなり、最後はあくび混じりとなる。
- 奏
- 「そうだよね。元々野良だったんだから、ずっとおうちの中じゃつまらないよね」
奏、うとうとしている琥珀を「よいしょ」と抱き上げる。
- 琥珀
- 「うなぁ~ぅ」
- 琥珀
- (やめろ人の子よ。儂は今すこぶる眠い……ではなく、いい具合に瞑想に入れそうだったのだ。放っておいてくれ)
- 奏
- 「あら、琥珀。凄い伸びるわね」
- 琥珀
- 「うな~う、なーご」
- 琥珀
- (くっ! 勝手に儂を抱き上げるな! 抱くというなら、せめて尻を支えるのが礼儀というものだ……と言っても、口惜しいことにこの娘には儂の言葉は伝わらぬのだ)
- 奏
- 「だらーって足が伸びる猫は狩りが下手って聞いたことがあるけど、琥珀もそうなのかな?」
- 琥珀
- 「うなっ!?」
琥珀、慌てて足を縮める。
- 奏
- 「あっ、丸まった。でも、あちこちプルプル震えてるわね。無理してるのバレバレよ」
- 琥珀
- (こやつめ……大人しい物言いのわりに、言うことに遠慮がないな)
- 奏
- 「んもーっ、仕方ないなぁ。トレーニングを兼ねて暇つぶしにつきあってあげる。ちょっと待っててね」
奏、琥珀を床に戻し、先ほどまで刺繡をしていた席へ戻る。
- 琥珀
- (はー……やれやれ。ようやく解放されたか。足の裏に地面を感じるというのが、これほど心安らぐものとは知らなかった、いや、むしろ知りたくなどなかったわ)
奏、琥珀の元へ戻ってくる。
- 奏
- 「ほーら琥珀、おもちゃ作ってみたんだよー」
奏、琥珀の顔の間でお手製のポンポンじみたおもちゃをゆらゆらさせる。
- 琥珀
- (む……! 高貴なる儂が、そんな稚拙なおもちゃごときに反応するとでも思って、思って……いる、の……)
- 琥珀
- 「にゃっ!」
- 奏
- 「もー、早速おしり振っちゃって。じゃあ、行くわよ。ほいっ!」
- 琥珀
- 「にゃっ!」
- 奏
- 「はい残念ー」
- 琥珀
- 「ぐるるる……」
- 奏
- 「まだまだ、ほらっ」
- 琥珀
- 「うにゃっ!」
琥珀、奏に翻弄される。
- 琥珀
- (これは……! 意外と……! 悪くない……!)
琥珀、全力でポンポンにじゃれ始める。
- 琥珀
- (隙あり!)
- 奏
- 「あっ、取られた!」
- 琥珀
- (どうだ、儂がその気になれば奪い取る事など容易い……ん? 爪がポンポンに引っかかったか?)
- 奏
- 「端布と余り糸で作ったから、爪がよく引っかかって楽しいでしょう?」
- 琥珀
- (いや、引っかかるというかこれは、むしろ勝手に絡んでくる、と言った方が……ああくそ、引っかかって、外れぬではないか!)
前足をぶんぶん振るが、ポンポンは琥珀の爪から外れない。
- 琥珀
- (人の子よ! この呪いのようにしつこいおもちゃを儂の手から外せ! 作った者として責任を取れ! 人の子よ!!)
- 奏
- 「ん? どうしたの琥珀、取れなくなっちゃったの?」
- 琥珀
- (気付くの遅いわ! ああもう、いかんともしがたいこの苛立ち! 落ち着かぬ、我慢ならぬ! もうどうにでもなれえ!!)
琥珀が爪にポンポンをつけたまま部屋の中を全速力で走り回る、どたどたという音。流石にまずいと思った奏が追いかけるが、パニックになった琥珀は止まれない。
- 奏
- 「ちょっと琥珀、止まってよ、動いてたら取れないよ!」
- 琥珀
- 「うななっ! うにゃーっ! にゃー!」
- 奏
- 「暴れないで琥珀! 琥珀ってば!」
奏の声と、どたどたという足音と、物が落ちたり倒れたりする音が遠ざかる。
- 奏
- 「つ……疲れた……」
- 琥珀
- (くっ……この儂としたことが……!)
- 奏
- 「改良が終わるまで、このおもちゃはお休みだからね」
- 琥珀
- (いっそ封印してくれ……)
- 奏
- 「よいしょっと」
ごそごそと琥珀を持ち上げる奏。
- 琥珀
- (うぉう!?)
- 奏
- 「琥珀も疲れたんだね、さっきよりもっとだらーっと伸びてるよ」
- 琥珀
- (流石に丸まる気力もないわ。だが、敢えて一言言わせてくれ)
琥珀、「はぁ……」と大きな溜め息。
- 琥珀
- (抱き上げる時は尻を支えるのだ、人の子よ)