STORY
定価:本体690円(税別)
美しすぎる悪魔の狡猾で淫靡な誘いは、官能的で抗えない……
病に冒された兄の命を救うため、代わりにマクドウェル子爵として生きるアンジェは、博識なダーク伯爵と出会い、女性として胸がときめいてしまう。けれど、彼は残忍な悪魔・メフィストフェレスと意識を共有し、過去にかわした契約により、身体を乗っ取られていた。メフィストはアンジェを拷問にも等しい愛撫で弄び、堕落させようと企む。一途な愛でダークを救おうとするアンジェだが……。
定価:本体690円(税別)
病に冒された兄の命を救うため、代わりにマクドウェル子爵として生きるアンジェは、博識なダーク伯爵と出会い、女性として胸がときめいてしまう。けれど、彼は残忍な悪魔・メフィストフェレスと意識を共有し、過去にかわした契約により、身体を乗っ取られていた。メフィストはアンジェを拷問にも等しい愛撫で弄び、堕落させようと企む。一途な愛でダークを救おうとするアンジェだが……。
北條三日月
優美な曲線を描く繊細なティーカップ。ボーンチャイナの目の覚めるような白。紅茶の琥珀色がとても映える。そのコントラストだけで、ため息が漏れてしまう。
鮮烈なベルガモットの香り。一口飲めば、全身に染み渡るよう。
季節の花々が咲き誇る生け垣の中心――きっちりと刈り込まれた芝の上にガーデンテーブルが置かれている。ガーデンの緑と、雲一つない青空のコントラストが、とても美しい。
ノリの利いた薔薇柄のテーブルクロス。その上には、ずらりと皿が並んでいる。
サンドウィッチは三種。キュウリ、サワークリームとサーモン、サラダクリーム。
焼き立てのスコーンにはたっぷりの生クリームとクロテッドクリームを添えて。自家製のジャムも数種。お気に入りは、シェフの自慢の薔薇ジャムだ。
ジンジャースナップにヴィクトリアンケーキ、トライフル、パンプディング、ミントとレモンのタルト――アンジェの好きなものばかりだ。
嬉しい。だけど、それ以上に胸躍るのは――。
「こうして、お庭でお茶が楽しめるようになるなんて……!」
隣に座る兄――クリストファーの手を握る。
「体調が少し良くなったというだけで治ったわけではないし、無理はできない。短い時間だけだよ」
ダークの言葉に「もちろん」と頷くも、唇が勝手に綻んでしまう。嬉しい。嬉しい。
「……それにしても、凄い量だね」
「お兄様とお庭でお茶をすると言ったら、皆がね……」
「必要以上にはり切ってしまうのも、仕方ないかと。マクドウェル家では、全員が号泣してしかるべきことでございますれば」
アルバートが紅茶のおかわりを注いで、ダークの前に置く。
「君にとっても?」
「もちろんでございます。ですが――お嬢様?」
アルバートがチラリとアンジェを見る。トライフルを皿に盛りつけてもらっていたアンジェはビクッと肩を震わせ、アルバートを仰ぎ見た。
「……加減なさいますよう」
「わ、わかってるわ。ちゃんと気をつけます」
首をすくめたアンジェを見て、ダークとクリストファーが同時にアルバートを見上げた。
「え? なに?」
「どうしたの? たくさん食べては駄目なの?」
きょとんとしている二人に、アルバートは当然だと言わんばかりに眉をひそめた。
「これからは、淑女の装いしかしなくなるのですよ。今までコルセットは、あくまでも男性の体形を作るために男性用のものを締めておりましたけれど、女性として美しいウエストを作るためには、食べ過ぎてはなりません。それに、本日のお茶会は身内とクレイオルドリッジ伯爵のみですのでうるさくは申しませんが、社交の場でしっかり食事をするクセは直していただかねば。淑女にとっては銀器もアクセサリーですよ」
「う……」
アンジェはそっとため息をついた。先日、アレクサンダー伯爵家にディナーに招かれた時のことを言っているのだ。
ついいつものクセでしっかり食べてしまい、コルセットがきつくて、苦しくて、屋敷に戻るなりダウンしてしまったアンジェに、アルバートは烈火のごとく怒って――あれから一週間経つというのに、まだ嫌味を言う。悪いのはアンジェだが、そろそろ勘弁して欲しかった。
「反省してるってば……。というか、レイも身内みたいな感覚だし……」
「アレクサンダー伯爵はそうでしょう。しかし、他に招待客がいないとも限らないのですよ。先日は、たまたまいなかっただけです」
「はい……わかってます……。ディナーは、一口二口食べたらやめる。徹底するようにします」
「小鳥のように小食。それが淑女の嗜みです」
「へぇ……」
クリストファーが興味深げに小首を傾げる。
「変な習慣だね。料理を目の前にして食べられないのは、とてもつらいのに」
「そうでしょう?」
「そのとおりだけど、コルセットを締めているのにたくさん食べてしまうと、下手をすれば呼吸困難に陥ったりするからね。気をつけないと」
ダークのその言葉には、更にため息が出てしまう。
「……そもそも、ウエストは折れそうなほど細くあるべきというのが間違ってると思わない? 私、コルセットがあんなにつらいものだと思わなかったわ」
「まぁ、そうだね。私は健康的かつメリハリのあるスタイルの方が好きだよ。魅力的だと思う。無理やり締めつけるあれが身体に良いわけないし、そもそもあれは脱がすのが面倒だしね。私も嫌いかな。私は、愛し合う時は生まれたままの姿を愛でたい方だから」
ダークはテーブルに頰杖をついて、にっこりと笑う。
その言葉に、クリストファーとアルバートがぎょっと目を見開く。アンジェはかぁっと顔を赤らめ、慌てて下を向いた。
「クレイオルドリッジ伯爵。今のは……」
「女性になんということを仰るのですか」
クリストファーが困惑したように視線を揺らし、アルバートが眉を寄せる。
「あ? ああ、すまない。『クリス』と話す調子で軽口を叩いてしまった」
ダークが再びにっこりと笑う。アンジェは顔を赤らめたまま、上目でダークをにらみつけた。
(う、噓だわ……)
アンジェ扮する『クリス』と――つまりはマクドウェル子爵と、ジョークも交えて女性の話をしていた感覚でものを言ってしまったと誤魔化しているが、違う。今のは、完全にアンジェに言った言葉だ。
女性の好みの話でもない。私は、君の、健康的かつメリハリのあるスタイルの方が好きだと言っているのだ。
生まれたままの姿を愛でたいのも、『ベッドをともにする女性は』という話じゃない。アンジェのそれを愛でたいと言っているのだ。
(み、皆の前で……)
気持ちを落ち着けるため、紅茶を口に運ぶ。
(もう……意地悪なんだから……)
『クリス』であった頃と変わらない。ダークはこうしていつもアンジェを弄って遊ぶ。
――それに、いちいちドキドキしてしまうのも、変わらない。
「だけど、つらいなら無理しなくてもいいんだよ? 君はもう充分頑張ってきたんだから。私は既に社交嫌いで有名だし、それは寸分違わず事実だ。領地に引きこもって過ごしても全然構わない。むしろ、君との時間を誰にも邪魔されないで済むのだから、嬉しい限りだ」
「え? えーっと……」
「何を仰います。お嬢様には立派なレディになっていただかねば」
アルバートが目を吊り上げる。
「二十年も三十年も引きこもっているなど、非現実的です。何処に出ても恥ずかしくない嗜みを身につけることは、お嬢様のためでございます」
「そうでもないよ。五十年ぐらいはわりとらくに引きこもっていられるよ」
「三十年そこそこしか生きられていないのに、何を仰いますか」
ピシャリと、アルバートが言う。ダークは目を細めて、クスッと笑った。
そういうことになっているけれど、しかし実際はアルバートよりもダークの方がずっとずっと年上なのだ。それも、何世代も隔てた――というレベルで。
確かに、五百年以上生きてきたダークにとっては、五十年などあっという間のことだろう。
「私が言いたいのは、私にとってアンジェがアンジェであること以上に重要なことはないということだよ。完璧なレディである必要なんてない。私は、完璧な紳士であったアンジェに恋をしたぐらいだからね。アンジェらしくあるアンジェを私は愛しているし、皆だってそうだろう?」
「――!」
その言葉に、アルバートがグッと言葉を詰まらせる。
クリストファーがクスクスと笑って、優美なティーカップに指をかけた。
「ふふ。アルバートの負けだね。そう言われてしまっては、反論のしようがないよね。実際、そのとおりなわけだし」
「そ、それは……そうなのですが……」
「まぁ、アンジェもレディ教育自体が嫌なわけじゃないよ。ただ、ごくごく近しい人との
くつろぎの時間ぐらいは、少し身軽になりたいだけ。アンジェの夢は、クレイオルドリッジ伯爵夫人って呼ばれることなんだからね」
「っ……! お、お兄様!」
その言葉にぎょっとする。ほぼ同時に、ダークが驚いたように目を丸くして、こちらを見る。アンジェは再び顔を赤らめ、下を向いた。
「な、内緒にしてくださいって……」
「そうだったかな?」
クリストファーが香り高い紅茶を楽しみながら、しれっと言う。
(お、覚えていらっしゃるクセに……)
「クレイオルドリッジ伯爵夫人になること、じゃなくて? 呼ばれること?」
「う……。そ、それは……」
「幸せって、大事な人とは共有したいものだし、全世界の人に自慢したくなるものじゃないの? 僕はそうだよ。病気のせいで僕の世界はとても狭いから、余計に」
クリストファーがサンドウィッチをつまんで、ダークに笑いかける。
「嬉しいと思ったことは、アンジェや貴方に聞いて欲しくなるし、アンジェや貴方によくしてもらったら、その幸せを誰かに自慢したくなる」
「……なるほど」
「貴方も、アンジェが完璧なレディとなったら、自分の妻だと自慢して回りたくなるよ、きっと」
その言葉に、ダークはアンジェを見て、ふっと目を細めた。
漆黒の瞳が、妖しく煌めく。
「今でも、私は世界中の人に自慢して回りたいけれどね。私のアンジェだ、と。でも――なるほど。そういう理由なら、頑張りなさい。私がどれだけ君に夢中か、全世界の人に知らしめてあげるから」
「っ……!」
更に、頰が熱くなる。アンジェは両手で頰を押さえた。
でも――嬉しい。凄く、嬉しい。
絶対に叶わないと思っていた夢が、手を伸ばせば届くところにある。
なんて、幸せなことか――。
「が……頑張ります……」
でも、明日から。
今は、我慢したくない。せっかく愛する人と、大好きな家族と一緒にいるのだから。
夢にまで見た――優しく、穏やかな午後のひととき。
澄み渡る青空に、爽やかな風に、美味しいお茶に、愛しい人の笑顔に、胸がいっぱいになる。
アンジェは、その幸福の甘さにそっと目を閉じた。
著者からみなさまへ
こんにちは。人外の人、北條三日月(ほうじょうみかづき)です。本作は前作『秘蜜のヴァンパイア ~溺愛伯爵に繋がれて~』と世界観を同じくしており、舞台は19世紀末の英国。古き良き華やかな文化と近代化の風と仄暗い闇が同居する時代――。また同じく、大きな秘密と運命を背負った女の子が、自らの恋のために戦います。前作の二人、ミアとアレクサンダー伯爵もちょこっと登場しますよ。どうぞ楽しんでいただければ幸いです。