『ブライト・プリズン 学園に忍び寄る影』番外編
「祭りの前に」
犬飼のの
「贔屓生(ひいきせい)一組の薔(しょう)、文化祭の衣装に関して確認したいことがある」
夕食が終わるのを見計らったように、竜虎隊(りゅうこたい)員が食堂に入ってきた。
二十代前半の背の高い隊員で、水木(みずき)という名前の人だ。
「文化祭の……衣装、ですか?」
文化祭が近いことはわかっていても、衣装という単語にぴんとこなかった俺の隣で、茜(あかね)が「あっ!」と声を上げる。
「そう言えば、贔屓生カフェのこと薔に話してなかった!」
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「なんだよ、当然お前が話したと思ってたぜ」
慌てた茜に対して、正面に座っていた剣蘭(けんらん)が眉を顰(ひそ)めた。
完全に初耳だったけど、毎年恒例になっている贔屓生の模擬店の話だと察しがつく。
抽選に当たらないと入店できない一番人気の出し物で、その年によってカフェだったり甘味処だったりするやつだ。
「君が入院している間に投票が行われて、今年はカフェに決まったんだよ。衣装はセミオーダーで調整が可能だ。自己申告が原則だが、もし採寸が必要なら今から詰所に来なさい」
「詰所で採寸できるんですか?」
「ああ、服飾系の有資格者がいるからね。特に必要なければ口頭でも構わない。他の贔屓生の分は発注済みだし、時間もないから適当に……」
「行きます。今から詰所に」
自分のサイズくらいわかってるのに、俺は食いつくように採寸を選んだ。
堂々と詰所に行ける機会を逃す手はない。
耳目に触れるのも気にせず……というよりは答えたあとになって注目を浴びていることに気づいたけど、「ただ単にサイズの合った服を着たいだけ」って感じの無表情を意識して、なるべく自然に席を立つ。
「薔、カフェのこと話すの忘れててごめん。投票についても、薔の意見も取り入れるべきだって話になったんだけど、却下されちゃって」
「大丈夫だ。俺はカフェのがいいし」
「ほんと? よかった! 俺と剣蘭と白菊(しらぎく)と、あと桔梗(ききょう)がカフェに投票して、四対三でカフェに決まったんだ。薔のギャルソン姿、すっごい楽しみにしてる!」
「じゃあ……ちょっと行ってくる」
茜とそんなやり取りをしていると、剣蘭が「ごゆっくりー」と、語尾を伸ばして意味深な笑みを浮かべた。
剣蘭の隣にいる白菊からは、「薔くん、いいなぁ」と羨ましそうに言われる。
恥ずかしがると怪しまれることになるので、本当は少し恥ずかしいのを隠して、最後まで無表情を保つよう頑張った。
*****
九月にしては冷たい夜風を切り、森の中を進んでいく。
水木さんと一緒に竜虎隊詰所に向かいながら、自分が興奮しているのを感じていた。
詰所に行ったからといって常盤(ときわ)に会えるとは限らないのに、神子ならではの運のよさで、どうにかなる気がするせいだ。
──今日も明日も公休日じゃないし、たぶん、詰所にいるよな?
足のリハビリのために病院にいる可能性が頭をちらついたけど、どうか会えますようにと祈りながら門を潜(くぐ)る。
「担当者を連れてくるから、この部屋で待っていなさい」
玄関ホールの近くにある三つの応接室のうち、翡翠(ひすい)の間に通された。
どうせすぐ立つことになると思ったので、ソファーに座らずに室内を見て回る。
飾られた絵や花を飽きるくらい眺めても一向に人が来る気配はなく、扉を開けて外の様子を見るや否や、足音が聞こえてきた。
「……常盤!」
採寸ができる隊員が来るのかと思ったら、何故か常盤が現れる。
俺の密かな祈りはあっさり叶ったわけだけど、このタイミングで会うことになるとは思わなかったので、驚いて言葉が続かなかった。
「御機嫌よう」
翡翠の間に入ってきた常盤は、学園内で推奨されている基本の挨拶をしてくる。後ろ手に扉を閉め、満足げな顔で俺を見た。
「ご、御機嫌よう」
「文化祭の衣装の採寸に来たと聞いているが、その必要はない」
「──え?」
「他の贔屓生の衣装をオーダーした際に、お前の物も一緒に頼んでおいた。水木がサイズを訊きにいったのは手違いだ」
「手違いって……じゃあ、俺のサイズは?」
「Mサイズを細身に調整して、シャツの袖とパンツの裾を出すよう指示しておいた。お前は手足が長いからな」
「春に採寸した時の数値を見たのか?」
「見たことは見たが、そんなものに頼るまでもない。この手でいつも測ってる」
常盤はそう言って両手を広げ、俺が飛び込むのを待ち構えるようなポーズを取る。
以前、儀式の時も同じことをして、「走って飛びついてこないのか?」なんて訊いてきたのを思いだした。
あの頃は今より照れがあって、求められるまま飛び込むなんてできなかった。
自分からは一歩も進まず、座ったまま立ち上がることさえしなかったのを憶えている。
それで結局、常盤のほうから近づいてきてくれた。
素直に胸に飛び込んだら喜ばせられることをわかっていたのに、実行に移せなかった頃の話だ。
「──採寸、しに来たのに」
「念のためにもう一度測ってやる」
常盤は両手を広げたまま、不敵な笑みを浮かべる。
その手に……その感覚に、余程の自信があるようだった。
「じゃあ、念のため」
今でも照れることは照れるけど、俺は自分の足で常盤に近づく。
広げられた両腕の間に踏み込むと、ぎゅっと抱き締められた。
ただし、力が入っているのは右手だけだ。
常盤は大怪我を負った左手に医療用テープを厚く巻いていて、まだあまり力を入れられない状態にある。
「左手、痛そうだな」
「いや、もうほとんど痛みはない。早く治すために慎重にしているだけだ」
「──本当に?」
「ああ、完治したら体重も量ってやろう」
隊長服の肩に顔を埋めながら、常盤の言葉に笑ってしまった。
女子供みたいに抱き上げられることが、屈辱的で嫌だった時もあったけど……今は違って感じられる。
今度また常盤に抱き上げられたら、手も足もすっかり治ったんだなって実感できて、しみじみ嬉しくなるはずだ。
「ところで夕食はしっかり摂ったか?」
「……残さず食べたけど、なんで?」
「入院していた間に痩せただろう」
「あ、うん……気づいてたのか」
背中側に回した手で、筋肉の落ちた脇腹を摑まれる。
剣道部を辞めたことに加え、入院中におとなしくしていた体は自分が思う以上に変わったのかもしれない。また竹刀を手にして、一から鍛え直したいと思った。
「文化祭ではカフェ店員をやるんだろう? その前に体力を取り戻さないといけないな」
「ああ、うん。詳しいことはまだ聞いてないけど、ギャルソンみたいな恰好でやるらしい。制服以外の服を着る機会は滅多にないから、ちょっと……楽しみだ」
「そうだな、お前ならきっと似合う」
俺は暗に、見にきてくれって言いたくて──でも竜虎隊隊長の身で、そういうわけにはいかないだろうし、俺が強く望むと常盤が無理したり、神子の力でどうにかなってしまったりしそうだから、考えないようにした。
それに、神子だってことを隠したりとか色々……後ろ暗いことをしている身で、そんな浮かれた願望は抱けない。
「この学園の文化祭は閉鎖的ではあるが、贔屓生でも参加できる数少ないイベントだと聞いている。いい思い出になるといいな」
「ああ、そうだな」
抱き合った状態から少しだけ体を離され、至近距離で見つめられた。
恥ずかしくて目を逸らしそうになるのをこらえて、見つめ返す。
常盤の顔を直視するだけで、心拍数が上がってしまった。
整ってるだけじゃなく、なんか妙に艶っぽくて……見ているだけで血の巡りがよくなる顔だ。
「常盤……」
キスを期待しながら名前を呼ぶと、唇が迫ってきた。
キスって不思議だ。
口と口を触れ合わせるだけなのに、抱き締められるよりもずっと強く、繫がっている感じがする。
死の淵から見事に生還し、ちゃんと意識もあって、自分の足で立っている常盤と、俺は今……一緒にいる。
両手で抱き寄せられ、抱き返しながらキスをしている。
欲しいものを全部手に入れられるわけじゃないし、思い通りにならないこともたくさんあるけど……こうしているだけで、これ以上はないと思うくらい最高の気分だった。
「薔……」
ここが詰所の応接室だからか、常盤は深いキスをせずに終わらせる。
俺の唇をじっと見てから、もう一度、静かで長いキスをした。
「──ん……」
会いたくても会えなかった日々を思うと、瞼がじんわり熱くなる。
触れ合えば触れ合うほど、もっと触れたくなった。
これで十分とか、最高だとか思ってるのは噓じゃないのに──欲望は留まることを知らなくて、さらにもっと色々したくてたまらなくなる。
──常盤……。
それでも、今は我慢する。
一緒にいられるだけで幸せだってことを、忘れてはいないから。
了
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著者からみなさまへ
学園ファンタジーBL「ブライト・プリズン」シリーズ6作目をお届けします。文化祭で贔屓生カフェと呼ばれる模擬店に参加することになった薔は、学園生活と常盤との蜜月を楽しむ日々を送っていましたが、塀の外では御三家の二番手──北蔵家の葵が動きだしていました。日本一の美形と謳われる葵は、過去の因縁から常盤に敵愾心をむき出しにしてきて……という、キラキラで不穏な一冊になっています。彩先生の素晴らしいイラストと一緒に、お愉しみいただけますように。よろしくお願い致します!!