『恋する救命救急医 イノセンスな熱情を君に』番外編
「チョコレートキス・藤枝×晶編」
春原いずみ
「これはちょっとしたテーマパークだね」
「買い物のテーマパーク?」
うきうきと歩きながら、晶は隣を歩く恋人を見上げた。
「だね。悪いね、晶。せっかくの休みにこんな人混みに連れ出して」
晶の休みと藤枝の休みが奇跡的に重なった日。藤枝は晶をドライブに誘った。向かった先は那須にあるアウトレットモールである。
「ううん。人がいっぱいいる方が楽しそうでいいよ」
晶はきょろきょろと辺りを見回している。
幸せそうな人の顔は好きだ。病院勤務の医師という仕事柄、晶は不安そうな顔や哀しそうな顔の人を見ることが圧倒的に多い。だから、たまの休みには、幸せそうな顔の人たちが見たいと思ってしまう。
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今日は藤枝が預かっている店である『le cocon』で使う小物や食材を買いに来たのだ。食材は基本的に決まった業者から仕入れているのだが、めずらしいものがないかと、藤枝はマメに出かけている。そこに晶を誘ったのである。
「だから、いいってば。俺も冬物のコートとか見たかったし」
晶が普段着ているコートは厚手のマウンテンパーカーだ。あまり服装にこだわりがないので、何年も同じものを着ていたが、さすがに綻びが見えてきた。
「じゃあ、どうする? 時間を決めて、待ち合わせる?」
「そんなの……つまんない」
晶は少し甘えるように言う。恋人と一緒にショッピングに来て、どうして離れて歩かないといけないのか。藤枝はくすっと笑った。
「じゃあ、先にざっと食器なんかを見てしまって、後でゆっくり晶のコートを選ぼうか」
アウトレットモールはすでにクリスマスの飾り付けできらきらしていた。ハロウィンが終われば、もうクリスマスだ。
「でも……まだ十一月だよ?」
「そんなものだよ」
今日は食器にはめぼしいものがなかったので、藤枝はベルギーチョコレートの専門店で、ハロウィン仕様のチョコレートを買っていた。食べものにセールは少ないのだが、こうした季節ものにたまにお買い得品がある。
「さぁ、晶。晶のコートを買いに行こうか」
「いいの?」
藤枝はさっとモールを見て回っただけだ。
「食器はクリスマスを過ぎてからの方がいいんだ。今日はこのチョコレートを買えただけでOK」
「……うん」
晶は少しうつむいて頷いた。藤枝とこんな風にショッピングに来るのは初めてだ。もともとふたりの休みが重なることが少なく、なかなか出歩くことはできない。ふたりのデートはお互いの部屋か、せいぜい『le cocon』の前にある美術館だ。
「どんなコートがほしいの?」
藤枝に尋ねられて、晶はうーんと唸った。
「今まではマウンテンパーカーだったけど、もう少し普段にも着られるのがいいかなぁ」
実際、あのコートだと、上の先生にちょっといいレストランに連れて行ってもらった時などに気後れしていた。今の上司はそういうタイプではないのでいいのだが、やはり、近くにいる人たちが皆上質なカジュアルやドレッシーなスタイルをしているので、ちょっと自分は違うなぁと思ってしまう。
「じゃあ、パーカーじゃなくて、コート……アウトドア系じゃない方がいいかな」
そう言う藤枝は黒いレザーのショートコート姿だ。すっきりとした長身に黒のつや消しのコートがよく似合っている。
「晶はトラッド系とか似合いそうだけど、ジャケットなんかはあまり着ない?」
藤枝の問いに、晶はこくりと頷いた。
「ジャケットなんて、大学卒業の時に買ったのしか持ってないよ」
「一枚でいいから、いいものを持っていた方がいいね。晶の年齢だと」
藤枝がさらりと言った。
「そのうち、友達の結婚式なんかもあるだろうしね。今度、オーナーの行きつけのお店にでも行ってみる?」
賀来の着ているスーツはいつもぴたりと身体に合っていて、美しい。生地も上質なものらしく、皺なんか見たことがない。
「何か……すごく高そう……」
「晶だって、高給取りじゃないか」
藤枝がおかしそうに言う。
「もう着る物にお金をかけていい年頃だよ。知ってる? 篠川先生も普段はカジュアルだけど、ドレスアップする時は、オーナーと同じお店で仕立てたスーツをお召しになるよ」
「まぁ……篠川先生なら似合うと思うけど」
藤枝は甘く微笑む。
「晶はきれいな顔立ちをしているし、プロポーションだって、ちょっと細いけどちゃんと整っている。もっと自分に自信を持ちなさい」
そして、彼が「ここがいいかな」とつぶやいて入っていったのは、イギリス発のトラッド系メンズブランドの店だった。すっと入っていって、コートのコーナーを見回す。
「ピーコートだとカジュアルすぎるかな……」
つぶやきながら、コートをさっと見る。アウトレットだけあって、値段は少し下がっているが、それでも晶がびっくりするくらいではある。
"はは……高いなぁ……"
「ああ……これがいい」
藤枝が言った。ハンガーを抜き出す。
「晶、これはどう?」
藤枝が選んだのは、ハリスツイードのショートコートだった。ダブルの打ち合わせでたっぷりと布を使ってあるが、内側は軽い綿の入ったインナーになっていて、持った感じはそれほど重くない。羽織ってみると明るいグレイのツイードが顔に映って、冬物なのに華やいだ感じがした。
「うん、よく似合う」
鏡を見ると、可愛らしい顔立ちに大人っぽいツイードが似合って、きりっとした印象になっている。
「……いいなぁ……」
「でしょう? ぱっと目についたんだ。晶に似合うって」
「でも……」
"はは……予算の倍以上だ……"
「気に入った? サイズはどう?」
「う、うん……ぴったりだけど……」
なるほど、海外サイズにしては小さめだ。だから、アウトレットに出ていたのか。
「他のも着てみる? もっとカジュアルな感じのもあるけど」
「……ううん。これが気に入ったよ」
藤枝が選んでくれたコート。一目で晶に似合うと言ってくれたコート。これがほしい。
"ちょっとくらい高くても……"
「じゃあ、これにしよう。あ、すみません。このコートを」
通りかかったスタッフに、藤枝が頼む。
「これでお願いします」
藤枝がすっとカードを出した。スタッフがにっこりして、コートとカードを持っていく。
「し、脩一さん……っ」
買ってもらうつもりなんてなかったのに。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントだよ。すごく似合っていたし」
藤枝がにっこりした。とろけるように優しい笑顔だ。
「晶に似合うコートが見つかってよかった」
大きなショップバッグを抱えて、晶は藤枝と並んで歩いていた。
「うわ……さむ……」
風が吹き抜けて、からからと枯れ葉が転がっていく。
「早く車に……」
藤枝の提げているチョコレートのショップバッグが強い風に揺れた。それを見て、晶ははっとする。
「脩一さん」
ショップバッグを車に入れ、晶はぱっと踵を返した。
「ちょっと買い忘れ。すぐ戻るから、エンジンかけて待っててっ!」
走ってくるかと思った晶は、なぜかそうっと歩いてきた。両手に何かを持っている。
「お待たせ」
「何を買ってきたの?」
晶が車の中に入ると、ふわっと甘い香りがした。
「はい、これ」
藤枝に手渡したのは、あたたかいカップだった。
「ホットチョコレート?」
「さっきのチョコレート屋さんで売ってたの思い出したんだ。寒くなってきたし、ちょっと小腹も空いたし」
あたたかいチョコレートを啜るとお腹の中がほうっとあたたまった。
「……おいしいね」
藤枝がつぶやくと、晶はにこりと笑った。
「よかった」
自分も熱いチョコレートをこくりと飲む。
「脩一さん……ありがとう」
「え?」
エンジンをかけてあたたまった車内はガラスが曇っている。デフロスターをかける前に、晶は恋人の頰にそっとキスをした。
「……ありがとう」
甘いキスはチョコレートの香りがした。そして、二人はそっと唇を重ねる。誰にも見られないうちに。甘いチョコレートの香りと……味のキスを。
了
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著者からみなさまへ
こんにちは、春原(すのはら)いずみです。「恋する救命救急医」も4冊目になりました。今回も主役は超絶美形オーナーと目つきの悪いセンター長です。ここに俺様なフライトドクター・神城 尊が登場し、事態を引っかき回してくれます。二人は果たして、幸せなごはんを食べることができるのでしょうか(笑)。二人の過去話もあったりして、盛り沢山なシリーズ4冊目です。どうぞ、お楽しみください。