しかし、相手は九条流（くじょうりゅう）の隠された姫である。陰陽師（おんみょうじ）ごときが恋心を告げられるはずもない。
　だが、幼い武春の胸に滾（たぎ）った想いは本物であった。
　――好きだ。
　男の純情に噓（うそ）はない。ただ彼女が好き、その一点である。
　武春は、花房に見つめられた時に、「俺はこの方を一生護るのだ」と決めた。
　

　それから一年後。
「とおっ。やあっ」
　東三条（ひがしさんじょう）邸で日夜繰り広げられる衛士（えじ）たちの武闘自慢を、四つになった武春はぼーっと見ていた。
　―― 俺は、ここで毎日、稽古（けいこ）せねばならぬのか。
「お、武春。来ていたとは」
　小さな陰陽師の襟をひょいと摘まみ上げた道長は、衛士にむかって放り投げた。
「軽く揉（も）んでやれ」
　子供相手に真剣を使うことなど出来はしない、と衛士たちは目を剝（む）いた。
「では、格闘の術から教えましょうか」
「うむ、それでよい」
　衛士のひとりが、武春の手を摑（つか）むと、拳（こぶし）を握らせた。
「殴る時は、親指を中に入れてはいけません。必ず外に」
「はあ……」
「さあ、殴ってごらんなさい」
　ぼすぼすっ。
　武春は生まれて初めて、人を殴ってみた。
「筋がいい」
　衛士たちは皆、手を叩（たた）いて喜んだ。武春は素直な気性で、言われたことはすぐにのみ込む。衛士が指導した格闘の初手すら、きちんと再現してみせたのだ。
「凄（すご）いよ、武春」
　脇（わき）で観戦していた花房が手を叩く。
　――君を護るためだ。
　武春は胸を張った。
　たったひとりの真実の相手と出会えたら、男は何度でも立ち上がれる。
　武春は家の柱に枕（まくら）を巻き付けると、殴る練習を繰り返した。
　――花房に絶対に邪（よこしま）なものを近づけてはならない。
　武春の祈りは、小さな拳に籠められていた。
　想いはいつか、必ず届く。

　また桜が咲いた。
　武春は花房と轡（くつわ）を並べて、馬を走らせていた。
「花房、愉（たの）しいね」
　出会った時に、恋に落ちた。そんな武春の純愛は、いつ実るのであろうか。
　乞（こ）うご期待。

閉じる