『沙汰も嵐も 再会、のち地獄』番外編
「噓と方便 似て非なるもの」
吉田 周
十二門神がひとり、馬頭(めず)の疾風(しっぷう)は怒っていた。
それはもう、イライラムカムカ、腹の中が地獄の釜のごとく煮えたたんばかりに。
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「黒星(こくせい)の野郎! 今日という今日は絶対に許さねえ!」
「まったく、おまえたちときたら性懲りもなく喧嘩ばかり。死のうが甦ろうが、とんと変わらんのう」
呆れ混じりのため息をついたのは獄卒の古参、三途の川の主である奪衣婆(だつえば)。
見た目こそ、泣く子がさらに引きつけを起こす恐ろしげな山姥だが、内面は情が深く面倒見がいい。そんな奪衣婆の、三途の川の古木の上にある家は疾風にとっていわば駆け込み寺。まさに、地獄の中のオアシスといったところだ。
「悪いのは黒星だっ。かわいいって言うなって、どれだけ怒っても聞きやしねえ!」
疾風はぐっと拳をにぎり、卓袱台を叩く。
ドンッという音と共に、重ねられた空の皿がガシャンと鳴った。
「ああもう、物にあたるでないよ。腹が立つならほれ、もっと食え」
きかん坊にはこれが一番とばかり、奪衣婆は新たな皿を疾風に突き出す。
丁子色の角皿には、ぽってりと丸いあんころ餅が三つ並んでいる。
これまた見かけによらずだが、奪衣婆の甘味作りの腕はかなりのもの。中でも小豆の煮炊きに関しては地獄で三本の指に入ると讃えられるほどだ。
「婆ちゃん! そうやって、とりあえず何か食わせておけばいいって扱いはやめてくれよ! そこまでガキじゃねえし!」
「なら、要らんのか?」
「…………食う」
きまり悪そうにしながらも、疾風はしっかり皿を受け取る。
やれやれと、奪衣婆は肩をすくめた。
「黒星にすりゃ、おまえをかわいいかわいいと愛でるのは息をするのと同じ。無理にやめさせれば窒息しかねん。己の片割れを、恥このうえない死に追いやるよりはマシだと思うて諦めろ」
疾風はあんころ餅を頰張りながら黙り込む。
片割れをかわいいと言えなくて窒息死とか、そんな馬鹿がいるはずないだろと笑い飛ばせないところが辛い。
すべての世の要といわれる境界門。十二門神はその守護を任されている。
ふたつでひとつとされる門神は、一対魂と呼ばれる、同じ魂を分かち合う絆で結ばれている。
互いが互いを己が片割れと呼び、強い想いを懸け合うものだが、その中にあっても黒星の疾風に対する過保護執着ぶりは異常。地獄の長、閻魔王(えんまおう)からもあれはひどいと笑われる始末だ。
「まあ、黒星の片割れ馬鹿がいっそうひどくなったのは俺の責任でもあるけど……」
やや苛立ちのトーンを落とした声で疾風はつぶやく。
自分の二度の死にまつわる騒動を思い起こせば、一方的に黒星を責めるのが躊躇われてしまう。
およそ半年前。普通の中学生だった不知火疾風(しらぬいはやて)は、不慮の事故によりあっけなくこの世を去った。
二度と目覚めることのない眠りについた……と思ったがどっこい、想像だにしていなかった事実が疾風を待ち受けていた。
なんと、疾風の正体は人間ではなく馬頭の疾風で、牛頭(ごず)の黒星の片割れだという。
しかし、よほど災難と縁深いのか、天界の誤りによる雷から黒星を庇い、心臓を貫かれ死んでしまった。その際、過失の詫びということで、甦りが約束されたらしい。
そもそも人間として生を受けたのも、馬頭として生き返るために必要な手順であったと聞かされて、甦り直後の疾風は混乱の極みに陥った。というのも、転生の決まりごとにより、疾風は馬頭の時分の記憶をすべて失っていたから。
人の意識を持ったままの疾風にとって、地獄はまさに未知の世界。
はじめは到底無理の連続だったが、半年かけて紆余曲折を乗り越え、随分と馬頭暮らしに馴染んできている。もっとも、片割れの死を己の罪とし、今度こそは守り通すと、過保護癖が悪化した黒星の暑苦しさには参ることもしばしば。自分が死んだせいという負い目があるので耐えもするが、時には我慢ができず、いまのように飛び出してきてしまう。
「なあ、婆ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」
あんころ餅を飲み込み、疾風は切実な思いで口を開く。
「死ぬ前、俺がどうやって黒星のかわいいを聞き分けていたか知っているか?」
「なに? なんだって?」
突拍子もない質問に、奪衣婆は目を剝く。
「だから、かわいいの区別。黒星が言うには、かわいいの件で揉めないように取り決めをしていたって。俺にかける〈かわいい〉は、女とかにかけるような〈かわいい〉とは違うって言うんだ」
奪衣婆はあんぐりと口を開け、真剣に話す疾風を見つめる。
口には出さずとも、凄味漂う三白眼は「おまえは本気で言っているのか?」と訴えかけていたが、生憎疾風は気づかない。
「正直、どっちだろうと嫌だから、あんまり何度も言われると、今日みたいにカッとなっちまう。けど、アイツなりに努力している訳だろ。それを無視して怒るのは違うっつーか。聞き分けができない俺にも責任があるのかなって」
いぶし銀の渋みに憧れる疾風にすれば、たとえ褒め言葉であっても〈かわいい〉の四文字は受け容れられない。人間時代のトラウマも相まって、もはや呪いに等しい。
だが皮肉なことに、黒星にとって、疾風に〈かわいい〉の四文字をかけることは生き甲斐に等しい。口にできないとなれば、それこそ奪衣婆の言うように絶望に咽喉を塞がれかねない。イケメンで長身で漢気もあって、地獄最恐の冥官長(みょうかんちょう)、白蠟(びゃくろう)からも認められるほど優秀という数々の長所も木端微塵に砕け散る残念ぶりだ。
「婆ちゃんも知っての通り、俺には死ぬ前の記憶がない。だから、どうやって聞き分けていたのかがわからねえ。もし、それについて俺から何か聞いたことがあれば、教えて欲しいんだけど」
開いた口が塞がらないとはこのこと。奪衣婆はただただ、疾風を眺める。
「婆ちゃん? どうした? 大丈夫か?」
疾風が首を傾げていると、背後で誰かが梯子を昇ってくる音がする。
一瞬、黒星が連れ戻しにきたのかと慌てたが、ふわりと流れてきた気取った香りですぐに違うと気づく。
眉を歪めながらふり返れば、そこには天敵ともいうべき姿があった。
「月瑛(げつえい)……」
疾風が苦いものを飲み込んだ時のような声で呼べば、相手もまた秀麗な面持ちをこのうえなく顰める。
「ここに来るたび、おまえの顔を見なきゃならないなんて。何の因果でこんな拷問を受けなきゃならないのか。馬鹿のひとつ駆け込みも大概にしたらどう?」
子頭(ねず)の月瑛は涼やかな声で嫌味をのたまう。
疾風や黒星と同じ門神で、現世風に言えば同僚にあたる。本来なら、力を合わせていかねばならない間柄だが、このふたりはことごとくソリが合わず、会えば挨拶より先に罵りが口をついて出て来るという有り様。
「どこにいようと俺の勝手だろ」
「どうせまた、黒星の優しさを無下にして、身の程知らずな文句を垂れ流していたんだろ。どこまで頭が悪いんだか」
「うるせえな。嫌味しか言わないなら、とっとと帰れ」
「はあ? それこそ何の筋合い? ここは奪衣婆の家。おまえこそ出て行け」
「あー、やめいやめい! それ以上くだらん言い争いを続けるなら、まとめて窓から放り出すぞ」
正当な権利を持った家主こと奪衣婆の一喝に、疾風と月瑛は不満たらたらな顔つきながらも黙る。
「それで? 月瑛は何用じゃ」
「良い小豆が手に入ったから。汁粉にして欲しいんだけど」
月瑛は手に提げた袋を奪衣婆に差し出す。
「ああ、ええぞ。仕込んでおくから、また明日取りに来い」
「頼んだよ。まあ、僕はどうでもいいんだけどね。甘い物なんて太るだけだし」
「……陣雷(じんらい)を喜ばせたいって素直に言えよ」
「はああっ? 餡子の馬鹿食いで脳が溶けた? この僕が、陣雷なんかのために駆けずるとかないしっ」
出たよ、面倒臭いツンデレ。本当は片割れである未頭(ひず)の陣雷が大好きで、気を惹きたくて仕方がないくせに。まったくもって、性根がねじ曲がっている。心の中でつぶやきながら、疾風は新たな餅に手を伸ばす。
それにしても、奪衣婆のあんころ餅は美味い。黒星も相当な料理上手だが、小豆の煮炊きだけはどうしても及ばないと、いつも悔しげにこぼしている。
口の中いっぱいに広がった甘い幸福感が、ギスギスとささくれ立った心を和らげていく。それで魔が差したでもないが、この憎らしい相手に尋ねる気が起きた。
「月瑛、おまえは黒星の〈かわいい〉を聞き分けられるのか?」
「……なに?」
「だから、〈かわいい〉だ。黒星の言う〈かわいい〉は二種類あるんだけど、おまえはその区別がつくのかなって」
一拍ほどの間を要したものの、月瑛は疾風の話を理解したらしい。
「……まさかとは思うけど、黒星のその言い分を本気で信じているとか?」
「え?」
きょとんと目を丸くした反応が答え。
心底よりの侮りを込めて、月瑛は腕を組み、疾風を見やる。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、まさかここまで馬鹿とは。そんな聞き分け、できるはずないだろ」
「け、けど、黒星は確かに──」
「それは、黒星の噓。もっともらしい理屈をつけて、煙に巻いているだけ。というか、考えればわかるだろ普通」
「なっ……」
絶句する疾風に、月瑛はいっそう冷たい視線を注ぐ。
「この救い難い脳足らずが、かわいく思えるなんて。黒星の慈悲深さには憐みさえ覚える。僕なら、舌を引っこ抜くと脅されたって口にできない」
はんと鼻を鳴らし、月瑛はひらりと背を向ける。
「言っておくけど、僕が種明かしをしたって黒星に告げ口したら承知しないから。それで陣雷を喧嘩に巻き込んだ件はチャラにしてやる。せいぜい我が身の愚かさを嘆くといい。じゃあね、奪衣婆。汁粉、よろしく」
好き勝手に言い並べ、月瑛は梯子を降りていく。
その姿が完全に見えなくなってからも、疾風はしばらく声を上げられなかった。
「疾風。とりあえず、落ち着け。その件については、噓というより方便で──」
「……何が違う? どっちにしろ、俺を騙していたってことだろ?」
そこは否定できず、奪衣婆は唸る。
噓と違い、相手のために真実ではないことを伝えるのが方便とされる。元来、黒星は噓や曖昧を嫌う性質である。向こうにすれば、疾風に嫌な思いをさせないための方便のつもりだったに違いない。
だが、今回の場合、根底に是が非でも片割れをかわいいと言いたい黒星の我欲がある。正当性を認めるのはやや苦しい。
「黒星に悪気はないんじゃ。ただ、あいつは少々、いや手の施しようのないほど阿呆な面があるというだけで」
「……俺、真剣に考えていたんだ。できるものなら、なんとかしてやりたいって」
甦ってすぐに聞かされた時は、疾風とてそんな馬鹿な話があるかと思った。
だが、折に触れ、黒星が真面目に話すのを聞くうち、頑張れば聞き分けられるかもしれないと考え直したのだ。
その結果がコレ。疾風にすれば、あまりにあまり。
「元々ヤバイ黒星が、さらにいっそう、地獄で並ぶヤツがいないくらいの変態にレベルアップしちまったのは、俺が目の前で死んだりしたから。アイツには悪いことをしたって思うからこそ、かわいいの件も努力してやりたいって。なのに……」
ふるふると身を震わせながら語ったあと、疾風はギッと顔を上げる。
「絶対に許さねえっ! 殴る! いますぐ殴る!」
拳を固めた疾風が猛然と立ち上がる。
すると、絶妙なタイミングというか、超絶に間が悪いというか、階下より梯子を昇ってきた黒星が姿を現した。
「疾風! そろそろ頭が冷えたか? 迎えに来たから、帰ろう」
「冷えて堪るか! 覚悟しろ、この噓つき牛っ」
怒鳴るが早いか、疾風は問答無用で黒星に拳を飛ばす。
「いっだ! なんだ、どうした? いきなり殴るとはひどくないか?」
「黙れ! 本当の本っ当に、今日という今日は絶対に許さねえからな! 亡者と一緒に大叫喚地獄に落ちろ!」
恥も外聞もなくはじまった大喧嘩に、奪衣婆の堪忍袋の緒がいよいよ切れた。
「だからっ、家の中で騒ぐでないよ! 大馬鹿者どもが!」
奪衣婆の手により、疾風と黒星がまとめて窓から放り投げられるまで、あと少し。
了
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根っからの受難体質である馬頭の疾風。イケメンなのにどこまでも残念な牛頭の黒星。そんなふたりのしっちゃか日々譚(再)。またの名を、甦る単純と変態のどつき漫才。この『沙汰も嵐も 再会、のち地獄』はそんなお話です。睦月ムンク先生の素敵なイラストに彩られし地獄ライフ。頭の中は人間のまま、門神として甦ってしまった不憫な疾風と一緒に、時に泣き、時に笑い、しょっちゅう黒星の執着が暑苦しいと叫びながら、どうぞお楽しみください。