『恋する救命救急医 キングの企み』番外編
「キングの休日」
春原いずみ
              
                 ひたひたと小さな足音がした。畳にひっくり返っていた神城は、顔を横に向ける。
              「よぉ……」
               ひょこんと首を傾げていたのは、白柴犬の華だった。神城の家で預かっている、筧の実家の犬たちの中の一匹だ。筧の実家で飼っている柴犬は三匹で、その全てが今、神城の家にいる。あまり家にこだわりのない神城は、犬たちが家の中を自由に歩き回ることを許可している。
              
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                「どうした?」
                 華は三匹の中でも一番神城になついている。おとなしい性格でやんちゃなところのない子だ。華はきちんとお座りすると、また小首を傾げた。可愛い仕草に、神城は手を伸ばして、軽くその背中を撫でる。
                「外、いい天気か?」
                 またひたひたと足音がした。今度は黒柴の凜が顔を覗かせる。そして、その後ろからわんっと元気な声がして、赤柴の鈴が顔を出す。三匹勢揃いだ。神城は苦笑して、ゆっくりと起き上がる。
                「よし、散歩に行くか」
                 三匹の柴犬が元気に声を揃えて、わんっと吠えた。
                
                 最初に神城に慣れたのは白柴の華で、次に慣れたのが鈴、最後にようやく慣れてくれたのが凜だった。筧曰くツンデレの凜だそうで、今は散歩に出ると、神城の一番傍を歩く。鈴はのんきなマイペースの子で、散歩の時も一番寄り道が多い。
                「おい、鈴。ちょっとは真っ直ぐ歩けや」
                 今日は筧が日勤だ。神城は夜勤で、昼間は家でごろごろしている。もともと神城はインドアなタイプで、やることがなければ、本でも読みながら家でごろごろしているのが一番好きだ。普段の仕事で緊張感を持つことを強いられるため、オフの時は緩められるだけ、自分を緩める。
                「華、喉が渇いたのか?」
                 華がぺろぺろと自分の鼻先を舐めている。
                「じゃあ、ドッグカフェがある。水をもらおう。俺はアイスコーヒーが飲みたい」
                 犬たちがいそいそと歩き出す。賢い犬たちだ。右側にドッグカフェがあるのを覚えているのだ。ドッグカフェはログハウスのように作られたおしゃれな建物だった。丸木造りのテラスにも椅子とテーブルが出ていて、天気のいい今日は、そこに何組かの犬連れの客がティータイムを楽しんでいた。
                「……あれ?」
                 柴犬たちに引っ張られて、テラス席に近づいていくと、そこに見慣れた顔があった。
                「……先輩」
                 周囲の客たちの目を惹きつけまくって、そこに座っていたのは『le cocon』のオーナーである賀来玲二だった。足下には、いつもにこにこしているような可愛らしい顔をしたコーギー犬が二匹長々と寝そべっている。一番人なつこい華がすぐに近づいていく。確か、スリとイヴという名前だったコーギーたちが顔を上げた。鼻をくっつけて挨拶しているのが可愛らしい。マイペースな鈴はきょろきょろと周囲を見回し、ツンデレの凜は華の後ろからこっそり覗いている。
                「先輩、こちらどうぞ」
                 賀来がにっこりと魅力的な笑みを見せた。神城と賀来は中高一貫教育学校である英成学院の先輩後輩の間柄だ。縦の結びつきが異常なまでに強い学校である。その中でも、特に目立つ存在だった神城と賀来だ。学生時代から、お互いの存在は知っていた。
                「おまえも一人か?」
                 神城は賀来の向かいに座った。アイスコーヒーをオーダーする。犬たちはお互いに興味津々らしく、何となく見つめ合っている。
                「ええ、今日は臣が仕事なので。先輩も?」
                「ああ、俺の相棒も仕事だ。俺はわんこどもと寂しくお留守番だよ」
                「筧くんの実家から犬を預かったとは聞いていましたが……三匹ですか」
                 賀来がびっくりしたように言った。三匹の柴犬たちはそれぞれくつろいだ格好で、神城の足下にいる。筧の母にしっかりしつけられているらしく、それぞれの性格はあるが、どこに連れていっても困ったことはない賢い犬たちだ。
                「ああ。俺、犬は飼ったことがなかったんだが、なかなか可愛いな。筧がいなくても、いい暇つぶしになってくれる」
                「先輩、筧くんに……ベタ惚れですね」
                 賀来がちらりと視線を送ってきた。なかなかに色っぽい表情だ。お互いにステディな恋人がいることがわかっているから問題にはならないが、そうでなければ、なかなかに危ない表情である。賀来という男には、それくらい色気があるのだ。神城は軽く肩をすくめた。
                「まぁなぁ……あいつは力尽くでものにしちまったからなぁ……」
                「はぁ?」
                「うん、まぁ……一歩か二歩間違ったら、相当悪質なセクハラだなぁ」
                 淡々と語る神城に、賀来はきょとんとしている。
                「あの、先輩……?」
                「奇跡みたいなもんなんだよ、俺にとって、あいつとの今はさ」
                 神城がおいしそうにアイスコーヒーを飲みながら言う。
                「あいつが学生の頃から知ってる。本当に子犬みたいなやつでさ、真っ黒な目で、俺を睨みつけるみたいに見てた。初めて目が合った時、胸を撃ち抜かれたような気がした」
                「それは……僕が初めて臣を見た時みたいですね」
                 賀来が穏やかに言う。
                「お互い子供だったけど、もう見た瞬間に思いましたよ。彼しか……いないって」
                 風が吹き抜けた。足下をからからと枯れ葉が転がっていく。神城は首に巻いたマフラーを巻き直して、犬たちを見やった。五匹もいるとは思えないほど、犬たちはおとなしい。それぞれ水をもらって、喉の渇きを潤したり、秋の風にひくひくと鼻を鳴らしたりしている。コーギー犬のスリが、ぱたぱたと揺れる華のしっぽをちょいと前足でかまい、華も面白がっているのか、ふりふりとしっぽを振る。
                「……筧が看護師になって俺の前に現れた時、夢を見ているんじゃないかと思ったよ。これは俺の都合のいい夢じゃないかって。あいつが俺について、第二からセンターに来てくれた時もな。俺はあいつをいいように振り回しているのに、あいつはいつもついてきてくれる。いつも、俺の傍にいてくれる」
                 神城は手を出して、賀来の前のアイスコーヒーのそばにあるガムシロップを取った。やっぱりにげぇやと言って、ガムシロップをアイスコーヒーに足す。
                「先輩、本当に……筧くんが好きなんですね」
                 賀来が優しい声で言う。神城は少し照れたように笑った。足下にいる凜の頭をぽんぽんと軽く叩く。
                「まぁ……好きとか嫌いとかじゃなくて……」
                 神城の声が低くなる。
                「……運命……みたいなもんかなぁ」
                 凜が顔を上げた。ぺろっと神城の手の甲を舐めて、小さく吠える。
                「よしよし……そろそろ行くか」
                 神城はアイスコーヒーを飲み干すと立ち上がった。賀来が軽く笑って、見上げてくる。
                「ものすごいのろけを聞いちゃいましたか? 僕」
                「ああ……光栄に思えよ」
                 神城は三匹の犬たちのリードをまとめて持った。犬たちが立ち上がり、小さく鳴いて、コーギーたちに挨拶してから、歩き出す。
                「またな、賀来」
                「ええ。またぜひ、店の方に」
                「ああ」
                 さぁ……帰ろうか。俺とあいつと……おまえたちの家に。こんな休日も……悪くない。
                
                
                了
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著者からみなさまへ
こんにちは。「恋する救命救急医」シリーズ7作目です。神城×筧の2作目となる本作は、筧くんちょっと受難編です。いや、女難編かも(笑)。もともとナースである筧くんは女性に囲まれて仕事をしています。いつもは上手くやっている要領のいい筧くんですが、今回ばかりはそうもいかないようです。神城先生が絡むと、いろいろとややこしくなるのですね。しかし、最後はひとつの形におさまるようです。ええ、今回はとりあえず(笑)。その形、どうぞ、見届けてあげてください。