STORY
定価:本体720円(税別)
壺オタク娘と皇族男子の迷コンビ誕生!
女皇陛下の居城・迎仙宮に仕える官女・詠月(えいげつ)は、筋金入りの壺オタク。養い親の道士から教わった「壺中術」という不思議な方術で、気に入った壺の水面に見たい風景を映し、こっそり「のぞき」をするのが趣味だ。ところがある日、詠月は水に映る景色の中へ落ちてしまう。そこにいたのは臨淄郡王・李隆基(りりゅうき)。老いた女皇の孫で、れっきとした皇族だった。ひょんなことから隆基と行動を共にする羽目に陥った詠月は……。
定価:本体720円(税別)
女皇陛下の居城・迎仙宮に仕える官女・詠月(えいげつ)は、筋金入りの壺オタク。養い親の道士から教わった「壺中術」という不思議な方術で、気に入った壺の水面に見たい風景を映し、こっそり「のぞき」をするのが趣味だ。ところがある日、詠月は水に映る景色の中へ落ちてしまう。そこにいたのは臨淄郡王・李隆基(りりゅうき)。老いた女皇の孫で、れっきとした皇族だった。ひょんなことから隆基と行動を共にする羽目に陥った詠月は……。
『女皇陛下の見た夢は 李唐帝国秘話』特別番外編
「壺中の禍」
貴嶋 啓
詠月(えいげつ)は壺のなかを覗き込んでいた。
どっしりとした腰つきの、紋を刻んだ白磁の広口壺である。その名のとおり壺口が大きいために、奥で揺らめく水面がよく見える。
そこに映る光景に、詠月がさらに意識を集中させようとしたときだった。
「なにを見ているんだ?」
ふいに声をかけられ、はっとした彼女は壺口から顔を離す。すると今上皇帝の甥である臨淄王――李隆基(りりゅうき)が、勝手に部屋へ入ってくるところだった。
隆基であることにほっとしながら、詠月は非難の言葉を口にする。
「叩扉くらいしてよ。びっくりするじゃない」
相手が親王の位にあろうが、かまう気はないらしい。
しかし隆基の方も、一介の女官にすぎないはずの彼女の態度に怒る気配もなく、肩をすくめるだけだ。
「したぞ。おまえが気づかなかったんじゃないか。なにをそんなに熱心に――って、韋(い)后?」
彼女が凝視していた壺の水面を覗き込み、隆基は怪訝な声をもらす。
詠月は、壺中術と呼ばれる方術で、水を張った壺のなかに、どんな離れたところの景色も映し出すことができる。
そうして彼女が見ていたのが今上皇帝の皇后であることに、隆基は驚いたようだ。
「……なにか気になることがあるのか?」
「気になるっていうか……。最近、政情がきな臭いことになっているようで、なんだか落ち着かないのよ」
詠月が隆基と出会ったとき、この世は李唐帝国ではなかった。
李唐帝国の三代皇帝の皇后だった女性――武照(ぶしょう)が、自分の産んだ息子たちを廃し、自ら皇帝として即位するとともに、武周帝国を打ち建てていたからである。
しかし神龍の革命によって、武照は皇位を追われ、李唐帝国は復活した。それとともに宮中に長年巣食い、禍を撒き散らしていた妖魔も取り除かれた。
そうして新たな皇帝のもと、天下は太平になったはずである。なのに時どき、詠月の心に不安がよぎるのだ。
『すでに種は蒔いておいた。すぐにふたたび血は流れ、この世は災厄に包まれるであろうよ』
妖魔が消える前に放った、呪詛の言葉――。それがどうしても耳から離れないからだ。
「おまえ、けっこう心配性なのな」
「あんたほど、能天気には生きられないだけよ」
「……俺のどこが能天気だ」
隆基は顔を引きつらせるが、事実である。この行き当たりばったりの性格に、詠月はなんど振り回されてきたことか。
そもそも詠月が今、面倒な二重生活を送らなければならなくなっているのも、この隆基のせいなのだ。
ため息をつきながら詠月が周囲を見まわすと、そこは今上皇帝の妹である太平(たいへい)公主の屋敷にある煌びやかな一室である。
そもそも詠月は、神龍革命で皇位を追われ、今は上陽宮に幽閉されている武照――今は太后と呼ばれている――に仕える女官である。
にもかかわらず、こうして上陽宮と太平公主の邸第とを、人知れず行ったり来たりしなければならないのは、隆基に頼まれたからなのだ。
それは、詠月が壺中術で壺を通して移動できるからこそ可能なことである。しかし詠月としては、本当はおそらくそう長くはないだろう太后の側から、今はできるだけ離れたくないというのに――。
「まあ、おまえが心配するのも、わからなくはないがな」
隆基はそう言って、ふたたび壺中を覗き込んだ。
今上皇帝の即位後、その后である韋后の専横がはなはだしくなっているのは事実だからだ。
神龍革命によって即位した皇帝――李顕(りけん)は、太后の三男であり、父である高宗(こうそう)の死んだ直後にも、李唐帝国の皇帝として一度は即位していたことのある男である。しかし太后に廃位させられ、十数年もの長い間、廬陵王として地方へ配流させられた経緯がある。
その際、ともに苦労を分かちあった妻――韋后に、「もし都に戻ることができたら、なんでもそなたの好きにさせてあげよう」と約束していたらしく、すべて彼女の言いなりになっている。
彼女は夫が即位するとまず、亡くなったおのれの父親に王爵を追贈させ、その親族を重職に就けさせ、そして左道を扱うという妖しげな仏僧を宮城に引き入れた。
そして極めつけが――。
「韋后は、武三思(ぶさんし)と私通してるわよ」
彼女は、皇帝の妻でありながら、別の男と不倫をしているのだ。
「やはりそうなのか――」
驚いた様子もなく、隆基は詠月の言葉に肩をすくめた。
相手の武三思は、女皇であった武照の甥にあたる。
武周帝国の時代、彼らは女皇から王爵を与えられ、国の宗室として扱われていた。それだけでなく当初女皇は、武周帝国を継続させるために、李姓である息子ではなく、武姓である甥のいずれかに皇位を継がせようと考えていたらしい。
臣下の反対に遭って結局その話は立ち消え、また神龍革命によって女皇の息子である李顕が皇位に就いてからは、武三思をはじめとする武一族の勢力は衰えたはずだった。
しかし李顕の后である韋氏と武三思が結びついたことで、ふたたび武一族は勢力を盛り返しているようである。
「そのふたりのことは、宮中でも噂になって――って、おまえ、まさか韋后と武三思の情事を覗いたのかよ?」
詠月の断言する様子に思い至ったのか、隆基は顔を引きつらせた。
「いくらのぞきが趣味でも、それはちょっとどうかと思うぞ」
「ちらっとよ! ちらっと見えちゃっただけ」
ドン引きしている隆基に詠月は慌てて言った。
壺中術で景色を眺めていたときに、たまたまふたりが抱き合っているところが、壺のなかに映りこんでしまっただけなのだ。覗こうとして覗いてしまったのではないのだから、色情魔のように言わないでほしい。
「っていうか、俺のことは覗くなよ!?」
「わかってるわよ!」
念を押すように言う隆基に、詠月は叫ぶ。
しかし今は、そんな話がしたいわけではない。
『李唐帝国に禍あれ!』
妖魔が吐いた呪いの言葉が、ふたたび耳によみがえる。
皇太子に立てられる予定の李顕の息子――李重俊(りじゅうしゅん)は、いまだに太子の宣下がされていない。韋后の所生でないために、彼女が渋っているからだというのが、専らの噂である。
『すでに種は蒔いておいた。すぐにふたたび血は流れ、この世は災厄に包まれるであろうよ』
(あの呪詛が、もし韋后のことを言っているのだとしたら……)
不穏な思いが、詠月の胸のなかで渦を巻く。
「心配するな」
しかしうつむく彼女に、隆基はあっけらかんと言った。
「どうせ世の中なんて、所詮なるようにしかならない。どうにかなるだろ」
「あんたって、本当に……」
詠月は苦笑した。
どこまでも行き当たりばったりで、隆基の前では、悩んでいるのがばかばかしくなってしまう。
「でも、そうね。悩んでいても仕方がないわよね」
妖魔はたしかに消え、禍は去ったはずなのだ。
(だからきっと大丈夫……)
壺中を眺めながら詠月は、自分にそう言い聞かせたのだった――。
著者からみなさまへ
今回は、中国の唐時代を舞台にしたファンタジーを書かせていただきました! 中国史上唯一の女帝・武則天(則天武后)が退位することになる「神龍革命」に、「壺のなかには別天地が広がっている」という「壺中の天」の思想を混ぜ込んだストーリーになっています。
宮中に巣食う妖魔に、女皇が隠し持っていた髑髏の謎、消えた母の行方を追う郡王に、主人公が宮中に上がった理由――。のぞきが趣味の壺オタク・詠月と、方術オタクの郡王・隆基の活躍を、ぜひお楽しみください!