『龍の試練、Dr.の疾風』特別番外編
「夜の落雷、龍の登場」
樹生かなめ
クソ生意気なガキは今よりずっとクソ生意気なガキだったが、あれからどれくらい経ったかな。
やっと成人したけどさ、月日にしたらまだそんなに経っていないよな。
あの時、確かに俺が橘高清和の命を握っていた。
あの頃からクソ生意気な坊ちゃんだったぜ、とサメは長江組元若頭が好きな辛口の日本酒を呷りつつ、どしゃ降りの雨の夜に思いを馳せた。
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依頼人の資産家が所有する工場の敷地内でターゲットを待ち構えていた時のことだ。
何度目かわからない雷鳴にまじり、銃声が連続で聞こえてきた。
「銀ダラ、今のは銃声だな?」
サメが傍らにいる銀ダラに尋ねると、肯定するようにウインクを飛ばしてきた。
「……五発」
「そうだな。俺も五連発、聞いた」
「見てくる」
「待て」
サメが止めた時、激しい雷とともに凄絶な銃声が響き渡った。まるで中東で聞いた反政府勢力の攻撃のようだ。
「……スナイパーは一個小隊」
「……おいおい、ここは日本だろう。いくら辺鄙な田舎でも通報されるぜ」
思わず、サメは座り心地の悪い椅子から腰を浮かせてしまう。日本の安全神話が崩れて久しいが、サメが渡り歩いた国々とは比べようがない。道端に死体が転がっていないし、市場に女や子供が売られていないから感動したものだ。カフェやレストランではオーダーした料理がちゃんと運ばれてきたから感心した。
「野生の猪は通報しないぜ」
銀ダラが肩を竦めたように、周りには野生の猪や狸くらいしか生息していない。まばらに民家はあるが、すべて依頼主の資産家が所有し、人は住んでいなかった。だからこそ、この場所にターゲットを誘導したのだ。そして狙い通り、豪雨の夜となったのに。
「銀ダラ、もうちょっとエスプリのきいたことを言え」
「……誰か来るぜ」
「招待状を送った奴じゃないな」
果たせるかな、ターゲットではなく銃弾を浴びた男がふたり、工場内に忍んできた。どちらも屈強な男だが血まみれだ。
「俺はあの男たちを知っているぜ。サメも知っているだろう」
銀ダラが小声で指摘したが、サメも見聞きしている男たちだ。
「眞鍋組の組長代行の橘高清和と幹部の松本力也だ」
国内の暴力団のみならず海外の闇組織にとっても不夜城は魅力的だ。地方の大都市をいくつも手中に収めるより、不夜城を牛耳るほうが何倍もの価値がある。それ故、長い間、不夜城を巡る熾烈な戦いが繰り広げられてきたが、どんなに血が流れても決着はつかなかった。今もなお、不夜城を巡る激しい攻防は続いている。
不夜城の核とも言える最も大事なところを押さえているのは眞鍋組だが、経済状況は悪化の一途を辿り、崩壊寸前と囁かれて久しい。初代組長の実子がトップに立ったことで内部分裂の危機も取り沙汰されている。近いうちに眞鍋組は霧散すると誰もが予想していた。
「龍虎になるように、橘高清和の入れ墨が昇り龍で、松本力也の入れ墨が虎だと聞いた」
「極貧ヤクザのお坊ちゃまとお守りだ。何をやったのか知らねぇけど、あれはだいぶ食らったぜ」
眞鍋組の若すぎる組長代行といえば、極貧ヤクザのくせに覚醒剤の売買を禁止にして、人身売買も禁止にして、さらに極貧に磨きをかけた世間知らずの馬鹿だ。高い理想を掲げても、食えなければ終わりなのに。
「ここで死なれると困るな」
薄暗い工場内、銀ダラは瞬時に屈強な男たちの負傷具合を摑んだらしい。即刻、どちらも手術室に放り込まなければ助からないと踏んだのだろう。
「そうだな。俺たちの仕事に差し障りがある」
サメは成功報酬が一億円の仕事を一点の曇りもなく遂行したかった。忍びこんできた眞鍋の龍虎コンビが憎たらしい。
「追い払うか?」
「銀ダラ、蝿みたいに追い払えるか?」
お前ならなんの問題もなく追い払えるか、とサメは言外で歴戦の戦友に尋ねた。
「蝿じゃないから飛べないよな」
「……ああ、とうとう力尽きて倒れたぜ」
「牧師を呼べばいいのか?」
「仏教徒が多いから呼ぶなら坊主だろ」
「呼ぶなら尼さんがいいな」
サメと銀ダラがのんびり言い合っている間に、橘高清和と松本力也は古い精密機械のそばで動かなくなる。それでも、ふたりの身体からは血が流れ続けた。
まだ息はある。
けれど、このまま放置していれば間違いなく出血多量で死ぬ。
……この野郎、どうしてここに逃げ込んだ?
近所の家でいいだろう。
遺体を処理するのは面倒だし、助けるのも面倒だが、このまま無視していたら今夜の仕事は失敗する。
喉から手が出るほど欲しい一億円。
くそったれ、とサメは心の中で文句を零しながら足音を立てずに近づく。そうして、真上から血の海に沈む大男たちを見下ろした。以前、眞鍋組の組長代行とは軽く言葉を交わしたことがある。
「お坊ちゃま、またお会いしましたね」
サメが嫌みっぽく微笑んでも、清和の鋭い双眸は変わらない。瀕死の状態でも闘争心は消えていなかった。
「…………」
「お助けいたしましょうか?」
ここで貸しを作っておくのもいいか、とサメは心の中で自分を宥めた。外で待機している部下に任せればいい。
「…………」
「リズがお坊ちゃまに惚れているので、リズとエッチ一回でお助けいたします」
情報収集に役立つ横浜のキャバクラ嬢が清和に夢中だからちょうどいい。サメは笑顔で交換条件を提示した。
「……失せろ」
清和は血をだらだら流していても、サメが差しだした手を拒んだ。
「お坊ちゃま、死ぬぜ」
サメが真顔で言い切ると、清和は不敵にふっ、と鼻で笑った。
「……お前、鮫島昭典だったな……」
「サメ、ってお坊ちゃまなら特別に呼んでもいいぜ」
サメは人差し指を立てて、茶目っ気たっぷりに言ったが、手負いの獣はニコリともしなかった。
「……鮫島……俺に天下を取らせることができるなら助けてもいい」
……天下だと?
よりによって天下?
それが黄泉の国に右足を突っ込んでいるガキの言うことか、とサメは思わず自分の耳を疑ってしまう。
「……天下?」
「天下だ」
俺に天下を取らせる力があるなら助けてみろ、と清和の鋭利な双眸は雄弁に語っている。
隣で血を流している男にしてもそうだ。売り出し中の龍虎コンビは常軌を逸している。
「ガキ、死にかけのくせになんて尖っているんだ。出逢った頃の銀ダラの尖り具合を思いだしたぜ」
サメが呆然とした面持ちで言うと、銀ダラは首を左右に振った。
「ボス、俺はここまでひどくなかった」
「ナイフみたいに尖っていたぜ」
銀ダラもアンコウもシャチも刃物みたいな男だった記憶がある。外人部隊に入隊する日系人はそういうタイプが多かったのだが。
「俺はいつでも死ぬ覚悟があった。そのガキに死ぬ覚悟はない」
銀ダラがズバリと言い切ったが、サメも同じ見解を抱いていた。組長代行にしろ、お守りの側近にしろ、死ぬ覚悟はしていない。助かる気満々だ。いったいどこからその自信は湧いてくるのだろう。
「死ぬ覚悟がないのにどうしてそんなに尖っているんだ?」
サメが不思議そうに尋ねると、清和は熾烈な怒気を漲らせた。
「無駄口を叩いている暇があったら消えろ」
「可愛くないな」
クソガキ、どんなに強がってもそろそろ気を失う頃だ。
たいした精神力だがいつまで保つかな、とサメが床に落ちていた缶ビールの空き缶を清和に向かって蹴り飛ばそうとした瞬間。
『ボス、ヤクザみたいな男たちが団体でこちらにやってきます』
『ボス、凶器持ちの集団が乗り込んできた』
『ボス、拳銃持ちの男が十三人、長刀が八人、短刀が十五人、ジャックナイフが二十七人……三十人、侵入……戦争ゲームじゃないと思う』
各所に配置していた部下たちから続けざまに由々しき報告を受け、サメは数多の激戦地をともに潜り抜けた戦友の肩を叩いた。
「……おい、銀ダラ、一個小隊じゃなかったな」
「……おぅ、ボス、戦争ゲームじゃなくて本物の戦争だな」
銀ダラは、かの地でしたのと同じようにウインクを飛ばし、古い研磨機の裏に隠していた散弾銃を取りだした。逃げる気はまったくないらしい。
「坊ちゃん、今から乗り込んでくるヤクザの団体の狙いは坊ちゃんだな」
疫病神め、とサメは溜め息混じりに睨みつけた。
「逃げろ」
「坊ちゃんたちはどうするんだ?」
「お前には関係ない」
強がりでもないし、冗談でもない。手負いの獣は追い詰められているのに心底からサメを突っぱねている。
「可愛くないな。助けてくれ、って一言でいいんだぜ」
その一言で助けてやる、とサメは目で訴えかけたが。
「必要ない」
「意地っ張り」
「散れ」
「ガキ、突っ張るのもそこまでにしておけよ」
「消えろ」
あの夜、クソ生意気な子供に意地の張り合いで負けたわけじゃないし、ほだされたわけでもない。行きがかり上、助けることになってしまったのだ。自分が引き受けた仕事を遂行するために。
もっとも、あの夜ですべてが決まったような気がしないでもない。つまり、クソ生意気な子供に天下を取らせたくなったのだ。
サメは長江組元若頭の姿で日本酒を飲み続けた。
明日にも王手。
明後日にも勝利宣言。
半年後、長江組元若頭の好きな日本酒ではなく自分自身が好きなワインを飲んでいる予定だ。裏社会の帝王と核弾頭みたいな帝妃と一緒に。
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著者からみなさまへ
いつも氷川と愉快な仲間たちを応援していただき、ありがとうございます。十五周年ざます。十五? 十五歳ざますか? 生まれた赤ちゃんがセーラー服を着ているの? アタクシも第一冊目の頃はセーラー服を着ていました……大嘘ざますが、もう少し若くて気力も体力があったような……。老体に鞭を打って頑張っております。今後ともよろしくお願いいたします。