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鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~ 第5回
楠瀬 蘭_/著
鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~
第5回
 「柊(ひいらぎ)、ちょっといいか」
 賀茂(かも)家からの帰り際、青丘(あおおか)に呼び止められた。
 「何ですか?」
 「ああ、父親はどうだ? 説得できそうか? 少しは軟化したんじゃねぇかと思ったんだが……」
 「……隆家(たかいえ)様の件が解決すれば、少しは」
 「その言い方だと、今は厳しいか」
 くく、と喉の奥で笑う。いつもの青丘の引き笑いではない。暗く、男臭い笑い方だった。よく知る青丘の姿と違って戸惑う。
 「でもまあ、忠晃(ただみつ)は面倒くさがりだが、粘り強い。おまえさんが良けりゃ、待っててやってくれや」
 青丘は優しい。なんだかんだ言っても、人間臭くて世話焼きだ。
 柊にとって、遊び相手のお兄さんという感じだったが、忠晃に対する時の青丘は、まるで息子を見る父親だった。
 「青丘は良い父上になりますね」
 思ったことをそのまま口に出す。
 青丘から、表情が消えた。
 いや、消えたように見えただけだ。瞳を見つめると、ひどく傷ついているのがわかった。
 「青丘?」
 「大丈夫だ。……そうか、そう見えるか」
 柊は焦る。大きな失敗をした気がした。何が悪いのかはわからないけれど、悪いことをしてしまった。
 「さて、引き止めて悪かったな。気をつけて帰れよ」
 青丘は一転して明るい声を上げ、柊の背中を軽く押す。柊は何度も青丘を振り返りながら、帰りの牛車(ぎっしゃ)に乗り込んだ。
 青丘の表情が、脳裏に焼き付いて消えなかった。

 屋敷に戻ってすぐ、柊は父に、隆家の屋敷が呪詛(じゅそ)にあっている事情を話した。
 父は柊の帰りを待っていたようで、すぐに時間を取って聞いてくれた。
 「ですので父上、私、忠晃様のお手伝いをしたいと思います」
 「いや、それはいかん。……いかんぞ、柊!」
 当然、父は反対する。引く気のない娘を前にして、半ば悲鳴のように叫んだ。
 「お願いです。青丘が頼むなんてよほどのことですし、賀茂家の皆様にはお世話になりました。隆家様だって、このままだと危ないでしょう?」
 隆家のことまで言うと、父も黙った。考えているようだ。皺(しわ)の寄った眉間(みけん)をもんでいる。
 「……そうじゃな。儂(わし)も恩があるからな」
 脱力したように言って、父は肩を落とした。目を細め眉尻(まゆじり)を下げた表情は情けなく見えるが、心配してくれているのがわかった。
 「今、隆家殿に何かあっても困る。……ただし、柊。隆家殿には、おまえだと知られぬようにせよ」
 「なぜです?」
 「中納言(ちゅうなごん)の娘が御簾(みす)から出て歩き回るなどありえんだろう。それに、陰陽師の助けになるほど視る力が強いなどと、人に知られることではない」
 言われ、それもそうだとうなずく。父は、柊を眺めながらしみじみと言った。
 「……たくましくなったな。昔とは比べられん」
 声の響きが弟をほめる時と同じで、面映(おもは)ゆくなってうつむいた。

 隆家の屋敷に行く日、柊は単(ひとえ)や小袿(こうちぎ)には袖(そで)を通さずに、狩衣(かりぎぬ)を着ることになった。
 素性を隠すため、男の格好(かっこう)で陰陽師のふりをすることになったのだ。裳唐衣(もからぎぬ)では動きにくいし、女連れでは怪しまれかねないので、ちょうど良いと言われた。
 もう二度と借りることはないと思っていたが、弟の物では裄丈(ゆきたけ)が合わず、忠晃の昔の狩衣をわざわざ持って来てもらった。
 支度を終え、迎えに来てくれた忠晃と一緒に通用門を通る。表の本門を使わないのは、一応お忍びだからだ。
 父の屋敷から一歩踏み出すと、そこここに幽鬼(ゆうき)やあやかしを視る。今だって、通行人の影に潜む無数の目玉や、とぐろを巻く角のある蛇が目に入る。
 そんな景色の中でも、忠晃をとりまく黒い靄(もや)は目立った。
 「徒歩ですが、へばらないでくださいよ」
 忠晃は牛車など使わない。その供で行くのだから、柊も歩くことになる。
 普通、貴族の姫ともなれば徒歩などありえない。しかし柊は、忠晃に引きずられて山道を歩いたことがある。それに、賀茂家に預けられていた時には、忠晃について出歩いていたから体力もついた。
 「山歩きではないのだから、大丈夫です」
 「その程度で自慢げに言わないでください」
 胸を張った柊を一刀両断に切り捨てながらも、忠晃は木の札を懐から差し出した。
 目の前に突き付けられた札を、両手で受け取る。護符(おまもり)だ。以前、柊が鬼に狙(ねら)われた際にも渡された。その時の木札は、役目を終えたからと忠晃に回収されたのだが、これは新しい物だ。
 忠晃が、符を一枚作るにも大変なのだと吠えていたのを思い出した。
 「……作ってくださったんですか?」
 訊(き)いてみたが、返答を待たずともわかる。柊のために、手間をかけてくれたのだ。
 じんわり胸が温かくなる。この人の、こういうところが好きだなぁと思う。
 「気休めです。気は抜かないように」
 相変わらずな忠晃だが、彼は緊張していた。張りつめた雰囲気に、柊まで体が強張(こわば)ってくる。
 「おいおい、忠晃。あんまり脅すな」
 横に立った青丘が忠晃の肩を叩いた。忠晃は青丘の手をうっとうしげに振り払う。
 「あ、青丘……」
 「よお、柊」
 愛想よく片手を上げた青丘に、ひそかに気まずい思いをしていた柊はほっとした。
 いつもの青丘だ。前回会った時のことを気にしているかと思ったが、違ったようだ。少なくとも、態度に出していないということは、蒸し返さない方がいいのだろう。
 「青丘も一緒に?」
 「ああ」
 「偽物が出るなら、ややこしくはありませんか?」
 頼もしいが、混乱しそうだ。
 「そのためにおまえさんを連れて行くんだろ?」
 青丘が軽く返す。忠晃は納得しきれない、という顔をしたが、特に文句はつけなかった。
 忠晃は、柊が視通すことに敏感だ。
 ただあやかしを視るだけならいいが、「視通す」力を使い過ぎると倒れてしまうし、つい二月前の事件では、一時的とはいえ視力を失った。
 「頼りにしてるぜ」
 「はい」
 通りを歩きながらの会話だが、すれ違う人々は柊達を見て不思議そうな顔をする。
 青丘が、普通の人には見えないように調節して姿を消しているのだ。そばから見ると、柊はそこにいない相手と話をしていることになる。
 「随分と平気になりましたね」
 唐突に忠晃が言った。要領を得ないでいると、忠晃が目線で斜め前方の屋根を示す。
 瓦の上で、四本足の子鬼が跳ねていた。
 「おかげさまで、慣れました」
 ああいったモノからは視線を外して歩く。忠晃のおかげで、目のそらし方は上手くなった。
 「……恐ろしくは、あるのですけど」
 恐怖は消えない。対処法を覚えて、心を制御する術(すべ)を得て、ようやく薄まるだけ。一生付き合っていかなければならない感覚だ。
 「目を閉じなければ十分です。……ここです」
 忠晃が立ち止まったのは、大きなお屋敷の前だった。外から視ると、普通の屋敷のようだ。
 忠晃が門を叩き、中から顔を出した雑色(ぞうしき)に名を告げる。
 雑色は眉をひそめて忠晃のうしろに立つ柊を見た。
 「どうぞ」
 忠晃が供を連れて行くことを知らせていたのか、胡乱(うろん)な視線を向けながらも、雑色は何も問わなかった。
 忠晃に続いて屋敷の門をくぐる。一歩踏み込んだ瞬間、とっさに口と鼻を袖でおおった。
 冷静になってみると、匂(にお)うわけではなかった。ただ空気が淀(よど)んで、景色が微妙にぼやけて視える。視界の歪み方がひどい場所を辿(たど)ると、庭の一角にある松の根がどす黒い。
 「忠晃様、あちらの、小さい方の松……」
 小声でそっと囁(ささや)く。忠晃はうなずいた。
 「おう、来たか」
 大股な足音がしたと思ったら、奥から隆家が現れた。御簾を通さずに見ると、繊細(せんさい)な容貌の男だ。視線の鋭さばかり目につくが、雅(みやび)で見目麗しい。
 隆家の周囲に漂う靄は、以前視た時より濃くなっていた。
 「隆家様」
 「よせよせ、ここでは堅苦しくするな」
 隆家は直衣(のうし)に烏帽子(えぼし)姿で、くつろいだ格好だ。自邸でくつろぐも何もないが、隆家に従って出てきた女房たちと比べると、ゆったりと構えている。
 対して、屋敷の者達はぴりぴりしており、おびえていた。今も忠晃の一挙手一投足に、小さく震えている。
 「そなたらは下がっておれ」
 庭に下りてきた隆家は、ため息をついて人払いをした。
 主人の指図に、女房をはじめ、雑色も随身(ずいじん)もいなくなる。
 「怪異をおさめに来たそなたまでが手傷を負ったので、皆おびえておるのだ。仕事にならんので難儀しておる。……傷はどうだ?」
 「この通り。動くに支障ございません」
 苦笑した隆家に、忠晃は頭を下げた。
 「あのあと何か起こりましたか?」
 「西の随身所に詰めておった者が足をひねった。何かにつかまれたと申しておる」
 豪胆で威圧感のある隆家だが、身軽く気安げに声をかけてくるものだと柊は感心した。
 そんなことを思っていると、ふいに視線を向けられ、柊は一歩後ずさった。
 「供を連れて来ると使いがあったが、それか?」
 「はい。我が家の遠縁の者です。目が利くので、連れて参りました」
 「ふむ」
 忠晃の説明に、隆家は曖昧(あいまい)な反応をした。納得したのか、していないのか。
 「小さいな。いくつだ?」
 「え、あ……十六になりました」
 質問を向けられ、思わず本当の歳(とし)を答えたが、失敗だった。
 柊は素性を偽っている上、男の格好をしている。十六を過ぎて、声変わりをしていない男はそういない。体格も、十六というには華奢(きゃしゃ)だった。
 すがるように忠晃を見ると、彼は頭の痛そうな表情で眉を寄せていた。
 あ、これはあとで怒られる。
 次に、姿を消してそばにいた青丘に助けを求めたが、苦笑いで首を横に振るだけだった。
 「そうか。十六」
 隆家は面白い玩具を見つけた子供のように笑った。
 「……はい」
 視線を地面に落とす。蛇ににらまれたかえるの気分だ。
 もし、隆家を怒らせて、柊だけ帰されてしまったらどうしよう。青丘の偽者が出るというし、忠晃だって傷が治りきってはいないのに。
第5回イラスト  「遠縁ということは、洛外(らくがい)の者か?」
 「は。元々は播磨(はりま)の方で修行をしておりました」
 今度は忠晃が答えた。柊に口を開かせないつもりらしい。
 しかし、隆家は柊に顔を向けた。
 「ほう。播磨は陰陽師が多いと聞くな。どんなところだ」
 「えっ」
 生まれてこの方、都から出たことのない、というかほとんど屋敷に籠もっていた柊が知るわけがない。播磨ってどこだ。名前だけなら聞いたことがあるような気がする。
 固まっていると、隆家からは視えない青丘が、こっそり耳打ちしてきた。
 「えっと……う、海! 海がありました。あと鍋……鍋!? が、あります。良い鍋です」
 鍋はどこでもあるのではないのか。
 青丘の囁きを疑いながらしゃべったので、挙動不審になってしまう。
 隆家は口角を上げた。所作が大ぶりなのでそちらにばかり目が行くが、隆家は美形なので、笑むと凄味がある。
 「そうだな、播磨鍋は良いと言うな」
 「はい」
 「そうかそうか。――それで、お父君はご存じか? 二条殿の姫君よ」

続きは第6回更新へ!

楠瀬 蘭_/著

登場人物紹介


登場人物紹介

柊&忠晃の物語はこちらでも読めます

『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
楠瀬 蘭/著
すがはら竜/イラスト
定価:本体600円(税別)
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
楠瀬 蘭/著
すがはら竜/イラスト
定価:本体600円(税別)
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