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鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~ 第6回
楠瀬 蘭_/著
鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~
第6回
 ――二条(にじょう)殿の姫君。
 そう呼びかけられて、硬直した。血の気が引いて震える唇を、ようよう開く。
 「なっ、なぜ、わ、私だと……」
 「声に覚えがあったのでな」
 動揺して言葉がおぼつかなくなる柊(ひいらぎ)に、隆家(たかいえ)はあっさりと返してくる。
 ああ、どうしよう。これは父にまで迷惑をかけるのではないだろうか。
 素性を知られるなと言われていたのに。わざわざ狩衣(かりぎぬ)まで借りたのに。
 泣きそうになる柊に、隆家は肩を震わせた。
 「……っふ、ふはははは!!」
 豪快に笑い声をあげた隆家に、柊はめんくらった。
 忠晃(ただみつ)を見ると、苦虫をかみつぶした顔をしている。
 隆家は一通り笑い終わると、息を整えて表情を改めた。
 「いやいや、すまぬ、いじめすぎたか。……しかし、くっ」
 引きしめた顔もすぐに崩れる。隆家はまた大口を開けて笑い出した。
 「はははっ! まさか姫が男子の格好でやって来るとは!」
 「欺(あざむ)いたこと、申し訳ございません。どうかご容赦(ようしゃ)のほどを」
 忠晃は開き直ったようだ。うやうやしく頭を下げるが、表情はふてぶてしい。
 隆家は鷹揚(おうよう)に右手を振った。直衣(のうし)の袖(そで)が大きく揺れる。
 「よいよい、許してやろうさ。これほど愉快なことはそうないからな!」
 隆家は怒るどころか上きげんだ。柊はおずおずと進み出る。
 「あの、隆家様。私もお屋敷を調べさせていただきたいのですが……」
 「二条殿はご承知か?」
 笑みを収めた隆家は、静かな眼差(まなざ)しで問うてきた。
 口ごもりながら返事をしてうなずくと、隆家は口の片端を上げて寝殿を振り返った。
 「ならば、屋敷内は好きに歩くがいい。だが、怪我(けが)をしてくださるなよ、姫。御身(おんみ)になんぞあれば、二条殿に合わせる顔がなくなるのでな」

 屋敷の奥に戻っていった隆家を見送って、柊は地面に膝(ひざ)をついた。
 その体勢のまま、忠晃を振り返る。顔色をうかがったら、ぎろりとにらまれた。
 「あなたね……」
 「だって播磨(はりま)なんて知りませんもの!」
 勢いで忠晃に言い返すと、青丘(あおおか)が間に入った。
 「ま、良いじゃねぇか。事前に打ち合わせてなかったおまえも悪いだろ、忠晃」
 「ああ、そうだな。私の不手際だ」
 忠晃はあっさり認めた。柊に手を差し出して、立ち上がらせる。
 柊は膝の土ぼこりを払うと、松の木を見た。忠晃と青丘もそちらを向く。
 「まずはあれを処分しましょう」
 「松を?」
 忠晃は鼻を鳴らした。
 「まさか」
 松に近付く忠晃に慌ててついて行く。松は、池の側に植えられている物で、並んでいる二本のうち、細い方が黒く視(み)えた。
 柊が松から三歩ぶんの距離に来た時、忠晃が制した。
 「そこで待っていてください」
 いつかの、木の根に仏像が埋まっていた時とは違う対応に、首を傾げる。
 「でも……」
 「視ない方が良い」
 なおも食い下がろうとした柊の肩を、青丘がつかんだ。
 「忠晃の言う通りにしとけ」
 青丘はいつもより口数が少なく、柊の側を離れない。
 柊が青丘の表情を探っている間に、忠晃は根元を掘り返した。黒い靄(もや)が地面から噴き出し、柊は息を詰める。
 「あったか?」
 「ああ」
 土から何かを取り出した忠晃は、こちらに背を向け、呪(じゅ)を唱えた。靄が渦を巻く。
 黒い渦は少しずつ形を変え、忠晃のうしろに集まり、やがて四足の獣になった。
 「ひぎゃぁあぁあああ!!」
 獣は人の子の甲高い泣き声を発し、再び靄に戻ると忠晃の手元に吸い込まれるように消えた。
 忠晃が振り返る。
 「……もういいですよ」
 ほっとして忠晃に近付こうと踏み出すが、彼が握っている人形(ひとがた)に気付いて足を止める。
 「忠晃様、それは」
 「魘魅(えんみ)です。よく使われる呪法で、人形を用います」
 よく使われる、という部分が頭の中で繰り返された。
 世に呪いは多いと聞くが、本当だったようだ。
 人形は魔除(まよ)けにも使われるので、器としての性質を利用して、外に影響を及ぼしていた悪い物を内側に封じ込めたそうだ。
 「でも、封じた割にお屋敷の雰囲気が変わらないのですけど」
 「……そうでしょうね。見てください」
 忠晃はそう言って、人形の面を向けた。指で示された所を見ると、墨で文字が書かれている。
 ――賀茂(かもの)忠晃。
 彼の名だ。柊は息を呑(の)んだ。呪われていたのは忠晃なのか。
 「意趣返しか復讐か、呪詛(じゅそ)の邪魔(じゃま)をする私を消したいがために埋めたのでしょう。おそらく、本命の呪具は別にある」
 以前掘り出した呪詛の道具と同じ場所に埋めるとは、挑発されたものだ。
 吐き捨てた忠晃は懐から取り出した紙を鳥の形に折り、息を吹き込んで宙に放った。紙は白いみみずくに変化(へんげ)して、伸ばした忠晃の腕に止まる。式神だからか、みみずくの爪は忠晃を傷付けなかった。
 「これは焼いてから川に流すのですが、父に頼みましょう」
 これ、と言って持ち上げた人形を、みみずくがくわえて飛び去った。賀茂の屋敷まで届けてくれるのだろう。
 「本命の呪具って、どんな物ですか?」
 「前に埋められてたのは、このくらいの箱だったよな」
 青丘が言うには、忠晃が一面を片手でつかめるくらいの大きさだったそうだ。
 柊は庭を見渡した。もう、黒い靄が埋まっていそうな場所はない。むしろ、何かあるとすれば屋敷の中ではないだろうか。
 目をこらして視ると、黒い靄が川の流れのように、屋敷を巡っている。
 「……骨が折れそうですね」
 屋敷の広大さを思ってか、忠晃は小さく息を吐き出した。
 「しかしどうやって見つける?」
 青丘が鼻をひくつかせたが、匂いではわからないとぼやく。
 「西の随身所(ずいじんどころ)で足をつかまれたと言っていただろう。陰陽頭(おんみょうのかみ)の占いでも、西と出た」
 「安倍(あべ)の家に出かけて行ったのはそれか! 自分で占えよ。おまえさん相変わらず占術の類は駄目だな」
 「うるさい」
 忠晃と青丘が言い合いを始めてしまったので、柊は間に入れなくなる。
 手持ちぶさたになって屋敷を見ると、いつの間にか簀子(すのこ)に隆家が出てきて、手招きしていた。
 どうしよう。行った方が良いのだろうが、少しの距離でも二人から離れるのは不安だ。
 忠晃も隆家に気付いたようで、迷う柊にうなずきをくれた。
 「話をしてみたくてな。ここへ」
 隆家に言われるがまま、履(くつ)を脱いで階(きざはし)を上がり、簀子に腰を下ろした。
 話をしたいとは。報告しろということだろうか。
 「姫よ、どうだ。呪詛の源は見つかったか?」
 「お庭で、人形をひとつ。でもまだあります。きっと、一番強くてひどいのが」
 隆家はひとつうなずくと、頰杖をついた。
 「面倒なことよな。しかし、落ち着いてもらわねば困る。中納言(ちゅうなごん)の屋敷で変事が立て続けに起こるとなると、世の不安をあおるだろう」
 それは、この屋敷のことか。それとも、柊の家を言っているのだろうか。
 判断がつかなかったが、相槌(あいづち)を打っておいた。
 「隆家様は、恐ろしくないのですか?」
 「ん? 私か?」
 隆家は手の平にのせていた顔を上げた。そして何を思ったか、急に神妙な顔つきになった。
 「鈍い上に肝が太く、日に向かって笑っているような御仁なら、あやかしに惑わされることもございますまい。隆家様のような方は、呪詛をかけられていない限り、平時は何の心配も要りません」
 「へ?」
 「――と、忠晃が申しておった」
 まさか、今のは忠晃の言い方を真似(まね)たのか。少しも似ていないが、慇懃無礼(いんぎんぶれい)な口調がありありと想像できる。
 「鈍いなどと、無礼な奴(やつ)だろう? 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いが気に入っておる」
 くくく、と隆家が喉を鳴らした。
 「私はな、あやかしや物の怪(け)が怖いというのが、よおわからんのだ。視えんからな」
 柊はきょとんとした。そうか、柊は視えるがために臆病だったけれど、隆家は逆なのか。
 しかし、目に視えずとも、あやかしを恐れるのが都人(みやこびと)だ。隆家のような人は珍しい。
 「あれも、いったい何を相手に喧嘩(けんか)をしておるのか」
 隆家があれと言って示したのは、青丘と話す忠晃だ。隆家からは青丘が視えていないから、忠晃がひとり言をくり返しているように思うのだろう。
 「式神がいます。姿を消しておりますが」
 柊が教えると、隆家はそうか、と声を落として柊にささやいた。
 「……姫よ、あれは良い男だな」
 突然忠晃のことを言われて、柊は慌てる。
 「な、何を……」
 深い意味はなく、ただ同意を求められたのかもしれない。
 でも、恋文のやりとりをする仲になっていた柊にとっては、上手く受け流せない話題だった。
第6回イラスト  「二条殿がな。賀茂家から戻って、姫がよく笑うようになったと。忠晃のおかげだと言っておったのでな」
 「父上が……」
 父には、忠晃との結婚を反対されている。忠晃は、自分が一部の公卿(くぎょう)からうとまれているためだと言っていたから、父が他者の前で忠晃をほめるとは思わなかった。
 隆家は目を細める。
 「逆に、忠晃のせいで機嫌をそこねた者もおってな。御身を人柱(ひとばしら)にと言い出した大納言は、特に忠晃を厭(いと)うておる」
 柊はうつむいた。勝手な話だ。
 忠晃の働きで桜の怪はしずまり、ふせっていた帝(みかど)も東宮も、内親王も皆助かったのだ。
 称(たた)えられこそすれ、なぜうとまれなければならないのか。
 この件には、父にも不満だった。身分違いはともかく、忠晃が公卿ににらまれているからなんて理由で、結婚の反対をしてほしくなかった。
 「姫は知らんだろうが、二条殿はもともと、忠晃を婿がねにと思うておられた」
 柊は弾(はじ)かれたように顔を上げる。初耳だった。だって、忠晃とのことはずっと反対されているのだ。意味がわからない。
 隆家は低い声で助言した。
 「二条殿はあれで悩んでおられるよ。政(まつりごと)にも時機というものがある。少し待ってやるといい」
 そもそも、なぜこの方が知っているのだろう。
 「あの、もしや父が何か……」
 おずおずとたずねると、隆家は口の片端を上げた。

続きは第7回更新へ!

楠瀬 蘭_/著

登場人物紹介


登場人物紹介

柊&忠晃の物語はこちらでも読めます

『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
楠瀬 蘭/著
すがはら竜/イラスト
定価:本体600円(税別)
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
楠瀬 蘭/著
すがはら竜/イラスト
定価:本体600円(税別)
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