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――二条(にじょう)殿の姫君。
そう呼びかけられて、硬直した。血の気が引いて震える唇を、ようよう開く。 「なっ、なぜ、わ、私だと……」 「声に覚えがあったのでな」 動揺して言葉がおぼつかなくなる柊(ひいらぎ)に、隆家(たかいえ)はあっさりと返してくる。 ああ、どうしよう。これは父にまで迷惑をかけるのではないだろうか。 素性を知られるなと言われていたのに。わざわざ狩衣(かりぎぬ)まで借りたのに。 泣きそうになる柊に、隆家は肩を震わせた。 「……っふ、ふはははは!!」 豪快に笑い声をあげた隆家に、柊はめんくらった。 忠晃(ただみつ)を見ると、苦虫をかみつぶした顔をしている。 隆家は一通り笑い終わると、息を整えて表情を改めた。 「いやいや、すまぬ、いじめすぎたか。……しかし、くっ」 引きしめた顔もすぐに崩れる。隆家はまた大口を開けて笑い出した。 「はははっ! まさか姫が男子の格好でやって来るとは!」 「欺(あざむ)いたこと、申し訳ございません。どうかご容赦(ようしゃ)のほどを」 忠晃は開き直ったようだ。うやうやしく頭を下げるが、表情はふてぶてしい。 隆家は鷹揚(おうよう)に右手を振った。直衣(のうし)の袖(そで)が大きく揺れる。 「よいよい、許してやろうさ。これほど愉快なことはそうないからな!」 隆家は怒るどころか上きげんだ。柊はおずおずと進み出る。 「あの、隆家様。私もお屋敷を調べさせていただきたいのですが……」 「二条殿はご承知か?」 笑みを収めた隆家は、静かな眼差(まなざ)しで問うてきた。 口ごもりながら返事をしてうなずくと、隆家は口の片端を上げて寝殿を振り返った。 「ならば、屋敷内は好きに歩くがいい。だが、怪我(けが)をしてくださるなよ、姫。御身(おんみ)になんぞあれば、二条殿に合わせる顔がなくなるのでな」 屋敷の奥に戻っていった隆家を見送って、柊は地面に膝(ひざ)をついた。 その体勢のまま、忠晃を振り返る。顔色をうかがったら、ぎろりとにらまれた。 「あなたね……」 「だって播磨(はりま)なんて知りませんもの!」 勢いで忠晃に言い返すと、青丘(あおおか)が間に入った。 「ま、良いじゃねぇか。事前に打ち合わせてなかったおまえも悪いだろ、忠晃」 「ああ、そうだな。私の不手際だ」 忠晃はあっさり認めた。柊に手を差し出して、立ち上がらせる。 柊は膝の土ぼこりを払うと、松の木を見た。忠晃と青丘もそちらを向く。 「まずはあれを処分しましょう」 「松を?」 忠晃は鼻を鳴らした。 「まさか」 松に近付く忠晃に慌ててついて行く。松は、池の側に植えられている物で、並んでいる二本のうち、細い方が黒く視(み)えた。 柊が松から三歩ぶんの距離に来た時、忠晃が制した。 「そこで待っていてください」 いつかの、木の根に仏像が埋まっていた時とは違う対応に、首を傾げる。 「でも……」 「視ない方が良い」 なおも食い下がろうとした柊の肩を、青丘がつかんだ。 「忠晃の言う通りにしとけ」 青丘はいつもより口数が少なく、柊の側を離れない。 柊が青丘の表情を探っている間に、忠晃は根元を掘り返した。黒い靄(もや)が地面から噴き出し、柊は息を詰める。 「あったか?」 「ああ」 土から何かを取り出した忠晃は、こちらに背を向け、呪(じゅ)を唱えた。靄が渦を巻く。 黒い渦は少しずつ形を変え、忠晃のうしろに集まり、やがて四足の獣になった。 「ひぎゃぁあぁあああ!!」 獣は人の子の甲高い泣き声を発し、再び靄に戻ると忠晃の手元に吸い込まれるように消えた。 忠晃が振り返る。 「……もういいですよ」 ほっとして忠晃に近付こうと踏み出すが、彼が握っている人形(ひとがた)に気付いて足を止める。 「忠晃様、それは」 「魘魅(えんみ)です。よく使われる呪法で、人形を用います」 よく使われる、という部分が頭の中で繰り返された。 世に呪いは多いと聞くが、本当だったようだ。 人形は魔除(まよ)けにも使われるので、器としての性質を利用して、外に影響を及ぼしていた悪い物を内側に封じ込めたそうだ。 「でも、封じた割にお屋敷の雰囲気が変わらないのですけど」 「……そうでしょうね。見てください」 忠晃はそう言って、人形の面を向けた。指で示された所を見ると、墨で文字が書かれている。 ――賀茂(かもの)忠晃。 彼の名だ。柊は息を呑(の)んだ。呪われていたのは忠晃なのか。 「意趣返しか復讐か、呪詛(じゅそ)の邪魔(じゃま)をする私を消したいがために埋めたのでしょう。おそらく、本命の呪具は別にある」 以前掘り出した呪詛の道具と同じ場所に埋めるとは、挑発されたものだ。 吐き捨てた忠晃は懐から取り出した紙を鳥の形に折り、息を吹き込んで宙に放った。紙は白いみみずくに変化(へんげ)して、伸ばした忠晃の腕に止まる。式神だからか、みみずくの爪は忠晃を傷付けなかった。 「これは焼いてから川に流すのですが、父に頼みましょう」 これ、と言って持ち上げた人形を、みみずくがくわえて飛び去った。賀茂の屋敷まで届けてくれるのだろう。 「本命の呪具って、どんな物ですか?」 「前に埋められてたのは、このくらいの箱だったよな」 青丘が言うには、忠晃が一面を片手でつかめるくらいの大きさだったそうだ。 柊は庭を見渡した。もう、黒い靄が埋まっていそうな場所はない。むしろ、何かあるとすれば屋敷の中ではないだろうか。 目をこらして視ると、黒い靄が川の流れのように、屋敷を巡っている。 「……骨が折れそうですね」 屋敷の広大さを思ってか、忠晃は小さく息を吐き出した。 「しかしどうやって見つける?」 青丘が鼻をひくつかせたが、匂いではわからないとぼやく。 「西の随身所(ずいじんどころ)で足をつかまれたと言っていただろう。陰陽頭(おんみょうのかみ)の占いでも、西と出た」 「安倍(あべ)の家に出かけて行ったのはそれか! 自分で占えよ。おまえさん相変わらず占術の類は駄目だな」 「うるさい」 忠晃と青丘が言い合いを始めてしまったので、柊は間に入れなくなる。 手持ちぶさたになって屋敷を見ると、いつの間にか簀子(すのこ)に隆家が出てきて、手招きしていた。 どうしよう。行った方が良いのだろうが、少しの距離でも二人から離れるのは不安だ。 忠晃も隆家に気付いたようで、迷う柊にうなずきをくれた。 「話をしてみたくてな。ここへ」 隆家に言われるがまま、履(くつ)を脱いで階(きざはし)を上がり、簀子に腰を下ろした。 話をしたいとは。報告しろということだろうか。 「姫よ、どうだ。呪詛の源は見つかったか?」 「お庭で、人形をひとつ。でもまだあります。きっと、一番強くてひどいのが」 隆家はひとつうなずくと、頰杖をついた。 「面倒なことよな。しかし、落ち着いてもらわねば困る。中納言(ちゅうなごん)の屋敷で変事が立て続けに起こるとなると、世の不安をあおるだろう」 それは、この屋敷のことか。それとも、柊の家を言っているのだろうか。 判断がつかなかったが、相槌(あいづち)を打っておいた。 「隆家様は、恐ろしくないのですか?」 「ん? 私か?」 隆家は手の平にのせていた顔を上げた。そして何を思ったか、急に神妙な顔つきになった。 「鈍い上に肝が太く、日に向かって笑っているような御仁なら、あやかしに惑わされることもございますまい。隆家様のような方は、呪詛をかけられていない限り、平時は何の心配も要りません」 「へ?」 「――と、忠晃が申しておった」 まさか、今のは忠晃の言い方を真似(まね)たのか。少しも似ていないが、慇懃無礼(いんぎんぶれい)な口調がありありと想像できる。 「鈍いなどと、無礼な奴(やつ)だろう? 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いが気に入っておる」 くくく、と隆家が喉を鳴らした。 「私はな、あやかしや物の怪(け)が怖いというのが、よおわからんのだ。視えんからな」 柊はきょとんとした。そうか、柊は視えるがために臆病だったけれど、隆家は逆なのか。 しかし、目に視えずとも、あやかしを恐れるのが都人(みやこびと)だ。隆家のような人は珍しい。 「あれも、いったい何を相手に喧嘩(けんか)をしておるのか」 隆家があれと言って示したのは、青丘と話す忠晃だ。隆家からは青丘が視えていないから、忠晃がひとり言をくり返しているように思うのだろう。 「式神がいます。姿を消しておりますが」 柊が教えると、隆家はそうか、と声を落として柊にささやいた。 「……姫よ、あれは良い男だな」 突然忠晃のことを言われて、柊は慌てる。 「な、何を……」 深い意味はなく、ただ同意を求められたのかもしれない。 でも、恋文のやりとりをする仲になっていた柊にとっては、上手く受け流せない話題だった。 ![]() 「父上が……」 父には、忠晃との結婚を反対されている。忠晃は、自分が一部の公卿(くぎょう)からうとまれているためだと言っていたから、父が他者の前で忠晃をほめるとは思わなかった。 隆家は目を細める。 「逆に、忠晃のせいで機嫌をそこねた者もおってな。御身を人柱(ひとばしら)にと言い出した大納言は、特に忠晃を厭(いと)うておる」 柊はうつむいた。勝手な話だ。 忠晃の働きで桜の怪はしずまり、ふせっていた帝(みかど)も東宮も、内親王も皆助かったのだ。 称(たた)えられこそすれ、なぜうとまれなければならないのか。 この件には、父にも不満だった。身分違いはともかく、忠晃が公卿ににらまれているからなんて理由で、結婚の反対をしてほしくなかった。 「姫は知らんだろうが、二条殿はもともと、忠晃を婿がねにと思うておられた」 柊は弾(はじ)かれたように顔を上げる。初耳だった。だって、忠晃とのことはずっと反対されているのだ。意味がわからない。 隆家は低い声で助言した。 「二条殿はあれで悩んでおられるよ。政(まつりごと)にも時機というものがある。少し待ってやるといい」 そもそも、なぜこの方が知っているのだろう。 「あの、もしや父が何か……」 おずおずとたずねると、隆家は口の片端を上げた。 続きは第7回更新へ! ![]()
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