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鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~ 第7回
楠瀬 蘭_/著
鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~
第7回
 柊(ひいらぎ)の結婚について、父は隆家(たかいえ)に何か話したのだろうか。
 「さてな」
 隆家は笑むばかりで、何も答えてはくれない。
 からかわれている。柊は居心地が悪くなり、隆家から視線をそらす。
 次の瞬間、何かが視界の端にひっかかった。ぐるりとあたりを見回して、気付く。
 立ち動く女房(にょうぼう)たちの中でも、周囲に埋没(まいぼつ)した女が気になったのだ。
 容姿は整っているが、無個性で、他と比べると目立たない。着ている衣(ころも)も卯の花襲(うのはながさね)で、小袿(こうちぎ)の文様はよくある丸文だ。
 すぐに忘れてしまいそうな印象の女房だったが、目についた。
 なぜ、と思っていると、その女房と視線がかちあった。
 ぐっとひき寄せられる感覚のあと、葉ずれの音がして、景色が変わる。
 ――一面、薄紅の花を付けた木々。桜? 桃?
 幻想のような風景が視(み)えたのは一瞬だった。またたきをすれば消える。
 あれは何だ。
 心の臓が、ど、ど、と早鐘(はやがね)を打つ。
 卯の花襲の女房がほほえむ。ああ、そうか。無意識に彼女の内をのぞいてしまったのか。
 罪悪感を覚える。必要がないのに、他人の中に踏みこんでしまった。
 でも、待って。
 あの感覚は、本当に私が、のぞいたのだろうか。
 「姫? どうされた?」
 「え、あ……」
 はっとして隆家を見る。隆家は笑みを消していた。
 柊は混乱したまま、何もないと返そうとしたけれど、舌がからまってうまくしゃべれなかった。それが、ますます隆家の不審を煽(あお)ったようだ。
 「あの……」
 表情を曇らせた隆家に、まずい、と焦(あせ)る。けれど、視通した反動か、頭がじんじんと痛み、考えがまとまらない。説明したいのに、言葉が出てこない。
 「隆家様」
 隆家が何かを言おうと口を開いた瞬間、忠晃(ただみつ)が進み出てきた。
 隆家の意識が忠晃に移って、柊はほっと息をつく。助かった。
 「西の随身所(ずいじんどころ)を調べたいのですが、お人払いをお願いしても?」
 忠晃の頼みに、隆家は面倒くさそうに片眉(まゆ)を上げた。
 「好きに調べよと言うてあるだろう。屋敷の者にもそう通達してある」
 「いえ、やはり直接主(あるじ)の命があった方が人は動きます。……正直申しまして、話しかけるたびに怯(おび)えられるのはうんざりです」
 忠晃は本当にうんざりした顔で言った。怯えられる、とは、隆家の家人にだろうか。
 隆家は人の悪い笑みで奥から女房を呼ばい、屋敷の西の随身所を無人にするよう命じた。
 「これでよいか?」
 「ありがとうございます」
 すっかり元の表情に戻った隆家に、柊は心の中で忠晃に感謝する。彼のおかげで、おかしな空気にならずにすんだ。
 柊は全身を震(ふる)わせて腕をさする。危険と隣り合わせの「視通す」力を、無意識に使ったことで戸惑っていた。過去にもあったけれど、気をつけていたのに。
 「柊殿、行きますよ」
 「あ、はい」
 寒気を振り切るように、柊は忠晃に続いた。

 人払いをされた随身所にやって来た柊は、吐きそうになって口を押さえ、忠晃の袖(そで)にすがりついた。うしろからは青丘(あおおか)が支えてくれて、どうにか倒れずにすむ。
 急にぐらりときた。これは先ほどの人形(ひとがた)の比ではない。呪(のろ)いの影響で漂う瘴気(しょうき)が濃く、胃の腑(ふ)をかき回されている気分だった。
 「大丈夫ですか?」
 人様のお屋敷で、しかも庭ですらないのだから、吐くわけにはいかない。羞恥心(しゅうちしん)から吐き気をやりすごした。時折ひどく歪(ゆが)む視界をなんとかしようとまたたきをくりかえす。
 「……だい、じょうぶ。すみません」
 ここからもれ出た瘴気が、屋敷中に広がっているのだ。
 青丘の手を借りて立ち、周囲の物をひとつひとつ視ていく。
 「無理はしないでください」
 忠晃もうっすら汗をかいていた。柊ほど目は利(き)かなくても、この空気の異常さは感じているのだろう。
 青丘は部屋に入ってから、一言も発さない。
 「……下。小さく動いてる」
 ぽつりと言った柊の視線を追って、忠晃はうなずいた。位置は部屋の端だ。
 「床下ですね」
 忠晃は言うなり、身軽に随身所から庭に下りた。柊は青丘に手を借り、忠晃に続いた。
 柊は、先ほどから目に付く動きの影を指差した。
 「あそこです」
 外から手を伸べて届く距離に、それはあった。壺(つぼ)だ。厳重に口を閉じた小さな壺。
 その中に、小さくも恐ろしいモノが入って、蠢(うごめ)いている。
 「虫、でしょうか」
 忠晃に問うと、彼は唇を嚙んで壺を凝視(ぎょうし)していた。青丘は苦々しい表情で低く唸(うな)る。
 「蠱物(まじもの)か。性質(たち)が悪いな」
 「まじもの……」
 おどろおどろしい響きの言葉を繰り返すと、影が差した。
 ふと見上げると、随身所から青丘が見下ろしている。
 あれ、と首を傾(かし)げた。柊が下りる時、一緒に下りたのではなかったか。
 いつの間に上がったのだろう。そう思うだけで警戒していなかった柊は、反応が遅れた。
 「――え」
 青丘は、手にした太刀(たち)で斬(き)りかかってきた。
 柊は横から突き飛ばされる。
 「……いっ」
 地面に膝(ひざ)をぶつけ腕をこすって、柊はうめいたが、側(そば)に来た忠晃に引きずり立たされた。
 文句を飲み込んで、涙目のまま、忠晃がにらむ方向を見た。
 ――青丘が二人いる。
 外(と)つ国の衣装に、淡い色の、肩につく長い髪。互いをにらむ表情まで、そっくり同じだった。まるで鏡で映したようだ。
 一方は太刀を持ち、一方は槍(やり)を構えた。太刀を持つ方が偽物(にせもの)だ。
 「オン、キリキリ」
 忠晃は印を結び変えながら真言(しんごん)をとなえ始めた。以前も聞いた真言は、不動縛呪(ふどうばくじゅ)。とらえる気だ。

 「ナウマク・サンマンダ・バサラダ・センダ――っ」
 太刀を持った青丘が、忠晃に気付いて太刀を投げつけた。真言が途切れる。
第7回イラスト  偽者はにやりと笑うと、青丘のふるっていた槍を素手で真っ二つに割いた。偽者は前に踏み込んだ勢いのまま、青丘につかみかかる。
 もみあう二人に、どちらが本物かわからなくなってしまった。
 「どっちだ!?」
 忠晃が怒鳴った。
 柊は激しく動き回る二人に、必死に目をこらした。
 陽気で、気安く面倒を見てくれていた青丘。
 よく視ろ、と自分に言い聞かせる。十数年の付き合いだ、見分けられないはずがない。
 瘴気の中でも関係ない。
 ――足元にじゃれつく金色の仔狐(こぎつね)。大路を行き交う人々、ここではない都。船と海。
 次々切り替わる景色を視た直後、ひらめく。内側に招いてくれた方が、本物だ。
 押し倒され、首を絞められていた方が相手をけりとばした。二人の距離が空く。
 柊はすかさず叫んだ。
 「随身所の側にいるのが偽物です!」
 「謹請風伯(きんじょうふうはく)、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 柊の答えを聞くやいなや、忠晃が呪(じゅ)をさけんだ。陣風が吹き荒れ、刃(やいば)になって偽物を襲う。
 「ぐぁあ!」
 赤い血が玉のように散った。
 偽者は押し殺した悲鳴を上げ、あとずさる。声まで青丘と同じだ。
 青丘は距離を保ったまま偽物を牽制(けんせい)し、忠晃が再び刀印(とういん)を構える。
 そこへ、ばたばたと複数の足音がやって来た。
 「おい、何があった!」
 隆家だ。騒ぎを聞きつけたのだろう、随身を伴ってかけつけた。それが隙(すき)になった。
 「いけない、来ないでください!」
 偽者は不完全だった縛りをはねのけ、隆家たちの方へ走った。
 随身が隆家の前に出るが、偽物はそれよりも早く、隆家の首を狙(ねら)って爪(つめ)を伸ばした。
 「――縛!」
 ばちぃっ、と激しい破裂音がした。ぐ、と忠晃が膝を折る。
 偽物の爪は隆家の首ではなく肩をえぐった。ぱっと衣が切れて、血が飛び散る。

続きは第8回更新へ!

楠瀬 蘭_/著

登場人物紹介


登場人物紹介

柊&忠晃の物語はこちらでも読めます

『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
楠瀬 蘭/著
すがはら竜/イラスト
定価:本体600円(税別)
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
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定価:本体600円(税別)
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