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柊(ひいらぎ)の結婚について、父は隆家(たかいえ)に何か話したのだろうか。
「さてな」 隆家は笑むばかりで、何も答えてはくれない。 からかわれている。柊は居心地が悪くなり、隆家から視線をそらす。 次の瞬間、何かが視界の端にひっかかった。ぐるりとあたりを見回して、気付く。 立ち動く女房(にょうぼう)たちの中でも、周囲に埋没(まいぼつ)した女が気になったのだ。 容姿は整っているが、無個性で、他と比べると目立たない。着ている衣(ころも)も卯の花襲(うのはながさね)で、小袿(こうちぎ)の文様はよくある丸文だ。 すぐに忘れてしまいそうな印象の女房だったが、目についた。 なぜ、と思っていると、その女房と視線がかちあった。 ぐっとひき寄せられる感覚のあと、葉ずれの音がして、景色が変わる。 ――一面、薄紅の花を付けた木々。桜? 桃? 幻想のような風景が視(み)えたのは一瞬だった。またたきをすれば消える。 あれは何だ。 心の臓が、ど、ど、と早鐘(はやがね)を打つ。 卯の花襲の女房がほほえむ。ああ、そうか。無意識に彼女の内をのぞいてしまったのか。 罪悪感を覚える。必要がないのに、他人の中に踏みこんでしまった。 でも、待って。 あの感覚は、本当に私が、のぞいたのだろうか。 「姫? どうされた?」 「え、あ……」 はっとして隆家を見る。隆家は笑みを消していた。 柊は混乱したまま、何もないと返そうとしたけれど、舌がからまってうまくしゃべれなかった。それが、ますます隆家の不審を煽(あお)ったようだ。 「あの……」 表情を曇らせた隆家に、まずい、と焦(あせ)る。けれど、視通した反動か、頭がじんじんと痛み、考えがまとまらない。説明したいのに、言葉が出てこない。 「隆家様」 隆家が何かを言おうと口を開いた瞬間、忠晃(ただみつ)が進み出てきた。 隆家の意識が忠晃に移って、柊はほっと息をつく。助かった。 「西の随身所(ずいじんどころ)を調べたいのですが、お人払いをお願いしても?」 忠晃の頼みに、隆家は面倒くさそうに片眉(まゆ)を上げた。 「好きに調べよと言うてあるだろう。屋敷の者にもそう通達してある」 「いえ、やはり直接主(あるじ)の命があった方が人は動きます。……正直申しまして、話しかけるたびに怯(おび)えられるのはうんざりです」 忠晃は本当にうんざりした顔で言った。怯えられる、とは、隆家の家人にだろうか。 隆家は人の悪い笑みで奥から女房を呼ばい、屋敷の西の随身所を無人にするよう命じた。 「これでよいか?」 「ありがとうございます」 すっかり元の表情に戻った隆家に、柊は心の中で忠晃に感謝する。彼のおかげで、おかしな空気にならずにすんだ。 柊は全身を震(ふる)わせて腕をさする。危険と隣り合わせの「視通す」力を、無意識に使ったことで戸惑っていた。過去にもあったけれど、気をつけていたのに。 「柊殿、行きますよ」 「あ、はい」 寒気を振り切るように、柊は忠晃に続いた。 人払いをされた随身所にやって来た柊は、吐きそうになって口を押さえ、忠晃の袖(そで)にすがりついた。うしろからは青丘(あおおか)が支えてくれて、どうにか倒れずにすむ。 急にぐらりときた。これは先ほどの人形(ひとがた)の比ではない。呪(のろ)いの影響で漂う瘴気(しょうき)が濃く、胃の腑(ふ)をかき回されている気分だった。 「大丈夫ですか?」 人様のお屋敷で、しかも庭ですらないのだから、吐くわけにはいかない。羞恥心(しゅうちしん)から吐き気をやりすごした。時折ひどく歪(ゆが)む視界をなんとかしようとまたたきをくりかえす。 「……だい、じょうぶ。すみません」 ここからもれ出た瘴気が、屋敷中に広がっているのだ。 青丘の手を借りて立ち、周囲の物をひとつひとつ視ていく。 「無理はしないでください」 忠晃もうっすら汗をかいていた。柊ほど目は利(き)かなくても、この空気の異常さは感じているのだろう。 青丘は部屋に入ってから、一言も発さない。 「……下。小さく動いてる」 ぽつりと言った柊の視線を追って、忠晃はうなずいた。位置は部屋の端だ。 「床下ですね」 忠晃は言うなり、身軽に随身所から庭に下りた。柊は青丘に手を借り、忠晃に続いた。 柊は、先ほどから目に付く動きの影を指差した。 「あそこです」 外から手を伸べて届く距離に、それはあった。壺(つぼ)だ。厳重に口を閉じた小さな壺。 その中に、小さくも恐ろしいモノが入って、蠢(うごめ)いている。 「虫、でしょうか」 忠晃に問うと、彼は唇を嚙んで壺を凝視(ぎょうし)していた。青丘は苦々しい表情で低く唸(うな)る。 「蠱物(まじもの)か。性質(たち)が悪いな」 「まじもの……」 おどろおどろしい響きの言葉を繰り返すと、影が差した。 ふと見上げると、随身所から青丘が見下ろしている。 あれ、と首を傾(かし)げた。柊が下りる時、一緒に下りたのではなかったか。 いつの間に上がったのだろう。そう思うだけで警戒していなかった柊は、反応が遅れた。 「――え」 青丘は、手にした太刀(たち)で斬(き)りかかってきた。 柊は横から突き飛ばされる。 「……いっ」 地面に膝(ひざ)をぶつけ腕をこすって、柊はうめいたが、側(そば)に来た忠晃に引きずり立たされた。 文句を飲み込んで、涙目のまま、忠晃がにらむ方向を見た。 ――青丘が二人いる。 外(と)つ国の衣装に、淡い色の、肩につく長い髪。互いをにらむ表情まで、そっくり同じだった。まるで鏡で映したようだ。 一方は太刀を持ち、一方は槍(やり)を構えた。太刀を持つ方が偽物(にせもの)だ。 「オン、キリキリ」 忠晃は印を結び変えながら真言(しんごん)をとなえ始めた。以前も聞いた真言は、不動縛呪(ふどうばくじゅ)。とらえる気だ。 「ナウマク・サンマンダ・バサラダ・センダ――っ」 太刀を持った青丘が、忠晃に気付いて太刀を投げつけた。真言が途切れる。 ![]() もみあう二人に、どちらが本物かわからなくなってしまった。 「どっちだ!?」 忠晃が怒鳴った。 柊は激しく動き回る二人に、必死に目をこらした。 陽気で、気安く面倒を見てくれていた青丘。 よく視ろ、と自分に言い聞かせる。十数年の付き合いだ、見分けられないはずがない。 瘴気の中でも関係ない。 ――足元にじゃれつく金色の仔狐(こぎつね)。大路を行き交う人々、ここではない都。船と海。 次々切り替わる景色を視た直後、ひらめく。内側に招いてくれた方が、本物だ。 押し倒され、首を絞められていた方が相手をけりとばした。二人の距離が空く。 柊はすかさず叫んだ。 「随身所の側にいるのが偽物です!」 「謹請風伯(きんじょうふうはく)、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」 柊の答えを聞くやいなや、忠晃が呪(じゅ)をさけんだ。陣風が吹き荒れ、刃(やいば)になって偽物を襲う。 「ぐぁあ!」 赤い血が玉のように散った。 偽者は押し殺した悲鳴を上げ、あとずさる。声まで青丘と同じだ。 青丘は距離を保ったまま偽物を牽制(けんせい)し、忠晃が再び刀印(とういん)を構える。 そこへ、ばたばたと複数の足音がやって来た。 「おい、何があった!」 隆家だ。騒ぎを聞きつけたのだろう、随身を伴ってかけつけた。それが隙(すき)になった。 「いけない、来ないでください!」 偽者は不完全だった縛りをはねのけ、隆家たちの方へ走った。 随身が隆家の前に出るが、偽物はそれよりも早く、隆家の首を狙(ねら)って爪(つめ)を伸ばした。 「――縛!」 ばちぃっ、と激しい破裂音がした。ぐ、と忠晃が膝を折る。 偽物の爪は隆家の首ではなく肩をえぐった。ぱっと衣が切れて、血が飛び散る。 続きは第8回更新へ! ![]()
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