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鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~ 第9回
楠瀬 蘭_/著
鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~
第9回
 柊(ひいらぎ)を乗せた牛車が、二条中納言(にじょうちゅうなごん)の屋敷に向かうのを見送って、忠晃(ただみつ)は自室に戻っていた。
 「術を返された? 馬鹿かおまえ。そりゃ気合いだけで縛ろうなんて、おまえには無理だろう。ぶっつけ本番苦手なんだから、自覚しろよ落ちこぼれ」
 にこにこと笑いながら辛辣(しんらつ)に毒を吐く次兄に、忠晃は半眼になった。
 偽青丘(にせあおおか)を縛ろうとして術を返され、自分にかかってしまった縛りを解くのに手を借りようとしたら、ざっくりと刺されたのだ。
 垂れた目元と、常に微笑しているような表情のせいで、兄弟の中では一番柔和そうな顔をしているくせに、快活さの中に潜む棘(とげ)は鋭く硬い。
 「死ななくてよかったな、落ちこぼれ。逆さの風は、けっして穏やかには吹かん」
 さきほどから、落ちこぼれ、落ちこぼれとやかましい。人の劣等感をこれでもかと思い出させてくれる。
 忠晃は気(け)だるく息をついた。全身が重く、皮膚(ひふ)が裂けた腕は痛みが酷(ひど)いくせに、痺(しび)れて動かなかった。以前に受けた傷もあって、油断すると、意識がぐらりと揺れる。
 術、というのは諸刃(もろは)の剣で、失敗すれば己に返ってくる。成功したとしても、相応の報いがある。呪(のろ)いと同じだ。それを「逆さ風」や「逆凪(さかなぎ)」と呼んでいる。
 だから術者はそれを防ぐ術を持っているか、絶対に成功する場合にしか術を使わない。
 忠晃も自分の力量を把握し、慎重だったが、今回は焦りで負けた。自覚があるだけに反省していたところを、容赦なく指摘されたのだ。痛いどころではない。
 「……気をつけます」
 父は青丘と話し込んでいるし、長兄は妻の家で世話になっていてこの屋敷にはいない。
 すぐに頼れるのが次兄だけだったので、忠晃は特に反論もせず、中途半端に返された縛呪(ばくじゅ)を解いてもらった。
 「一応、父上にも見てもらえ。青丘が放っておいたなら、大丈夫とは思うが」
 「はい」
 次兄はなんだかんだ言いつつも、忠晃の傷に薬を塗り、包帯を巻き直すところまで世話を焼いてくれた。面倒見は良いのだ。快活さの中に毒を持っているだけで。
 「仕留められなかったようだな」
 「ええ、柊殿にも正体がわからなかったようで……っ」
 ばちん、と竹が破裂するような不快な衝撃が、体の内側に響いた。息が詰まる。
 なんだ、この、四肢の末端を失ったような感覚は。
 答えは一つ、式神が消されたのだ。方角は南西。場所は二条の通りに近い大路。
 「忠晃?」
 訝(いぶか)しげな次兄の声。忠晃は呆然(ぼうぜん)と呟(つぶや)いた。
 「……柊殿が」
 念のためにと、柊に付けていたみみずくが、消えた。
 忠晃ははだけた衣を直しながら立ち上がり、弾(はじ)かれたように部屋を出た。次兄の引き止める声がしたが、応(こた)える余裕はない。
 傷が痛み、真新しい包帯に血がにじむ感触がした。息が上がる。だが、そんなことはどうでもいい。
 まさか、式神が消されるまで異変に気付かないとは。
 衝動に任せるまま屋敷を出ようとすると、透渡殿(すきわたどの)で反対側からやって来た青丘と鉢合わせた。
 「まずいぞ忠晃」
 そう言う青丘が真ん中に立つせいで、通れない。忠晃はいらだちをぶつける。
 「ああ、まずい。だからさっさとそこをどけ!」
 青丘は怒鳴られても表情を変えなかった。道を譲りもしない。
 「おい、落ち着け。何があった?」
 うしろから次兄が追いついてきて、立ち尽くす二人を見てなだめた。普段なら青丘の役目だが、青丘は常になく落ち着かない様子で、冷静さを欠いていた。
 「思い出したんだ」
 青丘は呆然と言った。忠晃は要領を得ない話にいらつき、また怒鳴る。
 「だから何をだ!?」
 「匂いだ。俺の偽物に混じった、別の匂い。――あれは俺の妻のものだ」
 忠晃は一瞬、怒りを忘れ絶句した。
 青丘が海を渡ってまで捜し続けていた妻は、青丘と同じ、尾が九つある狐だ。
 何百年も前、青丘と袂(たもと)を分かった九尾は、人を憎んでいるという。

 九尾の狐。
 字のまま、尾が九つある狐のことだ。
 尾の数は力の強さを示す。賀茂(かも)家の飼い猫のように、歳(とし)を経てただの獣ではなくなり、尾が裂けて増えていく。とても強大な存在だ。
第9回イラスト  延喜式(えんぎしき)には瑞祥(ずいしょう)の神獣として記載されており、外(と)つ国でも天下太平の瑞獣(ずいじゅう)として扱われることがあるという。
 しかし、別の面がある。
 外つ国で、古(いにしえ)の王朝を傾け、滅ぼしたのが九尾の狐だと言われているのだ。また、国を変え、時代を変え、たびたび国の存亡に関わっていたといわれている。
 青丘は、吉備真備(きびのまきび)について日本に来て以来、警告し続けていた。
 妻である金毛の九尾は、人間に強い怨(うら)みを持っており、もはや瑞獣ではない。現れたのならば、この国はただでは済まない――と。
 「よもや金毛の九尾が現れようとは……」
 「藤原隆家(ふじわらのたかいえ)様のお屋敷が狙(ねら)われていたと……」
 「いや、今は二条中納言様の姫じゃ!」
 「すぐに祈祷(きとう)の壇を!」
 「御上(おかみ)に奏上せよ!」
 金毛の九尾が関わっているということで、賀茂家のみならず、安倍(あべ)家、陰陽寮を巻き込んだ騒ぎとなった。
 ばたばたと走り回る周囲を横目に、忠晃はほぞを噬(か)む思いだった。
 もう少し早く正体がわかっていれば。いや、あの時、先に柊を送っていけば、こんなことにはならなかった。
 あのあと、式神が消えた場所に駆け付けた。だが、すでに柊の姿はなく、残されていたのは空の牛車と、気を失った随身(ずいじん)、牛飼い童(わらわ)だけだった。
 「忠晃、おまえは休んでいたほうが……」
 忠晃の傷を案じたのか、次兄が声をかけてきた。忠晃は首を振る。
 「いえ、どうか柊殿を見つけるまでは」
 腸(はらわた)が煮えくり返る。ともすれば、指先が冷えて震えた。
 金毛の九尾に、そしてそれ以上に自分に怒りを感じていなければ、立つこともできない。恐怖と不安で押しつぶされそうになる。
 柊の居場所はわからない。
 陰陽寮の誰が占っても、妨害されているのか結果が曖昧(あいまい)だった。
 「ひどい面(つら)だな」
 「青丘」
 柊の匂いを辿っていた青丘が戻って来た。忠晃の顔を見るなり笑って見せたが、青丘の方がひどい顔色だった。
 「どうだった?」
 一縷(いちる)の望みにかけて問うが、青丘は首を振った。

続きは第10回更新へ!

楠瀬 蘭_/著

登場人物紹介


登場人物紹介

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