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鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~ 第10回
楠瀬 蘭_/著
鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~
第10回
 「駄目だ。消されている」
 青丘(あおおか)よりも、妻である金毛九尾の力が強いのだ。それはすでに聞いていた。
 どう捜せばいい。式神を四方に放てるだけの力も、今はない。他の陰陽師(おんみょうじ)に頼りきりだ。
 忠晃(ただみつ)は指を組んだ両手に額を乗せて、音が鳴るほど強く奥歯を嚙んだ。ぎり、という音が、骨を伝って頭の芯まで響く。
 祈禱壇(きとうだん)の用意ができたのか、祭文を奏上する陰陽頭(おんみょうのかみ)の声が聞こえてくる。
 千年生きた狐(きつね)は、天と相通じる。これを捕らえるには、天の許しが必要になる。討つも同様。そのため、祈禱の壇を設けて祈るのだが、悠長に天の反応を待ってはいられない。
 柊(ひいらぎ)がどんな目にあっているかわからないのだ。やはり、しらみ潰しでも捜して回るしかない。
 忠晃は体の痛みを振り切るように、歯をくいしばったまま立ち上がる。
 「おい、忠晃……!」
 忠晃の鬼気迫る様子から、無茶を察して次兄が肩をつかんだ。忠晃は首を捻(ひね)って兄をにらむ。
 「あれ、兵衛佐(ひょうえのすけ)様……」
 誰かが呟いた。見れば、待賢門(たいけんもん)の方から、柊の弟である南天(なんてん)が荒い呼吸でやって来る。
 鬼の形相だ。南天は大股で陰陽寮の前まで来ると、誰かを探すように視線を動かした。
 忠晃は、どんな罵倒(ばとう)も受ける覚悟で前に出る。
 「南天殿」
 目が合うと、南天は予想に反して表情をゆるめた。だが、またすぐに眉を寄せる。
 「此度(こたび)のこと、申し訳もございません」
 忠晃が頭を下げると、南天は首をふる。
 「いえ、そのことで。お知らせせねばと参りました」
 「何でしょう?」
 「母が、鴨川の楓から使いがあったと」
 鴨川の楓、といえば、柊の母が懇意にしていた楓の化身(けしん)だ。柊が鬼に狙(ねら)われた事件で、鬼について情報をくれた。しかし、楓の女童(めのわらわ)が自ら動くことなどない。本性は樹木なのだ。ただ世の移ろいを見つめるだけ。
 その楓が、使いを寄こすなど。
 しかし、続いた南天の言葉に、さらに驚くことになった。
 「対岸を行くあやかしが、姉を連れていた。何かあったのか、と」

 拉致(らち)されたあばら屋の中で、柊は戸惑っていた。
 対峙(たいじ)する女人は、藤原隆家(ふじわらのたかいえ)の女房だ。卯の花襲(うのはながさね)の衣を着ていて、整った容姿ではあったが、周囲に埋もれてしまいそうな凡庸さだった。
 けれど彼女の目を通して視(み)た本性は、鮮やかな金色の、尾が九つの狐。
 九尾の狐が、世にどれだけ居るのかは知らない。でも、そう多くないことは想像がついた。
 「貴女が、呪詛(じゅそ)を行っていたの?」
 言葉を選びながら、慎重に質問する。また、はぐらかされるかもしれない。
 「そう」
 女房の姿をした九尾の狐は、今日の天気を話すようにあっさりと答えた。罪悪感などまるでないようだった。あれだけの呪いを施しておいて、なんと軽い。
 「青丘に化けていたのも、貴女なの?」
 九尾の狐は不愉快だといわんばかりに眉を顰めた。
 「……こちらでは青丘、というの。そう、わたしが化けたの」
 「青丘を知っているの?」
 九尾の狐はうっそりと笑った。長い裾(すそ)をさばいて立ち上がり、袖(そで)をひるがえす。
 次の瞬間、女房は金の髪を垂らした美しい女へと姿を変えた。まとう衣装は外(と)つ国の物で、髪の一部を結い上げ、牡丹(ぼたん)を飾っている。肩にかかった領巾(ひれ)が揺れた。
 「夫婦だった。忌々しい人間に、我が子を殺される前は」
 つり目気味の双眸(そうぼう)が、きゅっと細まった。琥珀(こはく)の瞳(ひとみ)が憎悪に燃えている。
 ざわり、と頭の中を直接撫でられたような不快さを感じた直後、柊の脳裏には仔狐が跳ねまわる姿が浮かんだ。
 ――吾子、吾子。
 やんちゃに転げまわる仔狐を呼ばう。仔狐は父親の足元にじゃれついて離れなかった。
 仔狐の遊び相手になってやっている親狐には、見覚えがあった。狐姿の青丘だ。
 つい最近視た、青丘の記憶と重なる情景。
 ふいに、心温まる光景から色彩が消えた。
 九尾の狐と青丘が、洞(ほら)の中で立ち尽くしている。
 「九尾狐の肉は邪気を祓(はら)うからと、まだ尾も裂けぬ子を……!」
 膨れ上がった九尾の怒気に、柊は胸を押さえた。
 ――警戒していたのに。
 九尾の狐の、焼けつくような悔恨が響く。
 人間も、獣も。すべてを警戒して、育てていたのに。糧を得ようと、親が留守にした隙を人間に狙われ、疑いを知らない幼い仔狐は、連れ去られた。
 我が子を取り返そうと追いかけた先で、九尾の狐が、青丘が見たもの。
 柊は耐えられず、目を閉じる。けれど、どんなに拒絶しても、九尾の記憶は鮮明に流れ込んでくる。
 変わり果てた仔狐の姿。我が子の亡骸(なきがら)の側で、九尾は絶叫した。
 憎い、憎い、憎い――。
 だんだん呼吸が速くなる。
 待って、違う。私ではない。それは私の憎しみではない。
 九尾の感情に同調し、憎悪にのまれかけたが、なんとか自我を保つ。鼓動が早鐘を打って、静まってくれない。いつの間にか、涙が浮かんでいた。
 なんて強い恨みだ。彼女が仕掛けた、呪詛の比ではない。

続きは第11回更新へ!

楠瀬 蘭_/著

登場人物紹介


登場人物紹介

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