講談社BOOK倶楽部

鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~ 第15回
楠瀬 蘭_/著
鬼憑き姫あやかし奇譚 ~式神の恋・陰陽師の求婚~
第15回
 散々泣いて、泣いて、声が嗄(か)れた頃に、ようやく涙が止まった。
 気持ちが落ち着いたわけではない。泣くのに疲れてしまっただけだ。
 柊(ひいらぎ)より先に涙を止めた忠晃(ただみつ)は、あやすように柊の背を撫(な)でた。触れあった互いの体温が熱い。泣きやんだばかりの不安定な心には、心地よかった。
 「……柊殿。お父上に、二条中納言(にじょうちゅうなごん)様に、貴女(あなた)との結婚を申し出ようと思います。藤原(ふじわら)に恩を売り、後ろ盾もできたことですし」
 柊は、袖(そで)で目元を拭(ぬぐ)いながらうなずいた。父が結婚を反対していた理由は、身分違いであることと、何より、忠晃が一部の公卿(くぎょう)からにらまれている状況からだった。藤原の後ろ盾が得られたなら、父も納得するだろう。
 「ですが、私に都での出世はありえません。生涯を下野国(しもつけのくに)で過ごし、骨を埋(うず)めます。藤原の後ろ盾も、おそらくこの婚姻のためだけに終わるでしょう。そして、婚儀が終わり次第、貴女も共に来ていただくことになる」
 わかりますか、と忠晃は問いかけてきた。
 つまり、柊も一緒に下野国で生きることになる。都には戻れない。そういう意味だろう。
 「それでも、かまいませんか」
 これは、最後の確認だ。今ならまだ、引き返せるのだと。
 でも、何の問題があるのか。
 「一緒に行きたいです」
 間をおかず答える。都暮らししか知らない柊だけれど、忠晃が一緒なら、どこでもいい。
 一度は、忠晃の負担になるのではないかと悩んだ。でも、結局は、彼から離れて生きていたくなかった。
 「忠晃様。私、貴方(あなた)の負担になっても、貴方といたいです」
 もう迷いはない。だって、青丘(あおおか)も言っていた。
 おまえは間違うな、と。
 青丘の失敗は、選んだ道を間違えたことじゃない。自分の心を測りかねたことだ。
 「……馬鹿(ばか)ですね」
 ため息と一緒にそんなことを言われたけれど、常の悪態も、今は甘く聞こえる。
 こちらを見つめる忠晃の目が、あんまり優しいものだから、柊は笑み崩れた。


 忠晃が下野国に発(た)ったあと、柊はようやく床から起き上がって自由に動けるようになった。
 「ご心配をおかけいたしました」
 久しぶりに顔を合わせた父に、手をついて頭を下げる。父は優しく目元を緩(ゆる)ませたが、顎(あご)の線が細くなっていた。それだけ心労をかけていたのだ。
 「無事で、何より」
 万感こもった一言に、ただただ頭を下げる。
 止める父の言葉を聞かず無理をした結果、倒れたのだ。叱(しか)られてもおかしくないのに、父は「よくやった」と労(ねぎら)ってくれた。今も、病み上がりではつらかろうと、話をするのに柊の部屋まで足を運んでくれている。
 「柊。此度(こたび)の件、隆家(たかいえ)殿のみならず、左大臣までお褒めの言葉をくださった。忠晃殿が、一番の功労者としてな」
 「はい」
 九尾(きゅうび)は藤原の血筋を絶やさんと狙(ねら)っていた。隆家の屋敷も、元凶であった彼女が封じられ、平和を取り戻したことだろう。
 「そこで、だ。忠晃殿から、婚姻の申し入れがあった。儂(わし)は受けてもかまわんと思うが、そなたはどうじゃ?」
 「もちろん、お受けしたく思います」
 柊がはっきり口にすると、父は苦笑して、情けない顔で目を伏せた。
 「すまなんだな、柊。散々、反対しておいて、手の平を返したと思っておろう」
 「いいえ、いいえ」
 衆目を気にしていたのは、保身のためだけではない。柊のことを案じるがゆえだ。
 父は、父なりに、柊の幸せを思っていてくれたのだろう。だって、問答無用で他の男と一緒にさせることもできたのに、しなかった。
 「ありがとうございます」
 柊は手をついて、頭を下げた。
 柊は総領娘だ。婿(むこ)を迎えて子を産む務めがあった。しかし、忠晃と結婚するということは、両親の手元に孫を残すどころか、都からもいなくなる。
 それを承知してくれたのだ。もはや、感謝しかなかった。


 婚儀の用意は、つつがなく進行した。
 はりきっていたのは母や女房(にょうぼう)たちで、あれこれ髪箱や櫛(くし)や鏡に文句をつけ、できるだけ良い物を、と職人に作らせてくれた。
 婚儀自体は伝統にのっとり、この家に忠晃を婿として迎える形を取るが、その婚儀の後は柊が都の忠晃の元へ行くことになる。離れてしまう柊に、せめてしてやれることを、という親心だった。
 下野国に行った忠晃の帰りを待って、吉日を占い、指折り数えているうちに、その日は来た。
 婚儀の一夜目。
 柊は自分の部屋でまんじりともせずに、忠晃を待っていた。
 「……はぁ」
 緊張でどうにかなってしまいそうだった。心の臓がうるさい。
 今までだって、忠晃とは御簾(みす)を介さず会っているし、口付けも交わした。何てことはない、大丈夫、と自分に言い聞かせても、やはり婚儀となると気持ちが違う。身の回りの道具が全て新しいことも、落ち着かない気分にさせた。
 「柊殿」
 「はい!」
 反射的に声を上げて、薄暗い中で忠晃を見上げ、ほっと息をつく。
 彼の姿を見た途端、ふわふわと浮き足立っていた気持ちが落ち着いた。
 なんだ、ぜんぜん、怖いことなんかない。
 「何です?」
 「いえ。忠晃様を見ると、安心します」
 「……この状況でそれは、喜んでいいのかどうか」
 忠晃が苦笑する気配がした。彼も緊張しているのか、言葉に毒も棘(とげ)もない。
 「柊殿。これより永く、付き合っていただくことになります。どうか、最後まで共に」
 胸が熱くなって、頰(ほお)が緩む。感極まって、泣きたいような気分だ。頰に添えられた忠晃の手の上に、そっと手を重ねてうなずいた。


 それから七年。
 下野国に居を据え、二人の子宝に恵まれて、柊は忠晃と共に九尾の封印を見守り続けている。
 「どうでした?」
 封印石の様子を見に行った夫が帰ったので、きくと、彼は首を横に振った。
 「毒気は収まりましたが、このまま鎮まっていてくれるかどうか」
 青丘と九尾が眠る封印の石は、時折、毒の霧をまき散らすことがあった。
 原因はわからない。九尾の怨念(おんねん)ゆえか、封印術の反動か、それとも土地のせいか。わからないまま、忠晃はその度に毒を吹き飛ばし、新たに縄をかけ、祝詞(のりと)を捧(ささ)げる。
 あとはひたすら、ただ見守った。
 そんなことを七年繰り返したが、九尾復活の気配はなかった。もちろん、青丘が目覚める兆しもない。
 柊は裁縫の手を止めて、封印石のある方角を見る。
 一度だけ、石に触れて視通(みとお)そうとしたことがあるけれど、叶(かな)わなかった。内側に潜らせないほど、強固な守りだった。
 自分たちが生きている間は、目覚めないだろうという予感があった。それは忠晃も感じているようで、子供たちにどう伝えていくものか、ずっと考え込んでいる。
 「……戻ったか」
 ふあぁ、と大欠伸(おおあくび)をしたのは、賀茂(かも)家で飼っていた三毛の化け猫だ。そばで昼寝をしている子供たちと一緒に、でっぷりした体を横たえていたのだが、起きたらしい。
 この化け猫、下野国までついてきたのかと思いきや、違う。どうやら、都の賀茂家と忠晃の連絡役にされているようだ。ふらりと現れては、消える。
 「言伝(ことづて)は?」
 「つつがなく――と」
 化け猫は鷹揚(おうよう)にうなずくと、ゆったりとした足取りで去っていった。
 「もし、青丘と九尾に言伝を残すなら、どうします?」
 手にした針を再び動かしながら、隣に腰を下ろした忠晃にきいてみた。
 「決まっているでしょう」
 面倒をかけてくれて、と。
 目覚めるのが遅い、と。
 忠晃が挙げたのは、文句だった。
 柊は声をたてて笑った。
 もし、青丘の目覚めを見届けられなくても、悲観することはない。
 子が、孫が、柊や忠晃の伝えたかったことを預かってくれるなら。
 いつか、目覚めた青丘がそれを受け取ることを思えば、とても幸せだ。

楠瀬 蘭_/著

登場人物紹介


登場人物紹介

柊&忠晃の物語はこちらでも読めます

『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
『いじわる陰陽師と鬼憑き姫』
楠瀬 蘭/著
すがはら竜/イラスト
定価:本体600円(税別)
『鬼憑き姫あやかし奇譚 ~なまいき陰陽師と紅桜の怪~』
楠瀬 蘭/著
すがはら竜/イラスト
定価:本体600円(税別)
購入する
立ち読みする
購入する
立ち読みする