講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

「ブライト・プリズン」シリーズ
新春SSプレゼント

4月のシリーズ最新刊刊行に先駆けて、SSもクライマックス!

「夜に濡れて(後編)」

犬飼のの

ブライト・プリズンキャラクター紹介

「──常盤!」
 半ば意識のない剣蘭を救出した常盤は、息を切らしながらプールサイドに上がる。
 薔が駆けつける間に心臓マッサージを始め、「剣蘭!」と繰り返し呼びかけた。
 幸い剣蘭はすぐに意識を取り戻し、ゴホゴホと咳き込んで水を吐きだす。
「剣蘭! 大丈夫か!?」
「足が攣ったようだな、こむら返りか?」
「は、はい……脹脛、と……指先の、両方……両足、を……!」
 剣蘭はプールサイドで体を捻ると、足を引き攣らせて悶絶した。
 あまりにも痛そうで触れるのを躊躇する薔の前で、ずぶ濡れの常盤が剣蘭の足を掴む。
「グアァッ!」
「少し我慢していろ、解してやる」
「……ッ、ぅ……や……そんな、常盤様に、そんなこと……」
「遠慮するくらいなら最初から問題を起こすな。お前のように若くないんだぞ、いきなり水に入って心臓が止まったらどうしてくれる」
「すみま、せ……橘嵩(きったか)さんが当直だったから、つい……ウアッ!」
 常盤は厳しい顔をしながらも、一時も手を止めずにマッサージを続ける。
 剣蘭の足の指を掴んだり、ぐぐっと掌で押したり、足裏を中心に解したかと思うと、次は脹脛に手を伸ばす。
 髪からは絶えず水が滴り、濡れたシャツが上体に張りついて寒そうだったが、なりふり構わずに剣蘭の面倒を見ていた。
「薔、向こう側に服とタオルがあるようだ。持ってきてくれ」
「あ、ああ……わかった」
 薔は通信機や伸縮警棒を常盤の横に置き、走ってタオルを取りにいく。
 プールの反対側に回って二人の姿を見ると、よくわからない感情が込み上げてきた。
 以前の自分なら激しく嫉妬してしまいそうだったが、今感じているのはそういうものではない。かといって嫉妬心が皆無というわけでもなく、常盤が剣蘭に人工呼吸をするような事態にならなくてよかったと思う程度には、常盤の唇への独占欲がある。
 ──俺も、少しは成長したのかな……常盤が剣蘭の世話を焼くのは当然だと思えるし、ああやって一緒にいるのも、剣蘭を可愛がるのも……ちょっとくらいなら嫌じゃない。許せると言ったら傲慢だけど、まあいいかって……見守っていられる。なんか絵になるし……目の保養って、こういうことを言うのか?
 これで二人の間に恋愛感情が微塵でもあるなら話は別だが、二人に限ってそれはない。
 誰がどう見ても兄弟という風情で、実によく似ている二人は、いうなれば主従関係のようなものなのだ。
「剣蘭、大丈夫か? これ、タオル」
 薔がタオルを届けると、足のマッサージを終えた常盤が受け取る。
 剣蘭の体を包み込んで、温めるために摩擦した。
 当の剣蘭は、寒そうにしながらも平常心を取り戻している。
 ばつの悪い様子で常盤と薔の顔を交互に見ると、唇を躊躇いがちに開いた。
「大丈夫……だけど、薔……お前、なんでこんな所にいるんだ?」
「え……ッ、あ……いや、俺は、その……」
「剣蘭、詰所の医務室に行くぞ」
 剣蘭の問いに、常盤は「愚問だ」と言わんばかりの表情を浮かべる。
 まったく動じていないその態度に、薔は些か驚かされた。
 それと同時に、冷静さや安堵の向こうでめらめらと燃える、常盤の怒りに気づいてしまう。
「俺に面倒をかけさせるな」
「常盤様……お邪魔をして、申し訳ありません」
 剣蘭は一瞬びくついてから顔を曇らせ、青ざめた頬をより一層青くした。
 お愉しみの時間を邪魔したせいで叱られた──と思っているのがありありと見て取れたが、しかし薔は、剣蘭が気づいていない常盤の本音を読み取っていた。
 彼の怒りの根源は、剣蘭の身を案じてこそのものなのだ。
「夜中に突然……泳ぎたい気持ちを……どうしても止められなくて、気づいたら馬鹿なことをしてました。しかも溺れて迷惑かけるとか、あり得ないです」
「水泳に関しては、今後どうにかできないものか考える。無駄な制約で類稀な才能を潰すのは惜しいからな」
「──っ、じゃあ……」
「現時点で確約できることはないが、可能な限り尽力する。結果がどうあれ、こんな危険な行為は二度としないと誓え」
「は、はい……本当に、申し訳ありません。二度としないと、誓います」
 剣蘭の身も心も思いやる常盤の姿を、薔は一歩引いた所から眺める。
 やはり以前とは違って、今は剣蘭に対する常盤の優しさを好意的に受け止めることができた。
 むしろ、こういう常盤を誇らしく思う。
「薔、このまま帰らずに更衣室で待っていてくれ」
「……え?」
「シャワーを浴びたら、すぐ戻る」
 穏やかな気持ちでいられたのは、ほんの短い間だけだった。
 ここで何をしていたのか、さらに何をするのか──剣蘭に知られても構わないと割りきった常盤の発言に、薔は固まる。
 青ざめていた剣蘭の顔が赤くなった気がして、恥ずかしさのあまりプールに飛び込みたい気分だった。

   *****

 竜虎隊詰所の医務室まで剣蘭を送り届け、着替えてから馬に乗って戻ってきた常盤に、薔は「早かったな」と声をかけた。
 待つ身には長く、本当は「遅かったな」と言いたいところだったが、詰所までの距離を考えれば文句は言えない。
 馬の足音や常盤の濡れ髪から、彼が可能な限り急いで戻ってきたのはわかっていた。
「そう怒らないでくれ、こんな寂しい場所で待たせて悪いことをしたと反省している」
 常盤はそう言って眉を寄せ、謝意を示すように隊帽を取った。
 どうやら薔の発言を皮肉と捉えたらしい。
「剣蘭の前であんなこと言わずに、さっさと宿舎に帰せばよかったんだ」
 薔は別段怒っているわけではないものの、なんとなく怒っているポーズを取る雰囲気になってしまい、更衣室のベンチに座ったまま腕も脚も組む。自然と表情までそれらしくなった。眉が吊り上がり、口はへの字になる。
「そう言わずに許してくれ。お前のことだから、溺れた剣蘭や、飛び込んだ俺の無事を神に祈ったに違いないと考えたんだ。願いが叶った以上、一刻も早く礼意を表すべきだろう?」
「まさか、予定通り……する気なのか?」
「今夜を逃しても陰降ろしの機会はあるが、神の御機嫌はなるべく早く取った方がいい」
 ふっと笑った常盤は、着々と上着を脱ぐ。
 先程までの怒りはどこへやら、上機嫌な様子で薔の隣に腰かけた。
 大柄な彼が座ると頼りなく見えるベンチをギシッと軋ませ、ブレザー越しに背中に触れてくる。
「──あ……」
 常盤の手が首筋まで来ると、その冷たさに肌が粟立った。
 乗馬中は手袋を嵌めていたはずだが、芯まで冷えているのがわかる。
「体を冷やしてないか?」
「いや、まだ九月だし……ここにいる分には寒くないから平気だけど、常盤こそ大丈夫なのか? 髪、濡れてるし……こんなんで馬に乗ったら寒そうだ。手も氷みたいだし」
「冷たくて嫌か?」
「嫌じゃ、ないけど……」
 水浸しの姿で詰所まで歩いたのだから、本当は熱い湯にゆっくり浸かって髪を乾かし、温かいベッドで早く休んだ方がよかったのでは……と、薔はいまさら常盤の身が心配になる。
 いくらか成長したつもりでいたが、待っている間は置き去りの自分が憐れに思えて、常盤が早く戻ってくることばかり願っていた。
 なんて自己中心的だったのかと、自分の子供っぽさが嫌になる。
「風邪とか、引かないように……気をつけないと」
「そうだな、温めてくれるか?」
「──う、うん」
 それしかできないことを情けなく思いつつ、できることがあることを素直に受け入れた薔は、常盤のうなじに手を伸ばす。
 ひんやりとした肌に温もった掌や指を押し当て、摩りながら唇を重ね合わせた。
 ちゅ、ちゅ……と音もなく口づけを繰り返したところで、やがて常盤の唇が笑みの形になる。
 何かと思って少しだけ顔を引くと、至近距離からじっと目を見つめられた。
 両手を背中から腰、尻へと滑らせながらも、常盤の視線は動かない。
 その代わりのように、キスで濡れた唇が動きだした。
「自分がやりたいだけだろ……と、突っ込んでもらえなかったが、さっきのは冗談だ。龍神への礼というのは半分以下で、大半は俺が我慢できなかった」
「……ッ」
「剣蘭に邪魔されたまま、大人しく眠れるわけがないだろう?」
「──ぅ」
 反応する隙もなく唇を塞がれた薔は、制服のシャツをパンツから引っ張りだされる。
 下着の中に両手が忍んでくるのがわかり、肌が冷たさを覚悟した。
 ──うわ……冷た……!
 覚悟していても耐えられずに、「ひゃ」と悲鳴を上げかける。
 しかしキスで呑まれて声にならず、そうこうしている間に尻を揉まれた。
 ──なんか、指の動きが……愉しそう、だな……。
 よく動く十本の指で尻肉を鷲掴みにされながら、薔は一つの疑問を抱く。
 剣蘭に対する常盤の怒りの根源を、果たして自分は正確に読み取れていたのだろうか。
 実のところ正しく読み取っていたのは、剣蘭の方だったのかもしれない──。
「う……ぁ……尻……そんな、揉むなっ」
「無理だ。こんなに心惹かれる愛くるしい膨らみがある以上、揉まないわけにはいかない」
「は、恥ずかしい」
「大丈夫だ、お前の体に恥ずかしいところなど一つもない。最強にして極上の存在だと、さっきも言っただろう?」
「そうじゃなくて、アンタの台詞が恥ずかしいんだよ!」
 カッと燃える顔を背けながら抗議するや否や、薔はベンチの上に押し倒される。
 それでもまだ両手を尻に当てられたまま、艶っぽい目で見下ろされた。
「薔……俺と一緒に、もっと恥ずかしくなることをしよう」
「──っ、ぅ」
 まともに目にすると抗えなくなる眼差し──そこに、官能的な美声を加えるのは反則だ。
 身も心もとろとろに溶かされて、悔しいくらい常盤の思い通りになってしまう。
 一緒にと言われても、実際には自分の方が何倍も恥ずかしいことになるのだ。
「いつか、俺と同じくらい……恥ずかしい目に遭わせるからな」
「それは俺を抱きたいという意味か? 生憎そっちの経験はないんだが」
「──は?」
「どうしても、したいのか?」
「……違うッ! もういい!」
 はぐらかされて笑われて、薔は怒鳴りながら常盤の唇に食らいつく。
 今は逆立ちしても勝てないが、いつかもっと夢中にさせて、常盤を腰砕けにしたあとにもう一度──最強にして極上と、言わせてみたい薔だった。