講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

「恋する救命救急医」シリーズ

完結記念・スペシャル書き下ろし

「レッツパーティ! ~オテル・オリヴィエにて~」

春原いずみ

 きっかけは、賀来玲二の一言だった。
「『ポタジェ』さんの料理が久々に食べてみたいな」
 いつもの『le cocon』のカウンターで、いつものアメリカン・フィズを飲みながら、賀来が言った。
「そろそろ星が取れそうだって聞いたよ。星が取れちゃったら、予約難しくなるでしょう? 今のうちに食べてみたいな」
「うちのシェフが絶対に嫌がりますね」
 すぱりと答えたのは、オリーブグリーンの瞳も美しい眉目秀麗の救命救急医、貴志颯真である。
「賀来さんは、シェフとしてもかなり優秀な方だったと聞いています。それに、あなたはご自分が思っている以上に目立つ方です。『ポタジェ』にあなたが現れたら、業界誌ネタくらいにはなりますよ」
「あれ、週刊誌ネタって言ってくれないの?」
 自分の立場がわかってるんだかわかってないんだか、よくわからない美貌の実業家が微笑んだ。
「だめかなぁ。貴志先生、聞いてみてくれない? いきなりお店に行って、断られるのもダメージ大きいし」
「そんなことはさせませんが」
 貴志が肩をすくめる。こんなキザな仕草が似合う容姿である。隣に座っている森住英輔が呆れたような視線を送る。
「自分の店みたいな言い方だな」
「あ、ああ、失礼」
 貴志が苦笑する。
「毎日お世話になっている店なので、つい」
「ミシュランの星をもらおうっていうフレンチレストランに毎日お世話になってるって、すごいよねぇ」
 賀来の隣で、いつものようにウイスキーをストレートで飲んでいた篠川臣が、少々嫌味っぽく言う。嫌味っぽい言動は彼の特徴の一つだ。ウイスキーとは違って、彼はストレートな物言いができないのである。貴志は妖艶に微笑む。
「別に、毎日フルコースを食べてるわけじゃありませんよ」
「『ポタジェ』はフルコースもいいけど、アラカルトの評価が高いんだよ。これはすごい」
 賀来が言う。
「一品一品の完成度が高いってことだよ」
「確かに」
 貴志が頷く。
「私はほとんどアラカルトしか食べませんが、いつも満足させてくれます。極端なことを言えば、アミューズだけでも満足できる」
「やっぱり、食べたいなぁ」
 賀来がねだるように言い、魅力的な視線で、貴志を見た。
「ね、何とかならない?」

 その部屋に一歩踏み込んで、神城尊はううんと首を横に振った。
「どうしたんです?」
 後ろに着いてきていた筧深春がいぶかしげに尋ねる。神城は振り返り、ははっと軽く笑った。
「いや、貴志先生がホテル暮らしをやめない理由がわかった気がした」
 神城はすっと身を引き、筧を先に部屋に入れる。
「わ」
 筧が小さな声を上げた。
「なになに?」
 後ろを着いてきていた宮津晶がとんっとその背中にぶつかる。筧は無言で、部屋の中を指さした。中には、にっこり笑顔の超絶美形がいる。
「いらっしゃいませ」
 室内には、テーブルがしつらえられていた。白とサーモンピンクのクロスがダブル掛けされ、花が飾られている。
「わーお」
 遠慮のない声は、当然のことながら篠川である。
「僕んちも広さには自信あるけど、ここはまた……すごいねぇ」
「自信あるっていうのが、すでにすごいと思いますけどね」
 穏やかな声は、『le cocon』のマスターである藤枝脩一だ。
「これは……」
 言いつつも、さすがに一瞬絶句している。
「これでシングルなの?」
 賀来が悠々と部屋を見回している。さすがに、豪華なホテルに泊まり慣れているエグゼクティヴだ。
「シングルというカテゴリーはうちにはないんですよ」
 貴志がおっとりと言った。
「シングルというなら、ここはシングルベッドルーム……つまり、ベッドルームが一つしかないタイプです。うちのホテルでは、もっともこぢんまりしたタイプですね」
「こぢんまり……」
 宮津が乾いた笑いを漏らした。
「このリビングだけで、俺のマンション全部が入ります」
 今日の貴志のリビングは、いつものソファセットが片付けられて、テーブルが運び込まれ、座りやすそうな椅子が八脚置かれている。パーティ仕様である。
 クロス張りの壁と天井。ゆったりと絞られたカーテン。しみ一つないふかふかのカーペット。さすが、五つ星ホテルの居室である。シンプルにまとめられているのに、手もお金もかかっている豪華さは隠しきれない。
「俺は案内係かよ」
 お客たちの後ろから現れたのは、不満顔の森住だ。
 ホテルというシステム上、宿泊客以外は宿泊棟に入れない。そこで、貴志があらかじめホテル側に了解をとり、森住がロビーで六人の招待客を待っていて、部屋まで連れてきたのだ。
「ありがとうございました、英輔」
 部屋で待っていた、今日のホストである貴志がにっこりした。色っぽいウインクで、六人の客たちは、案内係のご褒美が何かわかってしまった。
 恐らく、濃厚なベッドでのサービスである。何せ、それぞれ身に覚えはある。
「貴志先生って、そういう顔もするんだなぁ」
 神城があけすけに言ってのけた。
「そういう、えっちくさい顔」
「えっちくさいですか?」
 貴志が涼しく笑う。
「それはそれは。修業が足りません」

「ええー、やっぱりだめ?」
 パーティから数日前の『le cocon』のカウンターである。
「いえ、だめということはもちろんないのですが、ただ、個室のご用意がないという店の構造上、賀来さんに落ち着いた雰囲気で、お食事をお楽しみいただけないのではないかと。店のマネージャーはそれを心配しています」
 良くも悪くも、賀来は有名人だ。華やかなルックスと莫大な財力、ステイタス。この優雅で美しい業界の寵児が、自分の経営する店以外に現れると、それだけで軽い騒ぎになる。だから、知り合いの店に行く時などは、必ず個室を取るか、こっそりと時間外に訪れることになる。
「……残念だなぁ……」
 心の底からがっかりしている賀来に、貴志は魅惑の笑みを投げた。
「それでなんですが……よかったら、私の部屋においでになりませんか?」
「はぁっ!?」
 声は同時だった。二カ所から上がる抗議の声。当然のことながら、賀来のパートナーである篠川と、貴志のパートナーである森住だ。
「何でっ」
「賀来さんが颯真の部屋に行く話になるんだよっ」
 渡り台詞で言ってから、篠川が森住をじっと見た。
「てか、何で、森住先生、貴志先生のこと、名前で呼び捨てなの?」
 ぼろが出た。篠川の突っ込みに、カウンターの隅でおとなしく晩ごはんを食べていた宮津がきょとんとしている。
「えと、森住?」
 森住が頭を抱えて、カウンターに突っ伏した。
 そういう仲であることは、たぶん、ここにいるメンツは知っていそうだったが、名前呼びを突っ込まれると、なかなかにくるものがある。恋人関係確定しちゃいましたである。
「まぁ、いいか」
 篠川がふふっと笑った。
「ま、センターでは気をつけた方がいいよ。みんな、お耳がダンボになってるからねぇ」
 それでなくとも、貴志はスキンシップが過剰なのだ。神城もそのタイプだが、彼は恋人である筧限定ではなく、宮津の頭もよくぐりぐりしているし、肩ぽんなどは女性ナースにもやる。しかし、貴志のスキンシップは、森住限定なのだ。センター内でも、よく背中などにぴたっとくっついてくるし、ちょっと人目がなくなると、すぐに身体に触れてくる。軽い痴漢行為である。
「……気をつけます」
 沈没した森住をくすっと笑いながら見て、貴志は言った。
「『ポタジェ』のマネージャーとシェフから提案がありまして、私の部屋にケータリングをしてくれるということなんです。ルームサービスよりグレードアップして。フルコースもできないことはないんですが、大仰になりますし、それなら、アラカルトを何品かケータリングして、賀来さんに召し上がっていただいたらどうかと」
「ああ……そういうことね」
 賀来が頷いた。
「そうだなぁ。お店にご迷惑をかけるのも本意じゃないし。でも、僕一人のためにそこまでしてもらうのも申し訳ないよね……」
「それなら」
 素早く立ち直った森住が、がばっと顔を上げた。あっけらかんと言う。
「パーティしようぜ! ご馳走並ぶんなら、みんなでパーティ!」
「も、森住……っ」
 宮津が慌てて言った。
「な、何言ってんのさっ。貴志先生のお部屋に、賀来さんをお招きするって話で……っ」
「ああ、それもいいですね」
 貴志がさらっと応じて、今度は宮津がカウンターに突っ伏しそうになっている。
「せっかくですから、みんなで食べましょうか。その方がシェフも腕の振るい甲斐があるでしょうし」
「き、貴志先生……?」
 突然の展開に目を白黒させている宮津を横に、貴志と森住は仲睦まじく、計画を立て始めた。
「メンバーは、この前のメンツでいいだろ」
「そうですね。八人くらいなら、私の部屋のリビングで十分でしょう」
「ソファ邪魔じゃないか?」
「片付けてもらいます。もともとそういうことはできる仕様になっているんですよ」
「さすが、セレブ御用達」
「さすが五つ星一流ホテルと言ってください」
 斯くして、レッツパーティ! と相成ったわけである。

『ポタジェ』から、ギャルソンが二人来てくれて、手早く料理を並べていく。
 パテ・ド・カンパーニュのカナッペ。キッシュ・ロレーヌ。フォアグラのブリオッシュトースト添え。キャビアの巻き寿司。
「ふわぁ、美味しそう……」
 筧がため息をついている。
 サラダは、海老とアボカドのサラダと豚肉のスパイシーサラダ、グリル野菜とチキンのサラダ。いずれも彩りよく、しかもしっかりとお腹にたまるたっぷりとしたサラダだ。
 肉料理は、豚フィレ肉のロースト、マッシュルームソース。
「うちのシェフは、ビーフよりもポークの方が好きみたいで、ポークの料理の方が多いんです」
 そして、色合いのきれいなトウモロコシのガレットとアスパラのソテーも添えられている。
「デセールは後ほど、食後のお飲み物と一緒にお持ちいたします」
 シャンパンの抜栓だけをして、ギャルソンたちは下がっていった。ホストの貴志が、見事な手並みでシャンパンをグラスに注いでいく。
「お待たせしました」
 今日のドレスコードはカジュアルシックと言われたので、全員が堅苦しくない程度のジャケットに薄手のセーターやノータイでシャツを合わせている。
 賀来と篠川は、よく見るとコーギー犬のシルエットのラペルピンをしていた。おそろいなど、篠川が嫌がりそうなものだが、それが愛犬の形となると別なのか。
 藤枝と宮津は、よく似た色合いのジャケットを着ていた。どちらもオーダーメイドなのだろう。身体にぴたりとフィットしていて、よく似合っている。
 神城と筧もジャケット姿だが、二人とも、シャツではなく薄手のセーターを合わせているのが、カジュアルだ。神城は若草色、筧は淡いピンクのセーターを着ている。優しげな色合いが春らしい二人だ。
 そして、案内役になってしまった森住は、いつものスーツではなく、やはりジャケット姿で、柔らかいイタリアンシルエットのものを着ている。長身でモデル体型の彼には、そんな難しいジャケットもとてもよく似合う。
「では、乾杯しましょうか。賀来さん、お願いします」
 ホストの貴志は、艶やかなブラックジャケットを着ている。中のシャツはシルクの光沢がある生地で、昼間のパーティにはやばいんじゃないかと思うくらい色っぽい。もともと貴志は、白衣以外のものを着ると、生来の艶やかさが隠しきれなくなって、存在そのものが色っぽくなってしまうのだが、まぁ、それも身内ばかりのパーティだから、よしとしよう。
「じゃあ、何のパーティかよくわかんないけど」
 賀来が笑っている。みんなそれぞれのパートナーの隣で笑っている。
「一番傍にいたい人と、美味しいものを食べる会……かな」
 きらめくグラスを掲げて。
「乾杯!」
 今日もあなたの傍にいられることに感謝して。
 明日もあなたの傍にいられますようにと願って。
 乾杯!