WEB限定小説
『龍の捕縛、Dr.の愛籠』特別番外編
「龍の天国と地獄」
樹生かなめ
人形だった。まさしく、氷川諒一は清楚な人形そのものだった。
眞鍋組の二代目組長である橘高清和は、最愛の姉さん女房の女装姿に声を失った。
地味なスーツを着ても、氷川の白皙の美貌は損なわれなかったが、ここまで綺麗だとは思わなかった。今までに見た美人女優やモデルたちの美貌も霞むほどだ。
綺麗だ、と清和は不安そうな氷川にそう言いたかった。
それなのに、声が出なかった。けれど、自分の不器用さに落胆する必要はない。十歳上の幼馴染みにはちゃんと通じている。
「綺麗、綺麗だ。お母さんが一番綺麗だよ」
氷川は清和のためにワンピースを着たわけではない。息子のように可愛がっている裕也にせがまれたためだ。
裕也はいつになく興奮し、耳まで真っ赤だった。清和は自分を落ち着かせるように、裕也の小さな頭を撫でる。
「清和兄ちゃん、うちのお母さんが一番美人だね」
裕也にキラキラした目で言われ、清和は同意するように大きく頷いた。精一杯の意思表示だ。
綺麗過ぎる、と清和に一抹の不安が過る。
案の定、悪い予感は的中した。絶世の美女に変身した氷川に、男たちの視線が集中する。不埒な輩も近づいてくる。
それは俺のものだ、俺の女に近づくな、死にたいのか、と清和は怒気を漲らせて追い払おうとしたが、裕也を連れて出かけた遊園地では何人か逃がしてしまった。
始末しろ、と遊園地のスタッフに化けた陰の実動部隊のメンバーに、視線で抹殺指令を出した。
が、ピエロ姿で潜んでいたサメに抹殺を止められてしまう。まったくもって腹立たしい。
ふたりきりになった時、氷川に寂しそうな顔で尋ねられた。
「清和くん、僕は女性のほうがよかった?」
清和が首を左右に振ると、氷川は花が咲いたように微笑み、甘えるように頰を擦り寄せてきた。あまりにも女装姿を絶賛され、思うところがあったようだ。過激さ故に、祐に『核弾頭』と名づけられたが、世間知らずの幼馴染みは昔と同じようにこのうえなく優しい。そして、誰よりも綺麗だ。
「清和くん、誰も見ていない。キスして」
すぐに最愛の姉さん女房のリクエストに応じる。清和は何ものにも代えがたい幸福を味わった。
もっとも、ほんの束の間の幸せだった。
「裕也くん、お母さんはそのお嫁さんは許しませーんっ」
白百合と称えられる美女が、裕也と祐のキスを見て、一瞬にして夜叉と化した。
もはや、清和には幸福どころか平穏の文字さえ見えない。すでに怖いもの知らずの舎弟たちは、白旗を揚げている。
一晩たっても、氷川の怒りは鎮まらなかった。
「清和くん、僕は許さない。大事な裕也くんの嫁が祐くんなんて、絶対に許さないから」
氷川に襟首を摑まれ、力の限り揺さぶられた。
清和は無言で視線を逸らす。
「どうして何も言ってくれないの。黙ってないでなんとか言ってよ。裕也くんが魔女に食べられるっ」
裕也が眞鍋組で最も汚いシナリオを書く祐に懐いた。そのうえ、祐を嫁にすると宣言した。
裕也の嫁選びに激昂したのは、ほかでもない姉さん女房だ。
「……落ち着け」
無駄だとわかっているが、それ以外の言葉が見つからない。
「僕は落ち着いている。裕也くんが魔女に食べられる前に助けなきゃ……魔女を止めてっ」
姉さん女房の頭の中がどうなっているのか、清和はあえて考えない。第一、どんなに考えても理解できないのはわかりきっている。
「いくら祐でもガキを食ったりはしない」
清和がスマートな参謀について言及すると、氷川の怒りのボルテージが上がった。
「祐くんの魔女ぶりはよく知っている。早く手を打たないと、裕也くんが魔女の餌食に……。ああ、僕も裕也くんについて動物園に行くんだったーっ」
今朝、裕也は祐にねだって、動物園に出かけた。可愛い息子と憎き嫁にデートなんてさせない、とばかりに氷川も同行しようとした。しかし、氷川は履き慣れないパンプスに負け、歩くことができなかったのだ。
結果、留守番の氷川に清和はずっと責め立てられている。
「その足じゃ、無理だ」
「サンダルを履けばなんとかなる」
氷川の靴擦れはひどく、足の裏の皮膚もペロリと剝けていた。痛々しくてたまらない。
「やめろ」
「清和くん、こうしている間にも大事な裕也くんが魔女にたぶらかされる。……ああ、どうしよう」
氷川は本気で心配しているらしく、ガラス玉のような目が潤んだ。泣かれると困る。手も足も出ない。
「……まだ裕也はガキ」
「僕、二歳で会った清和くんのお嫁さんになるとは夢にも思わなかった」
それを言われると、清和はなんの反論もできない。物心がつかない頃から、清和の心には優しい幼馴染みがいた。
「僕、清和くんのおむつを取り替えたんだよ。おむつでもこもこしていた清和くんがこんなに大きくなったんだよ。……ど、どうしよう」
氷川の涙がはらはらと流れ、清和は途方に暮れた。どうしていいのか、まったくわからない。戦争しているほうが楽だな、とヤクザである己を再確認した。
(初出:アニメイト主催 ホワイトハートフェアペーパー)