WEB限定小説
『古都妖異譚』特別番外編
「貴公子の休日」
篠原美季
英国の首都、ロンドン。
ウエストエンドの一角にある骨董店「アルカ」に、その日も一人の賓客がやってきた。
白く輝く金の髪。
南の海を思わせる透き通った水色の瞳。
神が気まぐれに起こした奇跡のように、左右のバランスが整った造形の美しい顔を持つその人物の名前は、シモン・ド・ベルジュ。
フランスが誇る名門ベルジュ家の後継者である彼は、現在、ロンドン在住で、ベルジュ・グループを支えるシンクタンクにて主に英国対策を練る傍ら、母方の一族が経営する会社でCEOの座に就いている。
よって、当然、多忙を極める。
そんな彼の唯一の憩いは、この店で働く友人ユウリ・フォーダムとの他愛ないおしゃべりにあった。
今日も、日曜日だというのに父親の頼みで接待の予定が入っていたのが、先方の都合でキャンセルとなり、ぽっかりと空いた時間に、ユウリとランチでもしようかと連絡もせずにやって来たのだ。この時間なら店にいるはずだし、先に連絡したところで、どうせ彼がそのメールに気づくのは、シモンと会話したあとだ。
今時、メールに気づかないなんて、普通なら相手に対してイライラしそうなものだが、ユウリの場合、そののんびりさが全般に亘っていて、そばにいる人間をリラックスさせてくれる。ポンポンとしたやりとりがない分、一緒にいる時に忙しさも感じない。
結果、シモンは、ユウリとの急なメールのやりとりは諦め、代わりにこうした奇襲で彼を驚かせるのを常としていた。その際、不意をつかれて驚きながらも嬉しそうにはにかむユウリの顔が、またいいのだ。
奥ゆかしさと品の良さ。
そこに愛嬌がプラスされ、それだけでも十分魅力的なのに、ユウリの場合、そこに不可侵の透明さと神秘性を併せ持つ。
そして、なにより懐が深い。
海のような許容量の持ち主であり、その魅力に取り憑かれているのは、なにもシモンに限ったことではなかった。
(だから、困るわけだけど……)
そう思いながら店に入ったシモンであったが、彼の期待に反し、迎えてくれたのは別の人間だった。
「おや、ベルジュ。いらっしゃいませ」
栗色の髪にセピアがかった瞳。
しなやかで柔らかな印象ながら典型的な英国紳士の雰囲気を持つ彼は、この店を管理しているミッチェル・バーロウだ。ユウリがいる時は、内階段で上がれる二階の事務所に籠もりがちであるため、こうして店で会うことはあまりない。
その彼が店番をしているということは、すなわちユウリが不在ということである。
意外に思ったシモンが、開口一番、挨拶もなく訊いた。
「もしかして、ユウリはいないのかい?」
「ええ。今日は休みを取っているんですが、聞いていませんか?」
「休み?」
繰り返したシモンが、皮肉げに返した。
「知らない。――先に聞いていたら、ここに来てないし」
それは社交的なシモンにしてはお粗末な返答で、それくらい彼がショックを受けているという表れであった。
心情を察したらしいミッチェルが、苦笑を禁じ得ずに言い返す。
「おっしゃる通りですね。失礼しました」
「あ、いや、こっちこそ」
すぐに反省したシモンが、肝心なことを尋ねる。
「で、ユウリはなぜ休みを取ったんだろう。理由を聞いている?」
「そうですね。詳しい話までは聞いていませんが、なんでも恩師に呼ばれたから母校に行くと」
「母校?」
ユウリの母校といえば、すなわちシモンの母校でもある。
イギリス西南部にある全寮制パブリックスクール、セント・ラファエロがその学校の名前であり、そこで彼らは今に続く固い絆を培った。
シモンが、さらにつぶやく。
「それに、恩師って……」
現在、セント・ラファエロには、ユウリの母方の実家の分家筋にあたる家の子息が留学していて、ユウリは実質、その子息の英国における身元引受人になっている。
そのため、最近はことあるごとに母校を訪れているのだが、大概、前もってシモンに知らせてくれ、時間が合えば、シモンも同行している。
それが今回に限って連絡がなかったということは、そうするには急すぎたか。
(あるいは――)
シモンは、水色の目を伏せて考え込む。
(話すと僕が心配するような事情があって、隠密行動に出たか)
その可能性は大いにあるため、シモンはいてもたってもいられなくなる。
なにせ、人のためならどんな無茶も厭わないユウリだ。どこでどんな危険に巻き込まれるか、わかったものではない。
そこでチラッと時計を見やったシモンは、挨拶もそこそこに店を出ると、スマートフォンを取り出してどこかに連絡をする。――車では数時間かかる距離でも、ヘリコプターをチャーターしてしまえば、あっという間だ。しかも、片道だけにすれば、帰りは二人でドライブできる。
思いついたら、即実行。
そんなシモンだからこそ、日曜の午後にぽっかりと空いてしまった時間も無駄にすることなく過ごせる。
貴公子の休日というのは、かくも優雅で活力に満ちたものだった。