講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

『幽冥食堂「あおやぎ亭」の交遊録』特別番外編

「結人、夢で服を買う」

篠原美季


「――あれって、結人(ゆいと)?」
 交差点に差し掛かる手前で、助手席に座る二卵性双生児の朝比奈真明(まひろ)が言い、明彦はスッと視線を横に流した。
「どこ?」
「あら、いないわね。たしかに今、あの量販店から紙袋を大量に抱えて出てきた人が結人に見えたんだけど」
「大量?」
「うん。紙袋を三つ、四つくらい」
「なら、見間違いだろう。お前と違って、結人は無駄に服を買ったりしないからな」
 それでも、つい歩道の人波に従兄弟の清涼な姿を探してしまった彼の横で、真明が焦ったように叫んだ。
「アキ、前!」
 とっさにブレーキを踏んだ明彦が前方を見れば、信号はいつの間にか赤に変わっていて、危うく前の車に追突するところであった。
「やだもう」
 停車した車の中で大きく息をはいた真明が言う。
「運転中のアキの横で、結人の話は金輪際しないようにするわ」
「別に、関係ないだろう。お前こそ、そんな風に結人の幻ばっかり見ているから、彼氏の一人もできないんじゃないのか?」
「あんたに言われたくないわ」
 そんな言い合いのうちにも信号が青に変わり、彼らは当初の目的通り、知り合いの誕生パーティーが開かれる都内の老舗ホテルへと向かった。
 
 
 その日の夕刻。
 西早稲田にある古いアパートの一室で目覚めた半井(なからい)結人は、肩をコキコキと動かしながら不満そうに呟いた。
「もうこんな時間か。たくさん寝たはずなのに、なぜか寝た気がしない……」
 それからズルズルと這うように冷蔵庫に近づき、ペットボトルの水を取り出して飲む。
「それに、なんだろう。抱えきれないほど服を買い込んだ気がするんだけど、あれは夢だったのか」
 ただ、店員とのやり取りなど、店での感覚がリアルすぎて、結人は自分が夢遊病になって実際に買い物に行ったような気分になっていた。
「でもまあ、ここに買い物袋がないんだから、やっぱり夢に決まっている」
 納得したところでお腹がキュルルと鳴ったので、彼は寝ていた格好のままパーカーを上に着て、オンボロアパートを出ていった。
 向かった先は、アパートの裏手にある「あおやぎ亭」だ。
「あおやぎ」という語が示す通り、店の前には大きな柳の木があって、初夏のこの季節は、青々とした葉をつけた枝が風にそよいでなんとも清々しい。とはいえ、風情ある食事処に見えても、その実、ここはけっこうおどろおどろしい場所なのだ。
 なにせ、店内にはいわゆる「霊道」となっている古い井戸があり、死者たちのいる冥界へと繫がっている。そのせいだろうが、このあたりで幽霊を見たという目撃談も後を絶たない。
 そんな店を切り盛りする店主はといえば、これまたふつうの人ではなかった。どんな風にふつうではないのかというと――。
 カラカラッと風流な音をさせて引き戸を開けた結人を、落ち着いた声が迎える。
「やあ、結人。そろそろ来る頃だろうと思ったよ」
 目元の涼しげな品のいい顔立ち。
 スラリとした長身。
 洗いざらしの白いシャツがめっぽう似合う彼の名前は、小野篁(おののたかむら)。――一見ふつうそうに見えるが、平安時代に実在した同姓同名の官僚、それが、今現在ここにいる小野篁だ。つまり、歴史上、唯一「第三の冥官」としての位を持つ彼は、現代に至るまでその任に就いて活躍しているということである。
 しかも、それだけでは飽きたらず、さらに古代の日本で死者の魂の浄化の役目を担った「遊部」の一員、それが「あおやぎ亭」の店主の正体だ。
 結人が不思議そうに聞き返す。
「来ると思っていた?」
「うん。あんな使いの後だから、さぞかしお腹を空かしているのではないかと」
 だから、たくさん料理を作っておいたと言われるが、結人にはそれ以上に気になることがあって、会話しながら店内に視線を流した。
「あんな使いの後って……、それに、えっと、みなさん、お揃いで」
 引き戸を開けた瞬間は、店内にまばらに座る人々を目にして、食事をしに来た一般客がいるのだと思ったのだが、よくよく見ると、それらは結人もよく知っている面々だった。
 続けて、結人が言う。
「司命(しみょう)、司録(しろく)、それに閻魔様」
 呼びかけに顔をあげたりあげなかったりとそれぞれの反応を示し、彼らはパソコンの画面に向かう。
 一番奥の席にいるのが、キツネ目をした司命。
 それより手前のテーブルにいるのが眼鏡をかけた生真面目そうな司録。
 そして、篁のいるカウンターの前に偉そうに陣取っているのが、「泣く子も黙る」くらいの絶世の美少年である閻魔大王だ。
 もちろん、全員地獄の関係者で、地獄の一丁目に建つ庁舎、通称「閻魔庁」が彼らの仕事場だ。……のはずである。少なくとも、そこで彼らは日々、死者の魂を裁判にかけ、地獄での過ごし方を決定している。
 それなのになぜ、平日のこの時間に揃ってこんな場所にいるのか。
 特に誰も何も説明してくれないため、結人は、唯一相手をしてくれそうな篁に視線を流しつつ、彼らに尋ねる。
「こんなところで何をやっているんですか? それに、みんながこっちに来てしまって、お白洲は大丈夫ですか?」
 それに対し、相変わらずパソコンを見つめる彼らに代わって、篁が教えてくれる。
「いちおう、これでも仕事中なんだよ」
「へえ?」
「新たに開発されたアプリを使って、こちらとあちらでリモート会議ができるか、試しているんだって」
「そうなんですか」
 どうやら、地獄にもIT化の波が押し寄せているらしい。
「ただ、問題は――」
 篁が、肩をすくめて続けた。
「誰が地獄に残るかで揉めていて、今はそれを決める会議をしているわけだけど」
「へ?」
 びっくりした結人が、目を丸くして篁を見る。
「つまり、今って、ここにいる三人だけでリモート会議をしているんですか?」 
「そういうことだね」
 たしかに、よく聞けば、聞こえてくる会話もそれを裏付けている。
「だから、それだと閻魔様がいつも地上にいることになるわけで」
「それのどこが悪い?」
「悪くはありませんが、ずるいと申しあげているんです」
「そうですよ。ここは当番表を作って公平に――」
「そんな面倒なことをしなくても、そこは、じゃんけんでよくないか?」
「バカ。子どもじゃないんだから」
 そんなことを延々、背中合わせの状態でやっている。
 しばらくその様子を眺めていた結人は、「う〜んと」と心の中でつぶやく。
(地獄って、今、超ヒマなのか?)
 と――。
 ふと、彼らの装いがいつもの冥官服と違い、その辺で買えるような現代風の衣装であることに気づいた結人が、篁を振り返って尋ねた。
「あの服って、篁さんが用意したんですか?」
 その割に、どこか見覚えがある気のした結人であったが、それもそのはずで、篁からはこんな答えが返る。
「いや、あれは君のセレクトだけど。やっぱり覚えてないか」
「僕の?」
 そこで、少々思い当たる節のあった結人が、「もしかして」と確認する。
「僕、また『走無常』にされました?」
「走無常」とは地獄で使われる用語で、夢を介して冥府の使いっ走りをさせられる状態を指す。結人の場合、以前、成り行き上、やらされてからというもの、油断するとこき使われるようになっていた。
「まあ、そうだね」
 篁が認め、「だからさ」と結人の前に湯気の立つ食事を用意して微笑んだ。
「ひとまず、お疲れ様ということで、彼らのことは放っておいて食べるといいよ」
「わーい」
 食べ物につられ、すっかり使いっ走りにされたことなどどうでもよくなった結人のそばで、チラッとこちらに視線を流した閻魔が、「ちなみに」と言う。
「黄泉戸喫(よもつへぐい)にならないよう、気をつけろ」
 冥界の食べ物を食べて地上に戻れなくなる例を持ち出されての忠告に、まさに一口目を頰張ろうとしていた結人の箸が止まった。
「…………」
 篁を疑うわけではないが、ここには数で言ったら冥界の関係者のほうが多いことを思うと、やはりちょっと心配になる。
 すると、「閻魔様」とたしなめるように名前を呼んだ篁が、結人に視線を移して告げた。
「誓ってもいい。それは僕がこっちの世界の食材とガスコンロの火で作った、正真正銘ふつうの食事だから、安心して食べて大丈夫」
 そこで結人は「はい」と素直に頷き、今度こそ最初の一口を食べた。
 それは、空腹と心を満たす最高の食事であった。