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ホワイトハートX文庫 | 今月のおすすめ

大柳国華伝 暁の花は宮廷に舞う

大柳国華伝 暁の花は宮廷に舞う
芝原歌織/著 尚 月地/イラスト 定価:本体600円(税別)大柳国華伝 暁の花は宮廷に舞う

春華と雪に最大の危機が! 怒濤の展開をみせる大人気中華風宮廷ラブロマン第四弾『大柳国華伝 暁の花は宮廷に舞う』の発売を記念して、ここでしか読めない、芝原先生の書き下ろしショートストーリーが届きました! 本編と合わせてお楽しみください。

大柳国華伝 Web限定ショートストーリー「光彩陸離」芝原歌織

 涼やかな夜風が柳の枝を揺らし、二人のほてった体を優しくなでる。 もうどれだけ時間が経っただろう。 甘く、熱く、長い口づけだった。 一刻経ったようにも、一晩経過したようにさえ感じられる。 あまりにも長すぎて、春華(しゅんか)は息苦しさを覚えた。それも当然のこと。春華はその行為の間中、息を止めていたのだ。
 ついには頭に血が上り、春華の体はふらりと横に流れた。 口づけに夢中になっていた雪(せつ)は、春華の異変にすぐには気づかない。 気づいた時には、雪の体も引き寄せられるように斜めへと傾いていた。「春華!?」 異変を察知した雪が声を発した直後、派手な水しぶきが上がる。ちょうど欄干のない池の縁にいたことが災いした。二人の体は闇が渦巻く池の中へと投げ出されたのだった。
「春華、大丈夫!?」 すぐに水面から顔を出した雪が、沈んでいきそうになっている春華の腕を引っ張り上げる。幸い、立ち上がれば、水位は腰の位置よりも低かった。 池の水を飲んでしまった春華は、ゴホゴホとせき込みながら何とか言葉を口にする。
「……ああ。ごめん、巻き込んでしまって。ずっと息を止めていたから、頭に空気が回らなくなってしまったみたいだ」「息を止めていた?」「だって、口づけを交わしていただろう? あんなに長かったら、息ができないぞ」 責めるような響きをはらんだ恋人の言葉に、雪は目をしばたたいて
反論する。「唇がふさがれていても、鼻で息をすればいいだろう?」「そんな器用なこと、私にはできない」「器用? 鼻呼吸なんて、簡単なことじゃないか。今やってみればいい。……ほら、できるだろう?」 雪が手本を示すと、春華もそれを実践してみせたが、すぐ首を横に振った。「今はできるが、状況が違う。雪の顔があんなに近くにあったら、思考が固まって、呼吸の仕方も全部忘れて
しまうんだ。危ないから、口づけする時は短めにしよう」「春華――」 雪が困った顔で反論しようとしたその時――。 周囲を取り巻く色彩の変化に、二人はそろって息を呑んだ。 ――翡翠(ひすい)の海。 かつてこれほど幻想的で美しい光景を目にしたことがあっただろうか。
 宝石のような光をまとった数十に及ぶ蛍が、水面に碧の輝きを反射させている。 夏の終わりが近いというのに、一体どこにこれほどの蛍が潜んでいたのだろう。 闇さえも覆い尽くす、その様相は水面から放出される光の洪水。低空で舞い踊る幽艶(ゆうえん)な花火だ。 春華と雪の口元に、自然と笑みがこぼれる。 浮上していく蛍火を辿れば、螺鈿(らでん)のような光彩を放つ満天の星。
 二人はそれまでの会話も状況も全部忘れて体を寄せ合い、神秘的なその光景に見入っていた。「……あっ! 今そこで、鯉が飛び跳ねなかったか?」 その時、春華は近くの水面に何かが吸い込まれていったような気がして声を上げた。「ああ、わたしもそんな気がする」「何色だったと思う? 私は黄金色のような気がしたんだが」 “黄金色の錦鯉が池から飛び跳ねるのを見た恋人たちは、永遠に幸せになれる”
 この池にまつわる噂話が春華の脳裏をかすめた。「わたしも黄金色だったと思うよ。でも、鯉のことなんてもういいじゃないか。わたしたちは最も大切なことに気づけたのだから」 雪は穏やかな笑みを浮かべて春華の体を抱き寄せる。「ああ。そうだな」 春華もやわらかく微笑み返して、雪の瞳を見上げた。大切なのは、互いを
強く想い合い、素直な気持ちを伝え合うことだ。「春華、復習しようか」「えっ、復習?」 一体何の話なのか。口を開きかけた刹那、春華の唇は冷ややかな体温に包まれた。 風は凪ぎ、二人の時間が止まる。