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ホワイトハート X文庫 | 今月のおすすめ

欧州妖異譚シリーズWeb限定 特別番外編

神従の獣 ~ジェヴォータン異聞~ 欧州妖異譚9 篠原美季/著 かわい千草/イラスト 定価:本体630円(税別)

神従の獣 ~ジェヴォータン異聞~

大人気シリーズ、欧州妖異譚の最新刊の発売を記念して、本編の後日談となる特別番外編「すべてのあとで笑う者」をお届けします。初版限定・書き下ろし小冊子付きに掲載の「腹ペコのピクニック」とあわせてお楽しみください!

Web限定 特別番外編 「すべてのあとで笑う者」  午後五時。 夕方に差しかかったとはいえ、まだ十分明るい太陽の下、パリへと向かう車の中で、助手席に座るユウリ・フォーダムが、「ふわっ」と小さく欠伸をした。 その様子を横目でとらえたシモン・ド・ベルジュが、ハンドルを握ったまま言う。「眠そうだね、ユウリ」「ごめん」「構わないよ。良かったら、寝ていくといい。パリに着くまで、まだちょっとかかりそうだから」 優雅な貴公子らしい泰然とした様子で勧められるが、だからといって「それなら、お言葉に甘えて──」とはならない。  眠気を覚ますように身体を起こしたユウリが、答える。「大丈夫だよ。それに、眠いと言えば、シモンのほうが眠いんじゃなく?」 なんと言っても、昨夜、ベルジュ家に降りかかる災難を回避するためにあれこれ奔走したのは、ユウリだけではない。シモンと、あと一人──。ただ、その残りの一人のことは今は考えず、ハンドルを握る友人の塑像のような美しい横顔を見つめ、ユウリは続ける。「今朝だって、シモンは早起きしたって」 すると、品行方正なシモンにしては珍しく、堂々たる脇見運転になって、ユウリのほうをふり向く。「あれ。もしかして、ユウリ。まだ、朝食のことを根に持っているのかい?」「まさか」 意外なところをつかれ、ユウリが驚いて否定する。「──というか、根に持つもなにも、本当に恨んだつもりはないんだけど、信じてもらえない?」「そうだね。僕だって信じたいけど、でも、あの時のユウリの表情を見てしまったあとでは、そうも言ってはいられなくて」 嘆かわしそうな友人の口調に、ユウリが小さく首をすくめた。「だから、それは、本当に悪かったと」 「あれ。もしかして、ユウリ。まだ、朝食のことを根に持っているのかい?」「まさか」 意外なところをつかれ、ユウリが驚いて否定する。「──というか、根に持つもなにも、本当に恨んだつもりはないんだけど、信じてもらえない?」「そうだね。僕だって信じたいけど、でも、あの時のユウリの表情を見てしまったあとでは、そうも言ってはいられなくて」 嘆かわしそうな友人の口調に、ユウリが小さく首をすくめた。「だから、それは、本当に悪かったと」 とたん、シモンがクスッと笑い、前を行く速度の遅い車を避けるために車線変更をしながら謝る。 「ごめん、冗談だよ。本気で落ち込まないでくれるかい?」 かく言う二人は、ベルジュ家の城で、シモンの双子の妹であるマリエンヌとシャルロットの誕生日会が開かれた翌日、ピクニックがてらの昼食を終えたあと、週明けの日常生活に備え、帰途についたところだ。 シモンの場合、自宅である城を出てどうするのかということになるが、パリ大学に通う身であれば、普段はパリ市内にあるパッシー地区の別宅で暮らしているので、ユーロスターの発着駅である北駅まで送りがてら、自分も移動してしまうつもりだ。 シモンが続ける。「それで、話を戻すと、そんなに眠いなら、無理してユーロスターで帰らなくても、ヘリでロンドンまで帰ればいいじゃないか。今からでも、手配できるけど?」 シモンの再三の勧めに対し、贅沢が嫌いなユウリは頑なに辞退する。「ユーロスターで十分だよ」 それも、ユウリ自身は二等でいいと思っている。 だが、当然のことながら、ベルジュ家が手配したのは一等車のチケットだ。 シモンにしてみれば、それだって譲歩の末のことで、本来なら、酔客が増えるこの時間帯、道中の危険を避けるため、ベルジュ家のヘリでロンドンまで送り届けたいと願っていた。「それなら、いっそ、僕がロンドンまでついて行って、ヘリで戻って──」 冗談ともつかない口調であげられた提案は、ユウリが最後まで言わせずに却下する。「それって、なんの意味があるのかわからないよ。とにかく、そんなに心配しなくても大丈夫だから、シモン。読んでしまいたい本もあるし」 「だけど、ユウリ」 反論しかけたシモンを遮るように、その時、ユウリの携帯電話が着信音を響かせた。 それは、二人の友人であるアーサー・オニールからの電話で、ユウリが「アーサーだ」と呟くのを聞き逃さなかったシモンが、前方を向いたまま、「あ、そうだ」と思い出したように告げる。「彼、たぶん、君のことを心配して電話してきたんだよ」「心配?」「うん。……すっかり忘れていたけど、オニールは、君がまだアシュレイと一緒だと思っているはずだから」「そうなんだ?」意外そうに受けたユウリが、ひとまず電話に出る。「もしもし、アーサー?」 とたん、運転席のシモンにも洩れ聞こえるくらいの勢いで、電話の向こうのオニールが喚き立てる第一声がした。『ユウリ!?』 とっさに耳を放したユウリが、すぐに携帯電話を近づけてしゃべり出す。「うん、僕だよ。──ううん、アシュレイは一緒じゃない。……うん、そうなんだ。ごめん、心配させたみたいで。──え? アシュレイと話したんだ?──ああ、それは、災難だったかも」 電話口で苦笑したユウリが、続ける。「そう。今は、シモンと一緒で、パリに向かっているところ。……うん。あ、ううん。シモンだって明日の準備があるし、北駅に着いたらすぐに乗るよ。……ああ、そうだね。それくらいになるかな。──え?」 そこで、急に声色が変ったため、シモンがチラッとユウリを見る。どうやら、驚き焦っているようだ。 その理由は、次の一言で知れた。「駅まで迎えにって、そんな必要ないよ。タクシーで帰るから。──え?──話って、なんの?」 それからしばし、ユウリは沈黙する。おそらく、オニールの言い分を聞いているのだろう。 シモンが推測するに、シモンに劣らずユウリに対し過干渉になっているオニールが、一人ロンドンでやきもきしていたこの週末の出来事を、なんとしても今日中に聞き出そうと説得をしているに違いない。そして、オニールの熱意をもってすれば、人の好いユウリがあっという間に陥落するのもわかっていた。 案の定、ややあって、ユウリがため息とともに妥協する。「まあ、そうだね。──わかった。──じゃあ、あとで」 このあと、会うことを明示する挨拶をして電話を切ったユウリに、シモンが確認する。「オニールに会うことにしたのかい?」 「うん」「どうせ、大学で会うんだから、明日でもいいだろうに」「僕もそう思ったんだけど、どうやら、昨日、僕の携帯に電話をしたら、アシュレイが出てひどいことを言われたみたいなんだ。それで、どうにも腹の虫が収まらないらしくて」「だからって、それをユウリにぶつけるのも、どうかと思うけどね」「でも、当のアシュレイが簡単につかまるとは思えないし、そうなると、僕のせいで嫌な思いをしたのなら、僕が聞いてあげるのが筋だから」「筋ねえ」 まったくそうは思っていない口調で繰り返したシモンに、ユウリが「そういえば」と話題を変える。「今回、なんだかんだ言っても、アシュレイは、ただで人助けをしたわけだよね。それって、どういう風の吹き回しかな?」  さすがのユウリも、アシュレイのただ働きには疑問を持たずにはいられないようであるが、シモンの答えは、あっさりしていた。「どういう風の吹き回しもなにも、あの人は、いつも通りさ」「でも、何も要求されなかったんだよね?」「まあ、確かに要求はされなかったけど」 そこで、一拍置いたシモンが、告げる。「代わりに、勝手に報酬を持っていったよ」「勝手に?」 驚くユウリに、シモンが淡々と説明する。「うん。今朝、気づいたんだけど、図書室の本が一冊なくなっていた。アラビア語で書かれた古い写本のレプリカなんだけど、ただ、レプリカと言えども、ファクシミリ版の限定本で、なかなか手に入るものではなくてね」 「アラビア語……」 その一瞬、ユウリの脳裏に浮かんだ光景。 随分前のことのように思えるが、ほんの一日前のことに過ぎない。 遠い目をしたユウリの横で、シモンが言う。「それで、その本の置いてあった場所に、譲渡証があった。どうやら、サインして送れってことらしい」 その相手の意向を無視したやり方は、なんともアシュレイらしい厚かましさで、視線を戻したユウリが心配そうに尋ねる。「それで、シモンはどうするつもり?」 だが、優雅な口調で「別に」と受けたシモンは、本当になんでもないことのようにのたまった。「要求通り、譲渡証にサインして送るよ」「本気?」 「うん。──というか、僕としては、あのひとの『無償』なんていう気味の悪い行為を受けるよりは、その方が遥かにマシだから」「──なるほど」 それは、なんとも説得力のある言葉で、ユウリは深く納得する。 そんな二人の乗せた車の前方には、近代化されつつあるパリの建物群が小さな塊となって見えていた。 イラスト