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ホワイトハート X文庫 | 今月のおすすめ

2010年下期 ホワイトハート新人賞受賞作! 槻宮和祈(つきみや かずき) 著 『太陽と月の邂逅 ハプスブルク夢譚』 太陽と月の邂逅 ハプスブルク夢譚 黄昏のハプスブルク王朝……。 “人喰い城”の地下に棲むのは、碧(あお)い目の妖獣! 太陽と月の邂逅 ハプスブルク夢譚 『太陽と月の邂逅 ハプスブルク夢譚』 槻宮和祈/著 氷栗 優/イラスト 定価:本体630円(税別) 太陽と月の邂逅 ハプスブルク夢譚 新人恒例インタビュー!
デビュー作の『太陽と月の邂逅 ハプスブルク夢譚』はWH新人賞受賞作ですが、受賞の知らせを聞いたときのことを教えてください。
着信があったのは、会社のロッカーの前でした。一緒に帰る約束をしていた後輩が奇声を発した私を唖然(あぜん)として見てました。
『太陽と月の邂逅』を書こうと思ったきっかけは?
妄想の飛躍ですが「アラビアのロレンス」という映画に刺激されて。この映画を見てもやもやしたら、あなたは私の同志ですハート
作品を書く上で、苦労したのはどんなところですか?
とにかく小説が長くなってしまうこと。無駄な描写と必要な描写の判断が苦手で、最後は電卓たたいて呻(うめ)いていました。
お気に入りのシーンはありますか?
この小説には、親友(恋愛関係にはならない)同士の遣り取りが出てくるんですが、そういう何気(なにげ)ない会話が大好物です。
親友同士のレオポルトとマクシミリアンは二人とも魅力的な男性ですが、どちらが好みのタイプですか?
どっちも嫌です(笑)
あとがきによれば、投稿前にお姉さんに読んでもらったそうですが、その反応は?
「びっくりした」。今まで普通の小説(?)しか書いてなかったので、そりゃ驚くでしょうね(笑)。問題は姉と好みが全く違うこと。彼女は「××は×!」とずっと駄々をこねておりました(自主規制)。……私には無理です、姉上。
好きな本や映画を教えてください。
映画は昔の映画が好きで、エリザベス・テイラーとヴィヴィアン・リーが大好きです。作家は三島由紀夫、村上春樹、最近では恒川光太郎。ランボーの詩も好きです。
好きな言葉はなんですか?
「人生は彩られた影の上にある」。『ファウストより』。含蓄たっぷりで、美しい。大好きな言葉です。
幸せを感じる瞬間はどんな時ですか?
仕事が終わった金曜日の夜、紅茶を片手に未読の本を開く時。ペットの金魚と会話をしている時。
今後、どんな作品を書いてみたいですか?
舞台や年代がどこであっても、「人間」を書けるようになりたいです。これが一番難しいと思います。
読者のみなさまにメッセージを!
作者の自己満足にならないといいな、と思っています。伝えたいこと、書きたいことを表現するというのは非常に恥ずかしいことなのですが、何かがみなさまの心に残れば、これ以上嬉しいことはありません。
『太陽と月の邂逅』 その時代と人物
『太陽と月の邂逅 ハプスブルク夢譚』は19世紀末の中欧が舞台の物語。主人公のレオポルトとマクシミリアンはオーストリア・ハンガリー帝国の軍人という設定です。19世紀末のヨーロッパといえば、民族運動が盛んになり、オーストリア・ハンガリー帝国も多くの独立運動の火種を抱えていました。もちろん、この小説はフィクションですが、「流離(さすら)いの皇妃」といわれたエリーザベトや、「狂王」ルートヴィヒ2世、さらには、「マイヤーリンク情死事件」で知られるルードルフなど、歴史上に実在した人物も登場します。彼らのことを知っていれば、より深く『太陽と月の邂逅』を楽しめるかもしれませんよ!
「流離い」の動機は姑との不仲!?
エリーザベト・オイゲーニエ・アマーリエ(1837〜1898)
エリーザベト
 バイエルンのヴィッテルスバッハ公爵家の次女として生まれたエリーザベトは、少女の頃からその美貌を謳われていた。そして、その美貌ゆえ、彼女は歴史の表舞台に立つことになる。本来は姉のヘレーネのお見合い相手だったオーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世が、エリーザベトの美貌を見そめ、結婚を申し込んだのだ。そして、彼女は16歳で結婚、皇妃となる。
 だが、その結婚生活はけっして幸せなものではなかったようだ。自由闊達に育った彼女は、姑のゾフィーが取りしきる厳格な宮廷生活に耐え切れず、療養などを名目にイタリアやギリシャなど世界各地を旅行。その間、彼女の子どもたちが、なかば姑のゾフィーに取り上げられてしまった状態だったこともあり、皇太子となるルードルフらの子育てにもほとんどかかわることなく、帝都ウィーンには滅多に近づかない生活を続け、「流離いの皇妃」と呼ばれた。
 そして、晩年の彼女を最大の悲劇が襲う。皇太子ルードルフが、マイヤーリンクの狩猟用ロッジで、愛人の男爵令嬢、マリー・ヴェッチェラと心中してしまったのだ(暗殺説もある)。これ以降、彼女は常に喪服を纏(まと)ったままだったという。 そして、彼女自身の最期もまた哀れなものであった。スイス・レマン湖のほとりでイタリア人の無政府主義者、ルイジ・ルケーニに心臓を刺され、あっけなくその波乱の生涯を閉じる。



コラム ウエスト50cmの秘訣!? 恐怖の「肉ジュースダイエット」
エリーザベト
 若き日のエリーザベトは、美貌の皇妃としてヨーロッパ中にその名を知られていた。自身も、その美への執着は凄まじく、様々な美容法やダイエットを実践していたという。中でも驚くのが、「肉ジュースダイエット」。牛のモモ肉から血を搾り、それを毎日のように飲んでいた。また、肌にもいいということで、その生き血を顔に塗ったりもしていたという。いくら「惚れた女房」とはいえ、これには夫の皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世もゲンナリしていたようだ。だが、この「肉ジュースダイエット」のおかげだろうか、エリーザベトは、4人の子供を産んだ後も、身長172cm、体重50kg、ウエスト50cmという驚異のプロポーションを維持していたという。
お城が好き、ワーグナー大好きの「メルヘン王!」
ルートヴィヒ2世(1845〜1886)
ルートヴィヒ2世
 のちに「狂王」と呼ばれることになるルートヴィヒ2世は、エリーザベトから見ると、「従兄の子」にあたる。女性嫌いであったルートヴィヒ2世だが、不思議とエリーザベトには心を許していたという。夢見がちな性格で、とんでもない浪費家という共通点が、二人に親近感を抱かせたのだろうか。また、若き日の美貌も二人の共通点だ。視察に来た20歳頃のルートヴィヒ2世を目撃したバイエルンの一兵士は「この神のような若者は、この世の中を生きていくにはあまりに美しすぎるのではないか」という、不吉な予感すら抱いたという。
 1864年、父王の崩御にともないバイエルン王となった彼が最初にしたことは、幼い頃から憧れていた作曲家、リヒャルト・ワーグナーを宮廷に呼び寄せ、そのパトロンとなることだった。このワーグナーへの援助は非常に手厚いもので、家臣や国民からの批判を招いた
 彼がワーグナーの次に熱中したのは、城の建設だった。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったともいわれるノイシュヴァンシュタイン城や、ヴェルサイユ宮殿を模したへレンキムゼー城、トリアノン宮殿を模したリンダーホーフ城など、贅を尽くした城を次々に建設していく。
 これらの築城は、バイエルン財政の大きな負担となった。1866年、普墺戦争が勃発。オーストリア側で参戦したバイエルンは敗戦国となり、多額に賠償金を支払わなければならず、バイエルンの経済は恐慌状態だったのである。
ノイシュバンシュタイン城
全力でメルヘンしているノイシュヴァンシュタイン城
 だが、ルートヴィヒ2世は相変わらずメルヘン世界の住人であった。それどころか、彼の奇行は次第に加速していく。食卓に肖像画を飾り、それに話しかけながら食事をしたり、深夜に橇(そり)遊びをして騒ぐなど、常軌を逸した行動が目立つようになる。
 この状況を危惧した家臣たちは、ルートヴィヒ2世の廃位を画策。1886年6月8日、4人の医師はルートヴィヒ2世が精神を病んでいると認定し、彼は王の座を追われる。身柄を拘束され、ベルク城に送られたルートヴィヒ2世は、翌日の6月13日、許可を得て医師のグッデンとともに散歩に出かけたが、二人が城に戻ることはなかった。捜索の結果、二人は城の近くにあるシュタルンベルク湖で水死体となって発見された。二人の死因は水死と見られるが、その死の詳細は今も明らかになっていない。
コラム メルヘン王と文豪の意外な接点!?
森鴎外
いわずと知れた文豪・森鴎
 ルートヴィヒ2世の人生とその謎の死は、多くの芸術家にインスピレーションを与え、彼をモデルにした小説や映画は数多い。そして、日本人の中にも彼の死をいち早く知り、強い衝撃を受けた人物がいる。作家の森鴎外である。彼は当時、バイエルンの都にあるミュンヘン大学に留学していたのだ。ルートヴィヒ2世の死を報道で知った鴎外は、その「独逸(ドイツ)日記」の中でこの事件のことを記し、医者らしく、ルートヴィヒ2世の入水自殺に巻き込まれたとされる医師のグッデンに深く同情している。そして、のちにこの事件を背景にした小説「うたかたの記」を執筆するのだ。