WEB限定小説
『花の下 ふたたびの愛』特別番外編
「溺愛のススメ」
火崎 勇
「王の婚約者候補として送り出したはずなのに、王弟の婚約者になるとはな。もちろん、王弟殿下との婚姻も、我が家にとってはよいことだが……。それで、どうなのだ? シルヴィオ殿下は? おとなしい陛下に比べて精力的な方らしいじゃないか。政務にも積極的に参加なさってるらしいと。お前という強力な後ろ盾を得て、王位に興味をお持ちになっていないか?」
「失礼しちゃうわ。エルカードお兄様ったらそんなことを言うのよ」
夏に向かう王城の庭を、婚約者である王弟殿下のシルヴィオと一緒に歩きながら、憤懣やるかたないというふうに話す私に、彼は穏やかな笑みを見せた。
「それで、ティアーナは何と答えたんだい?」
「もちろん、決まっているわ。シルヴィオ様はそのような野心をお持ちではありません。お兄様を愛してらっしゃるのですから、心からお仕えするとおっしゃってました、よ」
まだ怒りのおさまらない私の手をとって、彼が植え込みの陰に誘う。
庭園のあちこちに設けられた人目には触れない休息所。密会の小部屋のような空間は、警護の兵が身を潜める場所でもあり、男性方の密談の場所でもある。
けれど今は恋人たちの小部屋ね。
こういう空間は庭に幾つもあるのだけれど、ここが私達にとって特にお気に入りの場所だった。
初めて出会った場所とよく似ているから。
置かれていたベンチに二人並んで腰を下ろすと、いつでもあの頃に戻れる。
でも今はちょっとそういう気分になれない。お兄様の言葉のせいで。
「そんなに怒ることはないのに」
と、まだ手を繫いだまま、また優しく微笑む。
「怒りますわ。だって、シルヴィオのお気持ちとは全然違うんですもの」
「だがこれから先もずっと言われることだ」
優秀ではあるが穏やか過ぎる国王陛下と、同じく優秀であり、精力的な腹違いの王弟。
確かに、一般的に見れば両者の間に王位の争奪戦があると思われても仕方がないだろう。
何も知らなければ、だ。
私はちゃんと知っている。シルヴィオがどれだけお兄様を想っているか。
妾妃の子であるシルヴィオを、亡くなられた前王妃様はご自分の子供と同じように愛して育ててくださった。兄であるライアス様も、弟として大切にしてくださった。
だから、彼は本当に、心から陛下をお支えするつもりなのだ。
なのにエルカードお兄様を始めとした他の方々はそれを信じてはくださらない。
「昨日も、数人の貴族が私に『あなたこそ王に相応しいかもしれません』と言ってきた」
「まあ、それは現国王に対する不敬罪ですわ」
「『かもしれない』と付けているところが巧妙だ。仮定の話、あくまで想像にすぎないと済ませることができる。そう言われて私が悦べば、もう少し突っ込んだ言葉をくれたかもしれないがな」
彼は笑っているけれど、私は不満だった。
「あなたはそれを怒らないの?」
「怒らないな。むしろありがたいと思っている」
「ありがたい?」
「私に声をかけるということは、兄を裏切る可能性が高いということだ。兄に対して二心を持っている人間のあぶり出しができる。要注意人物が早めにわかるのはよいことだ」
シルヴィオは私とは違うわ。
感情的ではなく、ちゃんと先のことを考えているのね。陛下のことも。
「それなら、我慢するしかないわね……」
「だが、私は君が嫌な思いをするのも歓迎しない。だから、一つ提案があるのだが、協力してくれるかい?」
「私にできることなら何でも」
「君にしかできないことさ」
彼のお手伝いができることがあるのなら、とても嬉しいわ。
「まずは、君が王妃と仲良くなることだ」
「それは当然のことだわ。私は王妃様が大好きですもの」
「次に、私に愛されることだ」
言われて少し頰が赤らむ。
「それも当然のことです。そうしていただかないと困ります」
私が答えると、彼は嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「でもそれが何の役に立つの?」
私が訊くと、彼は静かに頷いた。
「兄の王位を狙うことができない弟というものは、どこかに欠点がなければならない。この欠点があるから無理だ、と思わせるような。だが私は仕事で手を抜くことはしたくない。それでは兄を手伝って国をよくすることはできない。だから、国政については手を抜かない」
「ええ」
「けれど妻への愛に溺れているという『欠点』ならばすぐにでも作ることができる。何せ、事実だからな」
「欠点だなんて……」
「政務をおろそかにはしないが、王位よりもティアーナの方が大切。ティアーナが嫌がることはしない。君が王妃と仲が良いなら、妻の友人を苦しめるようなことはしない。君が望まないのなら、王位も欲しくない。ただそれをするには二つ問題があるので、君の了解をとらなければならないな」
「何でしょう?」
「私に王位簒奪を囁いていた者が、今度はティアーナに向かうかもしれない。夫を王にしたくはないか、と。その囁きに負ける君とは思わないが、そのような連中の相手をさせるのはしのびない」
「それは大丈夫ですわ。私は侯爵家の娘として政治的に利用されないような教育は受けているつもりです」
「うむ。君の父上は政務官筆頭としてよく兄上を支えてくれている。恐らく、君の兄君が君に問いかけたのも、兄上を慮ってのことだろう。私に謀反の芽があれば摘み取ろうと思って。だからそう怒ってはいけないよ」
「……それならば仕方ないですわね。お役目ですもの。それで、もう一つは何ですの?」
問いかけると、彼は悪戯っぽい表情を浮かべた。
「私に愛されること、と言っただろう? 二人だけで愛し合っていても、誰にも気づかれないから私がティアーナにメロメロだということを皆に示さねばならない。だから、私が何をしても受け入れてくれなければ」
「受け入れるって……、どのようなことを?」
彼は握っていた手を離し、その手を私の腰に回して引き寄せた。
「たとえば、私が人前で君の容姿を称賛する。『黄金の髪と蒼穹の瞳』『花の精のように美しい』『私の心を捕らえて放さない魅力がある』。当然『愛している』とも繰り返すだろう」
褒めすぎの言葉に、照れてしまうが、彼は気にせず続けた。
腕が更に私を引き寄せ、青い瞳で真っすぐ私を見つめる。
「他の男の手を取れば不機嫌になるし、近くにいれば抱き寄せる」
「あ、あの……。シルヴィオ?」
「顔が近づけばキスしてしまう」
と言ってるそばから顔が近づく。
「顔が近いわ」
「近づけているからね」
「どうして……」
「言っただろう? 顔が近づいたらキスしてしまうと。だからキスするために近づけているんだ。このくらい近づくと、私は勝手に君にキスをする」
彼は有言実行とばかりに、軽いキスをした。
それから、ずっと浮かべていた笑みを消して、真剣な顔で呟くように言った。
「本当に、私は王位などいらない。君だけがいればいいんだ。愛する者が、私と共にいてくれるだけで……」
切ない響き。
そして与えられる深いキス。
私は、彼の言葉の意味を知っている。
彼が恐れているものも、求めているものも。
あなたが地位や権力よりも愛を望んでいることを、知っている。
だから彼が愛しくてたまらない。
私を愛してくれてよかったと、愛を思い出してくれてよかったと、心から思う。
彼がゆっくりと唇を離し、私に微笑む。
「君がこの腕から消えないでくれれば、それでいいんだ」
だから私はこう言った。
「消えたりしませんわ。ずっとそばにいます」
「ティアーナ」
「だから、私達が愛し合ってることを、皆に示しましょう。私、皆にこう言いますわ。『シルヴィオは私に夢中で、王位のことを考えてる暇はないのよ』って」
この腕の中にいることが、一番幸福なのだと伝えるために。
彼の胸にこの身を任せながら……。
(初出:『花の下 ふたたびの愛』Amazon限定特典)