講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

『古都妖異譚 アラバスターの鐘』特別番外編

「アラバスターの鐘 ~イタリア編~」

篠原美季


     1
 
(あの子……)
 シモンの出張に付き合ってイタリアの地方都市に来ていたユウリは、街中をふらふらと歩く少年の姿に目を留めた。まるで、この世から逸脱してしまっているかのような浮遊感が漂う少年だ。
(大丈夫かな?)
 通りの向こう側を歩き去ろうとしているうしろ姿を見ていた彼は、どうしてもその少年のことが気になり、あとを追おうと一歩踏み出した。仕事を終えたシモンが来るまで、まだ少し余裕がある。
 だが、その足を止めるようにすぐそばでクラクションが鳴らされた。
 ドキッとしたユウリの前に一台の四輪駆動車が滑り込み、軽いブレーキ音を立てて停車する。次いで、何事かと思う間もなくスモークガラスの窓が降り、運転席から揶揄するような声がした。
「急に道に飛び出そうとするとは、世をはかなんで自殺でもする気だったか、ユウリ?」
 その声に聞き覚えのあったユウリが車内を覗き込むと、案の定、そこには彼の雇用主であるアシュレイの姿があった。
「――アシュレイ!?」
 ユウリが驚くのも無理はない。ロンドン市内ならともかく、ここはイタリアだ。しかも大都市圏をはずれた場所である。一緒に来たわけでもどこかで落ち合う約束があったわけでもないのに出会ってしまうなど、偶然の一言では片付かない。
「こんなところで、なにをやっているんですか?」
 思わずユウリが尋ねると、相手からも同じ疑問が返される。
「それは、こっちの台詞だ。こんなところでなにをやっている?」
「僕は、シモンの仕事に付き合って遊びに来ただけですけど……」
「へえ、遊びにねえ」
 皮肉げに応じたアシュレイが、「それで」と言う。
「退屈が極まり、車の前に身を投げ出そうとしたのか」
「――してません!」
 速攻で否定したユウリが、「ただ」と説明する。
「なんか気になる子がいたから……」
「子?」
 その言葉に反応したアシュレイが、確認する。
「子どもがいたのか?」
「はい」
「一人で?」
「そうです」
「あり得ないだろう」
 欧米諸国ではあらゆる犯罪から子どもたちを守るため、子守のいない状態で両親が外出したり、学校の行き帰りに大人のつきそいがないことに対し、厳しい罰則が設けられていることが多い。
 逆に言うと、それくらい誘拐や性犯罪に巻き込まれる可能性が高いということだ。
 ユウリが同意する。
「そうなんですよ。それで僕も変だな……って」
 すると、底光りする青灰色の目を細めたアシュレイがさらに確認する。
「――本当にそれだけか?」
「え?」
 小首をかしげて訊き返したユウリに対し、アシュレイが「だから」と言い換える。
「他にもっと重要な引っ掛かりがあったんじゃないのかと言っているんだよ」
「重要な……」
 言われてユウリが考え込んでいると――。
「……ユウリ?」
 背後からシモンに呼ばれた。その声が若干不審げであったのは、ユウリが誰のものとも知れない車の運転席に向かって半身を乗り出すようにして話していたからだ。
 シモンが続けて訊く。
「もしかして、なにかトラブルかい?」
「あ、シモン」
 振り返ったユウリが、「トラブルではないけど」と簡潔に報告する。
「びっくりしたことに、アシュレイがいた」
「アシュレイが?」
 シモンも驚いた様子で澄んだ水色の目を見開いてから、すぐに顔をしかめて応じた。
「それは、たしかに驚きだし、トラブルではないどころか、最大級のトラブル発生じゃないか」
 言いながら車内を覗き込み、心のこもらない挨拶をする。
「どうも、アシュレイ。妙なところで会いますね」
「だから、それはこっちの台詞だ」
「まあ、そうか。――でも、こうして偶然会ったからといって、このあと行動をともにする必要はないですよね」
 すぐにでもこの場から離れたそうなシモンに対し、アシュレイが鼻で笑いながら言う。
「それはどうかな?」
 それから、シモンの横にいるユウリを呼んで尋ねる。
「――で、どうするんだ、ユウリ。あとを追うのか、追わないのか。追うなら、とっとと追わないと見失うぞ」
「あ、はい」
 慌てて車内に顔を戻すユウリを見て、シモンが軽く首をかしげて「追う?」とつぶやいた。事情を知らないシモンは、当然その言葉に疑問を覚えたのだ。
「追うって、誰をだい?」
 ユウリが答える。
「男の子。一人でふらふら歩いていたんだ。なんか、放っておけない感じで」
「一人でふらふら……ねえ」
 それはたしかに気になる、という口ぶりで繰り返したシモンが、助手席に乗り込むユウリに続く形で後部座席のドアを開けた。
 とたん、アシュレイの嫌みが飛んでくる。
「こいつに保護者は必要ないと思うが?」
「僕はユウリの保護者ではなく、守護者ですから。――オオカミの檻に入るなら、それ相応の防御が必要でしょう」
「――誰がオオカミだって?」
「オオカミが嫌なら、熊でもライオンでも、好きな動物にたとえますよ。とにかく、あなたと行動するなら掩護射撃は必要です」
 そんなやりとりをしている間にも、アシュレイは豪快な運転で街中をすっ飛ばしていく。
 ややあって、助手席のユウリが「あ」と言って体を起こした。
「あそこ」
 前方を指さしながら、ユウリが説明する。
「あの青い看板の店のところに……」
 ユウリの声に反応して前方を見つめたシモンが、次の瞬間、アシュレイとバックミラー越しに意味ありげな視線をかわした。
 すぐに、シモンが言う。
「あの店、これから僕たちが行くつもりだった骨董店だよ。――僕たちの……というか、主に僕のだけど、目的地の一つだ」
「そうなんだ?」
 ユウリが意外そうに応じたところで、彼らは車を降り、問題の骨董店へ入っていった。

     2

「いらっしゃいませ」
 店主の柔らかな声に迎えられた三人は、打ち合わせもしていないのに自然と自分たちの役割を務める。
 真っ先に店主に応じたのは、もちろん、シモンだ。
「商品について問い合わせをしたベルジュです」
「ああ、はい。お待ちしておりました。──アラバスター製の天使像ですね。こちらへどうぞ。さすがベルジュ様です。なんともお目が高い。この作品については来歴も確かでございまして、正真正銘、古代ローマで作られたものです」
 案内されて店の奥へと進むシモンのあとをついて歩きながら店内を見まわしていたユウリに、アシュレイがうしろから小声で訊く。
「で、例の子どもはいるのか?」
「います」
 答えた瞬間、なにかに気づいたようにユウリがアシュレイを振り返る。
「あ、そうか。アシュレイたちには、あの子が見えていないんですね?」
 霊能力が高いユウリは、たいていの場合、自分の見ているものが異界のものかどうかを見極められるが、亡くなって間もない人間の生体エネルギーはあまりに生々しく、案外、見極めが難しいのだ。
「今頃気づいたのか?」
「はい」
「遅い」
「すみません」
 首をすくめて謝ったあとで、ユウリがある場所に視線を据えて言う。
「……彼は、なにを見ているんだろう。なにか、ショーケースの中のものが気になっているみたいなんです」
 すると、アシュレイがすぐさま前を歩く店主に告げた。
「ひやかしでついてきただけだが、ちょっと店内を見せてもらうぞ」
 シモンへの売り込みを中断された形の店主が、それでも笑顔を絶やさずに応じる。
「もちろんです。ご自由にどうぞ。なにか気になるものがありましたら、お声をおかけください」
 そこでユウリとアシュレイが少年の霊が覗き込んでいるショーケースの前へと歩いていく。その区画にはアラバスター製と思われる小物入れや小さな彫刻が並んでいたが、その中に一つ、同じくアラバスター製と思われる小さな鐘があり、ユウリはそれが気になった。
「たぶん、これだ……」
 ユウリのつぶやきに対し、アシュレイが訊く。
「どれだって?」
「この小さな鐘です」
 すると、皮肉げに笑ったアシュレイが、「これはまた」と言う。
「ふたたびの『アラバスターの鐘』ってわけか。随分とサイズダウンではあるが」
「そうですね」
「ただまあ」
 アシュレイが、博識なところを見せて続ける。
「アラバスターには邪気祓いの力があるともされているから、これもそんな意味を込めて、子どもを守るために作られた可能性はあるだろう。カウベルなんかは、もとは家畜に対する邪気祓いでつけられたとも考えられているからな」
「なるほど」
 納得したユウリが、「これ」とつぶやく。
「いくらくらいするだろう……」
 骨董品の値段はわからない。小さくても価値が高ければ、ユウリが即決で購入できる値段をはるかに超える場合もあるのだ。
 悩んでいると、アシュレイが勝手に言った。
「おい。追加だ、ベルジュ。この小さな『アラバスターの鐘』も買い物リストに加えておけ」
 慌てたユウリが「あ、いいよ、シモン」と撤回する。このあと、手元に残らないとわかっているものを買わせるわけにはいかない。
「僕が自分で買うから」
 だが、肩をすくめたシモンが、店主に対し「あれも」と告げた。
「買います」
 それに対し、店主が「よろしいんですか?」と確認する。
「たしかに珍しいものではありますが、作られた年代もわかりませんし、おそらくどこかの工房の職人があまったアラバスターを使って制作した余暇の趣味的なものにすぎず、さして価値があるとは思えません。――とはいえ、内側に金属板を貼り付けて補強し、きちんと音が鳴るようにしてあるなど、それなりに凝ったものであるのはたしかです。それで、私も面白いと思って蚤の市で購入したんですよ。ちなみに、小さな鐘は地域によっては子どもや動物のお守りに作られたりしますから、あるいはこれもそのような目的のもとに制作された可能性は高いでしょう」
「子どものねえ」
 苦笑したシモンが、当初の目的のものに加え、そのアラバスター製の小さな鐘も購入する。
 もちろん、それがこのあと、はかなくも消え失せるのは覚悟の上でのことだった。