一触即発、眞鍋組(まなべぐみ)の昇り龍と韋駄天(いだてん)が険しい顔つきで睨み合っている。双方、一歩も引かない。
指定暴力団・眞鍋組の二代目組長と特攻隊長の固い絆がついに揺らぐ時がきたのか。 宇治(うじ)はかつてない緊張に身体を強張らせていた。とてもじゃないが、口を挟める雰囲気ではない。二代目組長の側近たちも無言だ。 不夜城に君臨する清和(せいわ)は凄まじい迫力を漲らせながら、鈍く光る拳銃を手に取った。銃口を心の底から信頼していたショウに向ける。 「ショウ、俺に逆らうのか」 眞鍋組総本部の組長室に、清和の低い声が朗々と響く。 若い清和を侮った者は地獄に落ちた。極彩色の昇り龍を背負った清和は苛烈で、歯向かう者は容赦しない。すでに眞鍋組の昇り龍の名は恐怖の対象として夜の街に浸透している。 若い清和を支えている側近たちもそれぞれ名を馳せていた。眞鍋組の韋駄天と異名を取るショウに一目置いている極道は多い。宇治もショウの実力は認めるところだ。暴走族時代にはともに大型バイクを乗り回した。毘沙門天(びしゃもんてん)を刻んだショウがきっかけで、清和と盃を交わしたようなものだ。 「二代目が黒いカラスを白と言ったらカラスは白だ」 ショウは己に向けられた銃口にいっさい動じず、堂々と胸を張って言い返した。極道の心得は昔気質の顧問や舎弟頭に叩き込まれている。ショウは清和が命じれば、火の中にでも飛び込んでいくだろう。それなのに、今、ショウは清和の命を拒み、銃口を向けられている。 「わかっているなら」 「わかっちゃいるが、それだけは断るーっ」 ショウが仁王立ちで怒鳴ると、清和の鋭い双眸がさらに鋭くなった。 「ショウ……」 「二代目が死ねと言えば死ぬ、でも、それだけは絶対にいやっス、ここで二代目に撃ち殺されたほうがマシっス」 鬼のような顔で凄んだショウには死相が出ていた。宇治はショウの気持ちが痛いほどわかる。隣にいる卓や吾郎といった構成員たちも理解しているはずだ。 埒が明かないと判断したのか、清和はショウから宇治に視線を流した。 「宇治、俺がいない間、頼んだぞ」 宇治は眞鍋組の金バッジを胸につけて以来、清和に命を捧げている。求められれば、いつでも命を捨てる覚悟があった。しかし、今回ばかりは承諾できない。ショウに続き、宇治も清和に真っ向から逆らった。 「俺の命は二代目に捧げています。自由に使ってください。でも、それだけは勘弁してください」 宇治が下肢に力を入れて返事をすると、清和は拳銃を手にしたまま、大きな溜め息をついた。 「宇治、お前まで……」 清和に非難されても、宇治は怯まなかった。 「二代目、お言葉ですが、眞鍋の男、全員の気持ちだと思います」 宇治が若い構成員の気持ちを代弁すると、ショウは大きく頷いた。卓(すぐる)や吾郎(ごろう)といった若い構成員たちも相槌を打っている。 「お前ら……」 清和は目の前に並んでいる若い構成員たちの顔を見つめた。 ジーンズ姿の構成員も海坊主のような構成員も迫りくる恐怖に慄(わなな)いているが、決して清和の視線から逃れようとはしない。ここで負けたら終わりだと、誰もがよくわかっているからだ。宇治を筆頭に一致団結して睨み返す。 「二代目、俺たち眞鍋の男は戦争よりも何よりも姐(あね)さんが怖い。タイに行く前に姐さんをちゃんと説得しておいてください」 宇治が眞鍋組構成員たちの苦悩を訴えると、清和は低い声で唸った。 「っ……」 多大な恩を受けた名取(なとり)グループ会長の依頼で、眞鍋組はタイ・マフィアのルアンガイと交渉中だ。近々、清和はタイに渡る予定になっている。だが、清和は己の妻である二代目姐の氷川(ひかわ)に何も話していない。 「姐さんに何も告げずにタイに行くなんて、頼みますから、そんな恐ろしいことは絶対にやめてください。残された俺たちが束でかかっても姐さんを抑え込めません」 どうやら、清和は氷川には何も告げずにタイに向かうつもりのようだ。これで氷川が怒らないはずがない。残った宇治やショウに氷川を宥めようとさせている。 怒りを爆発させた氷川がどうなるか、宇治は想像さえしたくない。もちろん、断固として拒んだ。ゆえに、清和は凶器まで持ち出したのだ。たとえ、清和に撃ち殺されようとも無理なものは無理である。 「そこをなんとかするのがお前たちの仕事だ」 どちらかと言えば無口な清和が、今日に限ってやけに饒舌(じょうぜつ)だが、それだけ必死なのだろう。切れ者として名高い昇り龍は十歳年上の姐さん女房の尻に敷かれている。二歳と十二歳という出会った時が悪いのか、惚れた弱みか、理由は宇治でなくてもいくつも挙げられるが、氷川の前では猛々しい昇り龍も可愛いワンコになってしまう。 「姐さんなら、タイに二代目の愛人がいるんじゃないかと、タイに殴り込むかもしれません」 嫉妬に駆られた氷川が取りそうな行動を宇治が口にすると、ショウはその場で足を踏みならして同意した。 「姐さんならきっとタイに爆弾をブチ込む……ん、爆弾と一緒に殴りこむかも……」 清楚な美貌を裏切る性格には宇治だけでなく、眞鍋組全体が振り回されてきた。氷川を心の底から慕い、敬愛もしているが、すべてにおいて規格外なのだ。どこからどうすればそういった考えが出るのか、宇治にはそれすら理解できない。 「……いや、姐さんは俺たちが考えられないようなことをする」 宇治が氷川について述べると、ショウはがっくりと肩を落とした。 「……あんなに綺麗なのに中身はとんでもねぇ」 男の嫁を迎えた眞鍋の昇り龍の話は、前代未聞の珍事として駆け巡っている。初めは男の嫁と侮蔑していた輩(やから)も、楚々とした氷川をじかに見ると態度を変えた。男でもあれならわかる、と。 「男癖が悪い姐さんや金遣いの荒い姐さん、若いのをいたぶる姐さん、いろいろと問題のある姐さんはいますが、いくらでもやりようがあります。宥め方も接し方もわかる。でも、うちの姐さんはわかりません」 宇治が根性を振り絞って訴えると、清和は眞鍋組の頭脳と目されているリキに視線を流した。手にしていた拳銃もリキに預ける。 「リキ……」 清和がすべて口にしなくても、リキは確実に理解している。 「家庭内のことですから」 リキは誰よりも頼りになる男だが、プライベートにはタッチしない。今回の氷川の件に関しても突き放している気配があった。 清和もリキの性格を熟知しているので、それ以上、縋ったりはしない。眞鍋組随一の策士と囁かれている祐(たすく)に視線を止めた。 「祐、なんとかしろ」 清和の苦悩が迸るような声に負けたわけではないだろうが、平行線を辿る話をまとめられるのは祐しかない。祐はシニカルな微笑を浮かべつつ、調整に乗り出した。 「我らが二代目は姐さんにオムツを替えてもらっている。オムツを替えてもらった女房に頭が上がらないのはわかるだろう」 清和が話題にしたくない昔話を、祐はなんでもないことのようにサラリと言った。二代目組長夫妻の力関係は誰もが知っている。 祐が言外に匂わせていることに気づいて宇治は呻いたが、血気盛んなショウは雄叫びを上げた。 「俺たちは姐さんにオムツを替えてもらっていませんが怖いっス。姐さんに泣かれると困る。どこかの組と戦争していたほうがいい」 氷川の涙には清和のみならずショウも祐もてんで弱い。言うまでもなく、宇治も弱かった。泣かせたくない、と切に思う。 「姐さんに泣かれても困るけど、暴れられても困るな。実は俺は姐さんを置いてタイに行くのが恐ろしい。二代目が帰国するまで閉じ込めておくしかないかな?」 氷川を人間魚雷と称した祐は、荒っぽい手段を示唆した。眞鍋第三ビルには氷川を監禁できる部屋がある。宇治は監禁部屋と氷川の顔を交互に浮かべ、祐に文句を言おうとしたが、ショウのほうが早かった。 「どうやって監禁するんですか? 誰が監禁するんですか? 二代目が姐さんを監禁してからタイに行くんですか? 二代目は姐さんにそんなことできないでしょう? 姐さん、仕事を辞める気ないでしょう? どうするんですか? どうやってお守り……いや、どうやって宥めるんですか? 無理っスよぅ」 今までの氷川が脳裏に駆け巡っているのか、ショウは焦点の定まらない目でまくしたてた。支離滅裂で要領を得ないが、ショウの言いたいことは宇治もよくわかる。宇治が訴えたかったことだからだ。 「せめて仕事を辞めてくれたら」 宇治が独り言のようにポツリと漏らすと、ショウは涙目でコクリと頷いた。卓や吾郎も赤い目で同意している。 祐は男にしては繊細な手をひらひらさせながら言い放った。 「姐さんが出した仕事を辞める条件、覚えているか?」 氷川から提示された退職の条件はとんでもなかった。独身の構成員たちに男の嫁もらえと迫ったのだ。 「男の嫁、っスよね? いやだけど、何するかわからない姐さんを宥めるよりマシっス」 氷川付きのショウは虚ろな目で洟をすすった。だいぶ、追い詰められている。 男の嫁、という単語を意識した時、宇治の瞼に筋肉隆々のインストラクターが浮かんだ。甘く囁かれた口説き文句も耳に残っている。 『宇治、好きなんだ。一度でいいから考えてくれ』 逞しいインストラクターにはどんなに好意を寄せられても応えられない。生理的な嫌悪感を抱き、宇治は咄嗟に口元を押さえた。男の嫁なんてそう軽々しく言うな、と宇治は心の中でショウに毒づく。 「ショウ、男の嫁にあてがあるのか?」 祐がショウの前に立ち、顔を覗き込んだ。ショウは根っからの女好きでそちらの趣味はまったくない。宇治にしろそうだ。清和にそういう趣味があると知った時は腰を抜かしかけた。 「男の嫁……ああ、京介(きょうすけ)がいる。京介に嫁をさせる」 ショウは思いついたように、ホストクラブ・ジュリアスでナンバーワンの売上げを叩きだしている京介の名を出した。 宇治の脳裏に華やかな美貌を歪めた京介が浮かび上がったが、祐は満足そうに優しく微笑む。 「その手もあるけどね? ショウだけじゃなくて、独身はみんな、男の嫁をもらわないといけない。……卓、君に男の嫁の心当たりは?」 祐はにっこりと微笑んだまま、ジーンズ姿の卓に声をかけた。 「男の嫁……その手がありましたか……俺は京介に小さくて細いホストを紹介してもらいます」 何も本当に男の嫁をもらわなくてもいいのだ。氷川を退職させるため、男の嫁をもらったふりをすればいいのである。姑息な手段だが、ほかに術はない。宇治が唖然としている間に、眞鍋組の若き精鋭たちはショウと卓に続いた。 「俺も小さくて細いホストを紹介してもらいます」 ボディビルダーの警備員に求愛されている吾郎も、神妙な顔つきで男の嫁の希望を言った。要は自分が花嫁役にならなければいいのだ。 宇治も花嫁役の容姿の希望はならある。 「俺も小さくて細いホストを京介に紹介してもらいます」 眞鍋組の若き精鋭たちは究極の選択をした。もしかしたら、祐が書いたシナリオに乗せられたのかもしれないが……。 清和とリキは仏頂面で黙り込んでいるだけで、いっさい口を出さなかった。賛成していないことは確かだが、だからといって、ほかに手段が浮かばないのだろう。 「じゃあ、男の嫁をもらいに行こう」 祐の一声で眞鍋組の若き精鋭たちはホストクラブ・ジュリアスに向かった。禍々しいネオンが輝く街を悠々と進む。 途中、祐は真っ赤なバラの花束を買った。甘い顔立ちをした祐にバラの花束がよく似合い、思わず、宇治は見惚れてしまう。秀麗な彼はどこからどう見てもヤクザには見えない。 宇治の視線に気づいたのか、祐は意味深な笑みを浮かべた。 「宇治、申し訳ないが、今回、君の花嫁はできない。君の花嫁は俺が責任を以ってジュリアスで探すから許してくれ」 祐に女房役を頼むなど、攻撃の的になるようなものだ。宇治は氷川の猛攻に持ちこたえる自信がない。氷川に目をつけられないように、女房役はおとなしくて目立たないホストがよかった。 「畏れ多くて、祐さんに嫁さん役は頼めません」 宇治が真顔で言うと、祐は楽しそうに綺麗な目を細めた。 |