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龍の求婚、Dr.の秘密

樹生かなめ/著 奈良千春/イラスト 定価:本体690円(税別)

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STORY

龍の求婚、Dr.の秘密定価:本体690円(税別)

新郎新婦は《永遠の愛》を誓います!!

「清和(せいわ)くん、僕をずっとそばにおいてね」美貌の内科医・氷川諒一(ひかわりょういち)最大の秘密は、実の親が誰かということだ。ある夜、病院勤務中に亡き母の乳母だったという老婆に声を掛けられた氷川は、それをきっかけに過去の因縁に絡め取られてゆくことに……。運命の荒波に翻弄されながら、氷川は最愛の恋人にして眞鍋組の若き二代目組長・橘高(きったか)清和と、果たしてハッピーウェディングを迎えることができるのか!?

著者からみなさまへ

いつも「龍&Dr.」シリーズを応援してくださってありがとうございます。樹生(きふ)かなめが華燭の典を挙げない限り、氷川と清和に華燭の典はない……なんて力(りき)んでいたわけではありませんが、樹生かなめが連日ブッフェのはしごという過食の典を挙げたので、とうとう成婚です……というわけでもありませんが、ようやく氷川のウェディングドレスです。どうか、愛の集大成をご覧くださいまし。

初版限定特典

龍の求婚、Dr.の秘密

初版限定豪華SSイラストカード

「結婚式への招待状」より

 深夜、指定暴力団・眞鍋組の顧問宅にスクランブル警報が響き渡る。
 いったい何事だ、と瞬時に橘高典子は飛び起きた。隣では大事な裕也が寝息を立てて寝ている。
 夫である橘高正宗は……。

……続きは初版限定特典で☆

special story

書き下ろしSS

『龍の求婚、Dr.の秘密』番外編
「ウェディング・ベル」
樹生かなめ

 すべての始まりは台湾バナナだった。
 白百合の如き眞鍋組の二代目姐が、チョコバナナ屋台の聖母と化した夜。
「藤堂、あれはお前の差し金か?」
 眞鍋組の二代目組長に凄まじい目で睨まれ、藤堂和真は苦笑を漏らした。
 あれ、とは言わずもがな、チョコバナナ屋台で誰よりも輝いている氷川諒一のことだ。
「二代目、素敵な姐さんをお持ちで羨ましい」
「……おい」
「元紀がご舎弟に申し上げていましたが、最愛の姐さんにバズーカ砲を持ちだされるより平和ではないですか?」
「……っ」

続きを読む

 泣く子も黙る昇り龍が、最愛の姉さん女房には手も足も出ない。かつて眞鍋の昇り龍の弱点を虱潰しに探った身としては複雑な気分だ。藤堂はにっこりと微笑みながら追い打ちをかけた。
「姐さんは眞鍋第三ビルのプライベートフロアにいらっしゃるご婦人と一戦交えたくて仕方がないらしい」
 眞鍋第三ビルの最上階に二代目姐候補の涼子を留まらせる理由が、藤堂には手に取るようにわかる。眞鍋の魔女は抜かりがない。
「…………」
「二代目、見事な姐さんに愛されて幸いです」
 埒が明かないと悟ったのか、清和はお好み焼き屋の屋台で豚玉を焼いている桐嶋に切り込んだ。
「桐嶋の……」
「おう、眞鍋の、おおきに。今夜は眞鍋の姐さんや兄ちゃんたちがチョコバナナで盛り上げてくれとうで」
 じゅうじゅうじゅう~っ。
 音を立てて焼ける豚玉の向こう側で、桐嶋はにぱっ、と豪快に笑った。
 が、清和の鋭い目はさらに鋭くなった。
「……お前か」
「なんやなんや? チョコバナナとお好みをマリアージュさせて、チョコバナナお好みの行商でもやるんか?」
「……待て」
「姐さんにあないにチョコバナナ屋台が似合うとは思わへんかったで。ここはひとつ、信司を責任者にしてチョコバナナ事業を展開したらどないや?」
「……キサマ」
 清和は凄絶な怒気を発したが、桐嶋は豚玉の煙で跳ね返す。
 じゅうじゅうじゅう~っ。
「眞鍋の、……ま、お好み食うてぇや」
 じゅうじゅうじゅうじゅう~っ。
「駆けつけ三杯やのうて、駆けつけ三枚や。モダンとミックスと牛スジ」
 じゅうじゅうじゅう~っ。
 清和の怒りはすべて、熱々の鉄板でお好み焼きとともに焼かれる。……煙に巻かれる。搔き消される。
「カズ、何しとんのや。眞鍋の色男にお酌でもせんかっ」
 藤堂は紳士然と微笑むと、仏頂面の清和にグラスを手渡した。
「二代目、どうぞ」
「お前……」
「はい?」
「お前らは……」
「一日も早く、元紀に眞鍋の二代目姐のような姐が迎えられることを願っています」
 氷川には医者の顔で指摘されたが、本当ならば桐嶋はまだ絶対安静の身体だ。それなのに、自分で点滴を外し、ベッドから下りた。藤堂が止めるのも聞かず。
『元紀、動いてはいけない』
 藤堂は慌てて止めたが、桐嶋は駄々っ子のようにごねた。
『カズ、こんなん、身体がなまってまう。俺を寝たきりオヤジにする気か』
『傷口が開く』
『平気や。あの木村先生がチクチク縫ってくれたんやからばっちりや』
『その木村先生に絶対安静を言い渡されたのは誰だ?』
『これ以上、俺をベッドに縛りつけたら襲うで』
 凄まじい力で、藤堂の身体が消毒液の匂いがするベッドに沈められた。
 すかさず、威嚇するように、包帯だらけの桐嶋が覆い被さってくる。
『構わない』
『今回は本気やで。本気でヤるで』
『ああ』
 氷川のような姐がいたら桐嶋をベッドで静かにさせられたかもしれない。
 藤堂は切実に桐嶋が愛せる姐を望んだ。
「……お前」
 清和は今にもバズーカ砲を発射しそうな迫力を漲らせた。
「チョコバナナ屋台が花を添えている場で、バズーカ砲の使用は控えてほしい」
「…………」
「どうぞ」
 清和が極上の酒を不味そうに飲んだのは言うまでもない。傍らに控えていたリキにしてもそうだ。
 もっとも、桐嶋組にとっては最高の利益を上げた夜祭りだった。観客動員数も近年希に見る数字を叩きだしたのだ。
 チョコバナナ屋台の効果なのか、定かではないが、藤堂は桐嶋と手を取り合って喜ぶ氷川に頰を緩ませた。



 眞鍋組の二代目組長に恨まれた夜祭りが終わってからどれくらい経ったか。
 依然として、台湾バナナのターン。
 魔女の呪いか。
 白百合の如き二代目姐の鬱憤か。
 いつまでも残る台湾バナナ。
 藤堂の記憶が正しければ、指定暴力団・桐嶋組の組長室に台湾バナナが積まれたことは一度もない。多種多様の酒瓶が並ぶ組長のプライベートルームにも、台湾バナナが持ち込まれたことはない。しかし、今現在、台湾バナナは数多の酒瓶に混じってその存在感を主張していた。
 台湾バナナ。
 単なる台湾バナナではない。
「元紀、そろそろバナナを食べたほうがいい」
 藤堂は異臭を放ち始めた台湾バナナを指摘した。
「バナナ?」
 少し目を離した隙に、桐嶋が鹿児島産の芋焼酎の封を開けようとしていた。当然、藤堂は険しい顔つきで止める。
「元紀、まだ禁酒期間だ」
 先日、桐嶋は藤堂を庇って被弾した。かつて天才外科医と称賛されていたモグリの医者でなければ、桐嶋の命はどうなっていたかわからない。常人ならばまだ病室だ。
「殺生や」
「もう一度、木村先生の世話になるか?」
 桐嶋に禁酒させるため、藤堂も好きなワインを断っていた。
「この通り、俺はもうピンピンしとう」
 ラジオ体操~っ、と桐嶋はその場でラジオ体操を開始した。
 体操のお兄さんができそうなくらい俊敏だ。
 けれども、藤堂はラジオ体操ぐらいで誤魔化されたりはしない。
「俺を庇ったりするから酒が飲めなくなる。これに懲りたら二度と俺を庇ったりするな」
 俺が撃たれるつもりだった。
 俺が撃たれるつもりだったのにどうして庇う。
 二度と俺を庇って被弾しないように徹底的に禁酒させる、と藤堂は心の中で誓うように呟いた。
「アホ、ドアホッ、俺の目の前でカズに鉛玉なんてブチこませへんわっ」
「……元紀」
「俺はお前のナイトやからご褒美に飲ませてぇや」
「ナイトならば飲ませない」
「お前、そないにいけずやったか? 国境を超えてどこにどう飛んでいくかわからへん困ったお嬢さんやけど、そないにいけずちゃうかったで? それもこれも白クマのせいやな? 白クマのウオッカに比べたら俺の焼酎は可愛いもんやで。西郷どんの芋焼酎なんて最高や。時代は西郷どんやで。よかたい、よかたい、よかたいやーっ」
 例の如く、桐嶋は捲し立てたが、藤堂は風か何かのように聞き流した。
「元紀、お前にはバナナを食べる使命がある。酒は全快してからだ」
「俺はもう全快したで。第一、バナナなんてうちにはあらへん……って? あれ?」
 桐嶋は不服そうな顔で、無造作に置いた台湾バナナに視線を流した。
「バナナを忘れたのか?」
「なんで、こないなところにバナナがあるんや?」
 どうして酒瓶とともに台湾バナナがあるのか。
 白百合と称えられる二代目姐の舎弟は忘れていた。
 ……が、すぐに思いだしたようだ。
 ポンッ、と手を打つ。
「……せや、姐さんからもろたバナナや。忘れとったわ」
「正確に言えば、姐さんに押しつけられたバナナだ」
「あ~っ、もっと言えば、祐ちんの意地悪バナナや。チョコバナナ屋台の後も祐ちんは姐さんに台湾バナナをちょっとずつ送り続けるんやて」
 桐嶋組のシマで行われた祭りで、氷川率いる眞鍋組のチョコバナナ屋台は大盛況だった。チョコバナナの事業展開を本気で考えた若手構成員もいるようだ。
「チョコバナナ屋の商売ができないくらいのバナナの量を送り続けているんだな」
 氷川のみならず眞鍋組の面々はバナナに食傷気味だ。送り主が送り主だけに、廃棄処分もできないらしい。
「せや、祐ちんはやで。魔女の名は伊達ちゃうわ」
「感心している場合か?」
 捨てるか、と藤堂は黒ずんだ台湾バナナを指で差した。
 ここまで腐っていたら、廃棄しても魔女は怒らないだろう。
 そんな思いがあったが、桐嶋に真っ赤な顔で止められた。
「アホ、このボンボンめ。バナナは腐りかけが美味いんや。今が食べ頃やんか」
「これ以上異臭を放つ前に食べたまえ」
「カズ、食わんか」
 ズイッ、と腐りかけの台湾バナナを差しだされる。 「俺はいい」
 スッ、と藤堂はさりげなく台湾バナナから距離を取った。
「そういや、カズがバナナを食べとうの、見た覚えがないわ」
「ああ」
「バナナは最強やで。姐さんを滑って転ばせるんやから」
 がははははははは~っ、と桐嶋は豪快に笑い飛ばした。
 台湾バナナによる二代目姐の記憶喪失騒動は生涯、思い出としてセピア色に霞まないだろう。麗しき核弾頭の武勇伝としてさんさんと輝き続けるに違いない。
「姐さんが核弾頭と呼ばれるわけがよくわかる」
 楚々とした日本人形を核弾頭と名付けた祐の心中が察して余りある。
「カズ、お前までバナナの皮で滑って記憶喪失のふりをしたらあかんで」
 ズイッ、と桐嶋の顔が威嚇するように近づいてきた。
 吐息が触れるほど近い。
「二番煎じの成功率は低い」
「お前なら平気で自分の頭を機械でカチャカチャやって、ホンマの記憶喪失になってまうやろな」
「そうでもしないと、お前は騙せない」
「当たり前や」
「俺はどうして眞鍋の二代目や虎まで騙されたのか、甚だ理解に苦しむ」
 一目見た途端、藤堂は氷川が記憶喪失のふりをしていると気づいた。桐嶋でも五分後に察したというのに。
「俺もや。あのサメちんまで騙されたんやから姐さんもたいしたもんやで」
「姐さんの演技が卓越していたわけではない」
「……ああ、姐さんはそんなことはせえへん、っちゅう思い込みやな」
「おそらく」
 あの姐さんなら何をしてもおかしくはないのに、と藤堂は想像を絶する言動を連発する二代目姐を脳裏に浮かべた。
「せやけど、カズ、そろそろなんかあるな。眞鍋がきな臭いことになっとうで」
 桐嶋はニヤリ、と不敵に口元を緩めた。心なしか、周りの空気が変わる。
「元紀、気づいていたのか?」
「俺を誰やと思うてんのや。姐さんの舎弟やで。それくらい気づかんでどうするんや」
 氷川の勤務先には毎日サービスという便利屋が潜んでいる。マークの対象は言わずもがな不夜城の覇者の弱点だ。
「一歩間違えれば、眞鍋がひっくり返る」
 藤堂は清和が氷川を眞鍋第三ビルの最上階に迎えた時、徹底的に調べ上げた。しかし、どんなに調べさせても、未だに氷川の出自は謎のままだ。
『藤堂組長、面目ない』
『木蓮、君でも氷川諒一の両親が誰かつきとめられないのか』
『霧の中っていうか雪の中。雪みたいに真っ白な赤ちゃんの母親は雪女じゃないかな』
 一流の情報屋の自棄混じりの見解に、藤堂は苦笑いを浮かべた。
『母親が雪女ならば父親は雪男か?』
『あ~っ、俺、情報屋を引退したくなった。ここまでなんの手がかりもないのは珍しい』
 一流の情報屋が零したが、なんの手がかりもないのはかえっておかしい。
 どこかの誰かが意図的に赤ん坊の素性を隠した。
 ……否、永遠に隠し通そうとしたのだ。
 姐さんの出自には何かがある。
 何かわからないが、姐さんの出生には何かが隠されていることは間違いない。
 望まれなかったどこかのご令息か。
 誰かに命を狙われたご令息か、と藤堂は密かに予測を立てていたのだが。
 毎日サービスの出現により、自分の推測が外れていなかったことを知る。
「姐さんやな?」
「ああ」
「うちもマークせな、あかんかな」
 スッ。
 桐嶋がさりげなく大分産の芋焼酎に手を伸ばす。
 許さない。
 藤堂は素早く桐嶋の手から大分産の芋焼酎を取り上げた。桐嶋組初代組長に課した禁酒はまだ解けていない。
「そのうち、魔女から連絡があるだろう。下手に動かないほうがいい」
「せやな」
「それより、その台湾バナナだ」
 藤堂は改めて差し迫った問題を示唆した。
 どんっ、とその異彩を放つ台湾バナナ。
「バナナパンにでもして食うか。カズ、お前もきっちり食うんやで」
「俺はバナナパンよりゼンメル……」
 藤堂の希望はぴしゃりと撥ねつけられた。
「俺特製のバナナパンや」
 案の定、翌日、バナナパンを食べた後、眞鍋組のスマートな参謀が乗り込んできた。手土産は台湾バナナだ。
 ここでも台湾バナナ。
 呆れを通りこして感心する。
「おお、祐ちん、今日も綺麗やんか。ほんま、魔女とは思われん綺麗さや」
 桐嶋は恵比寿顔で祐を出迎える。藤堂は当然のように同席させられた。ロイヤルコペンハーゲンのカップに注いだコーヒーは、キューバ産のクリスタルマウンテンだ。
「桐嶋組長、時間がないので単刀直入に言います。姐さんからどんな連絡があっても応じないでください」
「なんや?」
 桐嶋が首を傾げると、祐はシニカルに口元を歪めた。
「桐嶋組長も情報は摑んでいるはずですよ」
「姐さんの周りを嗅ぎ回っとう奴がおんのは知っとった」
「俺の先輩だからあえて動かなかったそうです」
「祐ちんの先輩か。そりゃ、ごっつい先輩やな」
「毎日サービスの日枝夏目と香取浩太郎は金や女で操れない」  毎日サービスのふたりが祐にとって特別な存在だと、藤堂は手に取るようにわかる。
 魔女にも人の血が流れていた、と藤堂は心の中でほくそ笑む。
「さすが、祐ちんの先輩や」
 桐嶋が感服したように手を叩くと、祐は意味深な目を藤堂に向けた。
「藤堂さん、うちの姐さんの出自についてどこまで掴んでいますか?」
「……何も」
 藤堂は一流の情報屋から毎日サービスに関する情報を得ていた。
 毎日サービスは清水谷学園大学時代の友人の依頼で眞鍋組の二代目姐に張りついている、と。依頼人は旧子爵家の御園家当主だ、と。御園家当主は養子だ、と。先代当主は御園家の一人娘の婿養子として御園家を継ぐはずだった、と。
 麗しすぎる御園家の令嬢の写真を入手した時、藤堂は思い当たった。
 これだ。
 やっと摑んだ。
 もっと早く摑んでいたら眞鍋との戦いに勝てたかもしれない、と深淵に沈めたはずの修羅の血が騒ぎ、自分でも困惑したものだ。
「やはり、何か摑まれていますね」
「……心配しなくても、俺も元紀も手を出さない。二代目姐の出自は諸刃の剣だ」
 美しさは罪、という言葉がしっくり馴染むような佳人に藤堂の胸が痛んだ。
「諸刃の剣?」
 そこまで摑んでいるのか、と祐の目は雄弁に語っている。
「そう思いませんか?」
 眞鍋組にとって厄介なのは、毎日サービスでもなければ御園家でもない。
「そう思うならば静観しておいてください」
「承知しました」
 ……ああ、食えない策士は釘を刺しにきたのか、と藤堂は眞鍋組随一の策士の真意に気づいた。
 さぁ、どう出るか。
 藤堂は高みの見物と洒落込む。……洒落込むつもりだった。
 どんな展開になっても、静観すると決めていたのに。
 真夜中、桐嶋組初代組長のスマートフォンが鳴り響いた。
 こんな時間に誰だ。
 異常事態発生、と藤堂は桐嶋の隣で目を覚ました。
「……なんや、なんや、なんや? けったくその悪い白クマが豆腐の角に頭をぶつけて星になったんか?」
 桐嶋は眠そうな目を擦りつつ、深夜の着信音に応対した。
 が、様子が変だ。
 スマートフォンを手にしたまま、その場にズルズルとへたり込む。
 すでに声は涙声。
「……お、おめでとうさん……おめでとうさんやで……も、もちろん……もちろん……おおきに……おおきに……おおきにやで……祐ちん、男やんか……魔女ちゃうわ……誰が人を釜に茹でて食うてまう魔女なんて言うたんや……おおきに……任せてえな……ノープロブレムや……あんじょう任せときやっ」
 スマートフォンを切った後も、桐嶋は床に崩れたまま咽び泣いている。
「……カズ……カズ……カズ……」
 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~っ、と近年希に見る泣きっぷりだ。
「元紀、どうした?」
 藤堂が躊躇いがちに近づいた途端。
 ガバッ。
「……嫁さんや……花嫁……花嫁……」
 桐嶋に物凄い勢いで飛びつかれ、藤堂は背中から床に倒れた。
「……元紀?」
 ポタリ。
 ポタポタポタリ。
 藤堂の顔に桐嶋の涙が滴り落ちる。
「……花嫁……結婚式で……お前は結婚式で花嫁……」
「元紀、落ち着いてくれないか」
「アホ、落ち着いたらいちびってまう。もう、アレや。ホンマに生きててよかったわ。俺も本気でチョコバナナとお好みをマリアージュさせるで」
「そんなに嬉しいことがあったのか」
「そや、そや、そや、そや。花嫁なんや。ウェディングドレスを着た花嫁さんなんや」
 ガタッ。
 物音がして振り向くと、桐嶋が目をかけている唐木田が階段に続く扉の前で立っていた。
「……は、花嫁? 花嫁さんですか?」
 唐木田の目はこれ以上ないというくらい丸くなっている。
 藤堂にはいやな予感が走った。
 唐木田は古株であり、十年前の藤堂を知っている。
 下がらせようとしたが、桐嶋が洟を啜りながら応じた。
「……そや、唐木田、花嫁や。三国一の花嫁やで。べっぴんさんぶりは保証すんで」
「……お、おめでとうございます」
 唐木田が興奮気味に言うと、桐嶋の涙に濡れた顔がさらにぐしょぐしょになった。
「そや、めでたいんや」
「早速、桐嶋組長と藤堂さんの結婚式の報告を各方面にします」
 クルリ、と唐木田は背を向けた。タッタッタッタッ、と階段を下りていく。
 今、唐木田はなんと言った?
 俺と元紀の結婚式だと?
 俺の聞き間違いではないな、と藤堂はズシリと重い桐嶋に確かめようとした。
 が、瞬時に思い留まった。
「唐木田、待ちたまえ」
 藤堂は伸しかかっている桐嶋をどけ、立ち上がった。そして、滅多にしない猛ダッシュを決める。
 ダダダダダダダッ、と。
「……え? 俺の目の錯覚か? カズが走りよった?」
 背中越しに桐嶋の呑気な声が聞こえてくるが、藤堂に構っている余裕はない。
「唐木田」
 藤堂がどんなに呼んでも、唐木田の返事は返事になっていない。
「ひゃっほーっ、藤堂さん、おめでとうございます。やっと決心したんですね」
「唐木田、待ちたまえ」
「藤堂さん、おめでとうございます。年貢の納め時ですね」
 ダダダダダダダッ。
 唐木田は振り向こうともせず、物凄い勢いで階段を下りていく。
「待ちなさい」
「藤堂さんがウェディングドレスを着るんですよね。余興でも桐嶋組長のウェディングドレスはやめてください」
「唐木田、止まれ」
 俺の言葉を聞いていないな、と藤堂は優秀とは言い難かった藤堂組構成員時代の唐木田を思いだした。
「ひゃっほーっ、いやぁ~っ。とうとう眞鍋組みたいにうちも男の姐さんかぁ~っ。これも時代ですかね。三丁目のビルを買い取ったオヤジの嫁さんは三段腹のオヤジでした」
「……唐木田」
 おそらく、どんなに急いでも唐木田には追いつけない。何より、こんな全力疾走は久しぶりだ。
 このままでは多くの構成員が詰めているフロアに辿り着く。
 その前に手を打たなければ。
 ロシアにいるウラジーミルや族長の奏多を刺激したくない。
 藤堂は階段の踊り場に転がっていた高橋酒造の米焼酎の瓶を投げた。
 シュッ。
 死なない程度に当たれ。
 ガツンッ。
「……っ……痛ぇ……」
 果たせるかな、藤堂の目論み通り、唐木田の下肢に米焼酎の瓶がヒットした。
 ようやく、唐木田は低い呻き声を漏らしながら蹲る。
 間一髪、多くの構成員たちが詰めているフロアの出入口の一歩手前。
「唐木田、誤解だ」
 藤堂は呼吸を乱しつつ、唐木田に近寄った。
「何が誤解ですか。あれだけはっきり桐嶋組長が言ったのに」
 唐木田は生理的な涙を浮かべ、真っ向から反論した。
「今の元紀はおかしい」
「やっと藤堂さんとの結婚が決まって感激しているんでしょう。ウラジーミルとか奏多とか大物プロデューサーとか映画会社の社長とかホテル王とか成金のボンボンとか地主の馬鹿息子とか大女優のドラ息子とか二世議員とか三世議員とかサッカー選手とか大きな寺の住職の息子とか神官の息子とか宇宙語を話す牧師とか……まだいたよな……えっと、藤堂さんを狙っている奴が多いから」
 唐木田はつらつらと捲し立てながら、桐嶋組構成員が詰めているフロアに飛び込んだ。藤堂が止める間もない。
「お~い、やっと桐嶋組長と藤堂さんの結婚が決まったぜ」
 唐木田の爆弾宣言が落ちた瞬間、桐嶋組構成員の間で歓声が上がった。
「おーっ、やっとか」
「すげぇ。やっと決まったのか」
「もういっそのこと、まとまってくれたほうが楽なんだよな」
「そうそう、見ているほうが焦れったいんだ。白クマ軍団も煩いし」
「鬼畜王子の奏多も結局は藤堂さんに惚れているだけだし……」
 一瞬にして、桐嶋組総本部はお祭り騒ぎに。
 いったいどうなっているんだ。
 眞鍋組の二代目組長夫妻の影響か。
 この誤解をどうやって解くか、と藤堂は頭を抱える。
 ただ、桐嶋が感涙していたわけに気づいた。
 とうとう眞鍋の二代目と姐さんが結婚式を挙げるんだな、俺に花嫁のエスコートでも回ってきたのか、と。
 心から祝福したいが、今はそれどころではない。
 藤堂は未だかつてない強硬な態度で、はしゃぎまくる桐嶋組構成員たちに割って入った。
 遠いところでこんな苦労をさせるなど、やはり眞鍋の核弾頭は侮れない。

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