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龍の陽炎、Dr.の朧月

樹生かなめ/著 奈良千春/イラスト 定価:本体690円(税別)

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STORY

龍の陽炎、Dr.の朧月定価:本体690円(税別)

ハネムーンは温泉でしっぽり……のはずが!?

「俺を見ろ。俺だけを見ていろ」出生の秘密が明らかになった美貌の内科医・氷川諒一(ひかわりょういち)を心身ともに守り愛するため、眞鍋組二代目組長・橘高清和(きったかせいわ)はついに氷川と結婚式を挙げた。そうなれば次は新婚旅行……と思いきや、逗留先の湯河原でトラブルに巻き込まれた氷川が、隣の熱海へ連行されてしまう。そこで一癖も二癖もある狸婆に押し切られて、氷川は温泉芸者“朧月”としてお座敷へ出ることに!?

著者からみなさまへ

いつも氷川と清和をご贔屓くださり、ありがとうございます。だいぶ前、箱根や小田原を舞台にした後、次の舞台は熱海だと考えていたときざます。湯河原の鋭い読者様から「熱海に行ってしまわず、湯河原に立ち寄らせて」という旨のお手紙をいただきました。感謝ざます。狸と芸者のマリアージュならぬ核弾頭炸裂の新婚旅行をお楽しみくださいませ。

初版限定特典

龍の陽炎、Dr.の朧月

初版限定 豪華SSイラストカード

 狸に構っている暇はない、と清和は最愛の姉さん女房を止めなかった。
 けれど、狸を祀る神社の鳥居の前でスクランブルを告げる電話が。
「俺だ」
 清和はひとりで先にお参りしようとする女房の背中を見つめつつ……。


……続きは初版限定特典で☆

special story

書き下ろしSS

『龍の陽炎、Dr.の朧月』番外編
「不夜城の覇者、熱海に惑う」
樹生かなめ

 俺を見るな。
 俺はいないものと思え。
 こんなに手強い敵は初めてだ、と清和は『花香月』の一室の片隅で息を潜めていた。
 決して女児たちと目を合わせたりはしない。一瞬でも目を合わせたら終わりだ。何せ、「パパ」と呼ばれるだけでなく、勢いよく「だっこ」と飛びついてくるから。
「二代目、一匹ぐらい面倒を見てやってくれーっ」
 ショウがおしゃまな女の子を両脇に抱えながら叫んだ。

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 俺に話をふるな。
 俺は死んだと思え、と清和は心の中で眞鍋組が誇る特攻隊長に命じる。もちろん、宇治や卓、吾郎など、女児に張りつかれている眞鍋の若き精鋭たちの無言の訴えは無視した。
「パパ、吾郎パパ、パチンコめ~よ、めっめっめっめーっ」
「わかっている。パチンコで真菜ちゃんのチョコ代は稼げない」
「パパ、真菜ちゃんを見ちゃ駄目。小冬を見てーっ」
「宇治パパ、小夏のそばから離れちゃ駄目でちゅ」
「……うっ……小夏ちゃん、そんなところからよじ登るなーっ」
 いったい誰がどんな状態でどうなっているのか、もはや清和には把握できない。今現在、眞鍋組の若手幹部候補たちは保育士と化している。
 俺には無理だ。
 すまない、と清和は心の中で幾度となく舎弟たちに詫びた。
 もっとも、清和にしても何もしていないわけではない。託児室へと変化した一室の片隅で、ただ単に自身の存在を消しているだけではすまないのだ。何しろ、無視したくても、どうしたって無視できない相手から連絡が入った。意を決し、応対した。
「……俺だ」
『二代目、狸に負けましたか?』
 スマートフォンの向こう側にいる魔女がどんな顔をしているのか、清和は想像することさえ躊躇(ためら)う。
「……祐」
『狸に姐さんを譲る気ですか?』
「……やめろ」
『二代目、確認します。狸と駆け落ちした姐さんをひっぱたいて連れ戻す予定でしたよね?』
 今となっては湯河原温泉の狸騒動がなんでもないことのように思えてならない。すなわち、熱海の芸妓騒動及び女児騒動のほうが凄絶だ。
「……覚えている」
 腕力でどうにかなったのならば、腕力を行使していた。あれは腕ずくで対処できるようなことではなかった。それだけは断言できる。清和の瞼を麗しすぎる芸妓姿の女房が過ぎった。
『ひっぱたくのは無理でも、姐さんを担いで連れ戻す予定でしたよね?』
「…………」
『つい先ほど、緊急スクランブルを飛ばしたようですが?』
「…………」
『花香月に長江組が殴り込みましたか? イジオットが殴り込みましたか? 藤堂の逆襲ですか? 狂犬の奏多ですか? 緊急スクランブルですから敵襲ですよね?』
 よほど腹に据えかねているのか、いつもに比べて魔女の嫌みがシンプルだ。
「…………」
「どうして、未だに花香月にいるのですか?」
 清和はスマートフォンを手にしたまま、無言で託児室と化した和室を見回した。
 ……が、すぐに目を伏せた。ヨチヨチ歩きの女児であれ、ベビー服の赤ん坊であれ、目を合わせたら危険だ。
「パパ、パパ、おままごとちよ。あたち、いいおくさんになるの」
 小春という女児は明るい声で、眞鍋の韋駄天にままごとを申し込む。
「……お? おぉ? ままごと?」
「パパ、ヒモはめっ、よ。ちゃんとミルク代を稼いでね」
「……小春ちゃん、なんでそんな言葉を知っているんだ?」
 ままごとをしているのは、ショウと小春だけではない。
「パパ、けっこんちき、けっこんちよ~っ。あたち、いいお嫁さんになるの~っ」
「パパ、パパ、浮気はめ~よ。浮気ちたらめ~なんだから。あつおといっちょにシメるからね~っ」
 室内は何人もの女児の甲高い声が溢れ、清和も耳を澄まさないとスマートフォン越しの祐の声が聞きづらい。
『二代目、先ほどからずっと子供の声がします。「パパ」と呼ばれているのは、眞鍋組構成員たちではありませんか?』
 心なしか、魔女の声のトーンが低くなった。スマートフォンから瘴気が発散されているような気がしないでもない。
「…………」
『何をしているんですか?』
「……聞かなくてもわかっているだろう」
 嫌みはそこまでにしろ、と清和は地を這うような低い声で続けた。
『眞鍋の二代目組長がヒモ扱いされるとは情けない』
 あちらのほうが何枚も上手だ、と清和は格の違いを感じずにはいられない。『花香月』の女将には激動の時代を逞しく生き抜いた重みがあった。
「…………」
『我らが二代目、何か言ってください』
「……女房をなんとかしろ」
 ポロリ、と清和の口から切羽詰まった思いが出た。とんだ新婚旅行だ。
『よくそんなことが言えますね』
「何か言えと言ったのは誰だ?」
『……まったく、核弾頭と狸にイカレやがって』
 いつになく、魔女の言葉がシンプルだ。けれど、確かに魔女の指摘した通りだ。すなわち、核弾頭と狸。
「…………」
『サメはいったい何をしている?』
 どんなに呼びだしても出ない、と祐は腹立たしそうに続けた。
「……サメは」
『サメもそばにいるだろう……っと、二代目に対し、俺としたことが失礼しました。サメも二代目のおそばにいるのでしょう。狸に化けているとでも言いますか?』
 祐が嫌みっぽく言った通り、神出鬼没の男は化けている。ただ、狸ではなく熱海のゆるキャラに。
「……あつお」
 清和はあえて熱海のおじさまの妖精に扮したサメから視線を外す。
『あつお?』
「サメはあつおに化けた」
 自棄か、芸人根性か、定かではないが、サメの熱海のゆるキャラっぷりがなかなかシュールだ。女児たちも食い入るような目で見つめている。この場におけるサメの呼び名は『あつお』だ。千晶は感心したように手を叩いた。
『……今、二代目が俺の前にいなくて幸いでした。もし、俺の前に二代目がいたら、俺は貫一になっていたと思います』
 熱海を舞台にした『金色夜叉』の主人公が自分を裏切った許嫁を蹴り飛ばしたように、祐も蹴り飛ばしたいのだろう。ほかでもない、眞鍋組の二代目組長を。
「…………」
『二代目がお宮に見えるなど、あってはならないことです』
「…………」
『潮騒で二代目の声が聞こえません……ではなく、子供の声で二代目の声が聞こえません』
 場所的に『花香月』から潮騒は聞こえない。祐も知っているはずだ。
「…………」
『熱海でヒモ稼業に精を出すつもりですか?』
「なんとかしろ」
 清和が地を這うような低い声で凄んだ時、にょきっ、と小さな手が伸びてきた。
「パパ、何をちてるの?」
 若手構成員がよく食べているちぎりパンのような腕に、清和は為す術もない。大仏のように固まった。
「もちもち? もちもち? パパの愛人でちゅか? 泥棒猫はめっ、め~なの」
 あどけない女児が話しかけたが、祐はなんの言葉も返さずに通話を切った。
 あの魔女に向かって。
 すごいな、と清和は女児の勇気を称えたりはしない。ただただ、部屋の片隅で途方に暮れた。
 まったくもって、朧月に一目惚れした男たちに妬く余裕もない。

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