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トーテムポールの囁き 欧州妖異譚21

篠原美季/著 かわい千草/イラスト 定価:本体690円(税別)

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STORY

トーテムポールの囁き 欧州妖異譚21定価:本体690円(税別)

ユウリが向かう先は、「呪われた館」の闇の向こう……。

季節は夏。ハリウッドデビューが決まったオニールに誘われ、ユウリは友人達と一緒にシモンのプライベートジェットでニューヨークへとやってきた。仕事で忙しいシモンとは別行動で、ユウリはオニール達とともに「呪われた館」、ウッドポール・ハウスに滞在することに。悪霊から逃れるために建て増しを繰り返したという館では、宿泊客が行方不明になってしまった! そして、ユウリが遭遇した謎の少年の正体は!?

著者からみなさまへ

今回の舞台は、なんと、アメリカ合衆国です!! 英国と米国の空気の違いを少しでも感じていただければいいな~と思いながら、書きました♪ シリトーがお好きな方は、必読です!

初版限定特典

トーテムポールの囁き 欧州妖異譚21

初版限定書き下ろしSS
特別番外編「お土産の定義」より

「……これ、本当に全部買うの?」
 あきれ気味に問われ、ユウリが申し訳なさそうに「うん」とうなずいて言い訳する。
「シモンの従兄妹にフランスを出る時に頼まれてしまって……。あ、でも」



……続きは初版限定特典で☆

special story

書き下ろしSS

『トーテムポールの囁き 欧州妖異譚21』特別番外編
「コリン・アシュレイの片付けもの」
篠原美季



「……西海岸に、別荘を相続しましてね」
 ニューヨークの五番街にある高級マンションの一室。
 アンティークのソファーに腰かけて語り出した男の前で、コリン・アシュレイは少々面倒くさそうな表情を浮かべた。

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 長身痩軀。
 底光りする青灰色の瞳。
 長めの青黒髪を首のうしろで緩く結わえ、全身黒一色の服をまとう姿は、悪魔の申し子を思わせる。
 この街でのちょっとした用事を済ませ、帰国の途に就こうとしていたアシュレイに、ロンドンにいる「ミスター・シン」から連絡が入ったのは、昨日のことだった。 
 霊能者であり、欧米各国からいわくつきの代物──つまりは、霊的障害を引き起こすとされる品々を引き取る商売をしている彼によれば、この案件は、ニューヨーク在住で今回の渡米ではアシュレイも多少世話になった人物からの紹介らしく、こうして様子を探りにきたというわけだ。
 だが、どうも先行きは怪しい。
 なにより、ベンチャー・ビジネスで一山当てた三十代独身男の自慢話ほどつまらないものはない。
 男が続ける。
「遠縁が亡くなって、他に親戚もないということで私にお鉢がまわってきたんですが、これが立地といい建物といい、申し分のない物件でして」
 その割に口調があまり晴れやかでないのを受け、アシュレイが手短に問う。
「だが、申し分ないはずの物件に、なにか問題があった?」
「ええ、そうです」
 うなずいた男が、「ぶっちゃけ」とぞんざいな口調で続ける。
「相続したのは、家だけではなかったようで」
「へえ?」
 面白そうに受けつつ口の端で笑ったアシュレイが、「ということは」と推測する。
「家に取り憑いている悪霊かなにかも相続したのか?」
「まさに、その通り」
 げんなりと応じた男が、説明する。
「朝な夕なに、化け物が出るんですよ。そいつが、なにか探しものでもしているのか、やたらと騒音をたてまくる。霊能者の話では、巨大な熊の姿をした悪魔だそうで、まあ、恐ろしいとしか言いようがない」
「──熊?」
「ええ。……まあ、私が見たわけではありませんがね」
「だろうな」
 あまり乗り気ではなさそうなアシュレイを見て、男が「いや」と言い訳する。
「気持ちは、わかりますよ。カリフォルニアの青い空に化け物というのは、実にミスマッチですが、以前の持ち主が──噂では偏屈な独居老人だったようですが──オカルトに関心があったようで、蔵書にもその手のものがたくさんあるそうです。そういったことから察するに、突然死も、夜な夜な悪魔を呼び出す儀式でもやっていて、そのうちの一つに襲われて死んだんじゃありませんかね」
 他人事のように言って、「正直」と告白する。
「私自身はといえば、その手のものにからっきし興味がなく、蔵書も売っぱらってしまおうと考えています」
 その一瞬、アシュレイの底光りする青灰色の瞳がわずかに輝くが、男は気づいた様子もなく、「ただ」と言う。
「売るにしてもなんにしても、とにかく、その化け物の存在をどうにかしないと落ち着いて作業もできない。……近所でも噂になっているし」
 かぶりを振って嘆いた男が、「そんな時」と続ける。
「ある人物から、キング氏が抱え込んだ有名な幽霊屋敷の霊的問題を、『ミスター・シン』の愛弟子である貴方が片付けたと伝え聞いて、こうして、知り合いを通じて連絡させてもらった次第です」
「愛弟子……」
 応じつつ、内心で「それはまた」と思う。
(随分とおかしな情報が飛び交っているもんだ……)
 ソファーの肘掛けにもたれて考え込んだアシュレイに、相手の男が、「もちろん」と興味を引くような条件を提示する。
「無事、心霊現象が収まった暁には、以前の持ち主の蔵書から、なんでも好きなものを選んで持っていって構いませんので」
「なるほど」
 以前の所有者は、男も言っていたように、その道ではかなり名の知られた魔術書の蒐集家だ。探せば、掘り出し物の一つや二つ、見つけられるだろう。
第二次世界大戦後、ドイツからアメリカに流れた魔術書は数多あり、その中には、すでにヨーロッパの売り立てでは手に入らないような稀覯本もあると聞く。
 そこで、ようやく食指を動かされたアシュレイが、「いいだろう」と宣言した。
「その依頼、引き受けようじゃないか」




 翌日。
 男が相続したという西海岸の別荘にやってきたアシュレイは、門の前で車を停め、サングラス越しに建物を見あげた。西海岸らしい解放感こそなかったが、高い門扉の向こうにはヤシの木と立派な建物が見え、聞いた通り、なかなかの物件であるのがわかる。
(熊の姿をした悪魔……ねえ)
 たしかに、ものの本によれば、人間界に現れる時に熊の姿を取ると言われている悪魔はいくつかいる。
 ただ、それがのべつ幕なしに暴れ回るというのは、どうだろう。
 映画の影響もあるのだろうが、アメリカの「悪魔」というのは、とにかく騒々しく、下劣に描かれがちだ。だが、もともと虐げられた神々に過ぎない悪魔は、もっと教養高く知的な存在である場合が多い。そういう意味で、キリスト教の「エクソシスト」たちが対象とする悪魔というのは、無神論者のアシュレイからすると、ほとんどは下等な雑霊の類いと言えた。
 おそらく、この別荘を鑑定したという霊能者は、霊視することはできたものの、真実に辿り着くだけの知恵はなかったのだろう。
 その点、アシュレイに抜かりはない。
 ここに来るまでに以前の持ち主について徹底的に調べてきた彼は、ある程度の真相はすでにわかっていたが、残念ながら、決定打に欠けていた。
(俺が知りたいのは、本当に霊障を起こしているものが、なにかなんだが……)
 それを知るには、本物の霊能者が必要だ。
 調査や洞察にはいかに優れた才能を発揮できようと、見えないものを見ることだけは不可能であるアシュレイの、それが限界で、さて、どうしたものかと考えながら車を降りた背後で、その時、キキッと景気のいいブレーキ音がし、続いて「ほら~」と女性の声が響いた。
「やっぱりいた。──言ったでしょう。悪魔を見たって」
 振り返ると、そこに高級車のエンブレムがついたオープンカーが停まっていて、見たことのある顔が並んでいる。
 おそらく今しがたの声は、運転席にいるユマ・コーエンのものだろう。
 その隣にエリザベス・グリーンがいて、エメラルドのような瞳を細めてアシュレイのことを見ながら応じる。
「たしかにいたわね。びっくりだけど、本当だった」
 だが、アシュレイの視線はそれら魅力的な女性陣の上をサッと通り過ぎると、後部座席に座ったまま驚いたようにこちらを見ているユウリ・フォーダムのところで止まった。
「……え、なんで、アシュレイ?」
 つぶやいたユウリに対し、アシュレイが「なるほどね」と口元を引きあげる。
 こんな幸運もあるのだ。
 ユウリとは東海岸で会ったばかりだが、西海岸には、ベルジュ・グループに関連する別荘が幾つかあり、そのどこに彼らが向かうかは、さすがのアシュレイにもすぐにはわからなかった。──というか、これから調べようと思っていた矢先の邂逅だ。
「まさに、『求めよ、さらば、与えられん』ってやつだな」
 依頼者が相続した家の斜向かいは、このあたりでも一際立派な別荘であったが、どうやら、そこに、ユウリたち御一行は宿泊しているらしい。
 今、この場に、彼らと夏休みを満喫するために渡米しているはずのシモン・ド・ベルジュや、口やかましい英国俳優のアーサー・オニール、小生意気なエドモンド・オスカーといったお馴染みの面々が見えないのは、さしずめ、邸内でバーベキューの準備でもしているからだろう。
 となると、ここにいる女性陣とユウリは、おそらく買い出し組だ。
 そのあたりの事情を一瞬で見て取ったアシュレイに対し、車を降り立ったユマが果敢に食ってかかる。
「ちょっと、なんで、貴方がここにいるわけ?」
 それに対し、青灰色の瞳を鬱陶しそうに向けたアシュレイが、「そんなこと」と冷たく応じる。
「お前に教える義理はないが、一つだけ言っておくと、安心していい。少なくとも、バーベキューにお呼ばれしたわけじゃない」
「当たり前でしょう!」
 応じたユマが、「それより」と指を突きつけて宣言する。
「ユウリに近づかないでよね。わかっていると思うけど、ここにはベルジュだって来ているんだから」 
 鉄壁の防護のようにその名をあげたユマを、背後からユウリが警告するように呼ぶ。
「──ユマ」
「だって、そうでも言わないと、この人、ユウリになにをするかわかったものじゃないし」
 それに対し、アシュレイが鼻で笑って言い返す。
「俺がどうするにせよ、ベルジュの名がそれほど役に立つとは思わないが、ま、せいぜい用心するよう、伝えておけ」
 それだけ言うと、アシュレイは背を向けて歩き出す。ただ、最後にもう一度ユウリのほうへ雄弁な一瞥を送るのを忘れない。
 なにせ、これで手間が一つ省けたのだ。
 どこにいようと、ユウリを呼び寄せることなどアシュレイには朝飯前であったが、それでも手間は手間だ。省けるに越したことはない。
 今の様子では、余計なおまけがついて来るのは逃れられないだろうが、今回は、それでも十分であった。
「……思いの外、楽勝だったな」
 そうつぶやいて、アシュレイは周辺の散策へと出かけていく。




 翌日の夜。
 ユウリは、アシュレイがメールで指定した時刻ピッタリにやって来た。
 依頼主の別荘でユウリを迎えたアシュレイは、ユウリの背後に守護神のように立っているシモンにチラッと視線を流してから言う。
「俺は、お供を連れて来いとは一言も言っていないはずだが?」
 お供というよりは、彼こそが本物の王者という風格を漂わせたシモンが、呆れたような口調で「そんな」とユウリがなにか言うより早く答える。
「都合のいいことが起こらないことくらい、察しのいい貴方なら、当然予想していたでしょう。本来なら、ここに来ること自体、どうかしているわけですし」
「なら、来なきゃいい。誰も、お前に来いとは言っていないからな」
「だから、ユウリの話ですよ」
 ピシャリと言ったシモンが、「そもそも」と続ける。
「こんな場所で、ユウリになにをさせようとしているんです?」
「んなの、決まっているだろう」
 アシュレイが目の前にいるユウリの後頭部をグッと押して自分のほうに引き寄せながら、当然のごとく言い放つ。
「ぐうたらなこいつにできることと言ったら、寝ることと食べることと化け物退治くらいだからな」
「……ひどい」
 アシュレイの手の下で小さく抗議したユウリを救い出しつつ、シモンが確認する。
「つまり、この家に化け物が出ると?」
「ああ」
 短く答えたアシュレイが、先に立って歩きながらシモンに問いかける。
「お前だって、ご近所さんなら、噂くらい聞いているだろう」
「……まあ、事前の調査で、いくつか話は出ていたようですけど」
「たとえば?」
「たとえば、そうですね」
 少し考え込んだシモンが、答える。
「ジョン・ヘンドリック氏は、少々偏屈で人づきあいがあまりなく、夜な夜な悪魔を呼び出す悪魔主義者であったと」
 シモン自身、その報告を聞いた時点で若干嫌な予感がしないでもなかったが、さしたる根拠があるわけでもなく、あくまでも近所にまつわる噂ということで、特に問題ないと判断したのだ。たとえなにかあるにしても、夏休み中の短い滞在であれば、いざとなったら宿泊先を変えればいいだけのことである。
 だが、やはり、それは甘い考えだったようだ。
 問題は、大ありだった。
 後悔の念を顔に浮かべているシモンに対し、アシュレイが「ちなみに」と教える。
「ジョン・ヘンドリックの母方の姓は『クロウ』と言い、この別荘はその母方の祖母から受け継いだものらしい」
「クロウ(カラス)?」
 ユウリとシモンが同時に言って、顔を見合わせる。それから、シモンが少々げんなりした口調で続けた。
「ここに来て、また『カラス』ですか」
「また」というのは、彼らは、この朝、別件でカラスを捜したばかりだからだ。
 と、シモンの言葉に反応したわけではないだろうが、そのタイミングで、家の奥で、ガタガタと大きな音がした。
 誰かが壁を叩いたか床を蹴ったような音で、ハッとして足を止めたシモンが訊く。
「──もしや、僕たちの他にも、誰かいるんですか?」
「まさか。俺一人だ」
「それなら、今の音は?」
「さてね」
 両手を開いたアシュレイが「知らないが」と答える。
「ただ、言ったはずだ。──この家には化け物がいると」
 冗談めかしてはいるが、案外本気だ。真面目に化け物か、それに類するなにかがいると考えているらしい。それは、ふつうに考えたら一笑に付すようなことであったが、この手のことでアシュレイが噓をつくとは思えないし、元より、なにもないようなところにわざわざ足を運ぶほど暇人でもない。
 つまり、たしかにいるのだろう。
 この家の中には、「化け物」と呼ばれるようななにかが──。
 アシュレイが続ける。
「この家を霊視した霊能者の話では、騒音の原因は熊の姿をした悪魔だそうだが……」
 それに対し、スッと二人のそばを離れたユウリが、「いや、たぶん、悪魔じゃなく」と言いながらなにかのあとを追うように別荘の中を、足早に歩き始めた。
「待った、ユウリ──」
 当然、止めようとしたシモンであったが、その前にアシュレイが腕を差し出して阻止する。
「邪魔するなら、出て行け」
 もちろん、従う義理はこれっぽっちもないのだが、ひとまず、差し迫った危険はなさそうだと見て取ったシモンは、アシュレイとともにユウリのあとを追うことにした。
 そんな彼らのまわりでは、ガタン、ドタン、ガタガタと色々なものが揺れ動き、移動する。
 テーブル。椅子。簞笥。本棚。
 攻撃こそされないが、あらゆるものが、動いたり、閉じたり開いたりしている。
 紛うことなきポルターガイスト現象だ。
 ふつうなら恐怖で縮み上がりそうな中、相変わらずなにかを追うように階段をあがったユウリは、廊下を進み、いったん屋敷の最奥部まで歩いていったが、そこで立ち止まると、戸惑ったようにあたりを見まわした。
「……あれ、変だな」
 どうやら、追っていたものを見失ったらしい。
 右を見て、左を見て、ふたたび右を見て、首をかしげる。
「どこに行ったんだろう?」
 おそらく独り言であろうが、アシュレイとシモンが顔を見合わせ、先にシモンが訊いた。
「どこに行ったって、ユウリ、なにがだい?」
「熊だよ」
「熊?」
「そう。アシュレイも言っていたように、たしかに、この家には熊がうろつきまわっているんだけど、どうも本物の熊みたいなんだ。──あるいは、熊の精霊」
「今度は熊……か」
 シモンが半ば感心したような、それでいて呆れたような口調で言い、近くで起きたバタンという音のほうを指して、「それなら」と尋ねる。
「あの音をたてているのも、その熊の精霊?」
「ううん。違う。音を立てているのは、たぶん、前の住人かな。──わからないけど、熊を追い払おうとして必死なんだよ」
「熊を追い払う……?」
 意外そうに繰り返したシモンが、「つまり」とユウリの口を通して語られる情報を整理する。
「ここには、前の住人らしき人間の幽霊と熊の精霊が存在しているってことかい?」
「そうなるかな?」
 すると、近くの扉を開け、倉庫のようになっている場所から先端にフックのついた長い棒を取り出していたアシュレイが、「このあたりには」と話し出す。
「かつて、ワタリガラスを象徴とするネイティブ・アメリカンの部族が暮らしていたようなんだが、ある時、熊を象徴とする近くの部族との間に諍いを起こし、両者の間で交わされていたなんらかの約束事を反故にしたらしい。──それで、熊の一族は、約束事の履行を命じる証書を作成し、さらに、その事実を、相手をはずかしめるような形で公表した」
「……なるほど。公表ね」
 深く納得しているユウリとシモンの前で、フックを天井の突起にかけたアシュレイが、それを引いて、そこに隠されていた梯子を降ろした。
 まるで自分の別荘であるかのように造りをおおむね把握しているアシュレイの様子を眺めながら、シモンが尋ねる。
「ということは、ユウリが見ている熊──あるいは熊の精霊が、『クロウ』家の血を引く以前の住人を、かつてのワタリガラスの一族の子孫だと思って追っているということでしょうか?」
 今までの話を総合すると、そういう結果にならざるを得ないのだが、アシュレイはあっさり否定する。
「残念ながら、それほど単純でもない」
「そうなんですか?」
「ああ。そこまで単純化するには、時代が離れすぎているんだろう」
 応じたアシュレイは、梯子に足をかけてのぼりながら、「この別荘の書斎にあった」と説明する。
「オランダ系移民の子孫であるジョン・ヘンドリックの備忘録によれば、奴は、『クロウ』家の歴史など一切興味がなく、その代わり、噂に違わず、再三にわたり黒魔術の実践を試みていたようで、そのどれもが失敗に終わっていた。才能のないやつがどれほど頑張ったところで、炎一つ自由には動かせないのが、この世界だからな」
 言いながらチラッとユウリを見た瞳には、有り余る才能をそばに置いていることへの満足感のようなものが垣間見える。
 シモンが厭わしそうに小さく天を仰ぐうちにも、アシュレイが「そんなある日」と話を続けた。
「ジョン・ヘンドリックは、この屋根裏で、クロウ家に伝わっていたと思われる古い証書らしきものを見つける。──ただ、彼は、見知らぬ記号のような文字が並ぶその証書が部族間同士の約束事について書かれたものだとは露ほども思わず、クロウ家の先祖が悪魔と交わした契約書だと勘違いし、あろうことか、その証書を使ってネクロマンシーを試みたらしい」
「ネクロマンシーって……」
 ユウリが繰り返す横で、シモンが言い替えた。
「死者への呼びかけのようなものでしたっけ?」
「その通り」
 振り返って応じたアシュレイが、「お前も」と大天使を堕落させる悪魔のように続ける。
「この手のことに、随分と詳しくなってきたようだな」
「それは、背に腹は代えられず……です」
 面倒くさそうに言い返してから、「ということは」と本筋に戻って言う。
「もしかして、ネクロマンシーを試みた結果、かつて、その証書をしたためた熊の一族の誰かが蘇ってしまい、かつて反故にされた約束事を果たすように再び追い立てたんでしょうか?」
「さてね。──それについては、残念ながら、俺にもはっきりとしたことはわからなかったんだが」
 言いながら、屋根裏に立ったアシュレイが、奥の暗がりを懐中電灯で照らしながら教える。
「代わりに、今日の昼間、ここでこんなものを見つけた」
 丸い光の中に照らし出されたのは、なんとも恐ろしげな仮面だった。
 壁にかかった木彫りの仮面。
 大きな鼻と剝きだしになった歯が特徴的だ。
 あとから屋根裏にあがったシモンが、言う。
「……これはまた、なんとも不気味な仮面ですね。見ようによっては、悪魔にも見えるし」
「まあ、そうだな」
 二人の会話に対し、最後に屋根裏にあがったユウリが、「あ、でも」と納得したように言う。
「たぶん、これです。これが、熊の正体です」
 ユウリの言葉に、アシュレイが納得する。
「やっぱり、か。──ネイティブ・アメリカンが表現する動物の特徴として、大きな鼻と剝きだしの歯は、熊であることが多い。ただ、正直、すでに、そのほとんどが失われてしまった文化であれば、この仮面が、なにを意味するのか正確にわかる者はもういないはずだ。実に、残念なことだよ。──とはいえ、少なくとも、彼らの風習において、仮面をつけることは、即ちその精霊が降りるということ。であれば、この仮面を通じて熊の精霊が降りたとしても、おかしくはない」
「そうですね」
 うなずいたユウリが、仮面に近づき、それを手に取って言う。
「ただ、そうして呼び出された精霊のほうは、本来の呼び出しとは違うことに戸惑い、早くもとの世界に戻りたがっているみたいですけど」
「──え?」
 ユウリの背後で、シモンが意外そうに訊き返す。
「ということは、熊の出現は、かつて反故にされた約束事とは無関係ということかい?」
「……たぶん、そう。もちろん、断言することはできないけど、おそらく古過ぎて、約束を交わした人間たちの魂はとっくに無に帰しているんだと思う。それで、仕方なく、証書の誓いの際にあげられた神の霊のほうが呼び出しに応じたんじゃないかな」
「なるほど」
 律儀な神である。
 でなければ、それだけ、人間と自然界が近い存在にあったということなのだろう。
「ただ」と、仮面を壁に戻したユウリが続ける。
「さっき、アシュレイがおっしゃっていたように、精霊が呼び出されたのが、その精霊の名のもとに作成された証書を通じてであるなら、彼をこの地に縛り付けているのも、まさにその証書であるわけで、きっと、それを燃やすかなにかしてあげれば、熊の精霊も自由になれるはずです」
 すると、その推論を予測していたらしいアシュレイが、「方法がわかったのなら」と専制君主のごとく命ずる。
「ちんたらしていないで、とっとと、その熊の精霊とやらを解放してやれ」
 とたん、水色の瞳でアシュレイを睨んだシモンが、「それが」と意見する。
「人にものを頼む態度ですかね?」
「違うし、頼んでもいない。──わかっていると思うが、これは正当な取引であり、こいつは俺に奉仕する義務がある」
「なにを──」
 シモンにはどうにも納得できない話であったが、当のユウリがシモンを振り返って苦笑混じりに宥めた。
「いいから、シモン。僕のことなら、気にしないで」
 それから、アシュレイに向かって、「それで」と尋ねた。
「問題の証書は? 当然、持っているんですよね?」
「ああ」
 認めたアシュレイがポケットから古びた厚手の紙を取り出し、ユウリに向かって差し出した。
「これだよ」
 受けとったユウリは、言われるまでもなく、さっさとその場で四大精霊を呼び出し、請願とその成就を神に祈る。
「火の精霊(サラマンドラ)、水の精霊(ウィンディーネ)、風の精霊(シルフィード)、土の精霊(コボルト)。四元の大いなる力をもって、我を守り、願いを聞き入れ給え。──ここに、呼び覚まされた偉大なる精霊を解放し、平安をもたらし給え。アダ ギボル レオラム アドナイ」
 とたん、四方から寄り集まって来た白い光がユウリのまわりをしばらく漂い、祈りの言葉が終わると同時に、ユウリが手の平に載せていた紙の中へと吸い込まれた。
 すぐに、ポッと。
 青白い炎があがり、ユウリの手の上で燃え上がる。
「──ユウリ!」
 驚いたシモンが慌てて払いのけようとしたが、顔をあげたユウリが首を横に振って応じた。
「大丈夫だよ、シモン。熱くはないから」
 言葉通り、ユウリは涼しい顔で証書が燃えていくのを眺め、すべて燃え尽きたところで静かに腕をふりあげ、青白い炎を消し去った。
「たぶん、これで大丈夫です」
 ユウリの言葉に対し、アシュレイが短く労う。
「ご苦労」
「いえ」
 謙虚に応じたユウリが、「ああ、でも」とさり気なく付け足す。
「以前の持ち主の幽霊のほうは、わざわざ四大精霊の手を煩わせるまでもなく、相応の弔いをされていないために、自分が死んだことに気づいていないだけであるようなので、新しい持ち主の方に、教会できちんとした葬儀をあげるよう伝えてください。そうすれば、いずれ納得して消えるはずです」
 珍しくそんな課題を残し、ユウリはシモンと連れだって、問題の別荘をあとにする。
 そんな調子でちょっとしたハプニングはあったものの、彼らのカリフォルニアでの夏休みは、まだまだこれからだった。

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