講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

「ブライト・プリズン」シリーズ
クリスマスSSプレゼント

4月のシリーズ最新刊刊行に先駆けて、犬飼先生からSSが届きました!

「夜に濡れて(前編)」

犬飼のの

ブライト・プリズンキャラクター紹介

 私立王鱗(おうりん)学園の東方エリアは、鬱蒼とした森と数多くの施設によって占められている。
 その中に、主に大学生が使用するためのプールが二つあった。
 一つは一年を通して利用可能な屋内プールで、もう一つは夏場のみ使える屋外プールだ。
 九月某日の深夜──当直の竜虎(りゅうこ)隊員の手引きで贔屓生(ひいきせい)宿舎を脱けだした薔(しょう)は、すでに閉鎖された屋外プールに来ていた。
 非常灯のみが灯る更衣室で、白いブレザーを脱ぐ。
「……なんか、悪いことしてるみたいだ」
「確かに、教団から見れば大変な悪事だな」
「──けど、生きていくためには必要だし」
「なんだ、仕方ないと言わんばかりじゃないか」
「いや、そうは言ってないけど……」
 暗がりの中でベンチに横たえられた薔は、はにかみながら語尾を濁す。
 今夜は常盤(ときわ)と密かに落ち合い、ここで陰降ろしをする予定になっていた。
 神子になった者は毎月必ず男に抱かれて、相手の体に龍神を降ろす必要がある。
 そうして神を悦ばせ、神子としての役目を果たさなければ命を奪われてしまうからだ。
「……っ、あ……」
 緊張に身を強張らせた薔は、常盤の手の行方を追う。
 シャツの上を這う指は長く、ピアノでも弾くように滑らかに動いた。
 美しい動作に見惚れていると、指先が左胸の上で止まる。
「……ん、ぅ……!」
「こういう時の表情は、怖いほど可愛いな」
「可愛いって、言うな……だいたい、怖いほど可愛いって矛盾してるだろ……ッ、ぁ!」
 生地越しにわずかな突起を探り当てられ、シャツの上から擦られる。
 視線を上げると、常盤の顔が思いのほか近くまで迫っていた。
 いつ見ても完璧に整った顔には、何か得体の知れない魔が潜んでいるように見える。
 日本人離れしたスタイルを持ちながらも、和の華やぎと匂い立つばかりの艶めかしさを持つ眉目や、品よく真っ直ぐな鼻梁が印象的だった。
 時によって冷たそうにも甘そうにも見える唇は、肉感的で悩ましい。
 しかし何より惹かれるのは、見る者の心を騒がせる瞳だった。
 吸い込まれそうな瞳というよりは、抗えない瞳と表現した方が相応しいほどに……見つめられた瞬間、漆黒の瞳に囚われてしまう。
「俺の中で矛盾はない。愛し過ぎる存在に理性を奪われるのが怖くなることもある。一回りも年下で、見た目も中身もこんなに可愛いのに……お前が最強に思えてならない」
「俺が最強? そんなこと、絶対本気で思ってないだろ」
「本気だとも。お前には一生敵わないと思ってる」
「自分に自信がある奴ほど、そういうことをわざと言うんだ」
 むすっとしながら言い返す間に、ネクタイを解かれた。
 はだけたシャツの釦も、実に手際よく外される。
 幼い弟を育てた経験があるからなのか、遊び慣れた大人だからなのかわからないが、常盤は服を脱がせるのが上手かった。
「あ、ぅ……」
 直接肌に触れられると、常盤の指を冷たく感じる。
 それだけ自分が火照っているのがわかった。
 しかしいまさら隠しようがない。
 胸の高鳴りも急激な血の巡りも、理性ではどうにもできないものだった。
「薔……俺は本気だ。顔も体も、声も心も全部含めて、お前という存在を最強にして極上だと思っている。何しろ俺の人生も幸福も、お前次第だからな」
「常盤……っ、ぁ!」
 痕が残らない程度に首筋を吸われ、舌先で肌を舐られる。
 シャツの下に忍ばせた手で、やんわりと乳首を捏ねられた。
 耳元や首筋にかかる常盤の息は、手の冷たさとは裏腹に熱っぽい。
 常盤も興奮しているんだと思うと、薔の火照りは弥増した。
「く、ふ……ぅ」
「──ッ、ン……」
 唇を塞がれ、舌を追われて根元から起こされる。
 ねっとりと絡められた途端、まだ触れられていない脚の間がひくついた。
 今から常盤に抱かれるんだと思うと、ここがどこかということすら忘れそうになる。
 ここは誰も近づかない秋の屋外プールのはずで──敷地全体がフェンスで囲まれているうえに、更衣室の扉は施錠されているため、学園を管理する竜虎隊以外は踏み込めない場所だ。
 更衣室にはシャワーがあり、秘密の逢瀬に適している。
 しかし薔にとっては、常盤と二人きりになれるならどこでもよかった。
 冷たい風が吹き荒ぶ時計塔でも、息が詰まりそうな懲罰房でも構わない。
「……!」
 快楽に落ちかけた次の瞬間、常盤が唐突に身を起こした。
 蕩けるように甘い口づけが中断され、いきなりのことに薔は戸惑う。
 シャツを速やかに閉じられると、ますますわけがわからなくなった。
「……常盤?」
「物音が聞こえた。おそらくフェンスが軋む音だ」
「──え?」
 更衣室の扉を睨む常盤の真下で、薔はごくりと喉を鳴らす。
 言われてみると確かに、フェンスがギシギシと音を立てている。
 誰かに見咎められた場合、常盤がどう弁解するのかわからなかったが、薔は急いでシャツの釦を嵌めた。脱げかけていた靴もしっかりと履いておく。
 すでに兆していた脚の間が疼くものの、いざとなったら走って逃げる覚悟を決めた。
「フェンスを登って侵入したようだな。大学生か?」
 常盤はベンチに置いていた隊帽を被り、衣服を整えながら扉に近づく。
 この学園内に、竜虎隊隊長の常盤に逆らえる人間はそうそういないが、だからといって何をしても許されるわけではなかった。
 こんな場所にいるのを見られるのは都合が悪く、相手次第では非常に厄介なことになる。
「どうやらプールに入ったようだ」
「泳いでる、みたいだな。プールサイドで着替えたってことか?」
 更衣室に踏み込まれなくてよかったと思うものの、安心していられる状況ではなかった。
 常盤は「妙だな」と呟くと、音を立てないよう慎重に施錠を解く。
「妙って、何が?」
「九月の夜だぞ、水は相当冷たいはずだ。泳ぎたければ朝になるのを待って、屋内プールを使うべきだろう。何を考えてるんだ?」
 静かにドアノブを回した常盤は、金属製の扉を少しだけ開けた。
 隙間から流れ込む風は冷たく、水温は想像に難くない。
「どうしても今がいいとか、屋内プールを使えない事情がある……とか?」
 常盤の疑問に薔が答えた途端、二人は目を見合わせる。
 同じことを思いついたのがわかって、同時に身を乗りだした。
 扉をより大きく開けると水面が見え、驚くほど速く泳ぐ泳者の姿も見える。
 選手用の水泳キャップとゴーグルを装着し、競泳用水着で悠々と泳いでいるのは、大学生ではなかった。
 成人男子と見紛うばかりの体格の持ち主だが、高等部の三年生──薔と同じ贔屓生でもある剣蘭(けんらん)だ。
 まともに顔を見なくてもわかるくらい、その見事なフォームとスピードが記憶に刻まれている。
 極めて閉鎖的な学園にいるため、剣蘭には他校の生徒と競う機会も華々しい活躍をする場もないが、タイムの上では超高校級で、世界の舞台を目指せるほどだと聞いていた。
 今も五十メートルプールをすいすいと泳ぎ、男の人魚か、魚そのもののように見える。
「何をやってるんだアイツは……いくら泳ぎたいからといって、無謀にも程がある」
「贔屓生になったことで水泳部を辞めさせられて、ストレス溜まってるんだと思う。屋内プールを使わせてもらえないから、仕方なくこんな無茶してるんだろうな」
「気の毒には思うが、止めないわけにはいかないな。お前は更衣室に隠れていろ」
「あ、ああ……わかった」
 一度は外に出た薔は、指示通り更衣室に身を潜めることにした。
 常盤によく似た容姿を持つ剣蘭は、常盤がいずれ継ぐことになる教団御三家の一つ──西王子(さいおうじ)家の人間で、常盤が信頼する部下と言っても過言ではない立場だ。
 ただし薔が陰神子であることは知らないため、この場合は常盤が独りで剣蘭に声をかけ、フェンスを越えるのを見たので追ってきたという流れにするのが無難だろう。
「……ッ、ゥ……ゥ、ァ!」
 薔が踵を返した直後、遠くから鈍い悲鳴が届いた。
 まさかと思って振り向くと、広いプールの中央で剣蘭が歪な飛沫を立てている。
 苦しげな声はさらに続き、滅茶苦茶に手足をばたつかせているのが見えた。
「剣蘭!」
「まずいな、筋痙攣を起こしたのかもしれない」
「常盤……どうするんだ!? 溺れてる人間を独りで助けちゃ駄目だよな!?」
 そう言いながらも飛び込みかけた薔は、後ろから常盤に抱き留められる。
 急いで周囲を見渡すものの、救助用の浮き輪などはなく、プールは見るからに深い。
 そのうえシーズンオフのプールにはコースロープがないため、中央付近にいる剣蘭の救出は容易ではなかった。近づいた途端にしがみつかれ、頼る物もないまま一緒に溺れる危険がある。
「もちろん俺が行くが、まずは落ち着け。救助に最も必要なのは冷静さだ」
「それは……わかってるけど!」
「お前が溺れた時、無心で飛び込んだ俺に偉そうなことは言えないな」
 常盤は自嘲しつつも手を動かし、黙々と上着を脱ぐ。
 隊帽と共にプールサイドに放ると、通信機と伸縮警棒を外して薔に渡した。
「常盤……これ……」
「確かに単独での救出は危険だ。万が一の場合は通信機の非常ボタンを押し続けるか、更衣室の火災報知器を鳴らせ。いいか、何があっても絶対に水には入るなよ」
 常盤は明瞭な声で指示を出すと、薔の肩を左手で掴んだ。
 そうこうしているうちに、プールの中央は次第に静かになっていく。
 薔の予想に反して常盤はすぐには飛び込まず、薔の肩を支えにしながら、ロングブーツを手際よく脱いだ。
 体力があり余る状態でしがみつかれるのを避け、その間に泳ぐ準備を整えているように見える。
「常盤……飛び込んで本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。必ず助ける」
 剣蘭の体が沈み始める寸前に、常盤は薔の肩を叩く。
 だいぶ身軽になった体でプールに向かい、そのまま一気に飛び込んだ。
 服を着たままでも滑らかに入水(にゅうすい)し、大きな音や飛沫を上げることもなく潜る。
 ──常盤……剣蘭!
 常盤から預かった品々を抱えながら、薔は一瞬だけ空を見上げた。
 暗い空の向こうから下界を見下ろしているであろう龍神に、二人の無事を祈る。
 現時点で自分にできることはそれしかなく、冷静になるためにも祈りが必要だと感じていた。
 神子は神の寵愛を受けることで幸運に恵まれるため、心の底から何かを強く願えば叶うことがある。
 祈りに善悪は関係なく、悪しき心を持てば他人を不幸に陥れる危険もあるが、薔は自らの想いに自信を持って神に祈った。
 純然たる愛情と友情から生まれる願いを、どうあっても聞き届けてほしい──。


★続きは2017年1月16日更新の後編で!