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WEB限定小説

『事故物件幽怪班 森羅殿へようこそ 逢魔ヶ刻のささやき』番外編

「森羅殿」シリーズ第2弾『事故物件幽怪班 森羅殿へようこそ 逢魔ヶ刻のささやき』はもうすぐお目見え! 4月の刊行を記念して、一足先にステキな番外編が伏見咲希先生から届きました! 最新刊の新キャラ、謎多き美形の槐(えんじゅ)も登場する、美味しいお花見ストーリーをご堪能ください♪

「桜の宴は、どこまでも。」

伏見咲希

 さわさわ……と淡い色合いの花が風に揺れる。
 はらはら……と雪のような花弁が空を舞う。


「……どうして、清花苑(ウチ)が花見会場になるんだよ」
 満開の桜の古木の下、シートを敷いた一角で納得しかねる表情の漣蓮之介(さざなみはすのすけ)が、目の前に満面の笑みを浮かべて座る高村恭子(たかむらきょうこ)と槇 良実(まきよしのり)に向かって疑問をぶつけていた。
 確かに、昨日の配達の帰り際、花見をするからお弁当を作って? と恭子に強引にお願いはされた。反論を試みるも、結果は惨敗。言われるままに二段のお重に彩りも鮮やかなお弁当を作りあげたが、てっきりそれを持ってどこかに行くのかと思っていた漣である。
 午前十一時の約束に、出かけるには遅いんじゃないか? とも思っていたけれど、情報通の槇も一緒なのでどこか穴場でもあるのだろうとたかをくくっていた。そして、それはある意味当たっていたようだ。……そう、穴場と言えば穴場だろう、漣の職場である『清花苑(せいかえん)』は。
「どうしてもなにも……ココほど最適の場所はないじゃない」
 当然とばかりに恭子は艶然と微笑む。
 樹齢二百年は優に超す、立派な桜。もともとの枝ぶりも立派だったが、さらに淡い色合いの花をこれでもかと咲かせたその姿は、樹全体が霞みがかっているようにも見えて、息を呑むほどだ。

 しかも、ここは個人宅。周囲に気兼ねすることも、マナーの悪さに眉を顰めることもない。まさに、穴場中の穴場なのだ。
「この立派な桜! みんなで堪能しなきゃもったいないじゃないですか!」
 恭子に続いて、槇もいささか興奮気味に反論する。
「霞桜が、これほどきれいなものとは知らなかったですよ!」
 というか、霞桜という名前自体、初めて知りました! と槇は頰を紅潮させながら言い募った。
 染井吉野や江戸彼岸桜、河津桜の名は槇もよく耳にするし、目にする機会も少なくないが、霞桜は正直、今日が初めてだ。……たぶん。
「花と葉が同時に開くんですね! 瑞々しくやわらかい緑の葉と白っぽい花のコントラストがまた秀逸ですよね」
 桜に種類があることは知っていても、それがどんな花を咲かせるのか、どんな色彩を持ち、どんな特性を持っているのかなど、これまで槇自身、興味もなく意識したことがなかったのだ。しかし、これほどまでに見事な桜を見せられれば、自ずと興味を抱いてしまう。まったく関心のなかったこれまでが悔やまれてならない。
「この庭は芙美子(ふみこ)さんの旦那さんが造られたとお聞きしましたが?」
 槇は対面に座ったご婦人に話を振った。
 庭には霞桜を中心に、周囲に木々や草花が絶妙に配され、それぞれを邪魔することなく季節ごとに目を楽しませてくれる。
「はい。主人の本業は造園ですから」
 ふんわりと笑いながら答えた芙美子は、花屋『清花苑』の主で、彼女の夫は店頭に並べる鉢植えや切り花の生産も手伝ってくれるという。
「素晴らしい庭ですね!」
「そう言ってもらえると、主人も大層喜ぶと思います。──では、私はこちらを主人といただきますわ」
 にこやかに言い、槇が持参した手作りの桜餅と桜湯を持って母屋へと向かう芙美子の後ろ姿を見送って、恭子と槇は再び目線をシートに落とすと満足そうな笑みを浮かべる。
「お花見に桜餅、いいわよねー」
 桜の下に敷かれたシートの上には、桜餅が二種類。いわゆる、関西風の道明寺──つぶつぶとした餅の食感が何とも言えない──と、関東風の長命寺──小麦粉等を薄く円を描くように焼いた生地で餡を包み、桜の葉の塩漬け(塩抜きしたもの)を巻いたもの。
「ちょっとオリジナリティを出すつもりで、長命寺の方は餡を生クリームと和えたもので作ってみました。道明寺の方はいちごをトッピングしてみたんですが、どうでしょう?」
「長命寺の方は生地がクレープに似ているから、生クリーム入りでも私は結構好きかも。道明寺の方も、餡の甘さといちごの酸味のバランスがいいと思うわ。おまけに、このいちごたっぷりのパンケーキも美味しそうだし」
 そう、シートの上には桜餅だけではない。漣が作った料理のお重の他にも、それこそ槇が一日がかりで用意したスイーツ各種が並べられていた。
「──って、やっぱり観桜ばかりが目的じゃないわけな」
 花より団子、という言葉もある。
「あら、一番の目的は桜を観ることよ?」
 個人宅で所有するには立派すぎる霞桜。美しさを愛でて、風情を楽しむ。酔客などに煩わされることなく、心行くまで堪能する。
「でも、それだけじゃもったいないとも思うのよ。せっかくのお休みだし、お菓子作りを得意とする槇くんがいるんだもの。当然、食べる方にも重きを置きます」
 きっぱりはっきりと宣言する恭子に、漣ははぁ~~~と大きく息をついた。
 計画を何も知らされず、しかし律義にお花見弁当を作った自分が情けない。
 がっくりと項垂れる主人を慰めるかのように、黒柴の『まろ』と茶トラの猫『トラ』が、漣の手に頭を何度も擦り寄せる。あたたかくやわらかい毛並みに慰められつつ、漣はまた一つ小さく嘆息した。
「漣さん、今更ですよ。諦めてください」
 隣に座る坂城 桂(さかしろかつら)が、苦笑しつつ「どうぞ」と細身のシャンパングラスを差し出す。細かい泡が浮き立つ様が美しい。
「シャンパン?」
「こちらは、ノンアルコールですが」
「スイーツとシャンパン……」
 いや、合わないということはない。むしろ、合うスイーツもここには用意されている。
 しかし、こんなものまで用意していたのか、と思いきり脱力する漣に、坂城は笑みを深めた。槇と恭子はしてやったり! と満足そうな笑顔だ。
「…………もう好きにしてくれ」
 今更追い出すわけにもいかないし──殊勝に追い出される性格もしていないし。
 諦めの境地で呟く漣は、一人黄昏(たそがれ)る。
 どうやらとっくに、役割分担ができていたらしい。漣は料理、槇はスイーツ、坂城はシャンパンを含む飲料類──シートの上には、他に日本酒とワインがある──、恭子は場所の確保だ。
 まんまとはめられたようで、漣はさらに落ち込む。が──。
「うむ。好きにしておるぞ」
 唐突に耳朶(じだ)を打った声に、憂いは一気に消し飛んでしまった。反射的に声のした方へと目を向けた漣は、思いがけない人物の登場に目を見開く。
「は? え、槐(えんじゅ)、どうして、ここに?」
 人並み外れた美貌の持ち主は、文字通り人外の者だ。それも神仏に近い方の。
 冥府関係の用事で、特に急ぎのものはなかったと記憶しているのだが、と漣が訝るように見れば、槐は赤い瞳をやわらかく細めて淡く笑んだ。その手には日本酒で満たされた盃と、きれいに焼けた出汁巻き卵を挟んだ箸がある。
 優美な所作で出汁巻き卵を口に運びつつ、盃もきれいに飲み干した槐は、満足そうに息を一つついた。そして嬉しそうに呟く。
「今日は、いつにもまして豪勢だな」
 シートの上には、野菜の炊き合わせや出汁巻き卵、天ぷらやちらし寿司の詰まったお重に、二種類の桜餅、パンケーキやマカロン、いちごのモンブラン、レアチーズケーキなどのスイーツが並んでいる。
「………………もしかしなくても、これが目的?」
 漣はあきれた。上機嫌な槐の目線は、料理とスイーツ、日本酒にはっきりと注がれている。
「でもって、もしかしなくてもまた抜け出してきたわけだな」
 そうそう簡単に抜け出せる身ではない筈なのに。
 確信を持って漣が問うと、槐はそれこそ当然とばかりに頷いた。
「この霞桜もちょうど見頃だと思っていたしな」
 淡い桜の花弁が、春を告げるかのように冥府へも流れてくる。まるで、誰かの心遣いのように。
「そなたと初めて会うたのも、この季節であったな」
 霞のように淡い色合いの花の房に、槐は愛しむように触れながら静かに言葉を紡ぐ。
 漣は僅かに目を伏せた。もう忘れてしまうほど遠い記憶だ。
 すると、それまで二人の会話に耳を傾けていた坂城が、好奇心に負けたように口を挟む。
「ちなみに、漣さんが何歳くらいの頃に会ったのですか?」
「そうよな……初めて会うたのは、ほんの緑児(みどりご)の時だ。蓮(れん)は覚えてはおらぬだろうが。次いで会うたのが、童子(わらし)の頃か」
 日本酒を嗜む槐の口許が、やさしく緩む。
 漣は頷いた。四歳か、五歳か。それくらいだった。
「そんなに幼い時にですか」
 槐と漣の関係を薄々察している様子の坂城は、思いがけず低い年齢に驚いたようだった。が、槐は逆に坂城の反応に首を傾げる。
「それほど驚くことでもあるまい? 現に、そなたも私が視えている。素質は十分にある。──蓮はそれが特に早かった、ということだ」
 槐自身がそう仕向けない限り、相手は彼の存在を記憶しない。
 視覚的に捉えても、なぜかそれを記憶しない。しかし例外的に、霊能力が突出した者の中には、その力故に槐の姿をその瞳に映す。
 そう。今も漣と坂城は槐に気付いているというのに、すぐ隣にいる恭子と槇がまったくその存在に気付いていないのがいい例だ。
「…………俺の昔話はいいから、そろそろあの二人にも意識を向けてくれないか? つーか、そこに並んでいるスイーツは彼が作ったものだし、今回の花見の発案者は彼女だ」
 恭子の発案があって花見は実現し、それを盛り上げるために槇はスイーツをいくつも作ったのだから。つまり、槐が好物の甘味をご相伴に与れるのは、二人のおかげだ。
 漣の言葉に、槐はふむ……と納得したように頷くと視線を流す。途端──。
「……っ!」
 これまでパンケーキを頰張りつつ、桜餅談議に花を咲かせていた恭子と槇が、唐突に顔を上げると驚愕に目を見開き、しばし固まった。
 二人が凝視するのは、当然のことながら槐だ。
 堂々とした佇まい。赤い瞳と輝くような銀色の髪。年齢不詳の美貌の印象は強烈で、見間違える筈がない。しかも、その彼は盃を手にすっかりと寛いだ様子だ。
「「い、いつの間に」」
 神出鬼没すぎる槐の現れ方に、槇と恭子が同時に同じ言葉を叫ぶ。
 焦りまくる恭子たちとは対照的に、槐は泰然とした態度を崩さないまま二人の疑問に律義に答える。
「先ほどから邪魔をしているぞ」
「えぇ」
 まったく気付きませんでしたっ、とさらに恐慌状態に陥った槇が挙動不審な行動に出た。
 まず取り皿に、自分が作った各種スイーツを取り分けると槐の前に並べる。カトラリーを置くことも忘れずに。飲み物も、それぞれに合ったグラスやカップなどに注いで、やはり彼の前へ。そして、何かを思い出したようにポンと手を打つと、後ろに置いていたクーラーバッグに手を伸ばした。
「そうそう、桜のムースも作ってきていたんですよ」
 冷たい方が美味しいので、と今までクーラーバッグに入れていた理由を説明しつつ、ほんのりと淡い桜色のムースに塩漬けされた桜をあしらった、見た目にも美しいそれを恭しく槐へと差し出す。
「あぁ、趣があるな」
 受け取った槐は、赤い瞳でじっとそれを見つめ、やおらスプーンで掬って一口。
 ドキドキと判定を待つように神妙な面持ちでいる槇に、槐は満足そうに目を細めた。
「桜の香りが口の中で広がる」
 この季節にはぴったりだな。存外さっぱりしていて美味しい、と告げられて、槇はほっと安堵の息をつくとようやく落ち着きを取り戻した。
「それで、あの……今日は、どうしてこちらに?」
 やはり同じように疑問に思っていたらしい恭子も、うんうんと頷いている。
「うむ。蓮の傍にはいつも美味しいものが集まってくるのでな」
 真顔で告げられて、槇と恭子は絶句する。漣もムースを口に運ぶ槐をまじまじと見つめた。
「……俺の傍に美味しいものが集まる、って何だよ、それは」
 意味がわからない、と半ば呆れたように呟けば、やはり真剣な表情で槐が答える。
「違うか? 何かと土産を持ってくるし、今もこうしてたくさん並んでいるだろう?」
「これは、今日、花見で特別。手土産は手土産だし」
 漣は窘めるように告げる。
 初めて漣が槐の住まい──本物の森羅殿へ手土産に持って行ったのは、道明寺だっただろうか。
 最初、槐は物珍しそうに、興味深げな表情でそれを食べていた。以降、ときどきこちらの菓子を手土産に持って行くようになった。
 しばらくは、和菓子がいいのかと思い込んでいて、季節ごとに上生菓子を持参していた。それからイタズラ心で生クリームあんぱんを持って行ったら、槐がいたく気に入ってしまった。それを機にパンや洋菓子なんかも手土産として渡すようになったのだ。──今では槐は、自ら美味しいスイーツを求めてお忍びでこちらへ来てしまう始末だ。
「第一、作っているのは俺じゃない」
「わかっておる。だから、おまえの傍に美味しいものが集まる、と言うたであろう?」
 漣の料理の腕前は相当なものだ。そしてここには、お菓子作りに特化した槇がいる。槇は漣を何かとお茶に誘い、手作りのスイーツを振る舞い、時としてお土産まで持たせてくれる。これも槐の言うところの『集まる』の一つ。
 恭子や坂城が、出張土産にお菓子を持参して『清花苑』を訪れるのも『集まる』の一つだし、ご近所からの旅行土産や、田舎から送られたものやお取り寄せの一部をお裾分けと称して持ち込んでくるのもまた『集まる』の一つ。そして。
「この前も、チョコレートをたくさん持って来てくれたではないか」
 言われたそれに、漣は一瞬なんのことかと首を傾げたが、思い出して声が低くなる。
「チョコレート? あ、二月十四日」
「バレンタインですね」
 と坂城。こちらも身に覚えがあるらしい。
「やっぱり坂城さん、たくさんもらったんですか?」
 興味津々に問う槇に、坂城は苦い表情を浮かべた。
「正直、もらっても嬉しくない」
「レンレ」
 ンとは、やはり鋭い眼光を投げられて最後まで呼ばせてもらえなかった槇は、小さく空咳をして言い直す。
「レンさんは、本命チョコが多そうですよね」
 漣は花の配達に『森羅殿』だけではなく、いくつかの会社や店舗を回っている。それを槇は知っているがゆえの問いだ。配達中に接する女性はもちろん、漣を見かけるだろう女性も多い。そんな彼女たちから本気のチョコを渡されるだろうことは、想像に難くない。
「本命チョコだか、義理チョコだか、友チョコだか知らないけど。見ず知らずの人からもらっても怖いだけだろう」
 漣はうんざりと言う。渡されたチョコは基本的に有名ブランドや洋菓子店のものだったりはしたのだが、中には手作りもないではなくて、それらは中に何が入っているのかわからない。──時には、呪詛のような念が籠もったものもあって、受け取っても気が重いだけだった。
「あ~~~~、そういうものもあるんですね」
 募りに募った好意が、執着となって念になる。
「厄介ですね」
 坂城が同情を込めて言うと、漣は「だろ」と盛大に頷いた。
「だから、そういったものを全部、槐のところに持って行ったことは確かだな」
 恭子と、何故か槇と坂城からもらった友チョコは、ありがたくいただいたが。……と、漣は心の中で呟く。
「……そんな危険なものを持って来ていたのか?」
「危険も何も、槐なら問題ないだろう。人間の念ごときで、簡単に死ぬほどヤワじゃないし」
「それでも、そんな物騒なものを持って来るでない」
「捨てるのはもったいないだろう? 槐は、甘いモノが好きなんだし」
「ならば、彼が作ったものを所望する!」
 ビシッ、と槇を指差しながら槐は宣言した。
「はぁ? 持って行けるわけがないだろう。槇くんだって、毎日作っているわけじゃないんだから」
 彼も社会人。平日は仕事に追われている。
「ある時だけで構わぬさ」
「だから、それが我が儘だって言ってる」
それこそ誘われるお茶に、毎回、槇お手製のスイーツが出てくるわけでもない。……頻度は高めと思わないでもないが。
 言葉にしなかったそれを、敏感に察した槐が唇を尖らせた。そんな拗ねた表情でも、可愛さが加わっても、美しさを損なうことはない。
「おまえだけズルイではないか」
「役得なだけだ」
 その後に、面倒な心霊騒動に巻き込まれるのだから、ある意味先払いの報酬でもある。
「ならば、我も手伝う」
「それこそ、無理な話だろうが」
 そうそうしょっちゅう抜け出して来られては、冥府(あちら)の方が大変なことになる。槐の周囲にいるものたちを思い浮かべて、漣は思いきり同情を寄せた。

「…………何、この親子ゲンカのような兄弟ゲンカのような様相は」
「さ、さぁ……何なんでしょうね」
 話題は、槇お手製のスイーツのようでもあるが。とても割って入れる雰囲気ではない。
「チーフも槇くんも、今はお二人の言い合いを眺めつつ、漣さんのお弁当を摘まんでいましょう」
 普段は無表情なくらいの坂城が、今は薄く笑んでシャンパングラスを傾けている。
「それも、そうね」
 割って入れないのなら、高みの見物を。
 さっくり気持ちを切り替えた恭子は、野菜の炊き合わせに入っていた里芋を摘まむと、美味しいと呟いてほっこりと表情を緩める。
「では、僕も」
 槇も口を挟めないなら結果次第と腹をくくって、漣の料理を堪能することに専念した。


 さわさわ……と淡い色合いの花が風に揺れる。
 はらはら……と雪のような花弁が空を舞う。

──桜の下の宴はにぎやかに、どこまでも続いた。