講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

「幻獣王の心臓」シリーズ

「幻獣王の心臓」ツイッター連載・スペシャル書き下ろし

「大蛤(おおはまぐり)の幻」

氷川一歩

 花見がしたい。いや、花見をするぞ──だっただろうか。
 西方守護の聖獣白虎(びゃっこ)こと、西園寺(さいおんじ)家の居候猫の琥珀(こはく)が、急にそんなことを言い出した。
「すればいいじゃねぇの?」
琥珀が急に言い出すのはいつものことなので、西園寺颯介(そうすけ)も軽い気持ちで答えた。
 それが間違いだった。
 気がつけば、琥珀は本来の白い大虎になって、颯介を背中に乗せ、大空を駆けていた。
「うおぉぉぉぃ! ちょちょちょっ、ちょっと待てえぇぇぇっ!」
 琥珀は人の世の陰に隠れる物ノ怪や妖の類い、それも世の理に通じるような、ある種、神様のような存在だ。
 だから虎の姿でも空を駆けることができる。颯介もそれは知っている。

 だが、だからと言って、その背中にしがみつく颯介まで快適な空の旅を約束するものではなかった。
 手を放せば地面へ一直線。そうでなくても、吹っ飛ばされそうな風圧に水も凍るような寒さの中、心身ともにガクブルの状況だったのは言うまでもない。
 早く終わったのかそれとも長かったのか判然としないが、気がつけば見慣れぬ海岸で下ろされていた。
「なんじゃい、情けない奴め」
「おっま……マジ……マジほんと、おまえ、マジで……うぅぅ……」
 普通の生活を送る一般人なら一生縁の無いような大空の旅を乗り切った颯介は、とりあえず周囲を見渡した。
 生い茂る木々や肌で感じる空気感を信じるなら、ここはおそらく日本国内だろう。
 ただ、白い砂浜に切り立った崖があるだけで、人の姿どころか人の手が入った痕も見当たらなかった。
 となると、日本近海の無人島といったところだろうか。
 それはまだいい。いや、無茶な空中散歩を強要された身としてはよくないが、問題なのは花がどこにもないことだ。花見がどうとか言っていたくせに、見える範囲に見惚れるほど立派な花樹がどこにもなかった。
「なんなんだよ、ここ。花なんてどこにもないじゃないか」
「花? なんで花なんぞを気にするのだ?」
 素面で首を傾げる琥珀を、一瞬本気で殴ってやろうかと思ったが、やめておいた。
「花見をするとかしたいとか、そう言ってたのはおまえだろ」
「それはそうなのだが、その前に必要なものがあるであろう?」
「必要なもの?」
「花見の宴席ともなれば、弁当が必要であろうが」
「……ん?」
 一瞬、ちょっと本気で何を言ってるのかわからなかった。
「弁当?」
「うむ。ここでは、よいハマグリが採れるのだ」
「よし、そこに正座! とりあえずお仕置きな」
「待て待て待て待て!」
 颯介が手の甲に血管が浮き出るほど拳を握りしめたのを見て、琥珀は慌てて口を挟んだ。
「ここで獲れるハマグリは貴重なのだぞ。〝シン〟と言ってな、蜃気楼の〝蜃〟と書く。肉厚で旨味ぎっしりで歯ごたえ抜群のハマグリで、神々さえも魅了する奇跡の味わいであるぞ」
「つか、それって妖じゃねぇの? 俺、関係ないじゃん」
「妖ではあるのだが、なんというか普通のハマグリが長い時間を経て転じたものと思って良い。猫又のハマグリ版であるな。人の子が食えば長寿と繁栄が得られるぞ。それを獲りに来たのだ」
「……ほ、ほほう……」
 そこまで言われると、なんとなく興味が沸いてくる。
 そもそもここは無人島。帰るには琥珀に頼らなければならず、意固地になって拒否しても埒が明かない。
「し……仕方ないな。そこまで言うなら付き合ってやるか」
「うむ、よし。それでこそであるな」
 大きく頷き、琥珀は白い大虎から金髪金眼で長身痩軀の人型にくるりと化けた。颯介にしてみれば、見慣れた琥珀の人間形態だ。
「なんで人型?」
「蜃が獲れるのが、そこの崖下にある洞穴の中でな。本来の姿では入れんし、猫の姿では持ち帰れん」
 そう言って、琥珀はさっさと崖下の洞穴へ向かっていった。颯介も、やれやれと言わんばかりに後を追う。
 洞穴の中は思ったよりも広かった。ヒカリゴケでも生育しているのか、一寸先さえ見えない真っ暗闇と言うわけでもない。
 そうして洞穴の中を進み……次第に颯介は、違和感を覚えてきた。
「なぁ、なんか長くね?」
 入ってすぐ行き止まりというわけでもない。右へ左へとくねった道が、思ったよりも長く続いている。空気もひんやりしてきて、もしかしてこれは、気づかないほど緩やかに傾斜しているのだろうか。
 いや、そもそも本当にここは現実の世界なのか。訳のわからない異世界に連れて行かれているような錯覚を覚える。
「おい、琥珀。これ、どこまで──」
 そう言いかけて、颯介は気づいた。
 なんだか視界が悪くなっている。前を進む琥珀の背中が霞んで見えると言うか、全体的に煙っているように見えた。
「……む、そろそろであるな」
 琥珀の言葉が、妙に緊張感のある身構えたものだと思った、その時だ。
「──ッ!?」
 ずるりと動く姿を、颯介は視界の端で捉えた。立ちこめる霧が覆い隠していたのか、その姿が颯介たちの前に現れた。
 龍。
 龍である。翼のない蛇のような、いわゆる西洋のドラゴンではなく東洋の龍だ。胴回りも全長も、樹齢数百年を数えるような巨木と同じくらいはありそうだ。
 そんな龍が、五匹、一〇匹、いやそれ以上、ひしめき合うように身を寄せ合い、群れていた。
「ほげえぇっ!?」
 恥も外聞もない悲鳴が颯介の口から飛び出した。
 それが合図となったのだろうか、ひしめき合う龍たちが首をもたげ、颯介を見る。直後、遠慮会釈なく顎を大きく開いて襲いかかってきた。
「うわわわわわわっ!」
 慌てて飛び退き、地べたに転がるように身を伏せる。耳にはザシュ、ズガッ、と重機で家屋を粉砕しているような恐ろしい音が響いた。
「ええい! 貴様、何をしとるか!」
 それでも颯介が無事だったのは、琥珀が襲い来る龍の群れを捌いてくれたからだ。琥珀の左右はともかく、背後はまるっきり無事だった。
 だからと言って、颯介が胸をなで下ろすわけでもない。
「なっ、何してるってこっちのセリフだ! おいこら、ハマグリはどこ行った!? なんで蒼紫みたいな龍が山盛りなんだよ!」
 因縁浅からぬ東方守護の聖獣青龍が名乗る人の名を口走り、颯介がとんでもないところへ連れてきた琥珀に罵声を浴びせた。
「阿呆! こいつらが蜃だ! 貴様のその眼でよく視てみろ!」
「……あぁ?」
「早くせんか!」
 その眼でよく視ろ──琥珀がそう言うのは、颯介が持つ両目の〝シンガン〟を指してのことだろう。特に緑色をした左目の〝真眼〟は正邪虚実を見抜く眼であり、例え神聖存在が施した幻術とて見破ることができる。
 颯介は言われるがままに真眼で群がる龍を視れば、その龍たちが霧に映る半透明の映像であることに気づいた。実体がない幻の龍たちだ。
 さらにその龍、いや周囲に立ちこめる霧そのものが、地面に群がっているフリスビーサイズの開いた貝殻から、あふれ出ていることを見抜いた。
「なっ、なんだあの馬鹿でかい貝は!?」
「それはどこだ!? 早く教えんか!」
「お、おう」
 颯介は真眼で見えた貝の位置を指摘して行けば、琥珀は迫る龍を捌きながら腕だけを本来の大虎に戻して貝を叩いていった。
 するとどうだろう。徐々に霧は晴れていき、龍も数を減らして消えていった。
 そしてすべての貝の口を力任せに叩いて閉ざせば、周囲に立ちこめていた霧は晴れ、あれだけ多くいた龍の群れも跡形もなく消えていた。
「うむ。重畳、重畳」
「……おい」
 琥珀はほくほく顔だが、対して颯介は剣呑な目つきになっていた。
「なんだよ、さっきのは!? なんでハマグリを捕りに来て龍の大群に襲われにゃならんのだ!」
「あの龍の群れこそ、蜃が見せていた幻であるぞ。奴らは霧を吐き出してな、それを〝すくりぃん〟にして現実にも干渉するほど強い龍の幻影を映し出すのだ。その幻影は儂らでも見破れんでな、貴様の真眼が必要だったわけよ」
「……おまえなぁ~……」
 そういうことなら先に言えと叫びたい颯介だったが、琥珀はすでに仕留めた蜃をかき集めるのに夢中になっていた。
 まったく碌でもない。

 その後、獲った蜃は吸い物や炊き込みご飯の調理して、花見の席で美味しく頂いたのだった。ただ、花見をした梅の花にも妙な謂われがあり、面倒なことになったのだが、それはまた別の話。