講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

「ハーバードで恋をしよう」シリーズ

ツイッター連載・スペシャル書き下ろし

「First Impression」

小塚佳哉

(どこの子供が紛れ込んだんだろう?)
 それが彼の第一印象だった。
 初めて会ったのは、学生寮のエレベーターだ。
 ジェイクは友人たちと降りてきたが、乗り込もうと待っている子供の姿に違和感を覚えて怪訝な目を向けた。
 なにしろ、ここはハーバード・ビジネススクールだ。
 ビジネス・エリートの学位と呼ばれるMBA――[経営学修士号]を手に入れるために、世界中から優秀な人材が集まってくる。
 多くの学生は大学卒業後に何年か働き、それから入学してくるので、性別や国籍はさまざまでも二十代がほとんどだ。だから、こんな子供が飛び級で入学してくることもない。
 既婚者の学生も多いだけに、誰かの子供だろうか? だが、大荷物をキャリーカートで引いているところを見ると、これから入寮する新入生の可能性もないわけではない。そう考えていると、先にエレベーターを降りた友人が訝しげに口を開いた。
「……もしかして、到着したばかりの新入生?」

「ああ、逃げ出したヤツの代わりに空いた部屋に入るんだ」
 彼は元気よく答えながら、おどけるように大げさに肩をすくめてみせる。
 それを聞き、友人たちは一斉に笑った。
 ジェイクも口元が緩む。
 彼の言っている逃げ出したヤツというのは、ジェイクの隣の部屋にいた、騒がしいアメリカ人だ。入寮した日から毎晩、部屋に人を集めて騒いでいたので顰蹙(ひんしゅく)をかっていたが、苦情を言っても改める気配がなく、寮でも浮いていた。
 だが、いい加減、こちらが部屋替えを希望しようかと思っていた矢先、相手が出ていってくれたのだ。願ったりかなったりで、ジェイクも気分がいい。
 すると、新顔の学生に話しかけていた友人が振り返った。
「よかったな、ジェイク! 小柄なアジアンなら、きっと静かだぞ」
 そんな言葉とともに肩を叩かれ、子供と見間違えたほど小柄な彼と目が合った。
 本当に、どう見ても子供だ。十代半ばにしか見えない。年齢の離れた十四歳の弟がいることもあって、同じくらいに思える。つい挨拶もしないで、しげしげと眺めてしまうと、彼もじっと黒目の大きな目を見開いて見上げてくる。
 そんなに珍しい顔だろうか、と思いながら落ちつかない気分になったので、隣の部屋になることもあり、ジェイクは自分から手を差し出した。
「はじめまして、きみの隣の部屋になるジェイク・ウォードだ」
「こ、こちらこそ、はじめまして! 佐藤仁志起です」
「……サトーニッキー?」
「さとう、にしき!」
「ニシキ?」
「そう!」
 握手をしながら、言い慣れない名前の発音を確認する。
 すると、ちゃんと繰り返した時に、彼――ニシキは嬉しそうに笑った。
 まるで幼い子供のような無邪気な笑顔だ。どうしても歳の離れた弟を思い出す。
 なんとなく放っておけず、ニシキのキャリーカートを運んでやりがてら部屋に案内して、これから向かうつもりだった寮のパーティーにも誘った。
 ニシキは到着したばかりだが、自分が暮らす寮の住人に会っておくのも悪くないだろう。HBSでは勉強も大切だが、学生同士の交流も大切だ。それは卒業後の人脈という貴重な財産となる。
 最初はためらっていたニシキだったが、それでも一緒についてきたし、新顔の登場に一階のラウンジで開かれていたパーティーも大いに盛り上がった。
 しかも、彼が二十四歳だとわかると誰もが驚いた。もちろん、ジェイクもだ。
 アジア系は総じて若く見えるが、ニシキは本当に若いというか、やたらと幼く見える。
 そのせいか、あっという間に人気者になり、女子学生からも引っ張りだこだ。可愛い、可愛い、とペットの犬や猫のように撫で回されて、シャンパンを開ければ誰もが彼と乾杯したがった。
 それでも、調子に乗ったラテン系の美女に抱き寄せられて、グラマラスなバストに思いっきり顔を押しつけられてしまったニシキは、瞬く間に耳まで真っ赤になった。ヒューヒューと冷やかされ、いっそう赤くなったニシキは、逃げるようにラウンジの奥にいたジェイクのところにやってくる。
「あー、びっくりした! 彼女、いきなり抱っこしようとするし!」
 赤い顔を両手で扇ぎながらぼやくニシキを笑いつつ、ジェイクはシャンパンのボトルをつかみ、グラスに注いでやった。
「どうぞ、まだ冷えてる」
「ありがとう」
 ジェイクの隣に座ったニシキは礼を言うと、喉が渇いていたのか、シャンパンを一気に飲み干した。
「あー、うまいねー、このシャンパン!」
「ワイン商で働いていた学生が持ち込んだそうだ」
「そうなんだ?」
 へー、さすがー、と納得しているニシキの空になったグラスに、ジェイクはあらためてシャンパンを注いでやる。確かに、このシャンパンは美味だ。明日からの新学期に向けて、さあ、がんばろう、というような景気づけのパーティーなので、とっておきを持ってきたと言っていた。そう思い出しながら、自分のグラスにも注いでいると、すぐ隣から視線を感じる。
 ジェイクが顔を向ければ、ニシキがこちらを見ていた。
 目が合ったので問いかけるように首を傾げると、ニシキは視線を逸らすことなく、まっすぐに凝視したままで呟く。
「きれいだね、ジェイクの目って真っ青だ」
「……そうかな? ありがとう」
 そっけなく礼を言い、ジェイクは肩をすくめながら眼鏡の位置を直した。

 実は、容姿について言及されるのは好きじゃない。
 物心ついた頃から、あれこれと言われ続けて、うんざりしているのだ。
 金髪碧眼という人目を引いてしまう容姿と、英国屈指の名門貴族である公爵家に生まれたせいで、外見や肩書きで態度を変える人間をさんざん見てきた。それだけに、真っ先に外見や出自に触れてくる相手は警戒するようになっている。
 だが、そっけない態度で答えても、ニシキはいまだに自分を凝視していた。
 どことなく、うっとりと見とれているような表情だ。
 どうにも居心地が悪くて、ジェイクは訝しげに問いかけた。
「……そんなに珍しいかな?」
「ん?」
「この顔が」
「うん」
 なんのてらいもなく即答したニシキは、さらに顔を近づけながら呟く。
「オレ、こんなに青い目も、こんなにハンサムな顔を見るのも、生まれて初めて」
「……生まれて初めて、とは大きく出たな」
「いや、ホントだから! 最初に会った瞬間から、すっげえきれいな青い目で、めちゃくちゃハンサムだと思ったんだもん」
 ムキになって言い返しながら、ソファの隣に座っているニシキはにじり寄るように近づいてくるので、ジェイクは苦笑するしかない。これまで容姿を褒められ、嬉しいと思ったことなど一度もなかったが、あまりにもストレートな褒め方に調子が狂うというか、戸惑うばかりだ。彼の言葉や態度には裏が感じられない。媚びへつらうような様子がなくて、なんというか、無邪気なのだ。
 しかも、そんなことを考えているジェイクの隣で、ニシキはまだ熱心に褒め言葉を並べている。
「とにかく背が高くて、なんだか上品だし、感じがいいなって思って……それにハンサムだし、金髪とか青い目はきれいだし……あ、これはさっきも言ったか! オレ、英語が母国語じゃないから語彙が少なくて、うまく言えないけど、きれいだって思っているのは本当に本当だから!」
「ありがとう、わかったよ」
「わかってくれた? ホントに? なんか、笑ってるけど! オレは本気で褒めてるんだから本気で聞いてくれよ」
 ジェイクが照れくさくなって話を切り上げようとしても、ニシキは余計にヒートアップしてしまう。他の学生たちから呼ばれても、ジェイクと話してるから、と答えて隣から動こうとせず、さらなる褒め言葉を並べてくる。
 しばらくすると、ジェイクも彼の好意は本物だと思うしかなくなった。
 あまりにも熱心に訴えられ、疑うほうが難しい。彼は本当に青い目をきれいだと思い、この顔をハンサムだと思ったようだ。しかも、そんな褒め言葉をしつこく繰り返されても不愉快じゃない。少々照れくさかったり、気恥ずかしくは思っても、不快には思わない。これは珍しいというか、滅多にないことだった。
 彼の言葉に裏がないせいだろうか?
 正直に思ったままを口にしているからだろうか?
 いまだに、まくし立てられている褒め言葉を聞き流しながら、ジェイクは腕を組んでニシキを眺めた。
 あらためて見ても、外見は十代半ばに見える。二十四歳という実年齢を知っても、その年齢には、どうやっても見えない。だが、このHBSに入学したからには、ここにいる学生たちと彼の頭脳は変わりないレベルのはずだ――まあ、英語の語彙は少ないにせよ。
 そう考えると二十代になっても、いや、社会人として世の中に出ようと、子供のような無邪気さを失っていないことに感動すら覚えてしまう。
(ニシキが幼く見えるのは、もちろん、小柄で童顔であることも理由だろうが、この無邪気で、まっすぐな言動や性格のせいかも?)
 あまりにも邪気がないせいで、幼く見えてしまうのだ。
 だが、幼い子供の無邪気さ、素直さを失わずに成長するのは簡単なことじゃない。彼の純粋さは、ある意味、貴重かもしれない。
 そう思った途端、ジェイクはむくむくと興味が湧いてくることに気づいた。
 もっと彼のことが知りたい。
 ニシキという存在を、もっと。
 ジェイクは、あえて言うならバイだ。これまでの恋人には女性も男性もいるが、厳密に言えば、性別よりも人間性に惹かれる傾向がある。相手をもっと知りたいと思った時が、いつも恋の始まりだった。
 外見を褒められても少しも不愉快にならない相手、それは充分に好奇心を刺激する。
 彼の言葉がまっすぐに聞こえてくる、その理由を解き明かしたい。
 そして、もっと彼から褒められたいような――そんな気分になるのは初めてで、ジェイクはこっそり苦笑した。
 だが、こうしている間も、ニシキはあちらこちらから声をかけられ、誘われている。
 ペットの小動物のように可愛がられている雰囲気だが、おそらく無邪気な彼はあっという間に人気者になるかもしれない。ぼんやりしている場合ではないかも、と危機感を抱くと、ジェイクはさっそく行動を起こした。
 いまだに褒め言葉をあげ連ねるニシキに、にっこりと微笑みかける。
「ここは騒がしいな。よかったら僕の部屋で話さないか?」
「うん、喜んで!」
 ジェイクからの誘いに、ニシキは即答だった。
 これは脈ありだと誰だって思うだろう。
 だが、ジェイクは忘れるべきではなかった。相手は二十四歳であっても、外見や言動がとても幼く見えてしまうような精神年齢の持ち主だと。
 その結果が、あの最初の夜だったのだから。



 そして、時は流れ、冬学期が始まった頃。
 学食のラウンジには、デルタB――ジェイクとフランツ、シェイク・アーリィがそろっていた。夕食後に集まって、ケースの下調べをしようと約束したのに、ニシキだけが遅れているので、フランツが時間を確かめながら言った。
「ニシキが遅いな、ジェイク」
「こちらに向かうって連絡はあったから、すぐに来るんじゃないかな」
 即座に答えるのを聞き、シェイク・アーリィが微笑む。
「さすが、ニシキの行動はチェック済みか」
「そうでもないけど」
 さらりと答えるジェイクの向かいで、シェイク・アーリィとフランツが笑いながら肩をすくめた。彼らは、ジェイクとニシキが恋人同士だと知っている数少ない友人たちだ。だが、二人の関係を祝福しながらも、おもしろがっている面もあると思っていると、シェイク・アーリィが笑いを含んだ声で続けた。
「極めて個人的な疑問なので、答える義務はないが……ジェイクは、あの二十四歳児と、ちゃんと恋愛できているのか?」
 その言葉に、フランツは堪えられずに噴き出す。
 さすがに失礼だと思い、ジェイクが青い目を冷ややかに向けると、フランツはあわてて笑いを引っ込めたが、シェイク・アーリィはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべたままだ。これには肩をすくめるしかない。
 二十四歳児。なるほど、言い得て妙だ。中東の皇太子は人を見る目が厳しい。
 だが、彼にしても、ニシキを気に入っていることは明白だ。フランツにしても、ニシキにはどんな助力も惜しまない。彼の無邪気さは誰からも愛される。素直で正直で真っ当な性格は無敵だ。
 恋愛に対しては、やたらと無知であっても。
(まあ、それも魅力だが)
 そう独りごち、ジェイクは微笑んだ。
「ニシキに未熟で幼い面があるのは認めるよ。でも、僕は彼の初めての恋人だし、何をしても自分が初めての相手になるというのは……そうだな、とても名誉なことだと思っているよ」
 その言葉に、シェイク・アーリィとフランツは呆れたように顔を見合わせる。それでも、さらにジェイクは言った。
「ニシキは年齢が二十四歳、外見は十四歳、さらに恋愛に対しての精神年齢は四歳だと思えばいいんだ」
「ふうん? のろけたな、伯爵」
「ま、ケースの分析をするように自分の恋人を分析するようなヤツには、お似合いかもしれないな」
「なんだい、それは? 先に話を振ったのは、そっちじゃないか」
 ジェイクが不満そうに言い返すと、二人は楽しそうに笑い出した。結局、からかわれたらしいと苦笑しながら、ジェイクがわざとらしい咳払いをしていると、ラウンジの出入り口から見慣れた顔があらわれた。
「……あ、いたいた! 遅くなってごめん!」
 そう言いながら、ニシキが駆け寄ってくると、シェイク・アーリィとフランツが口々に声をかける。
「本当に遅いぞ」
「どうした? ニシキが遅れるなんて珍しい。いつもギリギリでも遅れないのに」
「ごめん、ごめん! 日本人の二年生のところで、たこパだったんだよ! でも、お土産っていうか、差し入れを持ってきたから!」
「……タコパ?」
「たこやきパーティー! あ、ええっと……たこやきっていうのは日本の軽食で、オクトパス・ボール? いや、オクトパス・ダンプリングかな? つーか、ジャパニーズ・ケーキ・ポップ?」
 あやふやな説明をしながら、ニシキがテーブルに置いた密閉用容器を開くと、その中にはミートボールのようなものが並び、ソースがかけられているが、その香りが独特だ。
「タコヤキって、タコ入りのスナックフードだったよね?」
 親日家のフランツが確かめると、ニシキは首を振った。
「あ、タコは入ってないよ! その代わり、ソーセージとツナ入りなんだ」
「それでも、タコヤキ?」
「うん。この形状は、たこやきなんだよ」
 そう言い返しながら、ニシキはボールのひとつをピックで刺して口に放り込む。
 うまーい、と嬉しそうに呟く顔は、それこそ四歳児のように無邪気だ。
 ジェイクがこっそり笑ってしまうと、シェイク・アーリィとフランツまで同じような笑みを浮かべている。そして、みんなで意味ありげな視線を交わし合いながら、勉強を始める前に、ニシキが持ってきた差し入れを有り難く味わうことにしたのだった。


First Impression / THE HAPPY END