講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

「VIP」シリーズ35万部突破 御礼企画 
書き下ろしSS

「New Year」

高岡ミズミ

『VIP 熾火』

 常連客に頼まれたお節料理を届け終わって店に戻ったとき、大晦日の午後七時を過ぎていた。
 本来、大晦日から新年三日間は店を休みにしているが、お得意様にお節料理を頼まれては断れない。結局四つほど受け、自宅用と合わせて五つ作ることになった。
 もちろん中身はイタリアン中心だ。味付けや盛り付けに和の要素を取り入れつつ、Paper Moonならではのお節にしたのは、ひとえにお客様に喜んでもらいたい、その一心だった。
「よし。俺も向かうか」
 ひとつ残ったお節を包み、店の扉を施錠して徒歩で自宅へ戻った和孝は、部屋には入らずに車へ乗り込む。これから久遠宅に向かうためだが、おそらく家主は留守だろう。
 毎年、年末年始は落ち着かない。義理を重んじるやくざの世界では、上に立つ者ほど忙しなく、聞いただけでこちらがうんざりするほどだ。それゆえ例年なら和孝も自宅でひとりのんびり過ごすのだが―今年は留守宅に押しかけていこうと早くから決めていた。
理由はひとつ。
 ついでとはいえお節を作ったからだ。
 もしかしたら、着替えを取りに戻ってくるかもしれない。久遠本人は難しくても、沢木が代わりにということもあり得る。そのときこそお節を押しつけよう、そう考えたのだ。「無駄にしたくないしな」
 キッチンに向かうと、お節料理の残り物と冷蔵庫の食材で自分の分を用意する。ひとりの年越しには酒と、ちょっとしたつまみがあれば十分なので、三十分で完成した。
 鮭の昆布巻きと黒豆、洋風栗きんとん、カブの煮物、しめ鯖のマリネ、あとは冷凍庫から出したネギをマヨネーズで和えて椎茸の上にのせて焼くと、ひとり分にしては豪華な年越し料理ができあがる。
「さて、なにを飲もう」
 ワインセラーをチェックしていたとき、かちゃりとドアの開く音がして和孝は振り返った。
「よかった。俺、お節を……」
 けれど入ってきたのは、沢木でも、ましてや久遠でもなく、見知らぬ男だった。歳は―和孝よりやや上、三十歳くらいだろうか。驚いたものの、セキュリティの厳しい久遠宅へに入ってこられるのなら、木島組の人間であることは間違いない。
 さて、どう名乗ったものか。と頭を巡らせていると、男は不穏な目つきもあらわに威嚇してきた。
「てめえ、誰だ!?」
 端から喧嘩腰、どころかいまにも飛びかかってきそうな男に、なんとか穏便にすませようと努力する。両手を上げて、にこやかな笑みを浮かべて素直に名乗った。
「柚木と言います。ここへは―」
「はあ? どこの柚木だって?」
 だが、微塵も歩み寄る気のない人間にどう対応したところで無駄だ。男はますます険しい表情になったかと思うと、
「じっとしてろ。少しでも動いたら、殺すぞ」
 ぶっそうな言葉を吐いた。
「ただのシェフの柚木だよ。そっちこそ、どなたさまなんですかね」
穏便にすませるつもりが、いまの一言が癇に障り、厭みたっぷりに言い返す。大人として誰とでも友好的な関係を築きたいという気持ちはあるにはあるが、ひとの話をいっさい聞かない好戦的な相手に対してはその限りではなかった。
 どうやら名乗るつもりすらないようだ。
 それならこっちも用はない。和孝は男に背中を向け、ふたたび食事の準備の続きに取りかかる。
「てめえ。動くなっつったろ!」
 男のほうはちがうのか、怒声と同時に腕を摑んできた。
「触るな!」
 即座に振り払い、ナイフを手にする。もちろん冷蔵庫から取り出したチーズを切るためだったが、男はいっそう声高に捲し立て始めた。
「てめえ、やれるもんならやってみろよ。だがな、俺に傷ひとつつけてみろ、木島組が黙っちゃいねえぞ。それとも、てめえひとりで木島組に喧嘩を売ろうって? てめえにそんな度胸があるのかよ」
 はっと笑い飛ばされ、むかむかしてきた。こんなお決まりの文句しか言えないような人間ばかりだとすれば、木島組の将来が危ぶまれる。
「おら、かかってこいよ!」
 そう言うが早いか、男が飛びかかってきた。ぎょっとした和孝は咄嗟に避けたが、弾みでナイフが手から滑り、危うく足の上に落とすところだった。
「あ……危ないだろ!」
 きっと男を睨んだときだ。
「なにやってるんっすか、真柴さん」
 聞き馴染んだ声がして、ほっと肩の力を抜く。いまほど沢木の登場を嬉しく思ったことはない。
「あー……もう、玄関で待っててくださいって言ったでしょう」
 沢木がため息をこぼす。そして、和孝には、
「いるって知らなかったもんで、迷惑かけたっすね。俺らは、親父の用で来ただけなんで、すぐ出ていきます」
 殊勝な態度で頭を下げる。男の手前、わざとそうしているようだ。
「……おい。沢木。こいつって」
 おかげで男は一気にトーンダウンする。半面、いったい何者だという好奇心がその顔には浮かんでいた。
「このひとは、親父の家族みたいなもんです」
「……っ」
 よほどの衝撃だったのか、ごきゅっと男の喉から大きな音がした。見る間に血の気が引いていき、気の毒なほど顔面蒼白になる。
 いや、和孝も十分驚かされた。まさか沢木がこんなことを言うなんて……思いもしなかったのだ。
「じゃあ」
 言葉どおり沢木はすぐに出ていく。
「す……すみませんっ。ご家族とは、知らず……」
 男は深々と頭を下げ、青白い顔のまま去っていった。
 ふたたびひとりになった和孝は、なんだよ、と呟く。
 その場を取り繕うためだとしても、沢木は心にもないことを言うような性格ではない。多少なりとも自分のことを認めてくれたらしいと思うと、胸がいっぱいになった。
 じんわりとあたたかな心地になり、心中で礼を言った和孝は、はたと気づいた。
「お節預けるの忘れた」
 感動に浸っていたせいで肝心のお節の存在を失念してしまっていた。もし久遠が明日も帰ってこなかったなら、せっかく作ったものが無駄になる。かといってわざわざ届けるのは躊躇われ―和孝はがくりと肩を落とした。
 どうやら自分ひとりで片づけるしかなさそうだ。
 とりあえず今夜のつまみをテーブルに並べるとテレビをつけ、大晦日の定番、紅白を観ながら白ワインを味わう。
 普段ほとんどテレビを観ないので、冴島の好きな演歌歌手の歌以外は耳馴染みのない曲ばかりだったものの、そこそこ愉しんでいた。
 どれくらいたった頃だろうか。玄関で物音がして、椅子から腰を上げた。もしかして、という期待は、リビングダイニングのドアを開けた直後、現実になった。
「立ち寄っただけ? それとも、おかえり?」
 久遠の返事を聞く前に、ネクタイを緩める仕種で察する。どうやら今夜はお役御免になったようだ、と。
「お節を作って待ってると沢木に言われたら、そうするしかない」
 沢木のおかげか。今日は沢木に感謝する日だなと、お節が無駄にならなかったことに和孝は頰を緩めた。
「てっきり横浜かと思った」
「今日の飲み会は辞退した。その代わり明日からは挨拶に行ったり来られたりで、面倒事が続く」
「相変わらず大変だねえ」
 キッチンに立つと、お節と酒の用意にとりかかる。久遠とふたりで年越しする機会など、もしかしたら初めてかもしれないと思いながら。
 テーブルに料理を準備し、まずはビールで乾杯する。テレビは、タイミングよくカウントダウンに入った。
 十、九、八―とタレントの声を耳に、和孝は咳払いをする。
「公私ともどもお世話になりました。来年はますます商売繁盛に努めたいと思います」
 来年の抱負を述べたところで、ちょうど日付が変わる。
「あけましておめでとうございます。あれやこれや面倒もかけると思うけど、平常心を心がけていきたい所存です」
 あらたまって頭を下げると、久遠も新年の挨拶をすませてから、口許に揶揄を引っかけ、ひょいと肩をすくめた。
「平常心、ね」
 その言い方がいかにも意味ありげなので、視線で問う。すると、出端を挫かれるような一言が返ってきた。
「さっき、うちの者を脅したんだって?」
「……っ」
 思わず舌打ちしそうになる。本人か沢木か知らないけれど、よけいなことを久遠の耳に入れたのは間違いなかった。
「あれは、だって―」
 あっちが先に絡んできたんだ、と言いかけて、途中でやめる。まるで告げ口しているみたいな気分になったせいだ。勘違いされたままなのは甚だ不本意ではあるものの、ここは大人として我慢すべきだろう。
「それはそれとして、とにかく今年もよろしく」
「よろしく」というより「夜露四苦」とでも言っているような気分でグラスを掲げる。
 それでも、久遠が片笑んだので些細なことはどうでもよくなった。ようは、今年も久遠と自分がうまくやっていければそれでいいのだから。
「こちらこそ」
 そう言ってグラスを合わせてきた久遠に、和孝も機嫌を直して笑みを作る。
 今年、ふたりで迎えた新年。
 そのうち一緒に初詣でに行こうと誘ってみるのもいいかもしれない。などという大きな野望を抱くほど、新しい年の初めに穏やかな時間を共有したのだ。