講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

「VIP」シリーズ
エイプリルフール スペシャル書き下ろしSS

「VIP 平安」

高岡ミズミ

『VIP 熾火』

 一条天皇の御世、姫君が神隠しに遭ふ騒動続きて起こり、都は恐慌に陥れり。大江山に住まう鬼の所業と知りし帝は、即座に精鋭集めて征伐に向かはせきといへど—。


 時間をかけて手はずを整え、苦労してようやく鬼の居城まで辿り着いたが、その決着はあまりに呆気なかった。もっと手ごたえがあっても、と久遠には少々期待外れに思えたほどだ。
 初めこそ疑念を持った鬼たちだが、山伏を装い近づくと存外容易く迎え入れた。奴らはこちらの勧めるままに酒を浴びるほど飲み、じきに泥酔し、早々に寝所へ向かうとすぐさまいびきをかき始めた。
 あとは手はず通り囚われていた姫たちを配下のものとともに先に都へ戻らせ、残った数人で鬼どもの寝所に入り、居城じゅうに満ちた不快な熱気と獣臭さから一刻も早く逃れるためにも、素早く任を成し遂げればいい。
「鬼退治といこうか」
 静かにそう告げ、久遠は太刀を抜いた。一拍の間の後、眠りこけている鬼どもに一斉に斬りかかり、容赦なく首を刎ねていった。
 ぎゃあああああ。
 ぐあぁぁぁ。
 居城を揺らさんばかりの断末魔の叫びを聞きつつ血飛沫を浴び、粛々と務めを果たす。
「き、貴様らぁぁ……許さん」
 中には反撃しようと襲い掛かってくる鬼もいたが、すでに遅い。どれほど強剛な鬼であろうと酩酊状態では恐れるに足りず、片っ端から硬い肉や骨を太刀で裂き、砕き、長い時間をかけて屍の山を築いた。
「なんだ?」
 ふと、ひとりが太刀を振るう手を止める。
 そちらへ目をやると、そこには小柄な鬼が身を縮め、震えていた。
 鬼の体躯は極大だ。背丈は十尺はあり、盛り上がった肩や腕は岩を連想させる。肌は粗いなめし革で、一様に毛深く、ごつごつとした目鼻立ちをしている。
 一方で、目の前の鬼はいたって普通、人間の青年そのものだ。長着に包まれた身体は細く、鬼の居城でなければ誰も彼を鬼だとは思わないだろう。
「突然変異か? まあ、鬼は鬼だ」
 そう言うが早いか、ふたたび太刀を構える。
「待て」
 久遠は彼に歩み寄るとざんばら髪を掴み、半ば強引に上を向かせようとした。が、直後、その手に痛みが走った。
 爪を立てられたようだ。手の甲に血が滲んでいる。うぅと喉を鳴らして威嚇してくる様は鬼というより山犬だと、真正面から彼を見下ろした。 
 まだ若い。
 鬼には似ても似つかない体躯に滑らかな肌、煤けていてもまともな顔立ちをした彼に、同士が首を刎ねるのを躊躇ったのは当然のことだった。
 怯えて、身体を小刻みに震わせているのに、まっすぐこちらへ向けられる双眸の強さに彼の気性が表れていた。
「……おまえら、騙したな」
 いや、身体の震えは怒りからか。命乞いをする気は微塵もないのだろう。
—やるなら、さっさとやれ」
 意地と矜持。追い詰められてなお、それを貫き通すつもりのようだ。
「言われずともすぐに首と胴体を切り離してやろう」
 言葉どおり、いまにも太刀を振り下ろさんばかりの同士を制し、青年を立たせる。自分よりも低い背丈を前にして、頭に浮かんだ疑念をそのまま口にのぼらせた。
「そなた、ひとの子か」
 鬼が好んで連れ去るのは姫君たちだ。しかし、童子の頃に女子と間違われて攫われたという事例は過去にも耳にした。鬼に育てられたひとの子がいた、と。
 彼は無言で、じっと見据えてくるばかりだ。仲間が首を落とされる場面を目の当たりにし、自身も死に直面している状況にあって、恐怖に打ち勝とうと懸命な様が手に取るように伝わってくる。
「名は?」
 期待せずに問うと、意外にもこれには答えが返った。
「柚木」
 頷いた久遠は、周囲に視線を巡らせる。どうやら鬼退治は終わったようで、直後、雄叫びとともに首領の首が掲げられるのが見えた。
 その頃には白々と夜も明けていき、疲労した肉体に反して、皆の顔は大任を果たした安堵と誇らしさで輝いていた。
「この餓鬼、どうするつもりだ?」
 同士の問いかけに、即答を避ける。どうすべきか、久遠自身判断しあぐねたのだ。
「ひとの子なら、放っておくわけにもいくまい」
 ひとまず答えを出すのを先延ばしにした。それが正しいのかそうでないのか判然としなかったものの、夜明けとともに、興奮冷めやらぬまま首級を手土産に皆で山を下りることになった。


 
「我々の手には負えませぬ」
 使用人から同じ訴えが出るのももう何度目になるか。ため息をついた久遠は、敵意もあらわに使用人を睨んでいる柚木を横目で窺った。
 ひととして最低限の躾をしようにもそれ以前の問題で、逃げ出してしまうという。
 今日などぴしゃりと手を叩かれたことに怒り、指南番に飛び掛かったらしい。その場に居合わせた者で止め、幸いにも指南番に怪我はなかったとはいえ、皆が柚木に対して恐怖心を抱くのは致し方なかった。
 まるで野生の猿も同然と評したのは誰だったか。
確かに特殊な育ちを一朝一夕に変えるのは難しい。野蛮な鬼たちの中で何年も暮らせたこと自体、奇跡も同然なのだ。
 —ともに来るといい。
 もう半年前になる。
 あの日、そう声をかけた久遠を柚木は怪訝そうに見つめてきた。が、殺す気はないと伝えた、次の瞬間には自分から手を伸ばしてきた。
 連れ帰るのは危険だと同士は口々に異を唱えてきたけれど、反対を押し切った理由はなんだったのか、自分でもはっきり憶えていない。
 こうなるのは目に見えていたというのに。
「わかった」
 使用人を下がらせた久遠は、柚木を近くに呼び寄せる。
「また湯に入るのを厭がったって? 皆が困っているぞ」
 家に連れ帰ってから髪や身なりを整えさせたところ、彼は思っていた以上に美しい若者だった。
 白く透き通るような肌、整った目鼻立ち。表に出せばその美貌はたちまち噂になり、都じゅうを駆け巡るにちがいない。
 しかし—。
 柚木の場合、清潔に保つとか箸を持たせるとか基本的な躾以前に、留めておくこと自体が難しいのだ。
 あっという間に逃げ出すうえ、動きが素早くて誰も捕まえられない。それでも使用人がなんとか務めを果たそうとするのは、鬼のもとで育たずにはいられなかった柚木の境遇に多少なりとも同情しているからにほかならないが、それを説明したところで無意味だろう。
 こめかみを指で押さえた久遠に、
「そんなの、知るか」
 案の定、柚木はちっと舌打ちをした。
「俺が頼んだわけじゃねえし」
 ふいとそっぽを向く様はまるで子どもだ。
「そうか」
一言返し、腰を上げる。柚木の目の前に立つと、そのまま畳に押し倒した。
「な……にするっ」
「そなたの真似をしている。こうして、問答無用で飛び掛かって押さえつけたと聞いたぞ」
「知ら、ねえっ。痛……放せっ」
 拒絶の言葉は無視して、暴れる身体をさらに押さえ込む。動かせない身体の代わりに闇雲に首を振って抗う柚木が、腕に噛みついてきた。
 手加減なしに歯を立てられ、布越しとはいえ、激痛が走る。出血したのか、じわりと濡れる感覚まであった。
 顔をしかめた久遠は全体重をかけると、片手を柚木の口へやった。
「いいかげんにしろ」
力を入れて、無理やり口を開かせる。もしやと思ったものが、はっきりと目視できた。
 ひとより頑丈な歯。半年のうちに成長したのか、特に犬歯は発達し、鋭く尖っている。この歯で思い切り噛みつかれたなら、傷を負うのは当然だった。
 —突然変異か? まあ、鬼は鬼だ。
 あのときの台詞が頭をよぎる。ようやく、答えが出たようだ。
 いや、ようやくではない。やはりそうかと、この数カ月、薄々感じていたことが現実になったような心地だった。
だから反対したのに。都へ連れ帰るべきではなかったのだ。いまからでも首を刎ねればいい。皆の反応も容易に想像できる。
「よく聞け」
だが、不思議と久遠には迷いがなかった。
「今度引っ掻いたり噛みついたりしたら、歯を全部へし折るぞ。いいか。けっして私に逆らうな。そうすればここで生きていけるよう、私自身が一から十まで躾けてやろう」
ここで生きていくしかないと、言外に伝える。
 もとより危険な賭けであるのは百も承知のうえだ。もし帝の耳に入れば即刻処刑を命じられるのは目に見えているし、事実を隠していたとして久遠自身なんらかの処分を受けるはずだ。
 あまりに割が合わない。
 やめておくべきだと重々わかっていて鬼と交渉しようとするのだからこれほど酔狂なことがあるだろうか。
「どうだ? 守れるか?」
 いまとなっては、初めて視線を合わせたあの瞬間からこうなるのを予感していながら、そ知らぬ顔で連れ帰ったような気すらしてくる。
 理由などひとつしかない。自分はどうしてもこの、獰猛で美しい生き物を手に入れたかったようだ。
柚木は唇を引き結んだまま、燃えるような双眼で見据えてくる。
「これは私とおまえの契約だ」
 どうやら契約という言葉は気に入ったらしい。今度は逆らわず、無言で頷いた。
 久遠も満足して片笑む。
 同時に、ざっと肌が粟立ち、全身の血が燃えたぎるような錯覚に囚われる。鬼を一掃したときですら味わえなかった昂揚感を自覚した瞬間だった。



「うわっ」
 自分の叫び声でベッドから飛び起きた和孝は、薄暗い室内に視線を巡らせる。見慣れた天井、ルームライト、ロールカーテン。そして、シャワーブース。
「悪い夢でも見たのか?」
 すぐ傍からの問いかけに、いまだ速いリズムを刻んでいる心臓に手をやり、深く頷いた。
「悪いなんてもんじゃない。ぞっとするような悪夢」
 エイプリルフールのネタにもならないほど荒唐無稽な夢だ。しかもやけにリアルだったし、驚くほど明確に憶えている。熱気や臭気、押さえつけられた感触まではっきり思い出せるようで、何度か深呼吸をした。
「けど、なんで俺が鬼なんだよ」
 それにしても納得できないのは、そこだ。鬼なら久遠のほうがよほどふさわしいはずなのに。
「鬼か。それはいい」
 ふっと笑われたのも不本意で、反射的に隣の久遠を睨む。
「どこがいいんだよ! 普通に考えたらそっちが鬼だろ。俺、いっつも久遠さんの横暴さに振り回されてる一方だから」
 正当な反論には、
「『横暴さに振り回されてる一方?』」
 そこだけきっちりくり返されて、口ごもった。振り回されている一方は言いすぎだったかと自分でも思った矢先。
「そうだな。おまえは昔から素直に忠告を聞いて、暴走したことは一度もなかった」
「…………」
「うちの事務所に乗り込んできたこともなければ、組員を困らせたこともない。常に冷静で—」
「もう十分、です」
恥ずかしさに、かあっと頬どころかうなじのあたりまで熱くなる。こんなにも胸に突き刺さる厭み、嘘、当てこすりがあるだろうか。
 悪夢の衝撃が薄れるほどの悪夢。
 とんだエイプリールフールだと、すっかり気落ちした和孝はベッドに身を倒れ込むと久遠に背を向け、二度寝するためにきつく目を閉じた。