講談社BOOK倶楽部

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WEB限定小説

SS復刻スペシャル

『新装版 呪縛 ーとりこー』特別番外編

「モブの気持ち」

吉原理恵子


 夏休み中の出校日って、数学プリントとか英語長文の和訳とかの提出日も兼ねているから、ホントに面倒くさい。おかげで、溜まりに溜まった課題をやっつけるために朝っぱらから机に向かう羽目になった。ぶっちゃけ、自業自得とも言うけど。
 他県に住んでいる従兄弟(高校二年生)の学校は出校日などないらしい。私立だから、かな? 単純に羨ましい。
 あー……嫌だな、出校日。
 提出物が間に合いそうにないからじゃない。そうじゃなくて、久々に会う中原と目が合ったらどんな顔をすればいいのかわからない……ってことなんだけど。
 そんなふうにグジグジと考えてるのって、もしかして、おれだけ?
 違うよな?
 大なり小なり、みんな思ってるよな?
 なんたって、夏休み直前に起こった事件(少なくとも、おれたち一年五組にとっては大問題)が未解決なわけで。気のせいでもただの錯覚でもなく、ずっと尾を引いてるって感じ。
 運悪く(?)そのきっかけになってしまった佐野なんか、もう、見るも悲惨な有り様っていうか。軽口もオチャラケもすっかりナリを潜めて、げっそりとやつれぎみだった。
 うん。同情はするけどさ。おれたちだって下手に突っ込むこともできなくて、中原は、ある意味クラスの腫れ物扱い? みんなして、すっかり口が重くなってしまった。
 はぁぁ……。そのときのことを思い出すだけでため息の嵐だったりする。
 そして、そのまま夏休みに突入してしまった。とりあえずどんよりと重い雰囲気が途切れて、みんなホッとしたかもしれない。
 高校生になって初めての待ちに待った夏休みだったのに、正直、なんとも言えない気分だった。
 中原も佐野も、この夏休み中に少しは復活できたかな。
 ……してるといいなぁ。
 本音で思う。だって、まさか、ただの冗談のつもりがあんなことになるなんて……誰も予想もしてなかったんだから。


 八月二十日。
 出校日、当日。
 直前までモヤモヤしていたおれの杞憂は、いい意味で裏切られた。
 中原が教室に入ってきたときは、一瞬ざわついたけど。それだけだった。
【案ずるより産むが易し】
 ……って、こういうことを言うのかもしれない。
 クラスメートとして、みんな思うことはいろいろあっただろうが、やっぱり『普通』が一番だよな。
 いやぁ、よかった。よかった。中原の視線が藤木と絡むことはなかったけど、それ以外はいつも通りで、みんなもホッと胸を撫で下ろしてたんじゃないだろうか。
 クラスの雰囲気が悪いのは、誰にとっても最悪だからな。真夏なのに一部ツンドラ状態なのも見慣れた光景で、五組にとってはもはや平常運転と言えなくもない。
 今では、藤木もツンドラの一部と化している。藤木本人がそれで納得してるんだから、おれたち外野が何を言っても無駄なんだろう。なんでか知らないけど、中原もきっぱりと見切ってしまったようだし。
 藤木のボケに鋭いツッコミを入れるのは中原の特権だった。ぶっちゃけて言ってしまうと、藤木が使命感に燃えてフラフラと沢田のところに飛んでいっても、最後は必ず中原がいる場所に帰ってくると誰もが信じて疑わなかった。
 中原は藤木のアンカーだった。
 なのにそのアンカーが、いきなり突然、歯止めであることを放棄してしまった。篠崎の台詞じゃないけど、おれたちにとっては太陽が西から昇ることくらい『ありえねー』ことだった。
 そうなると、本当に、沢田と藤木は二人だけの世界に行ったきり戻ってこられないような気がするのは、おれだけなのかな。
 あれ以来、藤木も無駄に声をかけてくるようなことはなかった。さすがに藤木も、そこまでノーテンキじゃなかったってことだよな? 中原がブチ上げたように、沢田のスポークスマンに徹するつもりなのかもしれない。
 それって……どうよ?
 みんなが思っている、疑問。だけど、誰も聞けないでいる疑点。
 なぁ、なぁ、藤木。ホントはどうなのさ? 本音で答えが聞きたいよ、おれは。おまえと中原のコンビがめちゃめちゃ好きだったから。
 それで、いいわけ?
 マジで、そう思ってる?
 中原との友情を断ち切ってまで沢田に尽くす必要がどこにあるのか、おれにはさっぱりわからないよ。
 今更のようにため息が出た。ついでのオマケで真夏なのに寒々しい一角に目をやると。なんでか、藤木とバッチリ目が合った。
 思わずドッキリする。
 もしかして、藤木、おれたちを見てた? ていうか、見てたのは……藤木が気になっているのは中原だけだろうけど。
 ……そうなの?
 ちょっとだけ眼力を込めて視線で問いかけると、藤木は苦笑を漏らしてそっと目を逸らせた。
 なぁ、なぁ、藤木。それって、やっぱり違うと思う。むしろ、おもいっきりダメなパターンだろ。ていうか、ぜんぜん似合わないから。藤木に作り笑いなんか。
 そんな顔をするくらいなら、なんで沢田のパシリなんかやってるんだよ? わけ、わかんないってば。
 なんか……見てはいけないものを偶然目にしてしまったような居心地悪さ。クラスの雰囲気は平常モードに戻ったけど、おれの気分は一気に萎えた。


 三日後。
 晩ご飯を食べて自分の部屋でゲームをやっていると、スマホが鳴った。なんだよもう、いいところなのに。いったい誰だよ?
 ――佐野だった。
 しつこくコール音が鳴る。やっぱり出なきゃマズイよな。
「もしもし?」
『なんだよ、遅いって。トイレでも行ってたのかよ?』
 失礼すぎるだろ。そこはまず、名乗るべきなのでは? ていうか『こんばんは』くらい言えよ。親しき仲にも礼儀あり……なんだから。
「なに?」
『おまえさぁ、出校日に中原と川野が昇降口でモメてた話、知ってる?』
 は……? 何、それ。初耳なんだけど。
「知らない。ていうか、川野って、あの川野?」
 川野真美。おれはまだ本人に会ったことはないけど、よそのクラスの女子の名前をフルネームで言えるくらいには、ある意味有名人だった。
『そうだよ。藤木のカノジョ』
 中学時代からのラブラブ・カップルなんだとか。リア充、もげろッ! ――とか、けっこう本気で羨んでいる連中もいる。
 聞くところによれば、中原公認であるらしい。
 中原は否定も肯定もしてないけど、それって、普通に考えておかしいだろ。一瞬、それを思って。ハタと思い出す。
《浩二とデートするにはなぁ、親の許可はいらなくても俺の許可がいるんだ。そんときゃ、ちゃんと腕ずくで来いッ》
 みんなの前で藤木が大見得を切っていたのを。中原なんか、露骨に脱力してたよな。
 つまりは、そういうルール? つい、思ってしまいそうになった。それくらいに二人の仲は親密だった。今では真逆を驀進中だけど。
「マジで?」
 知らず知らずにトーンが落ちた。
『それでさぁ、なんかおかしな噂になってるらしい』
「どんな?」
『中原と藤木と川野の三角関係』
 一瞬、佐野がタチの悪いジョークでおれを引っかけようとしているのかと思った。
「なんだよ、それ。ありえないだろ」
 おれたちにとっては、中原と藤木と沢田の背筋も凍る(?)ような不毛な三角関係のほうが現実味がありすぎて。実際、よそのクラスの連中はおもしろおかしくそんなふうにヤジってる。
 沢田は傍迷惑な存在感で、これでもかっていうほどに悪目立ちをしていたし。藤木は爽やかなイケメンぶりが派手目立ちだし。下手したら女子よりも細いんじゃないか……の中原は女顔なのにオトコマエすぎる言動がギャップ萌えだったりする。
 つまり。『最凶×最強×最驚』三人組として、五組の顔として認知されているのだった。おれたちのようなモブから言わせると、もう、何をどうやっても勝てる気がしない。
「ただのヤッカミだろ」
『……って、俺も思うけど。現場を見てた奴の話だと、川野がすっげー深刻な顔で中原を待ち伏せしてたらしい。ンで、中原はメチャクチャ迷惑そうな顔だったけど、結局、二人してプール方向に消えた。……みたいな?』
 それって、結局は『たら・れば』のオチじゃなかろうか。噂には尾ビレ背ビレが付きものだし? 外野は好き勝手に妄想するだけだろう。
 でも――だけど、タイミングとしては最悪かもしれない。そう思っていると。
『なんか、タイミングが悪くね?』
 佐野がボソリと言った。
 やっぱり、思うことは同じらしい。オチャラケ男の佐野と思考回路が同じというのは、ちょっと……嫌すぎるけど。
『俺、よそのクラスの奴から聞かれたんだよ』
「何を?」
『中原と藤木がトラブってる理由っていうか、そもそもの原因?』
「そりゃ、沢田だろ」
 それ以外にあり得ないと思うけど?
『だろ? おまえも、そう思うよな? 五組じゃそれが定説だから。でも、そいつが言うには恋愛トラブルなんじゃないかって言うんだよ』
 恋愛トラブル? まったく想像できないんだけど。
『川野が中原にコクって振られたからじゃないかって。それで、藤木がプッツンきて、あいつらの仲にヒビが入った。……みたいな?』
「はぁぁ?」
 思わず声が裏返った。
 どういう発想?
 ていうか、それって誰のシナリオなわけ? バカバカしいにもほどがあるだろ。
 それだったら。中原と藤木のアツアツ親友ぶりに嫉妬した川野が『あたしと中原君と、どっちが大事なの?』と涙ながらに藤木に食ってかかったとか、そっちのほうが百倍真実味がありそう。いや、だから、あくまでたとえの話だけど。
「そいつ、マジでそんなことを言ってるわけ?」
『マジ、マジ。つーか、俺は知らなかったんだけど、中原と藤木と川野の三角関係話って中学時代にも燻ってたらしくて、昇降口のことで一気に駄目押しになったみたい』
「……そうなんだ?」
 なんか、いきなり場外乱闘が始まった……みたいな気分だ。
『さっき、ご隠居からもメールが来てた。変な噂が広がってるみたいだって。でさ、ご隠居が聞いた話だと、告って振られたのは川野じゃなくて中原っぽい』
 え?
 え……?
 え~~~ッ?
 それって、どういうこと?
「それって三日前の話だろ? それがなんで、変なふうに爆散しちゃってるわけ?」
『だから、おもしろおかしく煽り立てている奴がいるんじゃねーかって話』
 うわ……サイアク。もしも、それが本当の話だったら……だけど。
『ほら、あいつら、沢田絡みでも何かと派手目立ちしてるじゃん? 藤木なんかカノジョ持ちだってわかってても理想の王子様なわけだから。その王子様を平気でドツキ回せる、肝っ玉な中原。さすがに、沢田を弄って遊ぼうなんて、そんな死にたがりの奴はいないけどさ』
 五組の住人としてはツッコミどころが満載である。
『なんかさぁ、クラスの雰囲気がようやく元サヤに戻って安心してたら、とんでもないところからロケットパンチが飛んできた……みたいな?』
 ロケットパンチ……って、何? いつの時代の話だよ?
 それは、それとして。
「夏休み明けが怖い」
 つい本音がだだ漏れた。
『……俺も』
 耳元で、佐野がどっぷりとため息をついた。
 一難去って、また一難? そういう試練みたいなのは、いらないから。
 その噂が夏休み明けの新学期になったらどういう転がり方をしているんだろう。とか、思うと。このままずっと夏休みが続いてくれればいいのにと思わずにはいられない。
 新学期まで、あと七日。残り少ない夏休みが、いきなりズドンと重みを増したような気がした。



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