「貴君はこの半月の間に、一体何度、我が城を訪ねた?」
「まだ三回しか来れてないぞ!」
今日も今日とて、エドガー様と、ガルムンバ帝国皇帝ゼン様は、テンションと歯車の嚙み合わない会話を繰り広げている。
「ガルムンバの皇帝とは、それほどまでに暇なのか?」
「暇とは随分な言い草だな! これでも俺は、万障繰り合わせて足を運んでいるのだ」
「繰り合わせるな。帰って民のために働け」
「ちょ、エドガー様……!」
現状、バルデュロイとガルムンバ帝国は同盟関係にあり、両国の関係はすこぶる良好。『神狼』のエドガー様と鬼人のゼン様の間には、猛き武人同士通じ合うものがあるようで、政治的思惑を超えた友誼が結ばれている。とはいえ他国の皇帝に「帰って働け」は大丈夫なのだろうかと多少の不安を覚える。
「お客様にそのような言い方をされては――」
「コウキ」
「は、はい」
「呼びもせぬのに半月の間に三度も押しかけ、飯を食い風呂に浸かり、泊まっていくような男は、もはや『客』とは呼ばぬ」
「そ、それはまぁ、なんと言うか……」
確かに親兄弟だって、離れた家族のもとへこんな頻度で行き来はしない。
ガルムンバとバルデュロイの間は、早馬を全力で走らせて二日はかかる。遥か遠方とまでは言わないが、気軽なご近所でもない。
しかもゼン様は『皇帝』である。いかにガルムンバ帝国が『強き者』を戴き、武を尊ぶ国であっても、本来そう身軽に動ける立場ではないはずだ。
そんなゼン様が、こうまで足繁くバルデュロイに通う理由はただひとつ。
「ところで……イツキは息災か?」
僕とエドガー様の息子、イツキの顔を見るためだ。
「至って健康だ。五日前と変わらずな」
「そうか! 子供は一日見ぬ間に育つからな! さぁ、五日も成長したイツキに会わせてくれ!」
ゼン様は、なんとも人好きのする、豪放磊落を具現化したような笑みを浮かべた。
「イツキはまだお昼寝中で……申し訳ありません」
「なに、謝ることはない。よく食べ、よく眠り、よく育つ。子供にとってはそれが一番の仕事、イツキは実に勤勉だ」
「職務放棄中の皇帝がどの口で言う?」
「そう嫌みを言ってくれるな、我が友よ」
エドガー様の肩をその大きな手で叩くゼン様の顔には、威厳とある種の人懐っこさが自然と共存している。額から角を生やした二メートル超えの鬼人なのに、少しも怖いと感じないのはそのためだろう。
「御子殿、寝顔でも構わぬ。一刻も早くイツキの顔を見せてくれぬか?」
「ゼン様……」
そう訴える彼の切羽詰まった表情に、僕は酷く戸惑ってしまう。それがただの子供好き由来でないことは、色恋に疎い僕でもわかる。
「わかりました、どうぞこちらへ」
「コウキ! その男を甘やかしてくれるな……、イツキが目を覚ます」
「大丈夫ですよ、エドガー様。イツキはゼン様によく懐いています。それに、そろそろ起こさないと夜の眠りに障りますから」
僕は先に立って、ゼン様を居住スペースの子供部屋へと案内した。
「おお、イツキ! 今日も可愛らしいな!」
「ふぁ……」
「だから、貴君は声がでかい! うるさいぞ!」
ゼン様のよく響く声に、イツキは小さな口をめいっぱい開けて欠伸をしたが、泣きだす素振りはまるでない。
「あーぅ」
それどころか小さな両手をゼン様に向けて伸ばし、嬉しそうに笑っている。
「だーあー!」
「そうかそうか、そんなに俺の腕に抱かれたいか」
ゼン様はイツキよりもさらに嬉しそうな顔で笑うと、慣れた手つきで赤子を抱き上げ優しくあやす。
「五日見ぬ間にまた少し大きくなったか?」
ゆったりと身体を揺すりながら、ゼン様は愛おしくてたまらぬというように目を細めた。
「だが……あまりにも軽い。飯はちゃんと食っているか?」
イツキは人の子として平均的な成長曲線を描いているのだが、自身が体格に秀でた鬼人であるゼン様の目には、人間の赤子はひどく儚く映るのだろう。
「食べてますよ。最近はお米を柔らかく煮込んだ乳粥がお気に入りだよね?」
「あだぁー!」
僕が話しかけると、イツキは「食べてるよ!」と言わんばかりに、まるっこい拳を力強く突き上げた。
「そうか、イツキは米が好きなのか! だったらガルムンバに来るといい。米は俺の国の特産品の一つだからな! イツキには特別美味い米を選んで、俺が手ずから食わせてやる!」
「おー?」
「そうだ、美味い米だ。炊きたての米の美味さは一度食ったら病みつきになって、ガルムンバに住みたくなるぞ!」
「だっ!」
不思議と会話が成立している。
「よし! 俺とガルムンバに帰ろう!」
「きゃーう!」
「イツキ!?」
ゼン様のとんでも提案に大喜びするイツキに、さすがに僕も焦りだす。
「おい! 白昼堂々親の前で誘拐を企むな!」
「誘拐ではない。ちゃんと本人の了解を得ている」
あ、この人真顔だ。
「イツキはまだ赤子だぞ!? まずは親の承諾を取れ!」
「ふむ……それも道理か、すまなかった」
自分の非を認めれば、言い訳なしに謝罪する。僕はゼン様の潔さを好ましく思う。だけど――
「神狼殿、御子殿、改めて頼む。イツキを俺にくれ」
「そっそれは……」
「ふざけるな!」
続く要望にはさすがに応えることはできない。成長したイツキが自らの意志で愛する人を選ぶなら、僕は親として祝福のうちに我が子を見送るだろう。
だけどまだ早い、早すぎる!
「なぁイツキ、俺と食いたいよな? 新米を新鮮な乳でとろとろになるまで煮込んだ甘く、コクのある乳粥を」
「あーう!」
「我が息子に餌付けをするな!! 美味い米くらいバルデュロイにもある!」
「餌付けではない。俺はただ未来の伴侶に、俺の国の美味いものを食わせてやりたいのだ」
吠えるように叫ぶエドガー様に、ゼン様が憮然とした表情で新たな爆弾を投下する。
「伴侶だと!? 何度言えばわかる! イツキはまだ赤子ぞ!」
「赤子とて、いずれは育ち大人になる。俺は鬼人だ、人の子の十年を待つことなど容易い」
「じゅ、十年!?」
十年経っても、僕の感覚で言えばイツキはまだまだ子供だ。
「十年もすれば、イツキは物事を自分の意志で決められる。イツキ自身の意志で俺に嫁ぎ、そして時がくれば……」
けれどもゼン様は、どこからそれが出てくるのだろうかと思うほどの自信に満ち溢れている。
「イ、イツキが……お前に嫁ぐ……だと?」
僕の隣でエドガー様は、犬歯を剝き出しにして唸りながら卒倒寸前だ。
「なぁイツキ、お前は俺が好きだろう?」
「だぅあ!」
「だったら、早く大きくなって嫁に来い。誰よりも何よりも大切にすると、この角にかけて誓う」
「きゃう! あーっ!」
ゼン様の真剣なプロポーズを受けたイツキは、ゼン様の二本の角を左右の手で摑んではしゃいでいる。
「聞いたか? 神狼殿。イツキは俺の嫁になりたいと言っているぞ」
「イ、イツキ……そんな……我は、我は……ッ」
まだ『嫁』の意味も知らぬ身で喃語を発しては、屈強な国王と皇帝を一喜一憂させるイツキ。我が子ながら末恐ろしい。
「ぜぇー……」
ゼン様の角を握りはしゃいでいたイツキが不意にゼン様を見つめた。
「イツキ……今、俺の名を――」
そして次の瞬間。
「うぉぉぉッ」
イツキは小さく柔らかな唇をゼン様の手の甲に押し付け、おもむろに吸った。
それをキスと呼ぶべきか否か、いや多分キスではないと思うのだけれど……。
けれどもゼン様は感涙に咽び――、
「エドガー様!?」
エドガー様は無言で卒倒した。
今からこれでは先が思いやられると、僕は小さくため息をつく。
だけど、この幸せな光景が決して嫌いではない自分がいるのも、確かなのだった。
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著者からみなさまへ
「白銀」シリーズ最新刊『白銀の王は愛を育(はぐく)む』には、エドガーとコウキを中心とした樹人の里でのお話、そして、『黄金の獅子と色なき狼』に登場した、フリーレンベルクのオルガと神獣フォシルのお話。こちらの2本を収録していただきました。どちらも糖度高めのお話ですので、ハラハラドキドキが苦手な方にも楽しく読んでいただけると思います。特典SSも色々と書き下ろしたのですが、HPで公開されるものも含めてすべてネタバレ有りなので、ぜひ本編をご覧になってからお読みください。今作も、古藤(ことう)先生の素敵なイラストが盛り沢山です! 美麗なイラストで描かれたキャラたちと物語を、併せてお楽しみくださいね♡