講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

『電子オリジナル セント・ラファエロ異聞2 蜃気楼』特別書き下ろしSS

「とある貴公子の裏方仕事」

篠原美季


 ロンドン北部。
 高級住宅街として知られるハムステッドにあるフォーダム邸では、その日、ベルジュ家の長男であるシモンを迎えての晩餐会が催されることになった。
 もっとも、「晩餐会」などと言っても決して堅苦しいものではなく、単にフォーダム邸に遊びに来ていたシモンに、ユウリの母親である美月が「シモン、よかったらお夕食を一緒にどう?」と尋ね、「え、いいんですか?」と応じたシモンが、ほぼ間髪を容れずに「ありがとうございます、ぜひ」と答えただけのことである。
 そして、楽しい食事が終わり、応接室でコーヒーやウィスキーを飲みながら寛いでいる時に、この家の主であるレイモンドが、ふと思いついたように息子のユウリに尋ねた。
「そういえば、ユウリ。お前、日本からなにか大量に取り寄せたかい?」
「え?」
 心当たりを探して考え込んだユウリに対し、シモンが横から「アレじゃないかな」と助け船を出す。
「セント・ラファエロに送った、例の……」
 そのヒントで「ああ」と納得したユウリが、父親に答える。
「取り寄せたけど、それがどうかした?」
「いや、お前に心当たりがあるならいいんだ」
 当人以上にユウリのやることを完全に把握している様子のシモンをチラッと見つつ、レイモンドが続けた。
「ただ、明細をチェックした際、金額があまりに大きかったもので、もしかして、どこかでスキミングでもされたのではないかと疑ってね」
「ううん。それはないから、大丈夫。僕がきちんと使った。──あ、でも、最終的にその分は桃里家のほうで負担してくれることになっているから、正確には桃里家が使ったことになるのかな」
「桃里家が?」
 繰り返したレイモンドが、そこで少し考える素振りを見せた。
 桃里家というのは、レイモンドの妻の実家である幸徳井家の分家筋にあたる一族で、最近、そこの桃里理生がイギリスに留学することになった際、レイモンドが仲介役を務めたという経緯がある。ただ、レイモンドはなにかと忙しく、イギリスにいないことも多いため、当面、理生の身元引受人にはユウリがなることになった。なんといっても、理生の留学先はユウリの母校でもあるため、勝手を知っている彼のほうが細やかな配慮ができると踏んだのだ。
 とはいえ、最終的な責任はレイモンドが負うつもりでいるわけで、ここはもう少し突っ込んだ質問が必要かどうか考えているのだろう。
 ややあって、確認する。
「つまり、リオに必要なものを大量発注したということだね?」
「うん、そう」
 能天気に返事をするものの、それ以上の説明をしようとしない息子に対し、レイモンドはさらに突っ込んだ質問をするかどうかで悩んだようだが、結局、ふたたびシモンのほうにチラッと視線を流した末に、ひとまず様子を見ることにしたようだ。他でもない、世慣れたシモンが了解しているのなら、どんな事情があるにせよ、さほど問題はないと考えたのだろう。
 その後、翌日の講義の準備があるからと言ってレイモンドが先に退室した応接室で、ユウリがシモンに言う。
「今、お父さんに言われて思い出したけど、シモン、その節は色々とありがとう。おかげでスムーズに事が運んだ」
「それはよかった。ちょっとでも君の役に立てたのなら光栄だよ」
「ちょっとどころじゃないって」
 ユウリが勢い込んで応じるのを優雅な笑みで流し、「なんであれ」とシモンはつづけた。
「ちょうど今年度の寄付金のことで学院長に話があったから、それも兼ねて交渉もすんなりできたんだ。──まあ、そうじゃなくても、君のためならどんな手間暇も惜しまないつもりだから、いつでもなんでも相談してくれたらいいよ」
「うん、ありがとう。頼りにしている」
 嬉しそうに見返したユウリに、シモンが「それで?」と尋ねる。
「肝心のリオは大丈夫そうなのかい?」
 先ほどから話題にのぼっている理生は、実を言えば、不慣れな異国の生活であれこれ問題を抱え込んでいて、それに気づいたユウリが、ここしばらく、仕事の合間を縫ってセント・ラファエロを訪れ、問題解決に向けて奔走していたのだ。
 シモンとしては、そんなユウリのことが心配でたまらず、可能ならいくらでも手を貸すつもりでいたところ、珍しくユウリのほうから頼み事をしてきたので、一も二もなく引き受けた。
 その最終結果を、ユウリがセント・ラファエロの校医の名前をあげつつ伝える。
「うん。──実は、ついさっき、マクケヒト先生から連絡があって、ひとまずは大丈夫そうだって」
「それなら、よかった」 
 喜んだあとで、シモンが「ただ、それにしても」としみじみ言う。
「まさか、あんなものが解決の糸口になるとはね、君以外の誰も思わないだろう。──本当に君はすごいね」
 褒めてくれたシモンに対し、ユウリが首を振りつつ説明する。
「僕はただ、理生の気持ちが痛いほどわかる、というだけだよ。──でも、僕の場合は初めからシモンがそばにいてくれたから」
 心から言ったユウリは、目の前で寛ぐ貴公子を見ながら、「もっとも」と内心で思う。
 理生本人は知らないことだが、彼にだって、ユウリだけでなく、有能で頼りがいのあるシモン・ド・ベルジュという後ろ盾もあるのだから、きっとこの先、あの学校でなにがあっても乗り越えていけるはずである。
 その上で、今後、理生自身も、ユウリにとってのシモンのような存在と巡り合う。そんな確信が、ユウリの中には芽生えつつあった。
 そこで空になったコーヒーカップを持って立ち上がったユウリが、シモンに尋ねる。
「シモン、コーヒーのお代わりは?」
「ああ、もらおうかな」
 こうして、セント・ラファエロから遥か距離を隔てたフォーダム邸の応接室では、暖かなオレンジ色の明かりに包まれた夜がゆっくりと更けていった。