講談社BOOK倶楽部

special story

WEB限定小説

『電子オリジナル 恋する救命救急医 シンデレラナイト』特別書き下ろしSS

「interlude」

春原いずみ


「痛い……っ!」
 瞬間的に、筧は悲鳴を上げていた。神城がはっとしたように、こちらを見る。
「どうした、深春」
 筧は庭で洗濯物を干していた。今日はすっきり晴れたので、勇んで洗濯をし、もう少しで干し終わるところだった。
「何か……痛い……」
 腕を押さえる筧に、神城が素早く駆け寄ってくる。彼は縁側に座って、うとうとしている黒柴の凜を撫でていたのだ。
「……虫刺されみたいだな」
 神城が冷静な口調で言った。そして、さらに顔を近づけて、筧の左上腕の内側を見る。
「蜂だな」
「蜂? 俺、蜂に刺されたんですか?」
「ああ」
 筧の問いに、神城が頷いた。
「針が残ってる。おまえ、今まで蜂に刺されたことあるか?」
「え、えーと……どうかな……」
 刺されたところがじんじんと熱く、痛い。
「もしかしたら……子供の頃、刺されたかも……」
「だとすると、アナフィラキシーが心配だな」
 神城は眼鏡をかけ直すと、そっと手を伸ばして、筧が蜂に刺された傷から針をつまみ取った。そして、ぎゅっと傷口を絞る。
「いててっ」
「ちょっとがまんな。毒を出した方がいい」
 そして、筧の腕を取って、庭にある水栓のところまで連れて行き、傷口を洗い始める。
「一応、ステロイドの塗布をした方がいいと思うんだが、持ち合わせがないな……。センターに行くか?」
「や、ダメですよっ」
 筧は慌てて言った。
「みんな忙しいのにっ」
「しかしなぁ……」
 神城が心配そうに、筧を見つめる。
「あ……っ」
 そして、いいことを思いついたという、いたずらっ子のような顔をした。
「じゃあ、クリニックならいいだろ? 開業医に行こう」
「か、開業医さん? どこですか?」
 反射的に尋ねてから、筧ははっと気づく。
「もしかして……」
 神城がにっと笑って頷く。
「ああ、お城の病院に行こう」


 城之内・姫宮クリニック……通称『お城の病院』。
「やはり、蜂刺されのようですね」
 ゆっくりと筧の腕を診察して、柔らかい声で言ったのは、繊細に整った目鼻立ちも美しい内科医だった。
「ご気分は? 息苦しさや熱があるような感じはありますか?」
「いえ、ないです」
 筧はその内科医、姫宮蓮の前で、何だか尻の据わりの悪い思いをしていた。診察用の椅子に座った筧の横には、同僚の南の姉だというナースがにこにこしている。年が近いらしく、顔も雰囲気もそっくりだ。
「今までこんな風に蜂に刺されたことはありますか?」
「……記憶になくて。もしかしたら、あるかも……です」
「今のところ、アナフィラキシーショックの徴候は見られないので大丈夫だと思いますが、一応注意はしておいてください。針も残っていませんし、毒も絞って洗い流したとのことなので、ステロイドと抗ヒスタミン剤入りの軟膏を出しておきます。適宜、お使いになってください」
 筧はぺこんと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「南さん」
 姫宮が診察介助の南に声をかける。
「午前の患者さんは、これで終わりですよね?」
「はい」
 電子カルテのリストを確認して、彼女が頷いた。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした。筧さん」
 姫宮が優雅な仕草で立ち上がる。
「三階に、僕と城之内の医局があります。コーヒーでも飲んでいってください」
「え、でも……」
「たぶん、彼らはそのつもりですよ」
 くすりと笑い、姫宮がからりと横引きのドアを開けると、廊下で談笑している美丈夫が二人。
「終わったか?」
 神城がすぐに傍に来て、頭を撫でてくれる。
「アナフィラキシーショックの徴候はありませんので、塗り薬だけ出しておきました」
 姫宮が丁寧に言った。そして、彼はくるりと身体の向きを変える。
「院長先生」
 姫宮がすっと軽く顎を上げた。涼しい美貌がきんと冴えて、思わず見とれてしまいそうになる。
「廊下でのおしゃべりはもう少し低い声でお願いします。診療に差し支えますので」
「あ、ごめん」
 全然謝ってる風には聞こえない。にこにこと上機嫌で言ったのは、はっきりとした顔立ちの凜々しいハンサムだ。美形と言うには少し癖があるが、爽やかな笑顔が似合う。
 彼、城之内聡史と姫宮蓮が共同経営しているクリニックが、この『お城の病院』なのである。
「しかし、なんで蜂になんて刺されたの?」
 四人は連れだって、階段で三階にのぼった。エレベーターもあるのだが、二階から三階に行くだけだ。エレベーターを待っているより、階段で上がった方が早い。
「庭で洗濯物を干していたんです」
 城之内の問いに、筧は正直に答えた。
「こんなにお天気がいいんですから、外に干さないと損だなって。乾燥機もありますけど、やっぱりお日様に当てた方がふかふかになるし……」
「何か……」
 城之内が『プライベートルーム』というプレートのあるドアを開けた。ここが医局らしい。
「神城先生、尽くされてますねぇ……」
「おう、うらやましいだろ」
 神城がぺろっと言う。筧は慌てるが、城之内は「いいですねぇ」と答えただけだ。
「ってぇっ!」
 その城之内のすねを素早く蹴飛ばしたのが、なんと姫宮だった。何かスポーツをやっていたらしく、彼の身体能力はなかなかのものだった。素早く、まったくバランスも崩さずに、ローキックをお見舞いし、そのまま何事もなかったかのように澄ました顔をしている。
 こらえきれずに、神城が吹き出した。筧はあまりに衝撃的な光景に、大きく目を見開くだけだ。
“……こういうことする人だったんだ……”
 舌鋒鋭いという噂は聞いていたが、フィジカルな意味でアグレッシブなタイプとは思っていなかった。たおやかで優雅な物腰と極上の容姿。まさか、その美貌の人がパートナーに蹴りを入れるとは。
「何すんだよ!」
「尽くしていなくて、申し訳ありません」
 こっちも全然謝っていない。ある意味、この二人は似たもの同士なのかもしれない。
「蓮にそういうのは求めていない……ごめん、ごめんって!」
 また蹴りを入れられることを恐れて、城之内が飛び退く。神城は身体を二つに折らんばかりにして笑っている。
「……いやぁ、スタッフには見せらんねぇなぁ……」
「……ですね」
 でも、何だかすごく楽しそうではある。
 どうやら、この『お城』にも物語があるようだ。
 俺たちにも俺たちの物語があるように。
 小さな蜂の一刺しから始まったエピソード。コーヒーでもゆっくりと飲みながら、語り合うとしよう。
 クリニックのお昼休みは……長いのだから。