『龍の美酒、Dr.の純白』
特別番外編「パパはホスト」
樹生かなめ
深紅の薔薇に白と金のアンティーク、ブリュッセルレースにアロマ。
自宅のインテリアは仕事用として純白の姫系で統一している。太夢が代表を務めるホストクラブ・ダイヤドリームとはムードを変えるのがポイントだ。
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「太夢くん、私は太夢くんが誰よりも好きよ。太夢くんと結婚したい」
紗菜は人気キャバクラのナンバーワンだけあって稼ぎはいい。今現在、五本の指に入る太夢の太客だ。すなわち、ホストクラブ・ダイヤドリームで五本の指に入る太客だ。
「紗菜ちゃん、俺もだよ」
太夢は紗菜の細い肩を優しく抱き寄せた。もっとも、BGMに混じって赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのだが。
息子よ、おむつか、ミルクか、単なるイライラか? もう少しだから待っていろ、と太夢は次男坊に心の中で訴えた。
「……太夢くんに子供がふたりいるのは知っているわ」
当然、紗菜の耳にも赤ん坊の泣き声は届いている。不愉快そうな顔つきに、太夢の心は軋んだ。
「……うん、紗菜ちゃんならいいママになってもらえると思った」
紗菜は見るからに軽薄そうなルックスだが、意外なくらい子供好きだと太夢は知っている。一日も早く結婚して、母親になりたがっていることも、人づてに聞いていた。
「新婚なのに子供がふたりもいるの?」
「子供も俺と一緒に愛してほしい」
「新婚旅行から帰ってきたら、すぐに育児に追われるの?」
「新婚旅行にも連れて行く」
太夢は子供を置いていく新婚旅行は最初から考えてはいない。
「……え? 新婚旅行に子供を連れて行くの?」
紗菜の顔は般若と化したが、太夢は考えを変えられない。
「うん。俺は今まで父親らしいことを満足にしてやっていないし……」
長男も次男も望んで授かったわけではない。どちらの子も結婚予定のなかった交際相手が産んだ子供だ。けれど、長男も次男もどちらも可愛い。
「私は子連れの新婚旅行なんていやよ」
「わかってくれると思ったのに」
「私と子供、どっちを取る?」
紗菜に拗ねたように問われ、太夢は優しく微笑んだ。
「両方」
「私と子供、どちらかよ」
噓でもいいから紗菜を選べ。ここで紗菜を選ばなければ終わりだ。二度と店にも来なくなる。売り上げの数字が落ちる。……それでも、噓はつけない。命より大切な子供たちに関することだから、と太夢は覚悟を決めて正直に告げた。
「子供」
バシッ。平手打ちを食らった。
ボカッ、と傍らにあった天使のオブジェでも殴られた。
「馬鹿にしないでっ」
手加減なしに蹴り飛ばされ、太夢はソファからずり落ちる。
「死ねっ」
さらに一発、強烈な蹴り。
紗菜は耳障りなドアの開閉音をさせ、嵐のように去って行く。
太夢が止める間もない。……否、経験上、止めても無駄だとわかっている。
ガタガタガタガタッ、と物音がした後、扉が鈍い音をたてて開く。長男の来夢がひょっこりと顔を出す。
「パパ、大丈夫?」
来夢の足下から次男の十夢が、はいはいで近寄ってきた。涙の跡が痛々しい。
「……ああ」
いい子、と太夢は一直線で這ってきた次男を抱き上げる。
「今日のママも帰っちゃったね」
来夢につぶらな瞳で指摘され、太夢は不敵に微笑んだ。
「新しいママを連れてくるから楽しみにしていろ」
「僕、パパがいれば新しいママはいらない」
「……ごめん、お前にそんなことを言わせるなんて、俺はなんてひどい父親だ……」
太夢は赤ん坊を左腕で抱きつつ、右手で長男坊の頭を撫でた。
「……僕も……だっこ……」
我慢できなくなったのか、長男も真っ赤な顔で抱きついてくる。
「……よしっ、いい子だ」
太夢は両腕で長男と次男を抱きかかえた。どちらもまだまだ小さいから余裕だ。
「パパ、新しいママなら、宇治お兄ちゃんみたいなママがいい」
時に長男のリクエストは、太夢を大いに混乱させる。
「宇治は男だ」
「男でもいいの。裕也くんのお母さんも男だよ。よっくんのママも男だもん」
スリスリスリスリッ、と来夢は甘えるように顔を擦り寄せてきた。
来夢が通っている保育園はいろいろとわけありの保護者が多い。男同士の夫婦の子供や女同士の夫婦の子供も少なくはなかった。
「……それはそれ、これはこれ」
「裕也くんのお母さんが一番美人だって。僕、水疱瘡が悔しい。水疱瘡じゃなかったら、結婚式に出られたのに……」
裕也くんのお母さんといえば、指定暴力団・眞鍋組二代目組長の姐だ。かつて不夜城一と謳われた美女を捨ててまで、姐として迎えた絶世の美青年である。
「そりゃ、二代目の姐さんなら綺麗だろう……って、頼むから男の嫁さんはナシだ。考えるなよ」
「……じゃあ、新しいママは京介お兄ちゃんがいい」
カリスマホストの代名詞と化している京介には、いろいろと複雑な思いがてんこもりに溜まっている。
「京介はショウのお嫁さんだから駄目だ」
「……じゃあ、やっぱり、ママは宇治お兄ちゃんがいい」
ふりだし。どうしてまた宇治に戻るんだ、と太夢は参ったが怒ったりはしない。
「パパは女が好き。パパは女じゃないと駄目なんだ。わかってくれ」
長男に対する差し迫った教育は、伴侶の性別だった。パパは女好き、と太夢が懇々と諭したのは言うまでもない。
太夢が息子に用意した食事は、野菜ジュースと、バナナとヨーグルトと牛乳をかけたコーンフレークだ。
「パパ、いただきます」
長男の来夢は自分でバナナもヨーグルトも食べられる。やっとここまで育った。年齢を誤魔化し、ホストとして働くことになったきっかけの子供だ。
「おう、来夢、たくさん食えよ」
太夢が笑いかけると、来夢はスプーンを持ったまま無邪気な笑みを浮かべた。
「うん」
屈託のない息子の笑みに、太夢の心が癒される。どんな美女の笑顔よりもいい。
「野菜ジュースも飲めよ」
息子が通う保育園の保育士から、食事について注意された。どうしたって、太夢が息子に用意する食事は偏ってしまう。せめてもの野菜ジュースだ。
「うん、パパも飲んでね」
スッ、と来夢に小さな手で野菜ジュースを差しだされ、太夢は顰めっ面でコクリと頷いた。
「わかっている」
ホストは身体が資本だ。不健康の極みを実戦するような仕事なだけに、ビタミンやミネラルは重要だと知っている。実際、健康を意識しないホストは、どんな数字を叩きだしても先が短い。
太夢は息子の前で真っ先に、保育士推薦の野菜ジュースを飲んだ。
「パパ、今日も遅いの?」
「ごめんな。仕事で遅くなる……そのな、保育園でおねんねしてくれな。おねんねして起きても保育園でいい子にしてくれな……またおねんねしてもらうけど、いい子でな」
今日は太客の同伴とアフターがあるし、極太客につき合う軽井沢一泊旅行も控えていた。軽井沢から帰ってきたら、そのまま店に直行し、太客と新客を迎える予定だ。
「僕と十夢は保育園でお泊まり? お泊まりいっぱい? パパはいないの?」
来夢のつぶらな瞳が潤み、太夢は真っ青な顔で慌てた。
「ごめんな。お土産をたくさん買ってくるからごめんな」
太夢はありったけの愛を込め、長男の頭を撫で回した。チュッチュッ、と頭部にキスも落とす。
「……ちゃんと帰ってきてね」
来夢は涙声で言ってから、赤くなった目を擦った。
「……ああ、俺はちゃんと帰ってくるから、ぐれずに待っていてくれ」
来夢は実母がいきなりいなくなっても、ふたりめの母親がいきなりいなくなっても、今のところ真っ直ぐに育っている。
「ぐれる、って何?」
「そのうちわかる」
俺の血を引く息子ならすぐわかる、と太夢は野菜ジュースを飲み干した。
「ばぶーっ、ばぶぶっ」
次男の十夢はまだまだ赤ん坊で、哺乳瓶が手放せない。それでも、ヨーグルトが好きなので、見れば手足をバタつかせる。
「十夢、ヨーグルトを食うか」
「ばぶっ、ばぶばぶぶぶぶっばぶっばぶーーーっ」
太夢が赤ん坊の口にヨーグルトを運んでいると、来夢は目をキラキラさせて言った。
「そうだ。パパに言うの忘れていた」
「なんだ? 保育園で何かがいるのか?」
「僕、安部のおじちゃんの立ち会いで、裕也くんと義兄弟の契りを結んだの」
一瞬、愛らしい男児が何を言ったのか理解できず、太夢は胡乱な顔で聞き返した。
「……へ? 義兄弟の契り?」
「裕也くんのほうが年上だから、裕也くんがお兄ちゃんなんだ」
裕也くん、といえば、来夢が保育園で一番仲良くしている男児だ。保護者は眞鍋組の顧問夫妻である。安部のおじちゃん、といえば、眞鍋組の舎弟頭である安部信一郎だ。武闘派として勇名を馳せた極道の中の極道であり、太夢も密かに尊敬していた。
「……お、お前、ぐれるな、ってあれほど言ったのにぐれたのか? いくらなんでもぐれるのが早くないか?」
かつて太夢はショウや宇治とともに大型バイクに乗り、暴走族として暴れ回った。それよりも前、物心ついた時から派手にやらかしてはいたけれども。
「……え? パパ、どうしたの? 僕と裕也くんは義兄弟の契りを結んだからいつも一緒なんだよ。
すべり台もブランコも鉄棒も砂場もお昼寝も一緒なの」
「……セーフ、セーフだな? まだセーフの友達だな?」
そっちの意味じゃない、と太夢は思う。典子も裕也の極道入りを反対しているからだ。
「僕と裕也くんは、友達よりもっとすごい義兄弟なんだよ」
「……安部のおっさんにどんな説明を受けたのか知らねぇけど……まぁ、いいか。裕也くんと仲良しなんだな」
保育園にいやがらずに行くのは裕也くんがいるからだよな、と太夢はなんとなくだが気づいている。
「うん、裕也くん、面白いんだよ。優しいの」
「そうか、仲のいい友達は最高の財産になる。大切にしろ」
太夢も暴走族時代の仲間は、今でもかけがえのない友人として残っている。ショウや宇治は眞鍋組の金バッジを胸につけるヤクザになったが、だからといって離れたりはしない。
「友達は最高だ、って、裕也くんのお祖母ちゃんもお祖父ちゃんも言ってたよ」
「そうか」
女性客の機嫌を取っている時間は長く感じるが、息子たちとの時間はあっという間に流れていく。太夢は慌てて準備をすると、息子たちを保育園に連れて行った。
息子を預けている保育園の保護者には、キャバクラ嬢もいれば風俗嬢もいるし、AV女優もいればホストやヤクザもいるし、前科持ちもいる。おそらく、両親が揃っている園児のほうが少ないだろう。両親がどちらもおらず、祖父母や叔母に育てられている園児も多いらしい。
太夢は自分の職業柄、いろいろと融通の利く保育園を選んだ。表向きはNGなことも、料金さえ上乗せして払えばなんとかなるものだ。もっとも、保育士たちには念を押されてしまった。「必ず迎えに来てくださいね」と。
おりしも、帰り際、裕也の保護者である典子とばったり会う。
その瞬間、太夢は深々と頭を下げた。
「……あ、典子姐さん、息子がお世話になっております。先日は助かりました」
「いいんだよ。それより、さっきチラリと聞いたけど、子供たちを保育園に連泊させるのかい?」
典子に険しい声で咎められ、太夢は長めの髪の毛を搔いた。
「……はい。仕事です。極太客相手の仕事なんで……わかってください」
ショウや宇治だけでなく、あの京介まで母のように慕っている典子には、どうしたって太夢も頭が上がらない。なんというのだろう、太夢にしても早世した実母に対峙しているような気分になってくるのだ。何より、典子は息子たちも可愛がってくれている。長男の口から飛びだす「おばあちゃん」と次男の口から飛びだす「ばあば」は、どちらも典子のことだ。
「うちが来夢くんも十夢くんも預かるよ」
典子の願ってもない申し出に、太夢は歓喜の声を上げた。
「……え? いいんですか?」
「いくらなんでも、連泊続きじゃ可哀想だよ」
「……俺も気が引けたんです。気が引けたんですが……」
「いいかい? 女とお泊まり旅行しなきゃ数字の出せないホストからさっさと卒業しな」
京介はそんなことを一度もしてはいないはずだ、と典子は言外に匂わせている。
確かに、いつまでもこんな仕事内容で続くはずがない。
来夢と十夢が成人するまでどうやって稼ぐか、どうやって養うか、もう一度、真剣に考えなければならない時が来たようだ。
「……す、すみません。ありがとうございます」
太夢はありったけの感謝をこめ、何度も典子に向かって頭を下げた。
もちろんこの時は、貝毒騒ぎが一連の大騒動に発展するとは夢にも思わなかった。
まして、白百合と称えられる二代目姐を新人ホストに仕立てることになろうとは。
(初出:『龍の美酒、Dr.の純白』Amazon特典)
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