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『龍&Dr. 同人誌特別編2』

樹生かなめ/著

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STORY

『龍&Dr. 同人誌特別編2』

「龍&Dr.」特別エピソードお蔵出し第2弾!

2010~2014年に発行された、樹生かなめオリジナル同人誌『JAPAN』『CHOCO』『SOBA』『ORANGE』『STORM』『MOUNTAIN』から、「龍&Dr.」シリーズ本編に連なるアナザーストーリーを大ボリュームでお届け!

あの事件の裏で何が起きていたのか!? それぞれの秘められたエピソードを一挙掲載。橘高清和×氷川諒一の最強カップルを筆頭に、眞鍋組とその周囲の面々が勢揃いする特別編集版・第2弾!

〈収録作品〉
「HAKONE」
「SPIRITUAL」
「WISTERIA」
「ETERNAL」
「MISTRESS」
「BLOODY STORM」
「MAN OF THE WEST」
「BAZOOKA」
「NEW YEAR」
「KIRISHIMA」
「CASABLANCA」
「CASTLE」
「SNAKE」

著者からみなさまへ

いつも『おむつ物語』を応援していただき、深く感謝します。おかげさまで同人誌で発表した裏話をホワイトハート様でもお届けすることができます。一口に裏話といっても、癖があり過ぎる裏話ですが、表で核弾頭が暴れているからこれくらいは許されるのでは……その、読者様の心は広いと信じています。樹生(きふ)かなめ、あちこちガタガタですが、まだ現役ざます。今後ともよろしくお願いいたします。

special story

SS復刻掲載

『龍の壮烈、Dr.の慈悲』
特別番外編「乾杯はワインで」
樹生かなめ

 
 またサメのサボりか?
 バカンスという名の逃亡か? 

続きを読む

 どうしてサメの返事がない。
 蕎麦の食べ歩きであってくれ、とメヒカリは通信機器の前で凍りついた。
 メヒカリは現実逃避のように、今までの経緯を思いだす。
 二代目姐の核弾頭が炸裂しているのに、眞鍋組最強の男による指示で、難攻不落と称された宋一族の本拠地に乗り込んだのだ。
『サメ、緒形寿明さんの動画をコピーも含め、すべて処分しろ』
 虎の指示は無体なんてものではなかった。サメは断固として拒絶したのだ。
「虎、無理だ。兎のレイプ動画は諦めろ」
『やれ』
「俺たちに死ねというのか?」
『お前ならできる』
「兎のレイプ動画とコピーは難攻不落の砦に保管されている。今まで宋一族の本拠地に侵入して生きて帰った奴はいない。楊一族やイジオットの凄腕やICPOのエースも始末されているんだ。先月はCIAのベテラン工作員も始末されていたぜ。二郎真君の応援があっても無理だ。お前も撃たれたんだから絶対安静だろ」
 サメがどんなに拒んでも、虎の指示は変わらなかった。不可解なぐらい緒形寿明という可憐な館長に拘る。
 今まで何人も虎に高徳護国流の門人が接触した。虎は高徳護国流宗主の次男ではなく、常に極道として対処した。傍から見ていて、苦行僧というより冷血漢と呆れたこともあったのだ。
 それなのに、今回はまるで違う。緒形寿明に対する情はなんだ。
 可憐な館長を助けるということは、宋一族を敵に回すことに等しい。
 事実、虎が館長に接触しただけで獅子の怒りをかって狙撃された。眉間を狙われていたら間違いなく即死だ。
 なぜ、常に冷静沈着な虎がそんな危険を冒す?
 導かれる答えはひとつだ。
 もしかしたら、花みたいな館長は虎の初恋の相手なのかもしれない。
 虎に初恋があったとは思えないが、そう仮定したらしっくりくる。
 初恋の相手が宋一族の総帥に捕食されているのか。
 だからこそ、脅迫の材料であるレイプ動画を処分しようと躍起になっているのか。
 虎の初恋の相手ならば仕方がない。
 また、二階堂正道も寿明を助けようと奮闘しているから危ない。
 虎は正道も助けようとした。カチコチの石頭とは思えない手段で。
 虎の心が誰にあるのか、皆目見当もつかない。ただ、石より硬い虎の心が動いていることは確かだ。
 その結果、虎の指令通り、山形の山奥にある宋一族の本拠地に乗り込んだ。難しいミッションには成功したのだ。メヒカリは宋一族の本拠地から無事に脱出し、麓に借りた一軒家でサメの帰還を待っていた。
 ……が、そこへ、いきなり暗雲が立ちこめた。
「虎、サメとの連絡が取れなくなりました」
 メヒカリは眞鍋組総本部に詰めているリキに報告を入れた。隣ではハマチが横浜のアジトにいる銀ダラに連絡を入れている。
『サメが捕まったのか?』
 リキの質問に対し、メヒカリは答えられなかった。何せ、サメに関してなんの確認も取れていないのだ。
「ダイアナが東京から引き返してきたんです。想定外でした」
 イジオットのウラジーミル一行が宋一族の本拠地を襲撃している時、メヒカリはチャンスだと勢いこんだがサメに止められた。確かに、ダイアナと獅童がいる限り、万に一つの望みもない。それ故、獅童とダイアナが東京に向けてプライベートジェットで出発した後、警備担当者による巡回を待ってから忍びこんだ。
 サメのプログラム通り、なんの問題もなく、ミッションを遂行した。
 なのに、最後。
 東京からプライベートジェットが引き返してくるという連絡が入った時、いやな予感はした。サメは予定を変更して、先にメヒカリたちメンバーを脱出させたのだ。その後、サメは予定外の方法で脱出するはずだったのだが。
 ダイアナは何か気づいたのか?
 これでは一体なんのために獅童とダイアナの留守を狙ったのかわからない、とメヒカリは髪を搔き毟る。サメを思えばいてもたってもいられない。
『ダイアナがプライベートジェットに乗っていたのか?』
「はい。今夜、ダイアナは獅子と一緒にパーティに参加するとばかり思っていました。レイプ動画のコピーが破壊されたという連絡が届いていたのかもしれません……いや、失言でした。そんなはずはありません。サメと俺たちは、獅子やダイアナが東京に到着したという確認を取ってから、本拠地に忍びこみました」
 メヒカリは動揺する余り、思考回路も舌もおかしくなっていた。もっとも、途中で気づいて言い直す。
『さすが、ダイアナ』
 リキの淡々とした称賛には、メヒカリも素直に賛同する。楊貴妃と揶揄される美貌の大幹部の評価は世界的に高い。
「はい、ダイアナはさすがです」
『琴晶飯店や是枝本家にも異変はない』
「今夜の獅子のヒットは中止してください」
 攻撃は一気に怒濤のように。今夜、眞鍋組二代目組長の意向により、宋一族の総帥を地獄に送り込む予定だった。
『サメは人質か?』
 リキが低い声で言ったように、サメが人質として監禁されている可能性がある。それ故、メヒカリは今夜の獅子のヒットを中止させたい。
 もし、獅子のヒットが成功したら、報復としてサメは嬲り殺されるだけではすまないだろう。宋王朝の傍系皇子の血を受け継ぐ一族のプライドの高さは類を見ない。
「それはわかりません。わかりませんが、獅子のヒット直前、サメの連絡が途絶えたとなれば何かある。ダイアナならばサメを殺したりせず、利用するはずです」
『二代目は、獅子の即死を依頼した』
 メヒカリは眞鍋の昇り龍の苛烈さをよく知っているし、怒髪天を衝いたダイアナの残虐さも見聞きしている。
「獅子の即死がサメの惨い死因になるかもしれません。サメの生存が確認できるまで、獅子のヒットはやめてください」
『メヒカリ、二代目に替わる』
 何か思うところがあったのか、リキから不夜城の覇者に替わった。
「はい」
『メヒカリ、サメを助けろ』
 清和の第一声にメヒカリは困惑し、椅子から転げ落ちそうになった。
「……二代目? そのつもりです。当然です」
『うちの虎に鉛弾をブチ込んだ獅子は許さない』
 不夜城の覇者が言外に匂わせていることはわかった。獅子の狙撃を中止するつもりはないのだ。たとえ、虎にさしたるダメージがなくても。
「……そ、それはわかります。俺も許せない。けれど、今夜のヒットは待ってください」
『即死で依頼した』
「依頼を変更してください」
『一刻も早く、獅子を消せなければ被害が大きくなる』
 清和の言い分もわかるが、どうしたってメヒカリは承諾できない。獅子はこれからも暗殺の機会があるだろうが、サメは始末されたら生き返らない。
「二代目、せめてサメの生死を確認するまで待ってください」
『今夜のヒットまでにサメを助けろ』
「無理を言わないでください。難攻不落の砦です」
 今回、メヒカリがハマチやほかのメンバーとともにミッションを成功させ、脱出できたことは奇跡に近い。一流の情報屋のバカラの的確な情報がなければ、獅童のプライベートルームに辿り着く前にバレただろう。
『イジオットのように戦闘機を飛ばせばいいのか?』
 不夜城の覇者に、冗談を言っている気配はない。本気で戦闘機を手配する気だ。
 もちろんそんなことをすれば、火に油を注ぐだけだとメヒカリは知っている。眞鍋が戦闘機で攻撃すれば、宋一族はロケットランチャーやナパーム弾で反撃するだろう。双方、一歩も引かず、法治国家とは思えない戦闘を繰り広げるに違いない。
「絶対にやめてください。宋一族にやられる前に魔女が憤死します」
『動画のコピーを破壊したと獅子が知れば開戦だ。その前に獅子を消す』
「繰り返します。サメの生存が確認できるまで、獅子のヒットは待ってくださいーっ」
 メヒカリはとうとう感情の高ぶりに任せて、仕えている男に向かって怒鳴った。左右の腕がなんとも形容し難い焦燥感と恐怖で震える。
 隣でもハマチが銀ダラに向かって叫んでいた。ほかのメンバーもそれぞれモニターの前で真っ青になりながらキーボードを叩いている。
『サメが生きているという保証はあるか?』
 清和はこれといって変わらないが、葛藤していることは間違いない。どうも、最悪の事態を覚悟しているようだ。……覚悟しているように見えた。……否、覚悟していないのか。
 メヒカリには昇り龍の心中がまったく読めない。
「二代目はすでにサメが始末されたと思いますか?」
『あいつはそう簡単にやられない』
 若き帝王はサメの生存を信じていた。誰よりも神出鬼没の男の実力を認めているのかもしれない。
 じわり、とメヒカリの胸が熱くなる。目も潤みかけたが、持てる理性を振り絞って涙は零さない。
「……お、俺もそう思います。外人部隊のニンジャは、どんな激戦地も裏切りの修羅場も生き延びたと聞きました。宋一族の拷問にあっても生き延びるはずです」
『バカラの連絡は?』
「ありません」
『サメを救いだせ』
 話がふりだしに戻ったような気がした。当然、メヒカリは引いたりはしない。
「サメを救いだすまで、獅子のヒットは待ってください」
『獅子のヒット前にサメを救いだせ』
 ブチリッ。
 眞鍋組二代目組長は言うだけ言うと、電源を切ってしまった。
「……こ、このっ……切りやがった……クソ坊ちゃん、って罵っていたサメの気持ちがよ〜くわかる……これだったんだ……サメが旅に出たがった理由……」
 いったいどうしたらいいんだ? 
 サメのことだから生きているはずだ。
 どんな小ずるい手を使っても生き延びるはずだ。
 けれど、獅子がヒットされたらダイアナは黙っていない。まず、サメを血祭りに上げる。
 どうすればいい、ここで自分が本拠地に乗り込んでも犬死にするどころか、かえって眞鍋の不利になる、とメヒカリは頭を抱えた。
 もっとも、隣でもハマチが髪を搔き毟っている。いつの間にか、銀ダラへの報告を終わらせていた。
「ハマチ、どうしたらいい?」
 メヒカリが真っ青な顔で聞くと、ハマチは掠れた声で答えた。
「焦るな。慌てるな。まず、落ち着け……これに尽きる」
「銀ダラはなんて言っている?」
 実質、銀ダラは諜報部隊の副官だ。サメ不在の今、銀ダラの指示を仰ぐしかない。
「虎と話しているようだ」
「今回のミッションは虎の指令だった。眞鍋に関係ない仕事だ」
 メヒカリがせつせつとした調子で言うと、ハマチは不敵に口許を緩めた。
「……ああ、銀ダラもそこを突いて、虎を動かすつもりらしい」
「今夜の獅子のヒットは中止させたい……いっそのこと、俺たちでヒットを邪魔するか?」
 命令違反だ。二代目に逆らうことになるが、サメを助けるためには仕方がない。
 二代目、許してください、とメヒカリは決死の覚悟で提案した。
 一瞬、通信機器に埋もれた部屋に微妙な沈黙が走る。
 だが、ハマチがすぐに静寂を破った。
「メヒカリ、誰よりも真面目なくせにすごいことを考えるな」
 ハマチのほか、周りにいたメンバーたちも一様に驚いている。サメや銀ダラとともに外人部隊に所属していたアンコウはモニターの前で低く唸った。
「それ以外にヒットを止める手がない」
「銀ダラと虎に賭ける。要は二代目のプライドだ」
 右腕とも言うべき虎を狙撃され、昇り龍が黙っていたら侮られるだけだ。いずれ、大事な虎が蜂の巣になる。
「サメ、無事でいてくれ」
 メヒカリが張り裂けそうな胸を押さえると、ハマチが宥めるように言った。
「メヒカリ、思い詰めるな」
「そうそう、サメの土壇場の強さには定評がある」
「サメは地獄の閻魔に嫌われているから、追い返されるに決まっているさ」
 その場にいたメンバーたちから慰めにならない言葉が続いた。
 もちろん、メヒカリに悲嘆に暮れている余裕はない。サメの救出に向け、メンバーとともに策を練った。みすみす大事なボスを旅立たせたりはしない。
 救出の暁には、再会を祝し、買い込んだ山形産のワインや日本酒で乾杯するつもりだ。

(初出:『龍の壮烈、Dr.の慈悲』Amazon特典』)

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SS復刻掲載

『龍の試練、Dr.の疾風』
特別番外編「転がる王冠」
樹生かなめ

 
 サメが本気を出したらすごい。
 日に日にサメに対する称賛が増えるが、藤堂和真にとっては今さらだ。昔から外人部隊のニンジャの雷名は轟いていた。

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「外人部隊のニンジャ、高名はお聞きしている。一度、ゆっくりお話をさせていただきたかった」
 それまで幾度となく見かけたことはあったが、六本木の地下カジノでようやく外人部隊こと鮫島昭典に声をかけることができた。
「藤堂組の組長さん、副業でゲイ専門のデリヘルでも経営しませんか。組長なら一財産築けます」
 サメの返事は辛辣だが、藤堂が差しだしたグラスを突き返したりはしない。ふたりで軽く乾杯してからロマネ・コンティを飲み干す。
「外人部隊のニンジャのお勧めにしては意外だ」
「藤堂組長は外人部隊に近寄らないほうがいい。部隊内で藤堂組長の取り合いになる」
「外人部隊に用がある時はニンジャにご同行を願う。最高のパフォーマンスを見せてくれるだろう」
 当時、外人部隊のニンジャは帰国して調査会社を営んでいたが、金さえ積めば非合法な仕事を請け負うプロ集団だった。元首相と人気女優の情事動画を台湾系暴力団から取り返した仕事の評価は高い。首相最有力候補の代議士を淫行スキャンダルの罠に叩き落とした仕事は、彼らを一躍有名にした。
「藤堂組長、鮫島のチームごと欲しいんや。落としどころを見つけてぇな」
 長江組の幹部にちょっとしたきっかけで話を持ちかけられた時は、思わず苦笑を漏らしてしまった。
「田口さん、長江組でも無理でしょう」
「長江でもあかんか?」
「おそらく、竜仁会の会長や海外のマフィアにも所属しないと思います」
「ほんなら、ずっとフリーでやっていくんかいな?」
「その見方が強いです」
 どこの組織にも属さないと目されていたが、夢想だにしていなかった男に仕えたのだ。腸が煮えくり返ったが、態度に出さないことが最後のプライドだった。
 鮫島昭典と宮城翔、ふたりとも俺には見向きもしなかったな、と藤堂は在りし日に思いを馳せる。
 いつか、眞鍋の昇り龍が覇権争いに名乗りを上げると予想していた。
 予想していたが、こんなに早いとは思わなかった。
 せめて三十を超してから裏社会統一に乗りだせ、と藤堂は目の前に並んだ眞鍋組二代目組長夫妻に対する捧げ物に溜め息をつく。判で押したように、純白のカサブランカの花束やラッピングされた果物や高級酒だ。
 宋一族の援助を受けたサメが長江組を分裂させ、一徹長江会を旗揚げした頃から、にわかに騒がしくなった。桐嶋組総本部には裏口や地下からこっそりと、面会に訪れる暴力団関係者が後を絶たない。それも、眞鍋組二代目組長夫妻に対する進物と桐嶋と藤堂への進物を持って。
 今夜も桐嶋が関西時代に世話になった長江組系中部岡﨑連合の会長が、進物持参で極秘にやってきた。桐嶋組総本部の一室で約一時間、桐嶋は真っ赤な顔で捲し立てているが、話し合いは平行線を辿ったままだ。
「……せやからな、アニキ……中部岡﨑連合会長、腹を括らなあかんで。眞鍋の二代目は半端ない男なんや。長江にええ顔して眞鍋にもええ顔して、勝ったほうの子分になるなんてな。そんなムシのええ話は無理や」
 桐嶋はテーブルに載せた白百合の花束と桐の箱に入ったメロンと高級酒の瓶を突き返そうとした。けれども、中部岡﨑連合会長は真剣な顔で押し返した。
「元紀、お前ならわかっとうやろ。俺はもう昔の俺ちゃうんや。俺の肩には子分衆の命運がかかっとう」
「そんなん、みな、そうやで。どこの親分さんもそうや」
「この通りや。頼む。今、俺は長江組に睨まれるわけにはいかへんのや」
 ガバッ、と中部岡﨑連合会長はテーブルに手をついて頭を下げた。今までだったら、死んでも桐嶋に泣きついたりしなかっただろう。藤堂は極道としての矜持の高かった中部岡﨑連合会長を知っている。隣で髪の毛を搔き毟っている桐嶋にしてもそうだ。
「……ほんなら、長江組系暴力団としてまっとうするしかないやろ」
 桐嶋は長江組系暴力団のトップとしての道を進言したが、中部岡﨑連合会長の顔には深い悲哀が漲った。
「一徹長江会がごっついんや。あの調子やったら明日にもうちは潰されるわ……あ、帰ったら舎弟らが総本部ごと焼かれとうかもしれへん……参ったわ」
「ヤクザの戦争はそういうもんや。会長もようわかっとうやろ」
「あれはヤクザの戦い方ちゃうやろ。裏から手を回すサメはごっついわ」
 当然、中部岡﨑連合会長も長江組の元若頭がサメだと摑んでいる。それ故、桐嶋組に眞鍋組二代目組長夫妻への貢ぎ物を持って忍んできたのだ。
 桐嶋は旧知の縁で拒むことができなかった。
「知らんがな」
「あんな、サメが平松さんに化けて長江から独立したのはわかっとう。たいしたもんや。あないな離れ業、今まで誰にもできへんかったやんか」
 手も足もでぇへんねん、と中部岡﨑連合会長は降伏宣言に等しい弱音を吐いた。長江組系暴力団の総意を代弁しているような気がしないでもない。何せ、サメが率いる一徹長江会の勢いは増すばかり。
「ほんで?」
「元紀、いけずせんとってぇな。俺とお前の仲やんか。頼む。この通りや。眞鍋の二代目に取りなしてぇや」
 ズイッ、と中部岡﨑連合会長は、眞鍋組二代目組長夫妻への貢ぎ物を桐嶋に向けて押した。下心でカサブランカやメロンが腐敗しそうな雰囲気だ。
「ほんなら、今からでも一緒に眞鍋の色男に挨拶しに行かへんか?」
 桐嶋がソファから腰を浮かせると、中部岡﨑連合会長は慌てて止めた。
「それができたら苦労せえへん。わかっとうやろ」
「眞鍋の色男に挨拶したのが長江にバレたらヤバいわな」
 桐嶋が顔を歪めて指摘すると、中部岡﨑連合会長は渋面で頷いた。
「そうや」
「……ほんでも、このままやったら明日にもシマは一徹長江会にやられてまうわな」
「そうや。頼む。近いうちに中部岡﨑連合は眞鍋組の傘下に入らせてもらう。それまで少しの間、一徹長江会の攻撃を押さえてほしいんや。この通りや」
「都合のいいことを、って眞鍋の色男が鬼になんのがわかるわ」
 同じく桐嶋自身も心の中で怒り狂っているのが、藤堂には手に取るようにわかる。それでも、兄貴分の立場を思いやり、口汚く罵ったり馬鹿にしたりはしない。何より、こういった暴力団関係者はひとりやふたりではなかった。
「元紀なら上手く……元紀なら上手くなんとか……姐さんにも可愛がられとうし……頼む、この通りや……」
 中部岡﨑連合会長の目が真っ赤になり、とうとう桐嶋は折れた。
「……まぁ、そないに長江が怖いんならここにおんのはあかんやろ。ちゃっちゃっと帰ったほうがええわ」
 桐嶋の言い回しを中部岡﨑連合会長はきちんと理解していた。一瞬にして、周囲に漂わせていた悲愴感が薄れる。
「元紀、請け合ってくれるんやな?」
「了解するまで居座るつもりやろ?」
「そうや。請け合ってくれるまで帰られへん」
「……そういや、長江の田口さんが動きだしたんちゃうんか?」
 桐嶋が眞鍋組の祐から仕入れた極秘情報を疑問形でそれとなく告げると、中部岡﨑連合会長も思い当たることがあったらしい。
「……うっ……田口さんの狙いは名古屋だと思うか?」
 俺たちだと思うか、と中部岡﨑連合会長の全身から恐怖が滲んでいる。
「名古屋か岐阜か三重か、どこかわからへんけど、田口さんは立場上、離反する二次団体にお灸を据えなあかんやろ」
「……もし、俺が始末されても心筋梗塞とかの病気や。舎弟たちを頼む……舎弟たちを……」
 一応、中部岡﨑連合会長は命の覚悟はしているようだ。構成員を大事にするだけに、今回は仁義をかなぐり捨てて揺れているのかもしれない。
「とりあえず、眞鍋の色男に話は通しておくわ。きっちり会長の気持ちは伝えるから、ちゃっちゃと帰ってえな」
 桐嶋が急かすように立ち上がると、中部岡﨑連合会長もようやく腰を上げた。
「元紀、おおきに。おおきにやで」
「会長、来月、うちで一緒にたこ焼きパーティーがでけたらええな」
 中部岡﨑連合会長が差しだした手を桐嶋は拒んだりしない。ぎゅっ、と固く握り合う。
「……お、それはええな。たこ焼きパーティーに呼んでぇな。名古屋メシをようさん持って参加するわ」
「名古屋コーチンを忘れんとってな」
「任せてぇや。藤堂が好きそうなワインも期待してええで」
 中部岡﨑連合会長は桐嶋との握手を終えると、藤堂にも小指のない手を差しだす。今までならば『薬屋』と見下していた藤堂に握手を求めなかった。舎弟を頼む、という親分心が伝わってくる。
「会長、どうか道中、お気をつけて」
 藤堂は握手に応じつつ、温和な声で注意した。
「なんや、改まって辛気くさい」
「おそらく、田口さんに気づかれていると思います。手を打ったほうがいいでしょう」
 桐嶋組のシマに長江組関係者がいろいろな姿に変えて潜んでいることは気づいている。情報を攪乱させるためにわざと泳がせている男もいるが、今夜の面会は長江組に摑まれているはずだ。藤堂は始末される中部岡﨑連合会長が脳裏に浮かぶ。
「田口さんには下手に一言入れたほうがヤバいんちゃうかな……せやから、決めるなら早く決めてほしいんや」
 眞鍋が天下を取るならさっさと取ってほしい、と中部岡﨑連合会長は暗に匂わせた。勝敗の行方が不明だから周囲は揺れるのだ。
「さようですか」
「正直、俺も今の長江の集金に参っとうねん。眞鍋は綺麗な稼ぎ方をしよるな」
「そうですね」
「藤堂の貿易会社もええ感じに数字を出しとうみたいやな。楽しみにしとう」
「ありがとうございます」
 藤堂が悠然と微笑むと、中部岡﨑連合会長は目を瞠った。
「……やっぱええな。藤堂は元紀と一緒におんのがええわ。前に見かけた時よりずっとええ顔をしとうわ」
 パンパンッ、と賛嘆するように肩を叩かれて、藤堂は面食らってしまうが辛うじて顔には出さない。桐嶋とともに中部岡﨑連合会長を裏口から見送った。無事に名古屋に辿り着くことを願ってやまない。
 いつの世でも時は止まったりしない。流れる時に上手く乗らなければならないけれども、なんとも形容し難い複雑な気分だ。
「あ~っ、かなわんな~っ」
 桐嶋に甘えるように抱きつかれ、藤堂は宥めるように広い背中を摩った。
「元紀、何か飲むか?」
「……うぅ~っ、何か食いたい気分や……イライラとハラハラとクラクラと悔しいのと悲しいのと誇らしいのと……俺は俺がわからん」
 スリスリスリスリっ、と桐嶋に駄々っ子のように顔を擦りつけられる。密着している肌から複雑怪奇な感情が藤堂にも伝わってきた。
「その気持ちはよくわかる」
 桐嶋の性格から考えれば、かつての兄貴分のあのような姿を見たくなかったのだろう。兄貴分の見通しが暗いからなおさらだ。確かめるまでもなく、大原組長への義理を捨てていない。それでも、眞鍋の昇り龍の裏社会統一を願っているから苦しいのだ。
「カズ、何を食ったらこのわけのわからへんモヤモヤが静まると思う?」
「自分の胃と心に問いたまえ」
「……カズがお好み焼きを焼けたら焼いてもらうけど、絶対に焼いたらあかんで。うどんもあかん……あ、ベトナムのホアンちゃんからなんかもろたよな」
 何かを断ち切るように、桐嶋はベトナム・マフィアのダーからの差し入れの生春巻きを口に放り込んだ。難しい顔で咀嚼し、タイ・マフィアのルアンガイからの差し入れのビールを呷る。
「……カズ、中部岡﨑連合会長は田口さんに目をつけられとうな?」
 桐嶋に確かめるように聞かれ、藤堂は伏し目がちに頷いた。
「明日にも始末される可能性が高い」
「逃げられへんかな?」
「元紀が気にすることじゃない」
「せやかて、世話になったアニキやし……あ~っ、これで何人目や。こないな被害を食らうとは思わんかったで」
「昇り龍に一日も早く制覇してもらったほうが楽だ」
「そやな。それも色男に言うわ」
「今から行くのか?」
 不夜城の主とはいえ、押しかけるには躊躇われる時間帯だ。
「当たり前や。もう我慢できへん。眞鍋の色男に例の件も含めて文句を入れたる……あ、唐木田、眞鍋への貢ぎ物を全部運べーっ」
 時間の無駄だ、と藤堂は切実に思ったが、あえて口には出さなかった。桐嶋に肩を抱かれ、正面玄関に向かう。
「カズ、なんや、その顔は?」
 桐嶋に顔を覗き込まれ、藤堂はいつもと同じ声音で応じた。
「どうした?」
「俺にキスしてほしそうな顔をしとう」
「そうか?」
「キスしたろか?」
 すでに車寄せでは組長用の高級車が停まり、眞鍋組二代目組長夫妻への進物が運ばれていた。唐木田やほかの構成員たちが頭を下げている。
「人の目がある。やめたまえ」
「白クマには平気でブチュブチュさせるくせに」
 ブチュッ、と唇にキスを落とされた。藤堂が避ける間もない。
 キスの理由は、周囲に情報屋に悪用されている構成員や、長江組に利用されている構成員がいるからだ。情報を錯綜させたいのかもしれないが、効果はないと断言できる。
「……元紀」
「眞鍋の色男にもキスしたろかな」
「姐さんに泣かれるからやめたまえ」
「姐さん、これからようけ泣くやろな」
 なんにせよ、眞鍋の昇り龍の裏社会統一は目前に迫っている。かつての宿敵の快挙が悔しくないから自分でも不思議だった。その理由はなんとなくわかっている。

(初出:『龍の試練、Dr.の疾風』Amazon特典)

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SS復刻掲載

『龍の頂上、Dr.の愛情』
特別番外編「魔女の禁じ手、天使の笑顔」
樹生かなめ

 
 サメの戯言は聞き飽きた。
「伝えきれない愛しさをどうしたらいい?」

続きを読む

 サメは各方面でダイアナへの愛を語って驚かせたらしいが、よく蜂の巣にされなかったものだ。
 時間があれば、あいつの馬鹿につき合ってもよかった。
 もう時間がない、と祐は長江組大原組長の側近との交渉を終えて痛感した。
 時間が経つにつれ、眞鍋組二代目組長の立場が悪くなっていく。二代目の名を落とすことは眞鍋の名を落とすことに等しい。これ以上、名を落とせば正規のビジネスにも支障が出る。それこそ、犯罪組織になりかねない。
 何より、現在、祐の最大の不安は眞鍋組顧問である橘高正宗と舎弟頭の安部信一郎のことだった。
「橘高顧問、決して早まらないでください。安部さんと一緒にカビの生えた仁義とやらを発揮したらますます泥沼化するだけです」
 顔を合わせるたびに釘を刺しているが、なんの効果もないような気がする。
 俺に時間があれば見張っているのに、と祐が心の中で零した時、スマートフォンに着信があった。ホストクラブ・ジュリアスのオーナーからだ。
「オーナー? 先日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。近々、改めて二代目とともにお詫びに参上するつもりです」
 手打ち前のこと、二代目姐が長江組の幹部に拉致されたが、京介とジュリアスのオーナーも巻き込んでしまった。SOSをもらったから迅速に救出できたが、祐は眞鍋側としてひたすら謝罪するほかない。
『お詫びはいいから、愛しの橘高さんにお会いしたい』
 オーナーの口調はいつもと同じようでどこか違う。第一、橘高に会いたければわざわざ連絡を入れる必要はない。橘高は過去にオーナーを助けて以来、変わりなく可愛がっているという。
「オーナーの愛しい相手は宇治だったと記憶していますが」
 オーナーはこれまでことあるごとに宇治への愛を吹聴した。ウエディングドレスに身を包み、花婿姿の宇治を教会まで連行しようとしたのはつい最近のことだ。
『宇治坊への愛と橘高さんへの愛は違う。清らかな魔女ならわかってくれるはずだ』
 祐はあえて自分に対する呼び名にコメントしない。情報通の熟練王子は、橘高の危機を察したのだろう。
「オーナーが直接、橘高顧問を誘ってください。できれば、舎弟頭もボディガード代わりに連れて行ってくださると幸いです」
 化石コンビが馬鹿なことをしないように見張ってくれ、と祐がわざわざ口にしなくても当然のように通じたようだ。
『橘高さんも安部さんもつれなくて、相手にしてくれない』
 案の定、オーナーの目的も大恩人の危機回避だ。
「オーナーでもそうですか」
『俺は橘高さんを助けるためならどんな手でも使ってしまう。許してほしい』
 オーナーの未だかつてない口ぶりに、祐は言いようのない胸騒ぎがした。
「……何をする気ですか?」
『清らかな魔女の顔を立て、一言入れておきたかった。そういうことだからよろしく』
 オーナーは言うだけ言うと、強引に通話を切ってしまった。いつもならば王子の鑑のような別れの挨拶があるというのに。
「……オーナー? ……オーナーがこんなに慌てているのは初めてかもしれない」
 祐は幾つものモニターを確認してから、傍らの卓に確かめるように尋ねた。
「卓、橘高顧問と安部さんはどこにいる?」
「櫛橋組のシマで櫛橋組長とメシを食っているはずです」
 どの画面にも櫛橋組が牛耳る街は映しだされていない。ただ、櫛橋組のシマの一角には眞鍋組関係者が一般人のふりをして潜んでいる。
「本当に? それは表向きの予定だな?」
 祐が綺麗な目を細めると、知能派幹部候補は察したようだ。コクリと頷き、橘高を極秘にガードさせている兵隊に連絡を入れた。
「……確認します……あ、眞鍋の新しいシマ……つまり、元支倉組のシマに移って屋台で飲み始めたばかりだそうです」
 卓の報告を聞いた瞬間、祐の脳裏に屋台で元長江組構成員に刺し殺される橘高と安部の姿が浮かんだ。眞鍋が誇る武闘派は酔ったふりをして、いっさい抵抗しないだろう。
「屋台?」
「元支倉組構成員がやっている屋台です」
「こんな時間から屋台で飲んでいるのか?」
「……はい、珍しいです」
「……わざと隙を作って長江組のヒットマンにやられるつもりか」
 一徹長江会の平松会長ことサメの長江組に対する猛攻は、終わるどころか激しくなっていた。眞鍋の窮地を救うため、橘高や安部が取る行動は容易に想像できる。二代目組長の養父の首を取れば、長江組も溜飲を下げるだろう。武闘派として名高い舎弟頭の首もあればなおさらだ。
「……あ、あ、あーっ、そうです。確かにふたりともわざと目立つような……俺、迎えに行きます」
 卓は血相を変えると立ち上がり、そばにいた宇治や吾郎とともに走り出そうとした。眞鍋の男にとって度量の広い橘高は父親だ。
 しかし、祐は冷徹な声で止めた。
「お前たちじゃ無理だ」
「祐さん、お願いします」
「俺でも無理だ」
「二代目に頼みます」
「一応、二代目に連絡を入れろ。ただ、二代目でも無理だ。あの化石コンビの覚悟は変えられない」
 二代目と虎がもうすでに説得して玉砕しているだろう、と祐が心の中で呟いた時、眞鍋第三ビルの出入口付近を映していたモニターの画面が切り替わった。二代目組長の精悍な顔が映しだされる。
「……あ、二代目から連絡です」
 卓の声が聞こえるや否や、モニターの中の清和から指示が飛んだ。
『祐、オヤジを止めろ』
 いつも通り、口下手な昇り龍は言葉が足りないが、祐にはわかる。予想通り、眞鍋組の大黒柱の説得に失敗した後なのだろう。
「橘高顧問も安部さんも死ぬ気ですね。二代目でも止められませんでしたか」
『わかっているならさっさと止めろ』
「若い龍虎コンビでは化石コンビを止められないでしょう。俺でも無理です」
『死なせるなっ』
「禁じ手を使っても文句を言わないでください」
 祐は険しい顔つきで言うと、強引に画面を切り替えた。これ以上、聞きわけのない戦闘兵につき合ってはいられない。
 祐が重厚なドアに向かって歩きだすと、卓が不安そうに尋ねてきた。
「祐さん、どこに行くんですか?」
「禁じ手を使う」
「禁じ手?」
「後を頼む。銀ダラと密接に連絡を取り合え。バカラにも晩翠にも大金を積んで、サメの馬鹿攻撃を最小限に食い止めさせろ」
 化石オヤジを動かすには禁じ手しかない、と祐は躊躇いながらも橘高家に向かった。ボディガードはタイとメヒカリだ。


 クマのチョコレートを大量に買い込み、祐は閑静な住宅街に建つ橘高家を訪問する。インターホンを押すと、切羽詰まったような典子の声に応対された。
『忙しいのっ。鍵は開いているわよーっ』
 電話か料理中か、手が離せないのか、と祐は見当をつけながら玄関のドアを開けた。
 その瞬間、やんちゃ坊主の雄叫びが響いてきた。
「うわ~い、うわ~い、祐兄ちゃ~ん、僕のお嫁さんだ~っ」
 ドドドドドドッ、と玩具や靴下が落ちている廊下を走ってくるやんちゃ坊主に怯えたりはしない。
 だが、ここで裕也に飛びつかれたら卒倒する自信がある。今、祐に倒れている暇はない。祐は真剣な目でメヒカリに声をかけた。
「メヒカリ、頼んだ」
「祐さん、任せてくださいっ」
 車内での打ち合わせ通り、祐はメヒカリに裕也を任せた。
 ビョンッ、と裕也が祐目がけて飛んでくる。
「……うっ」
 トビウオか、と祐はやんちゃ坊主を避けられない。元々、避ける反射神経がないのだ。
 間一髪、メヒカリが祐の前に立ち、ガシッ、と裕也を抱き留めた。
「裕也くん、初めまして。元気だね」
「きゃはははははは~っ」
 メヒカリが裕也を高く掲げると、楽しそうに屈託のない笑顔ではしゃぐ。
 セーフ、と祐が安堵の息を漏らしたのも束の間。
 ピタリ、と祐の足下に何かがへばりついた。
「祐お兄ちゃん、裕也くんのお嫁さん? お嫁さんだよね?」
 祐が見下ろすと、愛らしい男児がぴったりと張りついていた。ダイヤドリームの代表である太夢の長男の来夢だ。
「……来夢くんかな?」
 祐が優しい笑顔を意識して作ると、来夢はつぶらな瞳をキラキラさせて頷いた。
「うん」
 タッタッタッタッ、とさらに別の男児が勢いよく廊下を走ってきた。祐はこの三人目の男児にも覚えがある。
「……綺羅くん? 綺羅くんのパパは大江吉平くんかな?」
 ショウと同じ暴走族で大型バイクを乗り回していた吉平や太夢は、何も知らない一般人ではない。眞鍋組が抗争中だと摑んでいるから、なんの理由もなく、眞鍋組二代目組長の実家に溺愛している子供たちを預けたりはしないだろう。……解せない。解せないが、なんとなく見当はつく。
「うん」
「綺羅くん、ここにはパパと来たのかな?」
 綺羅の父親である大江吉平は元寒野組の若頭だ。二代目姐の恩情や、ショウや宇治といった元暴走族仲間の取りなしがなければ許さなかった。
「えっとね、利羅ちゃんとパパとジュリのオーナーと来夢くんと十夢くんのパパと来たの。お祖母ちゃん、大好き~っ」
 綺羅は眞鍋組構成員たちが母と慕う典子に、祖母に対するように懐いている様子だ。
「ジュリのオーナーってジュリアスのオーナーかな?」
「うん。お祖父ちゃんのお友達だって聞いた。オーナー、お祖父ちゃん、大好き、って言った」
 綺羅の言葉に賛同するように来夢もコクリと頷く。
 メヒカリが裕也を肩車して高速回転しだした時、橘高家の女主人が台所から顔を出した。
「……おや、祐じゃないかい。あんたにハンバーグを焼いてもらうのは無理だね」
 典子が赤ん坊を背負い、愛らしい利羅を抱いて、のろのろと歩いてくる。ボサボサの髪の毛やドロドロのエプロンが橘高家事情を如実に表していた。
「姐さん、ご無沙汰しております」
 祐が礼儀正しくお辞儀をすると、典子は抱いている利羅を眺めながら言った。
「可愛いだろう。男の子はやんちゃだけど、女の子は可愛いね」
 典子の言葉が通じたのか、背中に背負っていた男児が手足をバタバタとバタつかせた。太夢の次男坊の十夢はまだ乳飲み子だ。廊下に哺乳瓶とおむつ、ヒヨコのよだれかけが点在している理由がよくわかる。
「姐さん、ジュリアスのオーナーはどのような挨拶をしていましたか?」
「古臭いオヤジを愛している、ってさ。オヤジのためなら死ねる、って繰り返したけど……まぁ、王子様だと思ったら熱かったわ」
「そうですか」
 ……そういうことか。
 ジュリアスのオーナーは橘高さんと安部さんを助けるため、太夢と吉平に協力させる気だ。
 ……で、姐さんを使うのか。
 確かに、サメを動かせるのは核弾頭しかいない。
 化石コンビを動かせるのは子供たちしかいない。
 二代目、文句を言うな、と祐は心の中で命を捧げた男に凄んだ。そうして、子供たちを預かっている典子に言葉を尽くして頼み込む。
 典子のためにも子供たちのためにも、橘高や安部を失うわけにはいかないから。

(初出:『龍の頂上、Dr.の愛情』Amazon特典)

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