『龍の試練、Dr.の疾風』
特別番外編「転がる王冠」
樹生かなめ
サメが本気を出したらすごい。
日に日にサメに対する称賛が増えるが、藤堂和真にとっては今さらだ。昔から外人部隊のニンジャの雷名は轟いていた。
続きを読む
「外人部隊のニンジャ、高名はお聞きしている。一度、ゆっくりお話をさせていただきたかった」
それまで幾度となく見かけたことはあったが、六本木の地下カジノでようやく外人部隊こと鮫島昭典に声をかけることができた。
「藤堂組の組長さん、副業でゲイ専門のデリヘルでも経営しませんか。組長なら一財産築けます」
サメの返事は辛辣だが、藤堂が差しだしたグラスを突き返したりはしない。ふたりで軽く乾杯してからロマネ・コンティを飲み干す。
「外人部隊のニンジャのお勧めにしては意外だ」
「藤堂組長は外人部隊に近寄らないほうがいい。部隊内で藤堂組長の取り合いになる」
「外人部隊に用がある時はニンジャにご同行を願う。最高のパフォーマンスを見せてくれるだろう」
当時、外人部隊のニンジャは帰国して調査会社を営んでいたが、金さえ積めば非合法な仕事を請け負うプロ集団だった。元首相と人気女優の情事動画を台湾系暴力団から取り返した仕事の評価は高い。首相最有力候補の代議士を淫行スキャンダルの罠に叩き落とした仕事は、彼らを一躍有名にした。
「藤堂組長、鮫島のチームごと欲しいんや。落としどころを見つけてぇな」
長江組の幹部にちょっとしたきっかけで話を持ちかけられた時は、思わず苦笑を漏らしてしまった。
「田口さん、長江組でも無理でしょう」
「長江でもあかんか?」
「おそらく、竜仁会の会長や海外のマフィアにも所属しないと思います」
「ほんなら、ずっとフリーでやっていくんかいな?」
「その見方が強いです」
どこの組織にも属さないと目されていたが、夢想だにしていなかった男に仕えたのだ。腸が煮えくり返ったが、態度に出さないことが最後のプライドだった。
鮫島昭典と宮城翔、ふたりとも俺には見向きもしなかったな、と藤堂は在りし日に思いを馳せる。
いつか、眞鍋の昇り龍が覇権争いに名乗りを上げると予想していた。
予想していたが、こんなに早いとは思わなかった。
せめて三十を超してから裏社会統一に乗りだせ、と藤堂は目の前に並んだ眞鍋組二代目組長夫妻に対する捧げ物に溜め息をつく。判で押したように、純白のカサブランカの花束やラッピングされた果物や高級酒だ。
宋一族の援助を受けたサメが長江組を分裂させ、一徹長江会を旗揚げした頃から、にわかに騒がしくなった。桐嶋組総本部には裏口や地下からこっそりと、面会に訪れる暴力団関係者が後を絶たない。それも、眞鍋組二代目組長夫妻に対する進物と桐嶋と藤堂への進物を持って。
今夜も桐嶋が関西時代に世話になった長江組系中部岡﨑連合の会長が、進物持参で極秘にやってきた。桐嶋組総本部の一室で約一時間、桐嶋は真っ赤な顔で捲し立てているが、話し合いは平行線を辿ったままだ。
「……せやからな、アニキ……中部岡﨑連合会長、腹を括らなあかんで。眞鍋の二代目は半端ない男なんや。長江にええ顔して眞鍋にもええ顔して、勝ったほうの子分になるなんてな。そんなムシのええ話は無理や」
桐嶋はテーブルに載せた白百合の花束と桐の箱に入ったメロンと高級酒の瓶を突き返そうとした。けれども、中部岡﨑連合会長は真剣な顔で押し返した。
「元紀、お前ならわかっとうやろ。俺はもう昔の俺ちゃうんや。俺の肩には子分衆の命運がかかっとう」
「そんなん、みな、そうやで。どこの親分さんもそうや」
「この通りや。頼む。今、俺は長江組に睨まれるわけにはいかへんのや」
ガバッ、と中部岡﨑連合会長はテーブルに手をついて頭を下げた。今までだったら、死んでも桐嶋に泣きついたりしなかっただろう。藤堂は極道としての矜持の高かった中部岡﨑連合会長を知っている。隣で髪の毛を搔き毟っている桐嶋にしてもそうだ。
「……ほんなら、長江組系暴力団としてまっとうするしかないやろ」
桐嶋は長江組系暴力団のトップとしての道を進言したが、中部岡﨑連合会長の顔には深い悲哀が漲った。
「一徹長江会がごっついんや。あの調子やったら明日にもうちは潰されるわ……あ、帰ったら舎弟らが総本部ごと焼かれとうかもしれへん……参ったわ」
「ヤクザの戦争はそういうもんや。会長もようわかっとうやろ」
「あれはヤクザの戦い方ちゃうやろ。裏から手を回すサメはごっついわ」
当然、中部岡﨑連合会長も長江組の元若頭がサメだと摑んでいる。それ故、桐嶋組に眞鍋組二代目組長夫妻への貢ぎ物を持って忍んできたのだ。
桐嶋は旧知の縁で拒むことができなかった。
「知らんがな」
「あんな、サメが平松さんに化けて長江から独立したのはわかっとう。たいしたもんや。あないな離れ業、今まで誰にもできへんかったやんか」
手も足もでぇへんねん、と中部岡﨑連合会長は降伏宣言に等しい弱音を吐いた。長江組系暴力団の総意を代弁しているような気がしないでもない。何せ、サメが率いる一徹長江会の勢いは増すばかり。
「ほんで?」
「元紀、いけずせんとってぇな。俺とお前の仲やんか。頼む。この通りや。眞鍋の二代目に取りなしてぇや」
ズイッ、と中部岡﨑連合会長は、眞鍋組二代目組長夫妻への貢ぎ物を桐嶋に向けて押した。下心でカサブランカやメロンが腐敗しそうな雰囲気だ。
「ほんなら、今からでも一緒に眞鍋の色男に挨拶しに行かへんか?」
桐嶋がソファから腰を浮かせると、中部岡﨑連合会長は慌てて止めた。
「それができたら苦労せえへん。わかっとうやろ」
「眞鍋の色男に挨拶したのが長江にバレたらヤバいわな」
桐嶋が顔を歪めて指摘すると、中部岡﨑連合会長は渋面で頷いた。
「そうや」
「……ほんでも、このままやったら明日にもシマは一徹長江会にやられてまうわな」
「そうや。頼む。近いうちに中部岡﨑連合は眞鍋組の傘下に入らせてもらう。それまで少しの間、一徹長江会の攻撃を押さえてほしいんや。この通りや」
「都合のいいことを、って眞鍋の色男が鬼になんのがわかるわ」
同じく桐嶋自身も心の中で怒り狂っているのが、藤堂には手に取るようにわかる。それでも、兄貴分の立場を思いやり、口汚く罵ったり馬鹿にしたりはしない。何より、こういった暴力団関係者はひとりやふたりではなかった。
「元紀なら上手く……元紀なら上手くなんとか……姐さんにも可愛がられとうし……頼む、この通りや……」
中部岡﨑連合会長の目が真っ赤になり、とうとう桐嶋は折れた。
「……まぁ、そないに長江が怖いんならここにおんのはあかんやろ。ちゃっちゃっと帰ったほうがええわ」
桐嶋の言い回しを中部岡﨑連合会長はきちんと理解していた。一瞬にして、周囲に漂わせていた悲愴感が薄れる。
「元紀、請け合ってくれるんやな?」
「了解するまで居座るつもりやろ?」
「そうや。請け合ってくれるまで帰られへん」
「……そういや、長江の田口さんが動きだしたんちゃうんか?」
桐嶋が眞鍋組の祐から仕入れた極秘情報を疑問形でそれとなく告げると、中部岡﨑連合会長も思い当たることがあったらしい。
「……うっ……田口さんの狙いは名古屋だと思うか?」
俺たちだと思うか、と中部岡﨑連合会長の全身から恐怖が滲んでいる。
「名古屋か岐阜か三重か、どこかわからへんけど、田口さんは立場上、離反する二次団体にお灸を据えなあかんやろ」
「……もし、俺が始末されても心筋梗塞とかの病気や。舎弟たちを頼む……舎弟たちを……」
一応、中部岡﨑連合会長は命の覚悟はしているようだ。構成員を大事にするだけに、今回は仁義をかなぐり捨てて揺れているのかもしれない。
「とりあえず、眞鍋の色男に話は通しておくわ。きっちり会長の気持ちは伝えるから、ちゃっちゃと帰ってえな」
桐嶋が急かすように立ち上がると、中部岡﨑連合会長もようやく腰を上げた。
「元紀、おおきに。おおきにやで」
「会長、来月、うちで一緒にたこ焼きパーティーがでけたらええな」
中部岡﨑連合会長が差しだした手を桐嶋は拒んだりしない。ぎゅっ、と固く握り合う。
「……お、それはええな。たこ焼きパーティーに呼んでぇな。名古屋メシをようさん持って参加するわ」
「名古屋コーチンを忘れんとってな」
「任せてぇや。藤堂が好きそうなワインも期待してええで」
中部岡﨑連合会長は桐嶋との握手を終えると、藤堂にも小指のない手を差しだす。今までならば『薬屋』と見下していた藤堂に握手を求めなかった。舎弟を頼む、という親分心が伝わってくる。
「会長、どうか道中、お気をつけて」
藤堂は握手に応じつつ、温和な声で注意した。
「なんや、改まって辛気くさい」
「おそらく、田口さんに気づかれていると思います。手を打ったほうがいいでしょう」
桐嶋組のシマに長江組関係者がいろいろな姿に変えて潜んでいることは気づいている。情報を攪乱させるためにわざと泳がせている男もいるが、今夜の面会は長江組に摑まれているはずだ。藤堂は始末される中部岡﨑連合会長が脳裏に浮かぶ。
「田口さんには下手に一言入れたほうがヤバいんちゃうかな……せやから、決めるなら早く決めてほしいんや」
眞鍋が天下を取るならさっさと取ってほしい、と中部岡﨑連合会長は暗に匂わせた。勝敗の行方が不明だから周囲は揺れるのだ。
「さようですか」
「正直、俺も今の長江の集金に参っとうねん。眞鍋は綺麗な稼ぎ方をしよるな」
「そうですね」
「藤堂の貿易会社もええ感じに数字を出しとうみたいやな。楽しみにしとう」
「ありがとうございます」
藤堂が悠然と微笑むと、中部岡﨑連合会長は目を瞠った。
「……やっぱええな。藤堂は元紀と一緒におんのがええわ。前に見かけた時よりずっとええ顔をしとうわ」
パンパンッ、と賛嘆するように肩を叩かれて、藤堂は面食らってしまうが辛うじて顔には出さない。桐嶋とともに中部岡﨑連合会長を裏口から見送った。無事に名古屋に辿り着くことを願ってやまない。
いつの世でも時は止まったりしない。流れる時に上手く乗らなければならないけれども、なんとも形容し難い複雑な気分だ。
「あ~っ、かなわんな~っ」
桐嶋に甘えるように抱きつかれ、藤堂は宥めるように広い背中を摩った。
「元紀、何か飲むか?」
「……うぅ~っ、何か食いたい気分や……イライラとハラハラとクラクラと悔しいのと悲しいのと誇らしいのと……俺は俺がわからん」
スリスリスリスリっ、と桐嶋に駄々っ子のように顔を擦りつけられる。密着している肌から複雑怪奇な感情が藤堂にも伝わってきた。
「その気持ちはよくわかる」
桐嶋の性格から考えれば、かつての兄貴分のあのような姿を見たくなかったのだろう。兄貴分の見通しが暗いからなおさらだ。確かめるまでもなく、大原組長への義理を捨てていない。それでも、眞鍋の昇り龍の裏社会統一を願っているから苦しいのだ。
「カズ、何を食ったらこのわけのわからへんモヤモヤが静まると思う?」
「自分の胃と心に問いたまえ」
「……カズがお好み焼きを焼けたら焼いてもらうけど、絶対に焼いたらあかんで。うどんもあかん……あ、ベトナムのホアンちゃんからなんかもろたよな」
何かを断ち切るように、桐嶋はベトナム・マフィアのダーからの差し入れの生春巻きを口に放り込んだ。難しい顔で咀嚼し、タイ・マフィアのルアンガイからの差し入れのビールを呷る。
「……カズ、中部岡﨑連合会長は田口さんに目をつけられとうな?」
桐嶋に確かめるように聞かれ、藤堂は伏し目がちに頷いた。
「明日にも始末される可能性が高い」
「逃げられへんかな?」
「元紀が気にすることじゃない」
「せやかて、世話になったアニキやし……あ~っ、これで何人目や。こないな被害を食らうとは思わんかったで」
「昇り龍に一日も早く制覇してもらったほうが楽だ」
「そやな。それも色男に言うわ」
「今から行くのか?」
不夜城の主とはいえ、押しかけるには躊躇われる時間帯だ。
「当たり前や。もう我慢できへん。眞鍋の色男に例の件も含めて文句を入れたる……あ、唐木田、眞鍋への貢ぎ物を全部運べーっ」
時間の無駄だ、と藤堂は切実に思ったが、あえて口には出さなかった。桐嶋に肩を抱かれ、正面玄関に向かう。
「カズ、なんや、その顔は?」
桐嶋に顔を覗き込まれ、藤堂はいつもと同じ声音で応じた。
「どうした?」
「俺にキスしてほしそうな顔をしとう」
「そうか?」
「キスしたろか?」
すでに車寄せでは組長用の高級車が停まり、眞鍋組二代目組長夫妻への進物が運ばれていた。唐木田やほかの構成員たちが頭を下げている。
「人の目がある。やめたまえ」
「白クマには平気でブチュブチュさせるくせに」
ブチュッ、と唇にキスを落とされた。藤堂が避ける間もない。
キスの理由は、周囲に情報屋に悪用されている構成員や、長江組に利用されている構成員がいるからだ。情報を錯綜させたいのかもしれないが、効果はないと断言できる。
「……元紀」
「眞鍋の色男にもキスしたろかな」
「姐さんに泣かれるからやめたまえ」
「姐さん、これからようけ泣くやろな」
なんにせよ、眞鍋の昇り龍の裏社会統一は目前に迫っている。かつての宿敵の快挙が悔しくないから自分でも不思議だった。その理由はなんとなくわかっている。
(初出:『龍の試練、Dr.の疾風』Amazon特典)
閉じる
著者からみなさまへ
いつも『おむつ物語』を応援していただき、深く感謝します。おかげさまで同人誌で発表した裏話をホワイトハート様でもお届けすることができます。一口に裏話といっても、癖があり過ぎる裏話ですが、表で核弾頭が暴れているからこれくらいは許されるのでは……その、読者様の心は広いと信じています。樹生(きふ)かなめ、あちこちガタガタですが、まだ現役ざます。今後ともよろしくお願いいたします。