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『龍&Dr. 同人誌特別編1』

樹生かなめ/著

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STORY

『龍&Dr. 同人誌特別編1』

「龍&Dr.」特別エピソードお蔵出し第1弾!

2010~2014年に発行された、樹生かなめオリジナル同人誌『JAPAN』『CHOCO』『SOBA』『ORANGE』『STORM』『MOUNTAIN』から、「龍&Dr.」シリーズ本編に連なるアナザーストーリーを大ボリュームでお届け!

橘高清和×氷川諒一の最強カップルをはじめ、同人誌で初お目見えの新カップルも堂々参入。個性豊かな面々も大活躍する、読み応えたっぷりの特別編集版・第1弾!

〈収録作品〉
「WATERMELON」
「BREAKFAST」
「DESERT SHRIMP」
「FIRST LOVE」
「KISS ME」
「CHOCOLATE KISS」
「ONLY YOU」
「THOUSAND」

著者からみなさまへ

いつも「氷川と愉快な仲間たち」を応援してくださり、ありがとうございます。今頃、彼らは何をしているのでしょう? 生パ〇ツを空に飛ばし、リハビリに励みつつ、核弾頭に振り回されて咽び泣いているかもしれません。同人誌で発表した裏話、どうか覗いてください。X(旧Twitter) @Kaname_Kifu 始めました。よろしくお願いいたします。

special story

SS復刻掲載

『龍の求婚、Dr.の秘密』
特別番外編「恋に落ちるのは一瞬」
樹生かなめ

 
 腕白坊主、参上。
 剛が樹齢二百年の木によじ登った途端、和服姿の使用人たちが悲鳴を上げた。

続きを読む

「……ひっ」
「……ひーーーっ……ひっ……あ、危ない……ひーーっ……ご、ご、剛くーーーんっ」
 樹齢二百年の木の上からの眺めは絶景だ。しかし、和服姿の使用人たちの悲鳴が煩い。
 バッ!
 剛は大木から飛び降りた。
「……ひーーーっ」
 バタッ、バタバタバタッ、と和服姿の使用人たちが甲高い悲鳴を上げながらその場に倒れる。それもひとりやふたりではない。
「剛、おとなしくしろーーーっ」
 長兄と次兄が追いかけてくるが、剛は後ろを振り向かずに走りだした。
 あの遠い日、剛がやんちゃの限りをつくしていた頃、家族とともに旧子爵家である御園家を訪ねた。御園家当主が寝込んだというので、見舞いに行ったのだ。
 けれど、剛は家族の手を振り切り、広大な日本庭園を元気いっぱい駆けずり回った。
「剛、そっちに行っちゃ駄目だ……あ……」
 次兄は剛についてくることができず、形のいい楓の木の前で転倒する。初老の使用人も同じように滑って転んだ。
「剛、待て。ここでは暴れるな。ここは本家だ。偉い人が住んでいるところだぞーーーっ」
 長兄が真っ青な顔で追いかけてくるが、剛は飛び石を軽快に飛ぶ。ぴょんぴょんぴょんぴょん、と。
「探検しているんだっ」
 剛は池の真ん中でポーズを取った。
「剛、ここは探検しちゃ駄目な場所だ。本家に睨まれたらごはんが食べられないぞ」
「チョコを食べるから大丈夫っ」
「チョコも食べられなくなるんだーーっ」
「たっちゃんちで食べるから大丈夫っ」
 剛にとっては、数多の文人が愛したという風流な日本庭園も公園もさして変わらない。心おきなく暴れ回った。
 何せ、御園家には腕白坊主を止められる者がひとりもいなかった。もっと言えば、誰も止めようとはしなかった。腕白坊主が御園家の跡取りとして望まれていることを知っていたから。
「剛、やめろっ。屋根に登るなーーーっ」
 長兄の制止も無視し、剛は屋根に登った。最高の見晴らしだ。
「やっほーーーーっ」
 剛が屋根から手を振ると、女中頭が盆を持って現れた。
「剛くん、こちらにいらっしゃい。美味しいお菓子がありますよ。スイスのチョコレートはいかが?」
「チョコ?」
「そうです。クリームやクッキーが入ったチョコは美味しいですよ。召し上がれ」
 剛は女中頭のお菓子に釣られ、屋根から飛び降りた。
「きゃーーーっ」
 甲高い悲鳴がいくつも上がる。
 心臓を押さえながら倒れた使用人もいる。
 ただ、三人の息子を育てたという女中頭は慈愛に満ちた笑顔で剛を迎えた。
「チョコ、チョコ、チョコ〜っ」
 剛はチョコレートを口いっぱいに頰張りながら、両親がいる和室に先導される。これも女中頭の巧みな手だ。
「もう長くはないと思います。思い残すことのないように今のうちに私の跡継ぎを……」
 父母が御園家の次期当主である孝允と小声で話し合っていた。
「孝允さん、今からでも遅くはない。奥方を迎えたらいかがですか?」
 父親は未だ独身の孝允に結婚を勧めた。御園家の次期当主にとって結婚は義務に等しい。
「生涯、私は妻を娶りません」
「白妙さんも孝允さんの幸せを願っています。祖父母に聞く限り、白妙さんはそういう女性でした」
「私の妻は……私が妻に迎えたいと思ったのは、白妙さんだけです」
 在りし日より、孝允の心は変わらず、生まれながらの婚約者を一途に想い続けている。愚かだと罵倒する者は誰ひとりとしていない。
「そうですか」
「つきましては、剛くんのこと、伏してお願いします。私も当主と同じ気持ちです。私の跡取りとして大事にお育ていたします」
「剛は御園家にあるまじき腕白坊主です。とてもじゃないが御園家当主は務まらない」
「腕白坊主だからこそ、私も当主も御園の跡継ぎとして養子に欲しいのです。きっとあの純粋な腕白坊主なら私のような過ちは犯さない」
 父母は孝允の切々とした懇願に負けた。この時、決まったのだ。剛が旧子爵家の跡取りとして養子に入ることが。
 もちろん、当の本人である剛は何もわからず、女中頭が差しだすお菓子をぱくぱく食べていた。
「剛くん、本家のおじい様にご挨拶なさい」
 涙目の母に促され、剛は病床に伏した老人を見舞う。
「……し、白妙、すまない……すまなかった……」
 皺だらけの手が伸びてきたので、剛は小さな手でぎゅっ、と握った。
「本家のおじいちゃん? 僕は剛だよ?」
 ぶんぶんぶんぶんっ、と剛は手を握ったまま振り回す。
「……あの成り上がりにすべての資産を押さえられる前……お前と孝允の祝言を挙げればよかった……世間体を気にした私が愚かであった……許せ……許しておくれ……」
 延々、御園家当主は一人娘に対する謝罪を口にした。相手が剛でなくても、口から飛びだすのは最愛の一人娘への詫びだ。
「……おじいちゃん? ……お、おじいちゃん?」
 剛は子供心にも切なくてたまらなくなった。わけがわからないまま、大声で泣きじゃくった。滅多に泣いたりしないやんちゃ坊主だったのに。
 御園家当主の葬式の後、剛が御園家の後継者であると公にされた。

     * 

 どうして俺が先代と先々代に見込まれたのか、その理由はよくわかっている。
 俺にしても、先代と先々代の行動がまったく理解できなかった。
 いったい何をやってんだ。
 いったい何をやっていたんだ。
 いくらでも白妙さんを助けるチャンスはあっただろう、と。
 俺は先代や先々代のように御園家の名や世間体に縛られない。先代や先々代が果たせず、託されたことを必ず成し遂げる。
 命に代えても、白妙さんが産んだ赤ん坊を見つけだす。そのために腕白だった俺が御園家の跡取りとして迎えられたのだから。
 そして――見つけた。
 俺が見込んだ通り、夏目と浩太郎のふたりが白妙さんの子供を見つけてくれた。
 が、喜んではいられない。称えることもできなかった。
「和成、わかっている。僕にも浩太郎から連絡があった。
 弁護士バッジをつけた和成の突然の来訪のわけは、確かめなくてもわかっている。剛から和成に連絡しようとしていたところだ。
「説明は無用か?」
 和成は切れ長の目を細め、スマートフォンの画面を見せた。
 案の定、浩太郎からのメールだ。剛のスマートフォンにも同じように届いている。
「……ああ、説明は不要だ。僕は夏目と浩太郎を助ける」
 剛は一呼吸置いてから、意志の強い目で言い切った。
「……その前にまず、ヤクザに囚われている氷川諒一先生を助ける」
 DNA検査をするまでもない。彼女……いや、彼こそ、白妙さんが産んだ子供だ。
 女の子じゃなくて男の子だったんだ。
 女の子を探していたから今までなんの手がかりも摑めなかったんだ、と剛は変な納得さえしてしまう。
「氷川諒一先生は、眞鍋組の二代目姐として扱われている」
 和成に改めて指定暴力団・眞鍋組について説明を乞う必要もない。すでに浩太郎から不夜城の覇者がどれだけヤバい極道か、さんざん聞かされている。熾烈な抗争に勝ち続けたという二代目組長は、まさしく人の皮を被った野獣だ。

『鬼畜の所業……とんでもないヤクザだ……』
『剛、まぁそう言うな。不夜城のトップがとんでもないヤクザだから海外マフィアの進出を阻んでいるんだ』
『海外マフィアがこの不況の日本を狙っているのか?』
『なんだかんだ言いつつボンボンだな。そんなの、海外から見れば日本は大金持ちの国だ』

 図らずも、浩太郎には現代日本の闇までレクチャーされてしまった。それ故、眞鍋組に対する恐怖と怒りが増した。
 氷川諒一という真面目な内科医は、ヤクザと関わるようなタイプではなかったから。
「和成、ヤクザはどんな手を使って氷川先生を愛人にしたんだ?」
「集めた情報から推測するに、氷川先生は眞鍋組の秘密に触れてしまった」
「麻薬の売買とか銃器類の売買とか人身売買とか?」
「おそらく、そういった類のことだろう。氷川先生は苦しい選択を迫られた可能性が高い」
 生か死か。凶器で氷川を脅す極悪非道なヤクザが容易に目に浮ぶ。
「ヤクザの情婦にならなければ殺されていた?」
「……おそらく」
「ひどい。必ず、助けだす」
「ただ、眞鍋の若い二代目は氷川先生に夢中らしい」
 白妙に生き写しの内科医は三十歳だが、不夜城の覇者は二十歳の青二才だ。白百合の如き美貌は歳の差も性差も関係なく、見る 男を惑わせるのだろう。
「成金兄弟も白妙さんに夢中だったらしい。……ああ、氷川先生が哀れだ。命に代えても助けだす」
 こんな悠長なことはしていられない、と剛は覚悟を決めて立ち上がった。
 いざとなれば自爆してでも、と剛は密かに入手した爆発物を鳩尾に巻いた。
「剛、待て。君がヤクザの鉄砲玉の真似をしてどうする」
 和成は冷たい目で剛の鳩尾に巻いた爆発物を咎める。
「俺はその鬼畜ヤクザを道連れに死ぬ。その隙に氷川先生を助けてくれ」
 あとは頼む、と剛は常に冷静沈着な弁護士に白妙の遺児と御園家の今後を託した。氷川諒一が御園家当主に立てばそれですむ。いや、それこそ、本来の形だ。
「ヤクザ相手に鉄砲玉の効果はない」
「止めても無駄だ。氷川先生のためなら命も惜しくはない」
「真正面から乗り込んでも結果は見えている」
 見ろ、と和成にスマートフォンの画面を突きつけられた。
「うっ」
 グサリ、と剛の心臓に矢が突き刺さった。……突き刺さった、と思った。
 猛者以上の猛者、清水谷学園大学のキャンパスを震撼させた奴がいる。
「……眞鍋組にはあの祐がいるんだよな」
 秀麗な悪魔を目にして、剛は思い留まった。真正面から乗り込んでも無駄だ、僕の命をかけても氷川先生は助けられない、と。
「そうだ。あの祐が仕えているヤクザだと忘れないでほしい」
 あの祐。あれが誰かにかしずいている姿が、どうしたって剛には想像できない。
 ただ、祐の存在で眞鍋組に対する恐怖が高まった。同時に、囚われの氷川の身も案じられてならない。
「僕の命はいい。白妙さんの息子を助けてくれ」
「犬死にはさせない」
「ああ、犬死にはしない。そうだな……清水谷の仲間の力を借りる」
 友の喜びは僕の喜び、友の悲しみは僕の悲しみ、友の怒りは僕の怒り、友の苦しみは僕の苦しみ、という旧制中学時代の精神を清水谷学園は脈々と受け継いでいる。
「声をかけられるところに声をかけてくれ」
 和成に言われる前に、剛は清水谷の仲間によるグループラインにメッセージを送っていた。
 もし清水谷の仲間が困っていたら、剛は何をおいても駆けつけるだろう。自分に何もできなければほかの仲間に託す。とりあえず、できる限りのことはする。それが清水谷の掟だ。
 あっという間に、清水谷学園時代の友人たちが御園家に集った。先輩後輩は言うに及ばず、現役の学生からだいぶ年代の離れたOBまで馳せ参じてくれた。
 剛は今さらながらに清水谷の結束の強さと、眞鍋の恐ろしさを嚙み締める。
 剛は神妙な面持ちで集った清水谷学園関係者に言い放った。
「夏目と浩太郎が捕まったのは恐ろしい組織なんだ。危ないと思ったら逃げてくれ」
 ボカッ、と剛は殴られた。それも同じ柔道部だった友人に。
「……痛ぇ」
 剛が端整な顔を歪めると、柔道部だった友人に真上から見下ろされるように言われた。
「俺を誰だと思っている?」
 ここでオドオドしたり、答えを間違えたりしたら二発目を食らう。
「清水谷の仲間」
「そうだ。清水谷の仲間だ。夏目と浩太郎が捕まったと知れば、相手が鬼軍団でも悪魔軍団でも助けに行く」
 それが清水谷の精神だ、とどこからともなく声が上がった。
 柔道部の主将だった猛者からも一発、食らう。
 清水谷の精神を思いだせ、と剣道部の主将だった友人からも殴られた。
 瞬く間に剛にはたんこぶが三つ。
 筋肉隆々の先輩たちの拳も飛んでくる。それぞれ、中等部から清水谷学園という生粋の清水谷ボーイだ。
 ヤバい。このままでは眞鍋組に乗り込む前に倒れかねない。一刻も早く、失言を認めなければ。
「……そうだな。もし、清水谷の仲間が恐ろしい奴らに捕まったら、俺は助けるために誰よりも真っ先に飛び込む」
 剛が脳天をガードしながら言うと、弓道部主将が口を挟んだ。
「お前、お公家さんの御園家に染まりすぎたんじゃないのか。清水谷の精神を忘れるな」
 武道奨励校だからか、創立以来、清水谷学園には公家より士族の子息が多かった。それぞれ、甲乙つけ難いぐらい雄々しい。
「ありがとう」
 剛が頭を下げると、かつての生徒会長が毅然とした態度で言った。
「礼には及ばん。清水谷の結束の強さを見せてやる」
「剣道部卒業生有志も同行する」
「助かる」
「弓道部卒業生一同も同行する」
「助かる」
 夏目と浩太郎が便利屋という職業柄、ある程度察してくれているのか、剛はあれこれ込み入った内情を明かさずにすむ。
 そうこうしているうちに、清水谷関係者がさらに増えていく。ラインで一声かけただけで、非番の警察官や自衛官も駆けつけてくれたのだ。
「便利な時代になったな」
「無線より楽だ」
「……で、どこのテロ組織だ?」
「テロ組織じゃない。どこかの軍隊らしいぜ」
「……いや、軍隊じゃなくて、マフィアみたいだぜ」
「マフィア? ……ああ、今、あちこちの国のマフィアが日本に忍び込んでいるからな。もう手に負えない」
 話が変な方向に大きくなる、と剛は慌てて口を挟んだ。
「ヤクザだ」
 剛が真顔で断言しても、清水谷の猛者たちは誰一人として怯んだりはしない。
「ああ、なんだ、日本のヤクザか」
「ヤクザ如きに負けたりはしない。必ず、清水谷の仲間を助けだす」
「ああ、いざとなれば機動隊を突入させる。剛、合図をくれ」
 警察関係者の頼もしい言葉に、剛の胸は熱くなった。けれど、和成は無言でスマートフォンを操作している。
「おい、わざわざ血税を投入することもない。ブルドーザーやダンプカーで突入しよう」
 税務署勤務の同級生の意見に、元空手部部長が賛同した。
「そうだな。クレーン車も手配しよう。我が空手部は機動隊より優秀だと自負している」
「頼もしい」
 おおーっ、とあちこちで野太い雄叫びが上がった。
「ヤクザがなんだ。乗り込め」
 清水谷関係者がいっせいに眞鍋組総本部に殴り込む。当然、急先鋒は剛と柔剣道部関係者だ。しかし、和成の冷淡な声に止められた。
「闇雲に乗り込んでも無駄な血を流すだけだ。入念な作戦を立てよう」
「和成、ぼやぼやしている暇はない。さっさと助けないと夏目が危ない。頭はバカでも顔は綺麗だからどこかに売られる」
 元剣道部主将が言ったように、夏目の麗しいルックスは誰もが認めるところだ。
「夏目が売られたら眞鍋は僕が潰す」
 和成は夏目との関係を隠そうともしない。もちろん、誰も茶化したりはしない。喜怒哀楽のない冷酷な優等生と清水谷入学が奇跡という馬鹿の組み合わせに驚いただけだ。
「そうか。その時は加勢するぜ」
 野太い声があちこちから上がった時、剛の大先輩に当たる警察関係者が神妙な面持ちで入ってきた。
「……おい、御園家の駐車場や庭や玄関先で隠しカメラを見つけたぜ。壊しておいた」
 間髪入れず、経産省に勤めている友人も、機械の山を乗せた盆を手に近づいてきた。
「隣の部屋で盗聴器を見つけた。ほかにもあるかと思って調べたらあちこちから出てきたぜ。プロの仕業だと思う」
 その瞬間、警察関係者や自衛官たちが屋敷中を調べ始める。
 不幸中の幸い、この部屋には何も仕掛けられていなかった。けれど、油断はできない。
 剛は和成の隣で大きな溜め息をついた。
「諸君、今までの会話はすべて筒抜けだと思いたまえ」
 「おそらく、僕と剛はどこかで拉致される。夏目と浩太郎が監禁されている場所に連れて行かれるだろう……そう仕向ける」
 和成がそこまで説明すれば、警察関係者がそれぞれいっせい頷く。
「了解、夏目と浩太郎の監禁場所が判明した時点で突入する」
 あえて計画はざっくりと。
 剛は清水谷の仲間たちと肩を組み、円陣を組んだ。
「必ず、助けだす」
 おおーっ、という野太い雄叫びが上がる。おっしゃ、腕が鳴る、と好戦的な笑いを漏らしているのは有名な道場主だ。
 相手が誰であれ、俺は負けたりはしない。先代や先々代に成り代わり、必ず白妙さんの子供を助けだす。
 命に代えても、と剛は改めて白妙の子供のために命を捨てる覚悟を決めた。不夜城の支配者に戦いを挑む心に迷いはない。

        *


 サメの命により、諜報部隊所属のイワシが剛をマークしていた。
「おいおいおいおい……噓だろ……カタギのくせに、やめてくれよ……」
 イワシはぞくぞくと集結する清水谷関係者に頭を抱えた。仕掛けた盗聴器からも荒々しい作戦が聞こえてくる。サメが危惧した通り、清水谷学園の結束の強さは脅威だ。
「うわ〜っ、警察のキャリアや防衛省のキャリアまでいやがる……あ、あの細いのは外務省のキャリアだ……おいおいおいおい……これで厚労省の諏訪広睦まで出てきたらおしまい……聖処女を招待していないLINEグループに声をかけているんだな……そりゃ、そうだよな……御園剛はよくわかっている……うわっ、あいつまで出てきやがった……」
 御園家付近に設置した隠しカメラには、ある清水谷関係者が捉えられていた。
 ――ブチッ。
 隠しカメラに気づかれ、破壊される。盗聴器もすべて発見されて壊された。
 万事休す、と白旗を掲げられない。イワシは掠れた声で報告した。
 もっとも、報告を受けた卓も絶句していた。その場で祐に回す。
『イワシ、チャラ男が氾濫する世の中、どうしてそんな暑苦しい男の団体がいるんだ』
 祐は普段となんら変わらないが、十中八九、予想していたはずだ。
「祐さんの先輩たちや後輩たちですよ。一昔前の極道以上の極道軍団です」
 男を売る極道界で仁義が廃れて久しいが、清水谷学園には明治時代から友情という名の仁義が流れている。
『清水谷御一行を止めろ』
「無理ですっ」
『無理でも止めろ。こっちは二代目が日本刀を手放さない』
「こっちはダンプカーにクレーン車にブルドーザーですっ」
 イワシの絶叫は綺麗さっぱり無視された。けれど、イワシにも諜報部隊のメンバーにも、清水谷一行を止める手はない。
 激突の時間が迫っていた。間違いなく、血の雨が降る。
 剛はイワシの絶叫を知る由もない。手筈通り、指定されたバスに乗り込み、白妙の子供だと思われる内科医に接触した。
 ――噓だろ。写真以上だ。
 白妙さん、と楚々とした日本人形を見た瞬間、心を奪われた。そう、恋に落ちた。呆気ないぐらい簡単に。
 先代、僕はやっと先代の気持ちがわかった。ようやく先代がしつこく持ち込まれる縁談を断り続けた理由も、亡くなった白妙さんを愛し続けた理由もわかった。
 今までわかってやれなくて悪かった、と剛は彼岸の彼方に旅立った養父に語りかけた。
 もっとも、呑気に養父に思いを馳せている場合ではない。
 野獣の如き不夜城の支配者との戦いはこれからだ。たとえ、どんな凶悪な敵であれ、剛は負ける気がしない。頼りになる清水谷の仲間がいるのだから。

(初出:『龍の求婚、Dr.の秘密』Amazon特典』)

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SS復刻掲載

『龍の美酒、Dr.の純白』
特別番外編「パパはホスト」
樹生かなめ

 
 深紅の薔薇に白と金のアンティーク、ブリュッセルレースにアロマ。
 自宅のインテリアは仕事用として純白の姫系で統一している。太夢が代表を務めるホストクラブ・ダイヤドリームとはムードを変えるのがポイントだ。

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「太夢くん、私は太夢くんが誰よりも好きよ。太夢くんと結婚したい」
 紗菜は人気キャバクラのナンバーワンだけあって稼ぎはいい。今現在、五本の指に入る太夢の太客だ。すなわち、ホストクラブ・ダイヤドリームで五本の指に入る太客だ。
「紗菜ちゃん、俺もだよ」
 太夢は紗菜の細い肩を優しく抱き寄せた。もっとも、BGMに混じって赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのだが。
 息子よ、おむつか、ミルクか、単なるイライラか? もう少しだから待っていろ、と太夢は次男坊に心の中で訴えた。
「……太夢くんに子供がふたりいるのは知っているわ」
 当然、紗菜の耳にも赤ん坊の泣き声は届いている。不愉快そうな顔つきに、太夢の心は軋んだ。
「……うん、紗菜ちゃんならいいママになってもらえると思った」
 紗菜は見るからに軽薄そうなルックスだが、意外なくらい子供好きだと太夢は知っている。一日も早く結婚して、母親になりたがっていることも、人づてに聞いていた。
「新婚なのに子供がふたりもいるの?」
「子供も俺と一緒に愛してほしい」
「新婚旅行から帰ってきたら、すぐに育児に追われるの?」
「新婚旅行にも連れて行く」
 太夢は子供を置いていく新婚旅行は最初から考えてはいない。
「……え? 新婚旅行に子供を連れて行くの?」
 紗菜の顔は般若と化したが、太夢は考えを変えられない。
「うん。俺は今まで父親らしいことを満足にしてやっていないし……」
 長男も次男も望んで授かったわけではない。どちらの子も結婚予定のなかった交際相手が産んだ子供だ。けれど、長男も次男もどちらも可愛い。
「私は子連れの新婚旅行なんていやよ」
「わかってくれると思ったのに」
「私と子供、どっちを取る?」
 紗菜に拗ねたように問われ、太夢は優しく微笑んだ。
「両方」
「私と子供、どちらかよ」
 噓でもいいから紗菜を選べ。ここで紗菜を選ばなければ終わりだ。二度と店にも来なくなる。売り上げの数字が落ちる。……それでも、噓はつけない。命より大切な子供たちに関することだから、と太夢は覚悟を決めて正直に告げた。
「子供」
 バシッ。平手打ちを食らった。
 ボカッ、と傍らにあった天使のオブジェでも殴られた。
「馬鹿にしないでっ」
 手加減なしに蹴り飛ばされ、太夢はソファからずり落ちる。
「死ねっ」
 さらに一発、強烈な蹴り。
 紗菜は耳障りなドアの開閉音をさせ、嵐のように去って行く。
 太夢が止める間もない。……否、経験上、止めても無駄だとわかっている。
 ガタガタガタガタッ、と物音がした後、扉が鈍い音をたてて開く。長男の来夢がひょっこりと顔を出す。
「パパ、大丈夫?」
 来夢の足下から次男の十夢が、はいはいで近寄ってきた。涙の跡が痛々しい。
「……ああ」
 いい子、と太夢は一直線で這ってきた次男を抱き上げる。
「今日のママも帰っちゃったね」
 来夢につぶらな瞳で指摘され、太夢は不敵に微笑んだ。
「新しいママを連れてくるから楽しみにしていろ」
「僕、パパがいれば新しいママはいらない」
「……ごめん、お前にそんなことを言わせるなんて、俺はなんてひどい父親だ……」
 太夢は赤ん坊を左腕で抱きつつ、右手で長男坊の頭を撫でた。
「……僕も……だっこ……」
 我慢できなくなったのか、長男も真っ赤な顔で抱きついてくる。
「……よしっ、いい子だ」
 太夢は両腕で長男と次男を抱きかかえた。どちらもまだまだ小さいから余裕だ。
「パパ、新しいママなら、宇治お兄ちゃんみたいなママがいい」
 時に長男のリクエストは、太夢を大いに混乱させる。
「宇治は男だ」
「男でもいいの。裕也くんのお母さんも男だよ。よっくんのママも男だもん」
 スリスリスリスリッ、と来夢は甘えるように顔を擦り寄せてきた。
 来夢が通っている保育園はいろいろとわけありの保護者が多い。男同士の夫婦の子供や女同士の夫婦の子供も少なくはなかった。
「……それはそれ、これはこれ」
「裕也くんのお母さんが一番美人だって。僕、水疱瘡が悔しい。水疱瘡じゃなかったら、結婚式に出られたのに……」
 裕也くんのお母さんといえば、指定暴力団・眞鍋組二代目組長の姐だ。かつて不夜城一と謳われた美女を捨ててまで、姐として迎えた絶世の美青年である。
「そりゃ、二代目の姐さんなら綺麗だろう……って、頼むから男の嫁さんはナシだ。考えるなよ」
「……じゃあ、新しいママは京介お兄ちゃんがいい」
 カリスマホストの代名詞と化している京介には、いろいろと複雑な思いがてんこもりに溜まっている。
「京介はショウのお嫁さんだから駄目だ」
「……じゃあ、やっぱり、ママは宇治お兄ちゃんがいい」
 ふりだし。どうしてまた宇治に戻るんだ、と太夢は参ったが怒ったりはしない。
「パパは女が好き。パパは女じゃないと駄目なんだ。わかってくれ」
 長男に対する差し迫った教育は、伴侶の性別だった。パパは女好き、と太夢が懇々と諭したのは言うまでもない。


 太夢が息子に用意した食事は、野菜ジュースと、バナナとヨーグルトと牛乳をかけたコーンフレークだ。
「パパ、いただきます」
 長男の来夢は自分でバナナもヨーグルトも食べられる。やっとここまで育った。年齢を誤魔化し、ホストとして働くことになったきっかけの子供だ。
「おう、来夢、たくさん食えよ」
 太夢が笑いかけると、来夢はスプーンを持ったまま無邪気な笑みを浮かべた。
「うん」
 屈託のない息子の笑みに、太夢の心が癒される。どんな美女の笑顔よりもいい。
「野菜ジュースも飲めよ」
 息子が通う保育園の保育士から、食事について注意された。どうしたって、太夢が息子に用意する食事は偏ってしまう。せめてもの野菜ジュースだ。
「うん、パパも飲んでね」
 スッ、と来夢に小さな手で野菜ジュースを差しだされ、太夢は顰めっ面でコクリと頷いた。
「わかっている」
 ホストは身体が資本だ。不健康の極みを実戦するような仕事なだけに、ビタミンやミネラルは重要だと知っている。実際、健康を意識しないホストは、どんな数字を叩きだしても先が短い。
 太夢は息子の前で真っ先に、保育士推薦の野菜ジュースを飲んだ。
「パパ、今日も遅いの?」
「ごめんな。仕事で遅くなる……そのな、保育園でおねんねしてくれな。おねんねして起きても保育園でいい子にしてくれな……またおねんねしてもらうけど、いい子でな」
 今日は太客の同伴とアフターがあるし、極太客につき合う軽井沢一泊旅行も控えていた。軽井沢から帰ってきたら、そのまま店に直行し、太客と新客を迎える予定だ。
「僕と十夢は保育園でお泊まり? お泊まりいっぱい? パパはいないの?」
 来夢のつぶらな瞳が潤み、太夢は真っ青な顔で慌てた。
「ごめんな。お土産をたくさん買ってくるからごめんな」
 太夢はありったけの愛を込め、長男の頭を撫で回した。チュッチュッ、と頭部にキスも落とす。
「……ちゃんと帰ってきてね」
 来夢は涙声で言ってから、赤くなった目を擦った。
「……ああ、俺はちゃんと帰ってくるから、ぐれずに待っていてくれ」
 来夢は実母がいきなりいなくなっても、ふたりめの母親がいきなりいなくなっても、今のところ真っ直ぐに育っている。
「ぐれる、って何?」
「そのうちわかる」
 俺の血を引く息子ならすぐわかる、と太夢は野菜ジュースを飲み干した。
「ばぶーっ、ばぶぶっ」
 次男の十夢はまだまだ赤ん坊で、哺乳瓶が手放せない。それでも、ヨーグルトが好きなので、見れば手足をバタつかせる。
「十夢、ヨーグルトを食うか」
「ばぶっ、ばぶばぶぶぶぶっばぶっばぶーーーっ」
 太夢が赤ん坊の口にヨーグルトを運んでいると、来夢は目をキラキラさせて言った。
「そうだ。パパに言うの忘れていた」
「なんだ? 保育園で何かがいるのか?」
「僕、安部のおじちゃんの立ち会いで、裕也くんと義兄弟の契りを結んだの」
 一瞬、愛らしい男児が何を言ったのか理解できず、太夢は胡乱な顔で聞き返した。
「……へ? 義兄弟の契り?」
「裕也くんのほうが年上だから、裕也くんがお兄ちゃんなんだ」
 裕也くん、といえば、来夢が保育園で一番仲良くしている男児だ。保護者は眞鍋組の顧問夫妻である。安部のおじちゃん、といえば、眞鍋組の舎弟頭である安部信一郎だ。武闘派として勇名を馳せた極道の中の極道であり、太夢も密かに尊敬していた。
「……お、お前、ぐれるな、ってあれほど言ったのにぐれたのか? いくらなんでもぐれるのが早くないか?」
 かつて太夢はショウや宇治とともに大型バイクに乗り、暴走族として暴れ回った。それよりも前、物心ついた時から派手にやらかしてはいたけれども。
「……え? パパ、どうしたの? 僕と裕也くんは義兄弟の契りを結んだからいつも一緒なんだよ。
すべり台もブランコも鉄棒も砂場もお昼寝も一緒なの」
「……セーフ、セーフだな? まだセーフの友達だな?」
 そっちの意味じゃない、と太夢は思う。典子も裕也の極道入りを反対しているからだ。
「僕と裕也くんは、友達よりもっとすごい義兄弟なんだよ」
「……安部のおっさんにどんな説明を受けたのか知らねぇけど……まぁ、いいか。裕也くんと仲良しなんだな」
 保育園にいやがらずに行くのは裕也くんがいるからだよな、と太夢はなんとなくだが気づいている。
「うん、裕也くん、面白いんだよ。優しいの」
「そうか、仲のいい友達は最高の財産になる。大切にしろ」
 太夢も暴走族時代の仲間は、今でもかけがえのない友人として残っている。ショウや宇治は眞鍋組の金バッジを胸につけるヤクザになったが、だからといって離れたりはしない。
「友達は最高だ、って、裕也くんのお祖母ちゃんもお祖父ちゃんも言ってたよ」
「そうか」
 女性客の機嫌を取っている時間は長く感じるが、息子たちとの時間はあっという間に流れていく。太夢は慌てて準備をすると、息子たちを保育園に連れて行った。


 息子を預けている保育園の保護者には、キャバクラ嬢もいれば風俗嬢もいるし、AV女優もいればホストやヤクザもいるし、前科持ちもいる。おそらく、両親が揃っている園児のほうが少ないだろう。両親がどちらもおらず、祖父母や叔母に育てられている園児も多いらしい。
 太夢は自分の職業柄、いろいろと融通の利く保育園を選んだ。表向きはNGなことも、料金さえ上乗せして払えばなんとかなるものだ。もっとも、保育士たちには念を押されてしまった。「必ず迎えに来てくださいね」と。
 おりしも、帰り際、裕也の保護者である典子とばったり会う。
 その瞬間、太夢は深々と頭を下げた。
「……あ、典子姐さん、息子がお世話になっております。先日は助かりました」
「いいんだよ。それより、さっきチラリと聞いたけど、子供たちを保育園に連泊させるのかい?」
 典子に険しい声で咎められ、太夢は長めの髪の毛を搔いた。
「……はい。仕事です。極太客相手の仕事なんで……わかってください」
 ショウや宇治だけでなく、あの京介まで母のように慕っている典子には、どうしたって太夢も頭が上がらない。なんというのだろう、太夢にしても早世した実母に対峙しているような気分になってくるのだ。何より、典子は息子たちも可愛がってくれている。長男の口から飛びだす「おばあちゃん」と次男の口から飛びだす「ばあば」は、どちらも典子のことだ。
「うちが来夢くんも十夢くんも預かるよ」
 典子の願ってもない申し出に、太夢は歓喜の声を上げた。
「……え? いいんですか?」
「いくらなんでも、連泊続きじゃ可哀想だよ」
「……俺も気が引けたんです。気が引けたんですが……」
「いいかい? 女とお泊まり旅行しなきゃ数字の出せないホストからさっさと卒業しな」
 京介はそんなことを一度もしてはいないはずだ、と典子は言外に匂わせている。
 確かに、いつまでもこんな仕事内容で続くはずがない。
 来夢と十夢が成人するまでどうやって稼ぐか、どうやって養うか、もう一度、真剣に考えなければならない時が来たようだ。
「……す、すみません。ありがとうございます」
 太夢はありったけの感謝をこめ、何度も典子に向かって頭を下げた。

 もちろんこの時は、貝毒騒ぎが一連の大騒動に発展するとは夢にも思わなかった。
 まして、白百合と称えられる二代目姐を新人ホストに仕立てることになろうとは。

(初出:『龍の美酒、Dr.の純白』Amazon特典)

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special story

SS復刻掲載

『龍の革命、Dr.の涙雨』
特別番外編「初恋は波瀾の調べ」
樹生かなめ

 
 負の連鎖とこじれきった初恋はいつまで続くのか。
 イジオットの冬将軍のこじれた初恋が、宋一族の若き総帥のこじれた初恋を喚び、挙句の果てに虎の初恋疑惑を喚んだのだろうか。

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 虎の初恋疑惑について語り合っていた時、サメがとろろ蕎麦を食いながら高らかに宣言した。
「よ~く覚えておけ。俺の初恋相手はダイアナだ」
 毎回毎回ボスの初恋相手が違う。ハマチは馬鹿馬鹿しくてサメに突っ込む気にもなれなかった。 無視してカツ丼をかき込む。アンコウが裕福な一般人の顔で出資している蕎麦屋のカツ丼と蕎麦のセットはハマチの大好物だ。
 麒麟の掛け軸が飾られた特別仕様の個室は、ときに諜報部隊の会議場になった。ハマチ同様、アンコウやタイ、ナマズもサメの初恋話にはツッコまない。ただひとり、メヒカリが律儀にも怪訝な顔で指摘した。
「サメ、初恋の相手はみどり幼稚園キリン組の真美ちゃんでは?」
 メヒカリが言った通り、ハマチもキリン組の真美ちゃん初恋バージョンは聞いたことがある。なんでもサメと手を繫いで幼稚園に通ったらしい。
「メヒカリ、それは初恋じゃない」
 サメが箸を握ったまま否定すると、タイが茶化したように口を挟んだ。
「スカートめくりのターゲットになった里香ちゃんも、小学二年生の時の担任教師も、旬くんのママも裕くんのお姉ちゃんもジョンを散歩させているお姉ちゃんもパン屋のお姉ちゃんもママンのお友達のフランソワーズもスーパーのお姉ちゃんも駄菓子屋のおばちゃんも公文の先生も習字の先生も初恋だよな?」
 タイが羅列したサメの初恋相手はどれもハマチにも聞き覚えがある。それぞれ、もっともらしい逸話がついていた。もちろん、サメがサメなので信憑性は高くない。
「……おう、タイ、そんな初恋ガレット詰め合わせは忘れてほしい。俺が今まで本当の自分の初恋に気づかなかっただけなんだ。俺の真の初恋はダイアナだった。今後、俺は心とチ○コを入れ替え、ダイアナに愛を捧げる。みんなもそのつもりでいてくれ」
 サメはこれ以上ないというくらい真剣な顔で、宋一族の大幹部に対する愛を語った。いつもの芝居臭が微塵もない。付き合いの長いアンコウの顔がやけに渋くなる。
 今回、明らかにサメのダイアナに対する言動が今までと違う。よくよく思い返せば、宋一族の本拠地に乗り込み、そこでダイアナに恩情をかけられた後からだ。
 まさか、まさか、まさか、サメは本気か?
 本気で宋一族の大幹部にイカれたのか?
 絶対に違うよな、とハマチは内心思いつつも断言できない。
 こじらせた初恋はこじれ切った初恋を喚び、オヤジの枯れ果てた心も刺激するのだろうか。
 宋一族の若き総帥の遅い思春期が、虎に感染したとは考えられないし、サメを触発したとも思えないが、目に見えない何かが連鎖して皆おかしくなっていることは確かだ。……いや、獅子と可憐な館長はともかく、カチコチの苦行僧や飄々としたサメは裏に何かある……いやいやいやいやいや、サメよりED疑惑が確定していた虎のほうが……ああ、どんなに考えてもわからない。考えるだけ時間の無駄だ、とハマチは諜報部隊のメンバーのみならず眞鍋組構成員をこぞって狼狽させている虎の初恋疑惑騒動を脳裏から追いだした。せっかくのカツ丼と蕎麦の味が落ちてしまう。
 ハマチと同じようにアンコウもタイもサメの言葉に反応しない。ただひとり、メヒカリが不思議そうな顔で質問した。
「サメ、そのつもりとはどういうことだ?」
「メヒカリ、いい質問だ」
 待ってました、とばかりにサメは目をらんらんと輝かせた。
「いい質問?」
「そうだ。いい質問だ。昆虫食がOKのメヒカリはナイスガイだ」
「……それで?」
「俺はダイアナと夫婦になると思う。そのつもりで」
「……夫婦? ダイアナは男でしたよね?」
「メヒカリ、眞鍋組の二代目組長夫妻にゾンビ化されている身でそれを言っちゃ駄目だよ」
 ちっちっちっちっ、とサメは人差し指をこれみよがしに振った。
「サメは男ともできるけれど、女が好きなんじゃなかったんですか?」
「楊貴妃の性別が男であっても、玄宗皇帝はトチ狂ったと思う。楊貴妃ならチ○コの有無は関係ない」
「……夫婦? 宋一族の頭目の後見人と夫婦……ですか?」
「そうだ。そのつもりで行動してくれ。ダイアナがお前たちのママンになるから……」
 とうとう我慢できず、ハマチは丼に手を添えながら口を挟んだ。
「サメ、ダイアナがサメに惚れることは絶対にない。ダイアナに惚れられているなんていう妄想はきっぱり捨ててくれ」
 ハマチの容赦ない言葉にメヒカリは唸り、アンコウとタイは手で口を押さえて噴きだすのを堪えた。
「ハマチ、俺とダイアナが夫婦になることに反対か?」
 サメは箸を置き、まじまじとハマチを見つめる。どこからともなく、地獄のファンファーレが聞こえてきたような気がしないでもない。それでも、ハマチは確固たる自信をもって言い切った。
「ダイアナにはサメと夫婦になる気は絶対にない」
「どうして?」
「ダイアナだぞ。あのダイアナがボスに惚れるわけないだろ」
 宋一族の「楊貴妃」といえば、世界的に勇名を轟かせている策士だ。今までに幾度となく宋一族の美学を綺麗に達成し、破滅させた権力者や大富豪の話は枚挙に暇がない。CIAやSIS、モサドのベテラン工作員も敵わなかったという。その楊貴妃ことダイアナが、サメを本気で愛するとは、天と地がひっくり返っても考えられなかった。
「ダイアナが今までと違うんだ。あんなダイアナは初めてなんだ。俺に本気になったのかもしれん」
「そんなくだらねぇ妄想を炸裂させている暇があったら、虎とサツの氷姫の仲を明らかにしたらどうですか。ダイアナの見解が正しければ、賭けはサメの負けです」
「ハマチ、お前はそんなに可愛くない男だったか?」
「ダイアナにとってボスはパリの道端に落ちている犬の糞と一緒です。ダイアナが公言していました」
「ハマチ、二代目のチ○コを舐める前に、お前のチ○コを舐めてやる」
「……げっ、ボス、血迷うなーーーっ」
「チ○コを出せーーーーっ」
 ガバッ、と「外人部隊のニンジャ」という異名を取った男が飛び掛かってきた。
 不覚、躱せない。
 ヤバい、とハマチは思い切り慌てた。今さらながらにサメの身体能力の高さを思い知る。
「……こ、こんな暇があったらさっさと核弾頭制御に回ってやれよ。ゾンビチームが可哀想だろっ」
 ハマチの切羽詰まった叫びは、サメの悪魔のような笑い声に搔き消された。
「メヒカリ、正直者は痛い目をみる。今のハマチがそうだ。気をつけろよ」
 タイがメヒカリに教育していたが、サメの初恋話は馬鹿馬鹿しくも危険だ。
 やはり、無視するに限る。

(初出:『龍の革命、Dr.の涙雨』Amazon特典)

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