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『電子オリジナル 恋する救命救急医 管制室のラプンツェル1』

春原いずみ/著 緒田涼歌/イラスト

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STORY

『電子オリジナル 恋する救命救急医 管制室のラプンツェル1』

おっとり&まっすぐDr.×トラウマ持ちの切れ者CSの新カップル登場!!

駆け出し救命救急医の立原光平が、ドクターヘリのCS(コミュニケーション・スペシャリスト)の高杉渉に恋をしたのは、まず「声」からだった。一目惚れならぬ『一耳惚れ』。有能なCSであるがゆえに、ドクターヘリを機能的に管理する管制室からめったに出てこない高杉のことを、周囲の者たちは幽閉されている姫君になぞらえて「管制室のラプンツェル」とひそかに呼んでいるという。しばらくして、本人の姿を初めて見た立原は、その優秀さ鋭さとは裏腹な優しげなたたずまいに、さらに想いを募らせることになり……。

著者からみなさまへ

こんにちは、春原(すのはら)です。『電子オリジナル 恋する救命救急医 管制室のラプンツェル1』では、久しぶりに新カップル登場です。のんびりおっとり、優しい草食系救命救急医の立原光平と、ちょっぴり謎めいた雰囲気を持つCSの高杉渉のカップルは、伏線を張っていたこともあって(笑)、お待ちかねの方も多かったのではないでしょうか。ようやく二人の物語が開幕いたします。その『声』に導かれて、二人の運命の歯車はゆっくりと動き出します……。

special story

書き下ろしSS

『電子オリジナル 恋する救命救急医
管制室のラプンツェル1』
特別番外編「空を見る人」
春原いずみ

 
 そこはVIPエリアと呼ばれていた。
「本当にVIPとかいるのかな」

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 ようやく着慣れてきたケーシーのボタンを留めながら、立原光平はぽつりと言った。立原は医学部の学生だ。ポリクリと呼ばれる臨床実習の真っ最中である。
「VIPの定義によるな」
 ブルーのスクラブを被りながら、同級生の相川達至が答える。のんびりとした草食系の立原に対して、相川はきりりと引き締まったちょっとラテン系のハンサムで、すでにナースや、立原たちと同じ臨床実習中の看護学生の注目の的となっていた。
「少なくとも、彼らが裕福であることだけは確かだ」
 その相川が断言する。
「裕福?」
 立原はきょとんと目を見開いて、友人を見た。
「何でわかるの?」
「おまえは室料というものを知らないのか?」
 相川が呆れたように言う。
「VIPエリアの病室の室料は、1室1日数万から2桁万円だよ。病室にソファセットがあるのはもちろん、応接室がついている部屋もある。トイレとシャワーは標準装備」
「ホテル?」
 間抜けな反応をした立原に、相川は笑っている。
「みたいなもんかな。それほど重症はいないし」
「え? いないの?」
「当たり前じゃないか」
 着替え終わって、ロッカーの鏡で髪を直しながら、相川は肩をすくめた。
「軽症だから、あんなにナースステーションから離れたところにいられるんだよ。むしろ、あんまりナースには来てほしくない人がほとんどじゃないのかな。彼らは病を癒やすために入院しているわけじゃなくて、病院を避難所として逃げ込んできているのが、たぶんほとんど」
「えーと……」
 立原もしつこく撥ねている寝癖の髪を気にしながら、長い首を傾げる。
「病気じゃないのに、入院したいわけ?」
 生まれながらの健康優良児。体調不良って何? という立原は、わけがわからないという顔で、きょとんとしていた。その立原の肩の辺りを軽くパシンと叩いて、相川は肩をすくめる。
「おまえ、ここのセキュリティの厳しさが何のためだと思ってる」
「あー……」
 確かに、このT大医学部付属病院のセキュリティは厳しい。スタッフはIDカードで管理され、院内へは、IDカードをカードリーダーにかざさないと入ることができないし、立原たち実習生も臨時のカードを渡されていて、スタッフと同等に管理されている。見舞客は、外来から病棟に入る渡り廊下でチェックされ、入院患者が提出したリストに名前がなければ、病棟に入ることはできない。VIPエリアはさらに厳しく、エレベーター内のカードリーダーにIDカードをかざさないと、エレベーターは最上階に着いても、扉が開かない。つまり、VIPエリアへの見舞客は一旦ナースステーションに寄って、スタッフの案内のもとに、ようやく病室にたどり着ける仕組みである。
「うん、確かに……」
「だろ?」
 ようやく自分の髪型に納得がいったらしい相川がロッカーを閉じた。
「よし、行くぞ」
「あ、ああ……」
「今週から整形外科だったよな」
 今週から実習病棟が変わるのだ。よし! と気合いを入れて、相川が時計を見た。
「あ、やべ! 時間ぎりぎりだ!」
 慌てて、彼が走り出す。立原もその後を追った。
「整形のポリクリ担当って、神城先生だろっ。めっちゃ厳しいんだぜ、あの先生っ!」
「お、おまえがいつまでも髪の毛いじってるから……っ」
 ロッカーがある医局から、病棟へと駆け下りる。エレベーターを待っているのももどかしいので、階段を2段飛ばしに駆け下りた。
「遅いっ!」
「うわわわわ……っ」
 病棟のナースステーション前に、やたら眼鏡の似合うインテリ面が腕を組んで立っていた。
「か、神城先生……っ」
「ポリクリ初日から2分遅刻だ。てめぇら、覚悟しとけよ」
 はぁはぁと息を切らす2人を迫力たっぷりに睨みつけて、神城は凄む。
「存分に可愛がってやるからな」
「は、はい……」
 しょんぼりと俯いた立原は、心の中で深く深くため息を洩らす。
 “前途多難だぁ……”


 立原と相川は、こっそりと足音を忍ばせて、静かな病棟を歩いていた。
「ねぇ、やめとこうってば……」
「静かにしろよ……っ!」
 ポリクリ担当の整形外科医、神城尊は、怒らせると鬼のように恐ろしいが、意外と根はさっぱりしているらしく、実習中は泣きそうになるくらい厳しく絞られたものの、お昼休みになるとあっさりと解放してくれた。院内のカフェでぱぱっとランチを摂った2人は、こっそりと禁断のエリアに足を踏み入れていた。この病棟の最上階にある通称VIPエリアにそっと上がってきたのである。
「しかし……意外とあっさり入れたな」
 相川がこそりと言った。
「エレベーターの中のカードリーダー、俺たちのIDカードでも受け付けてくれるんだな」
「そりゃ……一応スタッフの扱いだから……」
 VIPエリアはしんと静まりかえっていた。まだ面会時間にはなっていないので、見舞客もおらず、相川が言った通り、重症患者もいないようで、医師や看護スタッフの姿もない。
「ここだけの話だけどさ」
 他の病棟に比べて、明らかに病室のドアとドアの間隔が広い。一つ一つの病室が広いのだ。そして、廊下の突き当たりには、ガラスに囲まれたサンルームがあった。他の病棟では、エレベーター近くに質素な椅子とテーブルがしつらえてあり、談話室のようなコーナーになっているが、ここにはそうしたものはない。すべての病室が個室で、見舞客が訪れても、同室者に遠慮しなくていいからだろう。代わりに、南に向いた場所に大きな窓があって、洒落たソファやテーブルがガラスのドア越しに見える。
「ここに、ちょっとヤバめの患者がいるんだって」
「ヤバめって……」
 相川のささやきに、立原は大きく目を見開く。
「こ、怖い方面……?」
「違う違う」
 やはり、どの部屋にも患者名のプレートは出ていない。一般病室のようにスライド式のドアではなく、シックな木製ドアが並び、ハイクラスのホテルのように、病室番号が刻印された小さなメタルプレートが取りつけられているだけだ。
「俺の姉貴、A航空のCAなんだけど」
「へぇ……」
「A航空ってさ、おまえ、覚えてない? 羽田の奇跡」
「羽田の奇跡……ああ……あったね、そういうの」
『羽田の奇跡』とは、数年前に羽田空港で起きた航空事故だ。ランディングギアがトラブルで出なくなってしまった機体を見事胴体着陸させたという、あるパイロットの神業的なテクニックが賞賛された事故だった。しかも、その機体には寝たきり状態の病人が乗っていて、衝撃防止姿勢が取れなかった上に、さまざまな条件が重なり、燃料の廃棄もできなかったのだという。そんな悪条件下で、ケガ人も火災も出さなかった、まさに奇跡としか言いようのない事故だったのだ。
「その『羽田の奇跡』のヒーローがさ……今は地上勤務になってるんだよ」
「へぇ……やっぱり事故のトラウマとか?」
 2人は壁際にそっと立ち、こそこそと小声で話している。
「違う。何か……とんでもない不祥事を起こしたって聞いた。その内容は姉貴も知らなかったみたいだけど……その不祥事絡みで、大ケガして、ここに入院してる人がいるって聞いた」
「え」
 立原は目をぱちぱちと瞬く。
「も、もしかして、警察沙汰……?」
「どうなんだろ。よくわかんねぇけど」
 そう言った相川が、はっとしたように白スクラブのポケットを押さえた。引っ張り出したのは、スマホだ。
「あ、おまえ、スマホ持ち込んじゃダメだって……っ」
「いいじゃんいいじゃん。お、彼女だ」
 相川は嬉しそうにエレベーターホールに向かって走っていってしまう。
「まったく……」
 彼は悪い奴ではないのだが、いろいろと……軽い男なのである。立原はふうっとため息をつくと、少しの間相棒を待っていたが、どうやら彼は恋人とのメッセージのやりとりに夢中らしく、まったく戻ってくる気配がない。
 “見つかる前に戻った方がいいよな……”
 ここにいたって、何もおもしろいことはないようだ。おもしろいどころか、自分の担当でもないこのエリアに、興味本位で立ち入ったことがバレたら、あの怖い怖い神城に叱り飛ばされること請け合いである。そっと踵を返しかけて、ふと、立原は足を止めた。
「……サンルームって……どうなっているんだろう……」
 振り返ると、廊下の突き当たりにあるガラス張りのサンルームは光に満ちていた。大きな窓から高く晴れた空が見える。
「どんな……景色が見えるんだろう……」
 この病院では、以前は病棟の屋上にも出られたらしいのだが、今は患者やスタッフの安全を守るために、そこに繫がるドアには固く鍵がかけられているのだという。
 病室の窓以外からの景色。それはどんなものなのだろう。
「……ちょっとだけ……」
 病院の中にいると、外の天気も気温もわからなくなる。指導してくれる担当医に付いて院内を走り回り、目に入るもの、耳に入るものをすべて頭の中に叩き込み続けていると、窓の外など見ている暇もない。
 “あのガラスの向こうの風景を……俺も見てみたい……”
 立原はそっと周囲を見回した。病室のドアはすべて閉じられていて、誰かが出てくる気配はない。
「ちょっと覗くだけなら……」
 ゆっくりと静かに、立原はサンルームに向かって歩き出した。燦々と降り注ぐ光に向かって歩き出し、そして、あと数メートルでガラスのドアに手が届こうとした時、立原はそのサンルームの中に誰かがいることに気づいた。
 “あ、まずい……っ”
 立原は足を止める。
 ガラスのドアの向こう。白いソファに半ば身体を埋めるように座っている人がいた。
「え……」
 テーブルには、まだ少しだけ湯気を上げている紙コップのコーヒー。ゆったりとしたスウェット姿の人はソファに身体を預けて、流れる雲を眺めていた。
 柔らかそうな髪はずいぶんと長い間カットしていないようで、少し不揃いなまま肩につくほど長かったが、不思議と清潔感はあって、その人の顔をふわりと縁取っている。ほっそりと華奢な身体。ほの白い小さな顔は、男性とも女性ともつかない中性的な雰囲気だ。
 年齢も……性別さえもよくわからないその人は、白い光に包まれて、ぼんやりと空を見上げていた。
 “空を……見てる……”
 ほんの少し視線をずらしたら、立原の姿が視界に入ってしまう。それくらい近づいているのに、その人はただ空を見ている。
 風が強いのだろう。雲が驚くほど早く流れている。青く澄んだ空はどこまでも高く……そして、遠い。その遠い空をその人はただ見つめている。飽くこともなく、ただじっと。
「……っ」
 ふいに、立原は自分の頰に涙がすっと伝うのを感じた。
 “え、俺……何で泣いてんの……”
 どうしてだろう。その人の静かな横顔を見ているだけで、ものすごく胸が痛くなった。
 哀しくて……切なくて。
 自分の口元を押さえていないと、嗚咽が洩れてしまいそうなほど、絞られるように胸が痛い。
 あなたは何を見ている。あなたの見つめるその空には何がある。あなたは……その空に何を探している。ただ見つめることしかできない空に……あなたは何を求めている。
 ゆっくりとコーヒーが冷めていく。そんなことにも気づかぬように、その人は瞬きすら忘れて、一心に空を見つめ続けていた。
 “……ごめんなさい……” 
 その人に気づかれないうちに、立原はそっとそっと……その場を離れた。
 興味本位に、見知らぬ美しい人の哀しく……静かな時間を覗き見てしまった立原は、心の底から自分の軽率さを後悔していた。


 立原光平が、その人の声を聞くのは、それから6年の後となる。
 そして、さらに時間をおいて……その人は立原の人生を大きく変えていく。
 空を見ていた人。
 立原の運命の人、高杉渉に初めて出会ったのは風の強い昼下がりのことだった。           

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