講談社BOOK倶楽部

ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
篠原美季/著
「第7話」エドモンド・オスカーの誤算

 エドモンド・オスカーは、かなり不機嫌だった。
 本人、それほど不機嫌さを顔に出しているつもりはなかったが、はたから見ていて明らかにそれとわかるほど不機嫌だったので、談話室に集まっている仲間の誰もが近づこうとせず、遠巻きにしている。
「おい、何があったんだよ、リッキー」
 仲間内でも、とりわけオスカーに近い存在と思われているリッキー・チャムは、友人の一人に小突かれて問われるが、彼だって、エドモンド・オスカーの不機嫌の理由などわかるわけがない。
 ただ、普段、どちらかといえば感情を荒らげることのない彼があれほど不機嫌になるとしたら、その原因に心当たりがなくもないのだが……。
(……やっぱり、あれかな?)
 もちろん、詳しい事情はわからないが、リッキー・チャムが知る限り、オスカーが感情を荒らげる原因となる要素は、現在のところ、たった一つだ。
(また、フォーダムのことで、誰かともめたのか)
 最近、友人が入れ込んでいる上級生は、なかなか厄介な人物のようで、彼とかかわるようになってから、友人の態度は浮き沈みが激しくなった。
 もちろん、激しくなったといっても、元がクールで、アウトサイダーを気取っていた友人であれば、程度はたかが知れたもの。
 むしろ、そういう感情を伴うかかわりは、決してマイナス要因でないはずだが、どうせかかわるなら、もっと身近な人間にすればよかったのだ。それを、なにを血迷って、あれほど守りの固い相手を選んでしまったのか。
 もっとも、その上級生自身の守りが固いわけではなく、彼の周囲に、守護者を気取るつわものどもがそろっていて、常に目を光らせているというだけの話なのだが、その面子(メンツ)がそうそうたるものであるだけに、近づくのは容易ではなく、そこをあえて突っ込んでいこうとするのは、無謀としか言いようのない行為だった。
(まあ、本人も、選ぼうと思って選んだわけじゃないだろうけど)
 多少の同情を込めて思い、リッキーが小さくため息をついた時だ。
 談話室に、新たに生徒が入ってきた。

セント・ジョーンズ・カレッジの外観と構内
セント・ジョーンズ・カレッジの外観と構内
「あ、セイヤーズ」
 誰かが、ホッとしたように名前を呼ぶ。
 イギリス西南部にある全寮制パブリックスクール、セント・ラファエロに5つ存在する寮のうち、彼らが住むここ、ヴィクトリア寮(ハウス)の寮長であるドナルド・セイヤーズは、みなの期待を一身に背負う形で、その場に姿を現した。
 なにせ、舌鋒(ぜっぽう)鋭いエドモンド・オスカーと対等に渡り合える友人は、仲間内でも彼しかいない。この二人は、現在の下級第4学年(ロウアーシックスフォーム)で双璧(そうへき)をなす逸材だった。
 その場の空気を瞬時に察したセイヤーズは、眼鏡の奥で光る薄緑色の瞳(ひとみ)でグルリと室内を見回し、最後に、部屋の奥を占領する形で座っているオスカーの姿に目をとめる。
 瞬間、彼の顔に浮かんだ不敵な笑み。
 本格的な受験態勢に入る最上級生に代わり、煩雑な寮の運営を任される下級第4学年をまとめる立場のセイヤーズは、一見するととても冷ややかな印象を受けるが、本来は真面目で責任感の強い生徒である。
 仲間からの信頼も厚く、あまり人をからかったりしないのが常であるのだが、相手によっては、多少の悪戯(いたずら)心を持ち合わせていて、特にエドモンド・オスカーに対しては、それが顕著だった。
 もちろん、逆もまた然りで、2人の会話が喧嘩(けんか)腰であることが多いのも、そのためだ。
 親友と目される彼らが、本当に仲がいいのかどうか、時おり疑われてしまうゆえんである。
 セイヤーズは、仲間たちが遠巻きにしている友人のそばまで恐れ気もなく歩いていくと、正面の椅子(いす)にドカッと座って、足を組んだ。
 オスカーが、そんな彼をチラッと見やる。
 何か言いたそうなオスカーに対し、セイヤーズはろくに挨拶(あいさつ)もしないで、テーブルの上に投げ出されている新聞を取った。
「何か、面白いニュースでもあったか?」
 セイヤーズの問いに、オスカーが短く応じる。
「さあ」
「珍しい。読んでないのか?」
「読んだよ」
「へえ」
 オスカーのつれない返事を気にしたふうもなく――――、というより、どこか楽しんでいる様子で、セイヤーズは新聞を読み始めた。
 それを見て、チッと舌打ちしたオスカーが、ついに言う。
「早かったじゃないか。どうせ、たいした話をしてなかったんだろう?」
「なにが?」
「フォーダムとの密談」
「ああ」
 わかっていたくせに、今、思い出したように応じたセイヤーズは、「まあね」と言ってまた新聞に目を戻す。
 今日の昼休み。
 珍しく、一級上のユウリ・フォーダムが親友であるシモン・ド・ベルジュと別れて、一人、寮を出ていくのを見かけたオスカーは、自分の用事を大急ぎですませ、後を追うように外に出た。
 うまくいけば、散歩のお供ができると踏んだからである。
 ところが、湖畔の散歩道でようやく見つけた上級生は、すでにセイヤーズと歓談中で、仲間に入れてもらおうと声をかけたら、けんもほろろに断られてしまった。
 どうやら、セイヤーズが人に言えない悩みを相談していたらしく、気をまわした上級生が、予想以上に厳しい態度でオスカーを遮断したのだ。
 けれど、オスカーにしてみれば、セイヤーズがそんな悩みなど持つとは思えず、あれは単に、幸運にも手に入れた好機を最大限に利用するため、他者を遠ざけたに過ぎないとにらんでいた。
 仮に、本当に悩み事を相談していたにしても、他人が来たら、さりげなく切り上げるだけの分別は持ち合わせている男である。
 それをしなかったのは、そこに現れたのがオスカーだったからに過ぎない。
 今、こうして目の前で勝ち誇った様子でいるのを見ても、それは間違いなかった。
 余裕綽々(しゃくしゃく)の態度が気に食わず、オスカーが剣呑(けんのん)に言う。
「なんでもいいが、調子に乗って、フォーダムを困らせたりしてないだろうな?」
「僕が?」
 新聞から目をあげて、フッと笑ったセイヤーズが、再び視線を落としながら言い添える。
「冗談だろう。お前じゃあるまいし」
「――――!」
 鋭くやり返され、一瞬言葉に窮したオスカーに反撃の隙(すき)をあたえず、セイヤーズが続けた。
「僕とフォーダムは、互いに静かな時間を過ごすのが好きなんでね、さして話はしていないよ。強いて言えば、晩秋の穏やかなひとときを、ともに味わっていたってくらいか」
 まるで、以心伝心で通じ合っているような言い様にムッとしたオスカーが、フンと鼻を鳴らして立ちあがる。
「勘違いするなよ、セイヤーズ。それは、ただの自己満足だ。単に、あの人が人に合わせるのがうまいだけだろう。相手が欲しいと思っている時間を提供できるのが、フォーダムだからな」
 指を突きつけて断言し、勢いに任せてクルッと背を向けたオスカーに、セイヤーズが今後の予定を事務的に告げた。
「どこへ行く。これから、下級生の自習時間の担当を決めるぞ」
「勝手にやればいいだろう」
「へえ。いいけど、あとで文句を言うなよ。――――それと、フォーダムならもうレポートに取りかかっている頃だから、邪魔しないようにしろ」
 背中に放たれたセイヤーズの忠告には返事をせず、オスカーは部屋を出る。
 別に、こんなことで頭にくる必要はまったくないのだが、理屈ではわかっていても、感情が面白くないと訴えかけてきて、自分でもどうしようもない。
(まったく、しょうもねえな)
 談話室を後にしたオスカーは、そんな自分にかなりあきれながら、本館の階段を下りていった。
 

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2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
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