ひとりの青年が、黄色く色づいた並木の下を歩いている。 朝から良く晴れた、すがすがしい秋の午後のことだ。 こんな時、革表紙とまではいかないまでも、ハードカバーで厚みのある本を片手に、読書に適した場所でも探していれば風情もあろうというものだが、残念なことに、彼が手にしているのは一房のぶどうだ。それをつまみながら、のんびり歩いている。 青年の名前は、ルパート・エミリ。 イギリス西南部にある全寮制パブリックスクール、セント・ラファエロの最上級生であり、全部で5つある寮のうち、もっとも西側に位置するヴィクトリア寮(ハウス)の監督生を務める生徒だ。彼はまた、寮生を代表して学校運営に携わる生徒自治会(スチューデントソサエティ)執行部のメンバーでもあった。 肩書だけ聞いていると、なかなか優秀な生徒のようだが、彼の場合、優秀さというより、むしろその類(たぐい)まれなる性質ゆえに、今の地位までのしあがった。しかも、自分でのしあがったというよりは、言ったように、その類まれなる性質を周囲の人間に買われ、その性質を必要とする人物の要請で、代表入りしたに過ぎない。そのことを、彼は引け目に思うこともなければ、得意になることもない。 ただ、自分の能力が役に立つのは、嬉(うれ)しいと感じている。誰しも、無用の長物と思われるよりは、有用でありたいと願うもので、そういう意味では、彼は己の役割に満足していた。 とはいえ、こうして食後のデザートを片手に散歩に出る喜びを味わえるのであれば、たとえ代表や監督生でなかったとしても、彼は学校生活に十分満足できたであろう。 「やっぱり、果物ならりんごかぶどうだよな。バナナも好きだけど、あとパイナップルも好きだし、桃もいいな。スイカは食べ過ぎてお腹を壊したことがあって、だからって別に嫌いではないけど、まあ、歩きながら食べるのなら、やっぱりりんごかぶどうかバナナだ」 言いながら、大粒のぶどうを1つ投げ上げる。 だが、彼が大きく口を開いて上を向き、落ちてくるぶどうをキャッチしようとした、その時だ——。 ビュンッ。 つむじ風が巻き起こり、何かが宙を過ぎていった。同時に、落ちてくるはずだったぶどうの実が、消える。 「えっ?」 ルパートは、びっくりして立ち止まり、キョロキョロと周囲を見回す。だが、彼のぶどうが落ちている様子は、どこにもない。 「……なんだ、今の?」 眉(まゆ)をひそめ、首を傾げるルパートであるが、しばらく考えた末、「ま、いいか」とあっさり忘れることにして、再び歩き出した。 午後遅くに、数学の教師による情報工学についての個人授業がある。それまでに、彼はケンブリッジ大学の教授が著したウェブの活用と文化の行く末を論じた本を読み上げておく必要があるのだが、食後30分以内に活字を読むことは健康によくないと手前勝手に決めつけ、こうして散歩を楽しんでいる。 (いやなに) ルパートは、のんきに考える。 (あの本なら、パスカルかシモンあたりが、絶対に読んでいるはずだから、いざという時は、どっちかつかまえて、要約してもらえばいいさ。うまくすれば、情報工学を絡めた論じ方も伝授してもらえるだろうし) 日ごろ親しくしている学業優秀な仲間の顔を思い浮かべ、フフンと笑う。 数学の天才と誉れ高いジャック・パスカルはもとより、ヨーロッパ全土にその名をとどろかせる事業家の息子シモン・ド・ベルジュなどは、あらゆる分野における最新の論文を読みあさっているような人間であるため、これほど有名な著作を読んでいないわけがないのだ。 問題は、2人とも揃(そろ)って良識的な人間であるため、ルパートのものぐさに対し、論文の解説ではなくお説教が返ってくる可能性は高い。だが、その時はその時で、彼らを買収するだけの情報を、ルパートは懐(ふところ)に隠し持っていた。 そう。 情報収集能力——。