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ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
篠原美季/著
「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)

 秋色に染まった全寮制パブリックスクール、セント・ラファエロの構内。
 枯れ葉が舞い、北風が吹きぬける道を、一人の少年が歩いている。
 制服を身にまとう姿は、一見するとこの学校の生徒のようだが、よくよく見れば、ボサボサの髪の間からのぞく耳は鋭く尖(とが)っていて、とても人間のものとは思えない。また、時おり、地面を蹴(け)って飛びあがり、枝につかまってクルリと一回転するところなども、やはり人間わざとは思えない軽々しさだった。
 彼の名前は、ピンチ。
 もちろん、人間の子供ではなく、まともにお使いもできないほど早とちりばかりしている悪戯妖精(いたずらようせい)である。
 彼は、現在、「湖の貴婦人(ダームデュラック)」と呼ばれる妖精モルガーナからお使いを頼まれ、ある人物にはちみつ酒を届けに行く途中だった。だが、かんじんの届け先を聞かずに妖精界を飛び出してきたため、いつまで経っても仕事が片づかず、人捜しに明け暮れる毎日だ。
「う~ん。どうしたもんか」
 困った様子で、彼が嘆く。
「誰に届ければいいのか、いっこうにわからない。わからない、わからない、稚内(わっかない)って、どこかにあったっけ? ……いやいや、語呂(ごろ)合わせをしている場合じゃなく、本気でわからないぞ。いったい、オレサマは、誰にはちみつ酒を持っていけばいいのか。聞いても、誰も教えてくれないし、そもそも、今日なんて、なにか聞こうにも、人っ子一人、見あたらないときてる」
 そこで、立ち止まり、額に手を置いてあたりを見回した少年の脇(わき)を、虚しさをともなった寒風が、ヒュウウと吹き過ぎていった。
「なんで、だ~れもいないんだ。いつもは、うるさいくらいに賑(にぎ)わっているこの通りであるのに、いやはや、これはどうしたことか。————あ、まさか」
 そこで、ポンと手を打ち、思いついたことを口にする。
「もしかして、オレオレ、ピンチ様が、正式な使者として妖精界からわざわざ赴いてきていることがばれて、誰も彼も、穴倉に隠れてしまったんじゃなかろうか————。いや、きっとそうだ! そうに決まっている! ……でも、別に、取って食いやしないし、隠れる必要なんかまったくないんだけどな。まあ、後光が差して眩(まぶ)しすぎるとか、畏(おそ)れ多くて謁見を賜れないとか、気持ちはわからないでもないけど、オレオレ、ピンチ様としてはもっと友好的にいきたいもんだよ」
 訳のわからないことを言いながら再び歩き出したピンチは、湖畔に出たところで、ようやく一人の人物に行き当たった。
 青銀色の長い髪を背中で三つ編みにした、賢そうな顔立ちの男。
 年の頃は、よくわからない。姿形は若いが、まとっている雰囲気に老人のような落ち着きがあって、年齢をわかりづらくしているからだろう。
 男は、湖岸に折りたたみ式の椅子(いす)を出して座り、のんびり本を読んでいた。その脇には釣り竿(ざお)が立てかけてあって、糸の先が湖に沈みこんでいる。
 どうやら、釣りと読書を同時に楽しんでいるらしい。
 ピンチが近づいていくと、顔をあげ、少しびっくりしたように彼の姿をマジマジと見つめた。
「やあ。————あまり見かけない顔だけど、ここの生徒かい?」
「生徒と言われたら生徒ですよ。生徒と言われなくても生徒のつもりですがね。でなきゃ、こんな恰好(かっこう)はしないでしょう。もし、お姫様と言われたければ、それなりの恰好をしてきますわな。もっとも、あのコルセットって奴は大の苦手で、締めた日にゃ、雑巾(ぞうきん)のようにしぼられて、もう一滴も出やしないって」

パブリックスクール・イートン校を歩く生徒達
パブリックスクール・イートン校を歩く生徒達
 ピンチが、言わなくてもいいようなことまで長々と話す。一言ですむところを、十は言わないと気がすまないらしい。
「なるほどねえ」
 どこか面白そうに受けた男、この学校の校医を務めるディアン・マクケヒトは、相手の正体に疑問を抱きつつ、続ける。
「それで、生徒の君は、こんなところで、なにをしているんだい?」
「簡単に言やあ、人捜しってとこですかね」
「へえ。じゃあ、簡単に言わないと?」
「話せば長いことですが、聞きます?」
「いや。やめておこう」
 賢明にも、マクケヒトは自ら災難を回避した。
 すっかり話す気で腕まくりまでしかけていたピンチは、その返答を聞いて「あ、そう」と残念そうに袖(そで)をおろし、「いやはや、でも、まあ」と口中でゴニョゴニョ言っている。
 それを無視して、マクケヒトが尋ねた。
「それはそうと、君の名前は?」
「ピンチ」
「ピンチ?」
「どんなピンチも、たちどころにピンチじゃなくなる、妖精王第二の————あ、いや、わわわわ」
 調子よく自己紹介を始めたピンチは、危うくおのれの正体を白状しそうになり、慌てて口を押さえ込む。もっとも、今さら隠したところで、実は、先ほどから彼の尖った耳が丸見えで、あまり意味はなかったのだが、彼はそのことに気づいていない。
 尖った耳から琥珀(こはく)色の瞳(ひとみ)まで、相手の様子をつぶさに観察していたマクケヒトが、ややあって、言った。
「うん、だいたいの事情はわかった気がする。……それで、君が捜しているのは、どこの誰なんだい?」
 すごくまともな質問であったが、ピンチは、それがまるで愚かさの極致であるかのように、両手をあげて首を傾げる。
「それがわかっていれば、のんべんだらりといつまでも、こんな場所をほっつき歩いてやしませんよ。わからないからこそ、こうしてはちみつ酒をご所望の人間を捜し回っているのに、ドイツもコイツもオランダも子パンダも、『はちみつ酒なんて、いらない』ときたもんだ。いったい、この世で、はちみつ酒を振る舞われて、それを断るアホがいるなんて、味気ない世の中になったもんですよ。ああ、もったいない、もったいない。もらっとけばいいものを————」
「でも、みんながみんな、『はちみつ酒が欲しい』と言い出したら、それはそれで困るだろう?」
「いや、別に。いつまでもこんなことをしているのも面倒くさいので、誰でもいいから、いっそ受け取っちゃくれまいかと思ったりするのが、妖精ってもんでして」
「それじゃ、お使いの意味がないじゃないか」
 呆(あき)れたマクケヒトが、少し考えてから提案する。
「そうだな。もし君が、仮に妖精王の使いとしてここに来ていたとして————」
「違いますって、旦那(だんな)」
 マクケヒトのたとえ話を、ピンチが即座に否定する。
「オレサマは、決して妖精王第二の従者、信頼厚き悪戯妖精ピンチなんてもんじゃなく、ほら、このとおり、制服を着た一人の生徒ですから、そこはお間違いなきよう————」
「うん。わかっているよ」
「本当に?」
「本当に。……ただ、『もしも』の話をしてみようってことなんだ」
「『もしも』か! そりゃあ、いい! ————つまり、『もしも、オレサマが王様だったら、ギリシャのブドウを全部かっさらってくる』とか、『もしも、オレサマが王女様だったら、フランスのブドウを全部かっさらってくる』とか、そういうことですよね?」
「うん、まあ……。そういうことでもいいけど、とにかく仮定の話を進めていいかな?」
「どうぞ、どうぞ、仏像銅像」
 マクケヒトは、どうも今ひとつ話しにくいなと苦笑いしつつ、続ける。
「もしも、君が妖精王か、あるいは『湖の貴婦人(ダームデュラック)』なんて高貴なお方の使者で、その人から、日頃の友好の印に、ある人間のところへはちみつ酒を届けるよう言づかったのだとしたら、たぶん、君は『ユウリ・フォーダム』という人間を捜すべきだと思う」
「ユウリ・フォーダム?」
「うん。その人を捜し出せば、たとえ、届け先が違っていたとしても、君が無事に用事をすませて妖精界に戻れるよう、力を貸してくれるはずだから」
「それは、本当の話で?」
「うん」
「ああ、いや。だから、つまり、それの、どこからが本当の話で?」
 ややこしいところにこだわる相手に、マクケヒトが断言する。
「とにかく、君は、『ユウリ・フォーダム』という人間を捜せばいいってことだ」
 その時、マクケヒトの傍らに立てかけてあった釣り竿が揺れ動き、糸がピンと引かれたので、手を伸ばしながら、続ける。
「ちなみに、今は連休で、ほとんどの生徒が帰省しているから、構内はほぼ無人だよ」
 だが、釣り竿を手に取り、糸を巻きあげながら振り返った時には、すでにピンチの姿はどこにもなかった。

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◆ バックナンバー ◆
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2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
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2009年5月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)
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