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ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
篠原美季/著
「第5話」アーサー・オニールの憂さ晴らし

「ちょいとお伺いしますがね」
 そう声をかけてきたのは、見慣れない少年だった。
 見るからに硬そうな剛毛は、あまり手入れのされていない様子であちこちを向き、まるで針の山みたいになっている。
 つんと上を向いた鼻にはそばかすがあり、口元には八重歯がのぞいている。
(どこの寮の生徒だったかな……?)
 とりあえず着ている服がセント・ラファエロの制服であるのを見て、シェークスピア寮(ハウス)の筆頭代表であるアーサー・オニールは、頭の中で新入生のデータをひっくり返しながら応じた。
「なんだろう。僕に答えられることならいいけど」
「いやいや、とんだご謙遜(けんそん)を。答えられないなんてことは、ありゃしませんって。なにしろ、その見事な赤毛、堂々たる振る舞い、それより何より、乙女心を一度つかんだら、地球が反転しても離さないであろう麗しきご尊顔を拝見すれば、一目瞭然(いちもくりょうぜん)。きっとあなた様こそが、私めの捜しているお方とお見受けしますが、いかがなものでしょう?」
「いかがなものって言われても……」
 立て板に水のごとく滑らかで、かつどこか時代がかった話し方に、少々面くらった様子で半歩退いたオニールは、改めて少年の出で立ちを見つめてきき返す。
「そもそも、君が誰を捜しているのかがわからないからには、答えようがないだろう?」
「はあ。それは、もちろん、そうなんですが……、それを言われてしまうと、いささか困ったことになるっていうか、なにぶん、私自身が、いったい誰を捜しているのやら、もうとんとわからなくなっていて……、いやまあ、ぶっちゃけ、最初からわかっていなかったんですけどね、それでもはちみつ酒を頼りに捜してみてはいるんですが、誰にきいても、なしのつぶてで」

バッキンガム宮殿の外観
バッキンガム宮殿の外観

「なしのつぶて?」
「返事がないってことで」
「手紙でも出したのかい?」
「そんな、のんべんだらりとしたことはしやしませんよ」
「じゃあ、きいてまわったけど、収穫はなかったということか」
「そうですね。強いていえば、ぶどうとりんごとバナナくらいで」
「……ぶどうとりんごとバナナ?」
 オニールは、そこで首を傾げる。
「確か、はちみつ酒の話じゃなかったか――――?」
「あ、やっぱりご存知で?」
「いや、知らないけど」
「ああ!」
 突然、この世の終わりのような声をあげた少年が、両手を頭に当て、剛毛をかきむしって嘆いた。
「ここでもか! それなら、いったいぜんたい、誰にはちみつ酒を届ければいいんだ! いやはや、これぞまさに人生最大のピンチ! 名にし負うと言わんばかりの前途多難ぶり! ああ! どうしたらいいんだ! どうしたら……、ねえ、どうしたらいいんでしょう、わかります?」
 大げさな落胆ぶりを、困惑気味に見おろしていたオニールは、最後に相談を受けるように「わかります?」と言われ、返事につまる。
 正直、「そんなの知るか」と言いたいところだったが、我慢した。
「なんていうか、……僕には、どうも、君の言っていることがさっぱりわからないんだけどね。いったい、君は何をしたいんだ?」
「だから、はちみつ酒を届けたいんですよ」
「誰に?」
「それがわかってりゃ、こんなところでうろちょろしていませんやね」
「それなら、そもそも、なんではちみつ酒を届けようなんて思ったんだ?」
「それは、頼まれたからに決まってるじゃないですか。厚い信頼を寄せられた結果といいましょうか、頼めるのは、私だけという――――」
 長くなりそうな相手のごたくを遮るように、オニールが質問を重ねる。
「誰に?」
「――――誰に?」
「そう。誰かに頼まれたんだろう? それなら、その頼んだ誰かに、届け先をもう一度ききに行けばいいじゃないか」
「そんなこと、とんでも、どんでも、どんでん返し。冗談じゃありませんやね。俺様の信頼はがた落ちじゃないですか! 嫌なこった!」
「嫌なこった」と言われても、オニールには、その少年がそれほど信頼されているようには思えなかったのだが、それは口にせず、困ったようにため息をつく。
 と、その時。
 少年の針山のようにあちこちを向いている剛毛の間から、やけに尖(とが)った耳がのぞいているのに気づき、興味を惹(ひ)かれた。
 オニールが、手を伸ばしながら言う。
「今、気がついたけど、君の耳って――――」
 だが、最後まで言う前に、少年が驚いたように「あっ!」と叫んでオニールの背後を指差したので、何事かと手を止めて振り返った。
 しかし。
 振り返ったオニールが見たのは、いつもと変わらない雑木林の風景だった。
 木立のすき間には、陽光を反射してキラキラ光る湖面が見えている。
 秋色に染まった木々の中、頭上からヒラリと枯れ葉が舞い落ちる、静かで穏やかな午後。
 そこに何も見出せなかったオニールが、「おい、いったい」と少し口調を荒げて顔を戻したが、その時には、つい今しがたまで目の前にいた少年の姿は、忽然(こつぜん)と消え失せていた。
「えっ?」
 びっくりして、慌てて周囲を見回すが、制服を着た剛毛の少年の姿は、影も形もない。走り去った気配すらなく、きれいさっぱり消えていた。
 あまりの唐突さに、オニールは自分の感覚が信じられなくなりそうだった。
 炎のように美しい赤毛を片手ですき上げ、呆然(ぼうぜん)と考える。
(……夢でも見ていたのか?)
 いや、そんなはずはない。
 もし夢なら、あれほど無意味な会話をするわけがない。
 夢というのは、元来理屈に合わないもので、今のオニールの考えは、それこそ明らかに理屈に合っていないのだが、裏を返せば、そこには、自分はそこまで愚かしくないという密かな願望が含まれている。
 だけど、それなら、少年はどこへ――――。
 それに、そもそも、あんな少年がセント・ラファエロにいただろうか。
 おぼろげとはいえ、全校生徒の顔を記憶しているオニールだったが、どれほど考えても、あの少年を見たという覚えがない。
 どちらかといえば、一度見たら忘れられない印象的な風貌(ふうぼう)をしていた。だから、もし写真でもなんでも見ていれば、覚えている自信がある。
(やっぱり白昼夢でも見たのか――――)

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◆ バックナンバー ◆
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2008年11月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第2話」ルパート・エミリの無念
2008年12月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第3話」数学者と皮肉屋の不審
2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
2009年2月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第5話」アーサー・オニールの憂さ晴らし
2009年3月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第6話」ユウリ・フォーダムの昼休み
2009年4月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第7話」エドモンド・オスカーの誤算
2009年5月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)
2009年6月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第9話」シモン・ド・ベルジュのため息