講談社BOOK倶楽部

ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
篠原美季/著
「第9話」シモン・ド・ベルジュのため息

「あ、ベルジュ」
 呼ばれて足を止めたシモン・ド・ベルジュは、同時に内心でため息をつく。これで、いったい何度目か。なぜかはわからないが、今日は朝からやたらと人に呼び止められる。しかも、その用件が————。
「フォーダムを見なかった?」
「ユウリなら、さっきまで一緒にお茶していたけど、そこで別れたよ。僕はこれから執行部の会議があるから」
「ああ、そうだよな。忙しい時に呼び止めて悪い」
 そう言って立ち去りかける相手に、シモンが問い返す。
「それで、ユウリに用事というのは?」
「ああ、……というか、実際に用があるのは、俺じゃないんだけど」
 その答えも、今日聞くのは、これで何度目だったろう。続く言葉もわかっている。そこで皆まで聞かず確認する。
「もしかして、誰かがユウリを捜している?」
「そうなんだよ。さっき、呼び止められて、ユウリ・フォーダムを知らないかってきかれたんで、午後のお茶の時間だから、食堂かカフェテリアにいるんじゃないかって答えておいたけど、どうせきくなら、ヴィクトリア寮(ハウス)の生徒にきけばいいのになあ?」
 最終的に同意を求められ、シモンは小さく苦笑する。確かにそのとおりで、ちなみに、今話しているのは、ウェリントン寮の生徒である。その前に同じ質問をしてきたのは、シェークスピア寮の生徒だったし、さらにその前はアルフレッド寮の下級生だった。
 どうやら、ユウリを捜している人物は、ユウリがヴィクトリア寮に所属していることを知らないか、あるいは誰がヴィクトリア寮の寮生であるか、見分けがつかず、片っ端から声をかけているようである。
 いったい誰が、なんの目的でユウリを捜しているのか————。そのこと自体が、かなり怪しいとシモンは踏んでいる。
「ちょっときくけど、そのユウリを捜しているという生徒は、誰かわかるかい?」
「いや。うちの寮の人間じゃないのは確かだけど、他の寮の生徒の顔まで覚えているわけじゃないからなあ。悪いけど、あいつが誰かはわからないよ。……わりと特徴のある奴だったけどな。こう硬そうな髪がピンピンはねていて、背は低いけど元気そうで、目が薄茶色っていうか、ほとんど琥珀(こはく)に近い色でキラキラ輝いていた。……だけど、そう言われてみれば、あんな奴、うちの学校にいたかなあ?」
 説明の最後に小さく首を傾げながら付け足された言葉も、シモンはすでに何度も聞いている。ユウリを捜している人物の特徴を尋ねると、返事の最後にみんな必ずそう言うからだ。
 どう考えても、おかしな話である。

チャリスウェルガーデン(Chalice Well Garden)(著者撮影)
チャリスウェルガーデン(Chalice Well Garden)
(著者撮影)
 相手の風体が異様な上、捜されているのがユウリであれば、これはもはや現実からかけ離れた騒動になりかねない。
(……まったく、次から次へと、引きも切らずに)
 絶大な霊能力を持つユウリの周りではこの手の事件がよく持ち上がるが、それにしても最近はあまりに多すぎる。
 シモンは、相手に礼を言って別れると、鬱々(うつうつ)とした気分のまま、校舎3階にある執行部室に入っていった。
 室内にはすでに大方の代表がそろっていて、各人隣同士雑談に耽(ふけ)っていたが、シモンが登場すると、みんなが一度話を中断して彼を迎え入れた。だからといって、別に示し合わせたわけでも、そういう決まりなわけでもなく、ただ自然とそうなるほど、シモン・ド・ベルジュという人間には華があるのだ。
 白く輝く淡い金の髪。
 南の海のように透き通った水色の瞳(ひとみ)。
 ギリシャ神話の神々も色褪(あ)せるほどの美貌(びぼう)と優雅な立ち居振る舞いは、どこにいても人々の目を惹(ひ)きつけてやまず、学校中から集まったエリートたちの中にあっても、他の追随を許さないほど際立っていた。
 ただし、今日はいつもと違い、単に注目されただけではないようだ。彼の神々しい姿を見るなり、代表たちの中心にいたシェークスピア寮のアーサー・オニールが言う。
「ああ、ちょうどいいところに来たな、ベルジュ。今、ヴィクトリア寮の話をしていたところなんだけど」
 この中で唯一、シモンに負けず劣らず煌(きら)びやかなオニールは、炎のように美しい赤毛をかきあげながら続けた。
「ユウリにストーカーがつきまとっているって?」
「ストーカーって」
 定位置となっているオニールの隣の席に腰を下ろしたシモンは、下級生が差し出した紅茶のカップを受け取りながら、訝(いぶか)しげにきき返す。
「ユウリに?」
「うん。なんでも、強烈なストーカーらしいじゃないか」
 そこで、少し考え込んだシモンが、「いや」と首を傾げて否定する。
「そんな話、ユウリからはまったく聞いていないけど」
「でも、昨日今日で噂(うわさ)になっているよな」
 他の寮の代表が口をはさみ、さらに別の代表が補足する。
「そうそう。常に後をついてまわっているって」
 そこで、シモンは、その場にいたルパート・エミリに視線を移した。シモンの補佐としてヴィクトリア寮から代表に選出されたルパートは、持ち前の明るさで人から話を聞きだすのが得意な情報収集の達人だ。
 そのルパートが、噂を正確に言いなおす。
「それは、後をついてまわっているんじゃなく、ユウリを捜し回っている生徒がいるってだけの話だろう?」
「そんなの、言い方の違いじゃん」
 先の生徒が反論するが、ユウリ自身が被害を被(こうむ)っているのと、ユウリのあずかり知らぬところで騒動が起きているのとでは、話はまったく違ってくる。
 状況を理解したシモンが、「それなら」と頷(うなず)いた。
「僕にも、心当たりがあるよ」
「そうなのか?」
 意外そうに受けたオニールに、シモンは朝から数人の生徒に声をかけられている話をする。
「へえ。……でも、ちょっと変だよな。なんだって、そんなにも見当違いなところばかり、そいつは捜し回っているんだろう」
「確かに」
「その生徒って、フォーダムのことを知らないんじゃないか?」
「それなら、間違いなく新入生ってことになる」
「言えてる。なにしろ、この学校に1年もいれば、フォーダムのことを覚えるもんなあ」
「少なくとも、捜す場所の見当はつく」
 口々に言われるが、いったい、凛(りん)とした静けさを持つユウリの何がそれほど目立つというのか。
 だが、実際、東洋的な風貌(ふうぼう)以外にこれといった特徴もないし、自ら騒ぎを起こすような生徒でもないのに、付き合う相手が悪いのか、注目の的になりやすい。
「だけど、そもそも、新入生がユウリに何の用があるんだ」
 みんなの言い分を聞いていたオニールが不服そうに声をあげると、全員が一度口を閉ざし、ややあって「さあ」と互いに肩をすくめあった。
「なんなら、俺たちでその生徒を捜し出すか?」
 アルフレッド寮の代表が特権を行使して大々的に対処することを提案するが、シモンが即座に断った。
「その必要はないよ。わざわざ執行部が動くようなことではない。誰かは知らないけど、火急の用件なら、それこそ自分で代表に相談して取り継いでもらえばいいわけで、まあ、放っておけば、そのうちユウリに行き着くだろう」
「だけど、ベルジュは、誰がユウリを捜しているか、知りたくないのか?」
 明らかに追及したがっている様子のオニールを知的な水色の瞳で見つめ、シモンは柔らかく否定する。
「興味はあるけど、だからといって騒ぎを大きくする気はない。それに、執行部はそれほど暇人の集団ではないはずだよ?」
 暗に本日の議題に入ることを勧められ、オニールは渋々と言に従った。
 その場を仕切るオニールの声を聞きながら、シモンは己の思考に沈み込む。
 当然、彼だって、謎(なぞ)の生徒に興味を持ってはいる。
 だが、さっきも考えていたとおり、これがもし現実と一線を画すような事件に発展していくようであれば、あまり大々的に動くと、かえってユウリの首をしめることになりかねない。
 ここは、慎重にことを運ぶべきだった。
(それにしても、本当に誰なんだろう……)
 枯れ葉が舞い散る窓外の景色に視線を流し、シモンは改めて考える。
 少し前に、寮内を騒がせた果物ドロボウの話も宙に浮いたままであるが、まさかそれと関係しているということはないだろうか。
 そこで、室内に目を戻したシモンは、扉の近くに立っている下級生ドナルド・セイヤーズを見つめる。
 つい先日、ユウリが彼と話しこんでいたことを思い出したせいだ。
 ヴィクトリア寮の現寮長であるセイヤーズは、シモンの腹心の部下として名をあげ始めている優秀な生徒だが、なぜかユウリに対して冷たい態度を取る傾向にあった。理由がわからないまま、最近になり、態度が少し軟化してきていたのだが、二人きりで話しこむほど懇意になっているとは知らず、印象に残っていた。
(あとで、セイヤーズに話を聞いてみるか)
 一瞬そう考えるが、もしそのことがユウリにばれたら、とてもまずいことになると思い直す。
 物わかりのいいセイヤーズのことだから、シモンが尋ねれば間違いなくユウリと何を話し込んでいたか教えてくれるだろうが、それはある意味脅迫と同じ強制力を持っていて、ユウリを信頼して打ち明け話をした下級生にしてみれば、ユウリが裏切ったように見えるかもしれない。それは絶対に避けねばならないことだ。
(やはり、しばらくは静観するしかないのか……)
 あれこれ悩んだ末、そう結論するシモンだった。
 だが、翌日、事態は思わぬ展開を見せる。

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◆ バックナンバー ◆
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2008年11月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第2話」ルパート・エミリの無念
2008年12月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第3話」数学者と皮肉屋の不審
2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
2009年2月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第5話」アーサー・オニールの憂さ晴らし
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2009年5月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)
2009年6月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第9話」シモン・ド・ベルジュのため息