『電子オリジナル 恋する救命救急医
管制室のラプンツェル2』
特別番外編「Promise」
              
春原いずみ
             
                  
「さむ……っ!」
                  
 センターと渡り廊下のような通路で繫がっている管制室に鍵をかけている恋人に先立って、一歩外に出た立原光平は、思わず首をすくめていた。
                
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                  「渉さん、外すっごく寒いよ。コート、ちゃんと着てる?」
                  
 振り向いた立原に、高杉渉はくすりと笑った。
                  
「子供じゃないんだから。光平こそ、ちゃんと着てるの?」
                  
 高杉はふわっと軽い、薄くダウンの入ったコートを着ていた。立原は学生時代から着ているレザーのハーフコートだ。高杉はきちんとコートの前を閉じているが、立原は羽織っただけである。
                  
「ほら、ちゃんとボタンを留めてないから寒いんだよ」
                  
 高杉は笑いながら、まるで子供にするように、立原のコートのボタンを留め、マフラーを巻き直した。
                  
「わ、渉さん……っ」
                  
「ほら、これで寒くないでしょ?」
                  
 にこりと微笑み、長身の恋人を見上げて、高杉は言う。
                  
「さ、早く帰ろう。こんな時間に2人で帰れるなんて、めずらしいことなんだから」
                  
 時間は午後6時過ぎ。2人ともほぼ定時だ。並んで見上げる夜空は曇っているらしく、星も月も見えない。
                  
「そうだよね。晩飯、どっかで食べて帰る? 時間早いし。どこがいいかな……」
                  
 頷いて、嬉しそうに言った立原に、高杉は首を横に振った。
                  
「7時に炊飯器のタイマーかけてきちゃったから、今日は帰らないと。せっかくの炊きたてご飯だもの、美味しく食べないともったいないと思わない?」
                  
「……ご飯って。何か、ロマンティックの欠片もない……」
                  
 がっくりと肩を落とす立原の腕に、高杉は軽く触れた。
                  
「炊きたてご飯って、ロマンティックじゃない? 美味しい晩ごはん、2人で食べるんだよ?」
                  
 高杉が見上げると、立原はちょっとまぶしそうな顔になってから、がっくりと肩を落とす。
                  
「……ずるいな、渉さん」
                  
「何が?」
                  
 並んでゆっくりと歩き出しながら、高杉は立原の手をそっと自分の手で包んだ。もうすっかり暗くなっている。バスに乗るまではこうして手を繫いでいられる。
                  
 凄絶なストーカー被害に遭った高杉に対して、立原はとても慎重だ。お互いに想い合っているのに……いや、想い合っているからこそ、立原は高杉に触れるのをためらうこともある。だからこうして、高杉の方から一歩踏み出すことがある。
                  
「何がずるいの?」
                  
「……渉さんの声で聞くと、何でもロマンティックに聞こえる」
                  
 高杉の声は、優しげなルックスに似合う柔らかなものだ。音域的にはバリトンに近く、やや低いのだが、普段の話し声はまろやかで柔らかい。その声は仕事に入ると、クリアで聞き取りやすいと言われる。滑舌がいいらしい。
                  
「そう?」
                  
 高杉はくすっと笑い、立原の手をきゅっと握る。
                  
「じゃあ、ずっと耳元でささやいてあげようか」
                  
「え」
                  
 きょとんと見つめる顔が少年ぽくて、本当に可愛いと思う。彼のこんな表情が、高杉はとても好きだ。初めて自分をストーカーから守ってくれた時から、彼の凜々しさには惹かれてきたが、こんな風に素の可愛さを見てしまうと、胸の奥がきゅっとするくらい、愛おしいと思ってしまう。
                  
「……からかわないで」
                  
 耳たぶを赤くして、立原はつぶやく。
                  
「渉さん、時々意地悪だよね」
                  
「そう?」
                  
 病院前の坂をゆっくりと下っていく。吹き抜ける風は切るように冷たい。日が落ちてから、気温がぐっと下がっているようだ。
                  
「そうだよ。時々……俺にだけ意地悪じゃない?」
                  
「そんなことないよ。むしろ逆かな」
                  
 病院前のバス停に2人で立つ。ちらりと見ると、すでにバスのヘッドライトが近づいてきていた。タイミングがいいのか、悪いのか。吹きさらしのバス停で待たずにすむのはありがたいが、せっかく繫いだ手を離してしまうのは寂しい。
                  
「意地悪じゃなくて、甘えてるんだよ」
                  
 バスが止まった。もう一度だけきゅっと彼の手を握ってから、そっと離す。
                  
「僕はね、ものすごく光平に甘えてる」
                  
「渉さん……」
                  
 バスの扉が開き、高杉が先に乗り込む。
                  
「だから……こういう時にそういうこと言うのが……」
                  
 もごもごと彼が何か言っている。
                  
「……ずるいって言うんだよ……」
                  
 ふわっとあたたかなバス車内に乗り込んで、並んでシートに座る。車内はちょうど全員がシートに座れるくらいの混み具合だ。黙り込んでしまった恋人の薄赤い耳たぶを見つめて、高杉はくすりと小さく笑った。
                  
                  
                  
 2人がマンションに帰り着いたのは、午後7時少し前だった。
                  
「うん、ご飯炊けてる」
                  
 マンションのドアを開けると、ふわりとご飯の炊けているいい匂いがした。
                  
「おかず、何かある?」
                  
 コートを脱ぎながら、立原は言った。
                  
「何か買ってくればよかったね」
                  
「昨日の夜、煮込みハンバーグ作ったから」
                  
 立原からコートを受け取り、きちんとハンガーに掛けながら、高杉は答える。
                  
「冷蔵庫に入ってるから、あたためるだけだよ」
                  
 このマンションに定住してから、高杉は料理をするのが好きになった。
                  
 航空会社に勤務していた時は忙しいこともあって、自炊はほぼしていなかったし、会社を辞めてからはウイークリーマンションを転々としていたので、キッチンでちゃんと料理をする環境にはなかったのだ。
                  
 しかし、この部屋に引っ越してきて、立原と一緒にきれいな色のキッチングッズを揃えたら、俄然、料理に興味が湧いてきた。ネットで簡単なレシピを検索して作ってみたら、なかなか美味しくできたので、それ以来すっかり料理にハマり、レシピ本を何冊か揃えて、自炊を楽しんでいる。
                  
「煮込みハンバーグか……美味しそうだね」
                  
 立原がにこっと笑った。高杉はジャケットを脱ぐと、キッチンに掛けてあったエプロンを着け、シャツの袖をまくる。
                  
「待ってて。今、お味噌汁作るから」
                  
「あ、汁物これから作るの?」
                  
「作り置きできないからね」
                  
 高杉がそう答えると、立原はぽんと手をたたいた。
                  
「じゃあ、俺が作るよ」
                  
「え?」
                  
「渉さん、エプロン貸して」
                  
 立原は高杉からエプロンを受け取ると、ちょっと小さいかなと言いながら、それを身に着けた。
                  
「光平って、お料理できるの?」
                  
 高杉の問いに、立原はうんと頷く。
                  
「得意と言えるほどじゃないけど、一応自炊はしてるよ」
                  
 そう言うと、立原は冷蔵庫とその横に置いてある野菜かごを覗き込んだ。
                  
「えーと……豚肉と……にんじん、大根……やった! ごぼうもある。長ねぎに……こんにゃくもあるね。うん、全部揃ってる」
                  
 満足そうに言うと、調味料を確認する。
                  
「ごま油……お味噌……うん、ちょっと待ってて!」
                  
 慌てたようにキッチンを飛び出すと、なぜか玄関に走っていく。
                  
「こ、光平……?」
                  
 バタンとドアが閉まる音がして、1分ほどでまたドアがバタンと閉まった。
                  
「お待たせ。ちょっと調味料が足りなかったから、うちから持ってきた」
                  
 立原は、キッチンの調理台に白だしの瓶を置いた。
                  
「ちょっと時間かかるけどいい? 30分くらい」
                  
「いいけど。見てていい?」
                  
「えー、恥ずかしいな」
                  
 立原は手を洗うと、作業台に揃えた野菜から切り始めた。手際はいいとは言えないが、きちんときれいに大きさを揃えて、ごぼう、にんじん、大根、長ねぎを切り、スプーンを使って、こんにゃくをちぎった。こんにゃくはぬるま湯で丁寧に洗う。
                  
「何作るの?」
                  
「俺、祖父母に育てられた話、したっけ?」
                  
 まな板をざっと洗ってから、肉を食べやすい大きさに切って、さっと塩こしょうする。
                  
「俺の両親って、結構早くに亡くなってね。俺、ほとんど祖父母に育てられたんだ。そんで……」
                  
 立原は壁に掛けられていた深めのフライパンを取ると、ごま油を熱した。そこにごぼうを入れて炒める。
                  
「これはばあちゃんがよく作ってくれたやつ。俺の大好物でさ」
                  
「ずいぶんしっかり炒めるんだね」
                  
「そう、焼き目がつくまでね」
                  
 ごぼうを炒めていたフライパンに、豚肉を入れ、これもしっかりと炒める。
                  
「豚肉とごぼうって……もしかして豚汁?」
                  
「当たり。絶対美味いから期待してて」
                  
 ごぼうと豚肉に焼き目をつけると、そこに残りの野菜とこんにゃくを入れて、油が回るまで炒めていく。
                  
「いい匂い……」
                  
「でしょ? 冬になると、ばあちゃんがこれ作ってくれてさ。この匂いがすると、すごく嬉しかったんだ」
                  
 フライパンに水と酒、みりん、味噌、そして、自宅から持ってきた白だしを加える。
                  
「え、もうお味噌入れるんだ……」
                  
「そう。味が染みるからね。このままちょっと煮込むよ」
                  
「あ、じゃあ、今のうちにハンバーグもあたためようか」
                  
 高杉は食器棚の引き出しを開けて、替えのエプロンを取り出してつけると、小さいフライパンをコンロにかけ、冷蔵庫から出したハンバーグをソースごとあたため始めた。
                  
「付け合わせはっと……」
                  
 3口コンロに片手鍋をかけると、小さく切ったじゃがいもをゆでて、粉ふきいもを作る。ブロッコリーは冷凍ものを電子レンジで解凍する。その間に、立原は洗い物をしたり、残った野菜を片付けたりしている。
                  
「……何笑ってるの?」
                  
 キッチンに並んで立ちながら、ふふっと笑った高杉に、立原は不思議そうに聞く。
                  
「ううん、ちょっとね、嬉しいなって思って」
                  
 高杉は軽く、隣に立つ立原の肩に頭をつける。
                  
「こうして、光平と一緒に晩ごはん作れること」
                  
 こんな小さなことが、たまらなく嬉しい。初めてできた恋人と手を繫いで、食事に行って、バーに行って……そして、一緒にキッチンに立つ。
                  
 恋人同士の小さな日常の積み重ねが高杉を幸せにしてくれる。
                  
「…………」
                  
 立原はふうっと大きくため息をついた。そして腕を回して、高杉の肩を抱きしめる。
                  
「光平……?」
                  
 少しだけ身体の向きを変えると、立原はそっと身を屈めて、高杉の唇にキスをした。触れるだけの優しいキスで高杉の唇をあたためてくれる。
                  
「……何で、そんなに可愛いこと言うの……」
                  
 こつんと額を合わせて、立原は困ったように言う。
                  
「だから、ずるいって……」
                  
「何が?」
                  
 高杉の方からもキスを返す。恋人の広い背中に腕を回して、きゅっと抱きしめて。
                  
「幸せだってことを伝えたいだけ。光平のおかげで、僕はとても幸せなんだってことをちゃんと伝えたいだけだよ」
                  
 君は知っている? 僕がどれだけ君を愛しているのか。君が愛しくて、可愛くて……誰よりも大好きなことを。
                  
「……俺の方が幸せだよ」
                  
 立原が少しだけ不満そうに言う。
                  
「絶対、俺の方が幸せだよ! 渉さんと一緒にいられて……絶対に俺の方が幸せなんだからっ!」
                  
 これだけは譲らない! と若い恋人は言い切る。
                  
「だから……ずっと」
                  
 もう一度、甘く……さっきよりも少し深いキスをして、立原は言った。
                  
「ずっと……こうしていようね。ずっと……一緒にいようね」
                  
 優しい恋人。君に出会えた奇跡を、僕は誰に感謝すればいいのだろう。
                  
 高杉はこくりと頷いて、そっと恋人の胸に甘えるように頰をつけた。
                  
 あたたかくいい匂いのするキッチンで、2人は寄り添う。
                  
 もうじき、美味しい晩ごはんが出来上がる。
                  
 そうしたら、2人で食べよう。2人で小さなテーブルを挟んで。
                  
 ずっと2人でいよう。ずっと離れずに。
                  
 ……約束だよ。   
                
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こんにちは、春原(すのはら)です。『電子オリジナル 恋する救命救急医 管制室のラプンツェル2』をお届けします。前作『管制室のラプンツェル1』を読んだ皆さまの「え? コレで終わりなの!?」という悲鳴が聞こえるようでした(笑)。いえいえ、終わりではありません! というわけで、完結編でございます。センター――いえ「恋救」――のヘタレ攻め(笑)立原先生、いかにして、管制室のラプンツェル高杉を幸せにしてくれるのでしょう。ぜひ、あなたのその目でお確かめください!